遥かなる星々の彼方で
R-15

第48話 伝言ゲーム

 TY-883基地への補給及び艦体の補修作業が終わったリンデンマルス号は、次の支援先TY-1051基地へ向かっている。その距離およそ8千光年、2週間弱で到達の予定である。

 1日9百光年を跳躍するリンデンマルス号からするとこれはいつもより若干遅いペースだが、今回は途中で寄り道をするのでこのような計画となった。それは45歳の宇宙勤務定年を迎える作戦部のクレフトン・ファビュル大尉及び、事実上の更迭となった戦術部陸戦科のジョイノル軍曹、カモンシス伍長が下艦するので、その引き取りを第七方面司令部に依頼したからである。
 そこで第七方面司令部の指示で最寄りの駐留艦隊基地から派遣されてくる高速巡航艦と落ち合い、3名を引き取ってもらい代わりにファビュル大尉の後任の少尉を迎え入れるというものである。


 イステラ連邦の威信を掛けて建造されたリンデンマルス号は、政府内にあってもまた軍務省内にあっても、全イステラ軍の旗艦的存在と見做されている。これは莫大な予算と膨大な時間を費やして建造されたからである。だが実のところ、イステラ連邦宇宙軍そのものからは無用の長物、とまではいかなくとも便利な補給艦扱いである。したがって本来ならば栄転とされるべきリンデンマルス号への異動は左遷と目されている。
 ただしこれは尉官以上の将校に限ってであり、下士官以下の者にとってはやはり栄誉なことと捉えられている。ことに常時実働状態にあるリンデンマルス号では短期間で十分な経験・実績が積めるので、異動で他所へ移った時必ず昇進が伴うからである。
 そういうことも踏まえてファビュル大尉の後任にはどういう人物が来るのか、リンデンマルス号内では誰もが興味津々だったが、これは新規着任者があるといつものことだった。
 ことに艦長の経歴その他に関して余計な詮索をするな、と保安部から非公式ながら総員に対し通達が出された後である。要するに噂話ですら差し障りのある人物から、堂々と話のネタに出来る人物に興味が移ったということだった。


 さて、リンデンマルス号は第七方面司令部管内の惑星トビュークス駐留艦隊基地から派遣された高速巡航艦「ノートシアス」との距離およそ20km地点で停止した。
 ノートシアス号の艦長と映像通信での会話を終了したレイナートは背後に控えるファビュル大尉に向き直った。
 ファビュル大尉が背筋を伸ばす。

「クレフトン・ファビュル大尉。現時点をもって貴官の本艦作戦部勤務の任を解く」

 固い口調でそう言ったレイナートは表情を柔らかくして続けた。

「ご苦労様でした、大尉。地上に降りてからもお元気で」

「ありがとうございます、艦長」

 敬礼したファビュル大尉にレイナートが敬礼を返すとファビュル大尉も直り、MB(主艦橋)スタッフ全員に温かい拍手で送られながらエレベータで降りていった。

 一方、ノートシアス号からリンデンマルス号に向かうドルフィンと同型機の多目的シャトルには、若い女性少尉が1人搭乗していた。

 2隻の艦艇間で人が移動する場合、特別な事情がなければ「格下が格上に便宜を図る」が基本である。この場合リンデンマルス号は戦艦、ノートシアス号は巡航艦なのでリンデンマルス号の方が格上、また艦長はリンデンマルス号は大佐、ノートシアス号は少佐。なのでやはりリンデンマルス号の方が格上。
 それでノートシアス号が多目的シャトルを出し、新任少尉を連れてきて3人を連れて帰るということになったのである。
 ちなみに艦の格、艦長の階級が同じであれば、艦長の軍歴の長い方が格上とされる。

 ノートシアス号の多目的シャトルがリンデンマルス号の飛行甲板(フライトデッキ)に着艦、そのまま格納庫内に進む。
 機体が停止したところでハッチが開き宇宙服を着た女性少尉が降りてくる。
 少尉の私物の入った機密パックは甲板員が持って少尉とともにエアロック内に運ばれる。
 エアロック内ではファビュル大尉、ジョイノル軍曹、カモンシス伍長が宇宙服を着て既に待機していて、少尉と入れ替わりで多目的シャトルに乗り込んでいく。ジョイノル軍曹、カモンシス伍長がおとなしく従っているのは、事実上の更迭でも、名目上は艦長推薦による特殊歩兵部隊へのチャレンジのための離艦だからである。

 一方の少尉はエアロック内が空気で満たされると宇宙服を脱ぎエアロックから艦内に移動、そこで持ち込み品の簡易検査を受け、プロテクトスーツの両袖のICチップのスキャンを受けてからMBへ続くエレベータに乗り込む。
 エレベータ自体は誰もが乗れるがMBへの入室には制限がある。したがってエレベートの入り口には警護兵がいて、入室資格のない者が乗り込まないように警戒している。

 エレベータがレベル12に到着すると少尉はMBに入り艦長に対し着任の申告を行った。

「モーナ・キャリエル少尉、着任いたしました」

 襟足で切りそろえた黒髪、細い眉、少しつり目気味でキツイ顔立ちに見えるが、なかなか整った容貌でもある。肌合いは白よりは多少色がついているが濃い色ではない。そのモーナが背筋を伸ばしキリリと敬礼した。

「遠路ご苦労様、少尉」

 レイナートが敬礼を返す。今度は副長のクレリオルがモーナに言う。

「モーナ・キャリエル少尉、リンデンマルス号作戦部勤務を命ずる。私は作戦部長兼本艦副長のクレリオル・ラステリアだ。以後、貴官の直属の上司となる」

 相手より階級が上の者は一々己の階級を言わない。階級章を見ればわかるからだが、下級の者は階級も含めて名乗るのが正式である。

「はっ、よろしくお願いします、中佐殿」

「うむ。貴官は情報端末を受け取り後、艦内病院に出頭、健康診断を受けよ。艦内時間一六〇〇(16:00)にワープを行うので、一五三〇(15:30)までにMBに戻れ。何か質問は?」

「ありません」

「よし」

 そこで作戦部の別の兵士から情報端末を受け取るモーナ。素早く操作して必要な情報が表示されることを確認する。

「問題はありませんか?」

 兵士の問い掛けにモーナは首を振る。

「ないわ、ありがとう」

 モーナが言うと兵士は後ろに下がる。

「では直ちに病院へ向かえ」

「了解しました」

 クレリオルの言葉に敬礼をしつつ応えるモーナ、敬礼から直ると再びエレベータに向かう。
 だがレイナートの前で立ち止まりそのキツイ顔立ちに笑顔を浮かべた。

「小官を呼んで下さり誠にありがとうございます。再び少佐殿……失礼しました、艦長の下で働けることは光栄です」

 その言葉にレイナートは苦笑しつつも言った。

「こちらもだよ少尉、君には期待している。ただしお手柔らかに頼むよ」

 さらに笑顔を見せたモーナはレイナートに敬礼してエレベータ内に消えた。
 たった今行われた一幕にMB内は静まり返っていた。

―― 新任少尉は艦長の過去を知る女……。

 その事実に少なからず驚いたからである。
 そうしてこれは目新しい情報に飢えていた乗組員に格好の話題を与えたのだった。


 エレベータ内のモーナは情報端末で病院の位置を確認、スタスタと通路を歩いていく。佐官ならいざしらず尉官以下は新規の着任でも案内役を着けてくれない。情報端末一つ渡されて「あとは自分でやれ」というのが、イステラの宇宙艦艇の伝統である。
 初めての宇宙勤務だがモーナには迷いや戸惑いは一切ない。それどころか離職する前任者の後任に、艦長が直々に自分を指名してくれた ― これは実は彼女の勘違い ― ことに名誉を感じていた。

―― アレほど見た目と中身の違う人はいないわね。そばにいれば出世は絶対間違いなしだし、そういう人に認められたのはラッキーね。

 彼女の中にはレイナートに対する甘い感情は一切なかった。だがモーナの記録部での1年半の間に、着任後わずか半年で異動になった若いレイナート・フォージュ少佐には随分と興味があった。
 新規任官してわずか3年で少佐。ということは年1回昇進している計算である。どれほどの功績を挙げたというのだろう。だが当人は穏やかな口調に柔らかな物腰でとてもそれほどの人物には見えなかった。そのくせ過去の記録に対する鋭い考察と論評。自分は少佐のおかげで随分と成長出来たと思っていた。
 突然の異動直前に何かあったようだが詳細は不明。ただあまり大きな人事異動のない統合作戦本部内で急に随分と顔ぶれの変わった部署があった。それが少佐と何か関係があるのかはわからない。
 いずれにせよ何時の間にか現れて何時の間にか去っていった謎の将校。それがモーナのレイナートに対する偽らざる本音である。

 ところで、当然のことながらこのMBでの出来事は直ぐに艦内に広まった。そうして暗い表情で第2食堂士官席に着く美女3名。もちろん言わずと知れたエメネリア、コスタンティア、クローデラである。彼女達が何故そこまで暗い顔をしていたかというと、その耳に入ってきたのが「艦長が(元)彼女を呼んだ」という噂だったからである。
 すなわち「艦長の過去を知る女」という話が艦内に広がる間に「艦長の(元)彼女(もしかしたら現在も進行中)」へと変化してしまっていたのである。

 艦長の経歴に関しては一切アンタッチャブル。だが「(元)彼女」に関してはそうではないだろう。少なくとも乗組員名簿を調べるとモーナの情報は簡単に閲覧出来る。

 モーナ・キャリエル 第473期入学、第六士官学校本科専修科戦術作戦科終了。最終成績:4051人中13番。初任地:中央総司令部統合作戦本部記録部。少尉として任官。

 士官学校終了後、初任官で統合作戦本部入りというのは紛うことなき優秀なエリートである。ただし記録部というのが微妙なところだった。
 記録部とはその名の通り過去の戦闘データはもちろん軍隊組織としての記録を全て一元管理する部署である。したがって過去の人事データ、経理データなども扱うという、膨大な広さと種類の記録を管理している部署である。
 こういう部門の場合、士官学校出でも専修科ではなく一般科を卒業した者の方が配属になるケースが多い。だがモーナは戦術作戦科卒。ということは戦術分析に長けているということが言えたが、乗組員達の興味はそこではなかった。

 曰く、艦長がファビュル大尉の後任人事に彼女を指名した。
 曰く、モーナは艦長を少佐殿と言い間違えた。
 曰く、再びその下で働けることを光栄と言った。

 つまりかつての上司と部下で、しかもその関係は極めて良好とは言えまいか?
 これが艦内に伝播する間に「艦長の過去を知る女」から「艦長の(元)彼女」に変わっていってしまったのである。
 そうしてエメネリア、コスタンティア、クローデラの3人はその噂をすっかり事実と信じてしまったのだった。


 そのモーナは艦内病院で健康診断を受けた後、割り当てられた私室に向かい荷解きを行った。そうして新規に着任した誰もがそうするように食堂とPX(艦内購買部)を確認することにした。
 とにかく共用施設、特に食堂やジムは分刻みでスケジュールが定められている。ジムのように直ぐに利用しないものはいいが、食堂の場合もたもたしていると食いっぱぐれる心配がある。ことに地上勤務から宇宙勤務になったばかりの者は、先輩にそうアドバイスされるからそれに倣ったのである。
 ちょうどタイミングよくと言うか、食堂の指定利用可能時間までいくらか時間がある。そこでPXを冷やかした後第2食堂に向かったのだった。

 リンデンマルス号の食堂は第1、第2共に士官席を示す特別な表示がある訳ではない。したがって初めて来ると勝手がわからないのは当然である。
 食器の乗ったトレイを持ってキョロキョロと顔を左右させているモーナに近くの兵士が声を掛けた。

「少尉殿、士官席はプランターで仕切られた向こう側です」

「そう、ありがとう」

 笑顔でそう言ったが兵士の顔が少し引きつっていた。モーナは内心舌打ちする。

―― どうせつり目の三白眼ですよ!

 この顔と言うか目のせいで学生時代は色々と面白くない経験をしてきた。相手に対してどうも猫というより豹を連想させるようだった。こちらにその気はないにも関わらず相手を怒らせるか、もしくは怯えさせてきたのである。それで実力で見返してやろうという気持ちで士官学校を目指したモーナだった。


 一方その頃レイナートは小さく溜息を吐いていた。

―― 「彼女みたいに優秀な」とは言ったけど、「彼女本人を」とは一言も言ってないんだけどな……。

 ファビュル大尉の離艦が近づいて、レイナートはリンデンマルス号の運用責任者シュピトゥルス少将から「後任について要望はあるか?」と尋ねられた。それで短い一時期レイナートの部下となった「モーナみたいに優秀な」人材をお願いしますと答えたのだった。
 だがシュピトゥルス少将からすれば、キャリエル少尉など見たことも聞いたこともない。それで副官に調べさせた。副官が提出した顔写真入り報告書を見てシュピトゥルス少将は「こういう顔が好みなのか」と顔写真を見て思ってしまったのだった。確かに士官学校の成績、任官後の評定は申し分なく優秀と言えるものだった。それで記録部長に要請したのである。

 中央総司令部の各部長職ともなると全員が漏れなく将官である。互いに見知っているし戦友でもある。記録部長としては優秀な人材を手放すことに難色を示したが、異動先がリンデンマルス号ということで最終的には折れてくれた。辺境基地への補給支援を継続的に行うリンデンマルス号の存在は軍にとって不可欠であり、しかもその作戦部ともなると、そこそこ優秀、では務まらない。有能、経験、適性ということが重視されるのである。
 そのくせそこへの異動が左遷と看做されるのだから、リンデンマルス号は「変」もしくは「残念」な艦である。

 そうして人物としては申し分なし、最終的には本人の意志を確認して、ということになってモーナが聞かされた話は既に内容が微妙に違っていた。
 すなわち「君も知っているフォージュ少佐が大佐に昇進してリンデンマルス号の艦長をしている。その彼が優秀な『キャリエル少尉』を今度出来る欠員の補充に欲しいと言っているらしい。行くか?」と記録部長は言ったのである。
 任官してわずか1年半の少尉が部長である准将に呼び出されてそう言われて舞い上がったのも無理はない。モーナは即決したのだった。

 ただそれからは忙しなかった。
 離艦する大尉がいるということなのでその期日に間に合わなければならない。悠長に準備をしている余裕はなかった。
 リンデンマルス号は緊急の第1支援要請が入るとそれまでの予定を破棄して別行動することもあるが、基本は作戦部の立案した数カ月先までの予定表に基づいて行動する。しかも広い宇宙を常に飛び回っているため、中央総司令部のある主星トニエスティエから、他の惑星・基地への定期便だけですんなりとは乗り込めない。と言ってリンデンマルス号の方から迎えに来てくれるというのはありえない。
 したがってリンデンマルス号の行動予定表と実際の行動を常に確認し、各方面司令部や駐留艦隊基地の協力の下に期日までに着任しなくてはならなかったのである。

 そうしてモーナは着任したのだが、レイナートが自分を優秀だからと名指しで呼んでくれたと信じて疑わなかったのだった。
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