アレルトメイア人民解放戦線を名乗る一団がアレルトメイア国家民主主義人民共和連邦の樹立を宣言して早1ヶ月。その間リンデンマルス号は辺境基地への補給支援活動を変わることなく進めていた。 確かに隣国において軍事クーデターが発生したというのは看過出来ない大問題である。 事実アレルトメイアと境界を接するイステラ連邦第七管区を担当するイステラ連邦宇宙軍第七方面司令部は重度警戒態勢(臨戦態勢の一つ手前)を敷き、第七方面司令部に所属する宇宙艦隊による境界線となる中立緩衝帯附近の哨戒活動を強化している。 だが現実の問題としてアレルトメイアから境界を侵犯してくる艦艇の存在は認められず、事実上何らイステラに目立った影響がないため、第七を除く各方面司令部においては切迫した空気というものは感じられない事実もある。 それ故リンデンマルス号もその活動範囲が第六管区内中心となったことを除けば、いつもと変わらない行動に終止していると言っても過言ではない。 ただし今現在乗組員達の一番気になっていることはエメネリアのことである。 中央総司令部からの通達によれば、イステラに派遣されてきているアレルトメイア軍の士官は皆本国への帰還が始まっているとのことである。ところがリンデンマルス号には一切その気配がない。補給支援活動の予定がかなり余裕のあるものになっていているにも関わらずである。 元々リンデンマルス号への補給支援要請は各方面司令部から中央総司令部を経てもたらされる。ところがこの数がアレルトメイアのクーデター以前、正確には2ヶ月ほど前から少なくなっていた。 このことは当然作戦部ではいち早く気づいた。 補給支援要請は数カ月先を見越して出されてくる。作戦部ではその要請を現行スケジュール、後の計画とを調整しつつ受託しているのである。もちろん出された要請の全てに応えるのは難しいが、それでも可能な限りそれをこなそうと計画を立案する。 ただし突発的な緊急の第1級支援要請もあるから、その際にはスケジュールの調整が必要になる。と言って何時来るかわからない第1級支援要請のために通常の補給支援活動を減らせないので、作戦部の計画立案は常に難しい調整を伴っている。 したがって作戦部は文字通りのエリート集団、艦内最高の頭脳集団であり、他部署から1ランク上の存在と認識されている。 それ故支援要請の数の減少には直ぐに気づいたのである。 これはどう考えても腑に落ちないことだった。 辺境基地への補給に関する予算が特別増えたという話はない。補給を必要とする基地が減ったということもない。もちろん基地の自動無人化は進められているが、それは第一管区から第五管区までが殆どで、隣国と境界を接する第六、第七は後回しというのが実情である。 それからするとリンデンマルス号への支援要請の低下は解せないことである。 事実、作戦部長のクレリオルと、同次席のコスタンティアは艦長のレイナートにわざわざ確認したほどである。だが艦長からは明確な回答は得られなかった。 だがそれもアレルトメイアの軍事クーデター勃発で了解されることとなった。 事実第七管区での補給支援は減ったし、エメネリアを帰国させるには別途アレルトメイア軍と接触しなければならない。補給支援の計画がぎっしり詰まっていたらそれは難しくなるだろう。そう考えれば補給支援要請の減少も納得出来ることであったのだった。 ところがそのエメネリアの帰国に関する行動計画が未だに発表されない。 確かにエメネリアはクーデターの報を聞いて意識を失うという事態に陥った。とりあえず艦内病院で診察を受け問題なしと判断されたが、いまだ自室で療養中で従卒のネイリはもちろん、医監部の看護師が交代で付きっきりである。 直ぐに移送は難しいとも思われるが、それにしても一切その計画が発表されないというのはおかしいとしか思えない そこでクレリオルがレイナートに問い質した。 「ミルストラーシュ少佐の処遇はいかがされるのですか?」 それに対してレイナートは至極あっさりと答えたのである。 「処遇は現状のままです」 「現状のまま、というのは帰国手続きを行わないということでしょうか?」 「そうですね。そう解してもらって構いません」 「ですがそれでは命令違反になるのではありませんか? イステラ内の全アレルトメイア士官は即刻帰国させるべし、との通達が出ていますが?」 「そうですね。ですが彼女はしばらく本艦に留めおきます」 「理由を伺ってもよろしいでしょうか? これは重大な命令違反となる可能性がありますので」 クレリオルの言い分も当然である。最悪の場合自分らは何も知らされずに処分される可能性があるのだから。 「その件に関しては本艦の運用責任者シュピトゥルス少将から内々に許可をもらっています。と言うよりそうすべしという密命を受けています。 したがって現状で彼女を帰国させるということはありません」 「艦長」 クレリオルの語気が強くなった。 「明快な説明をお願いします。我々乗組員にはそれを聞く権利があると思います」 「そうですね。わかりました。メインスタッフを招集して下さい。話せる範囲でお話しましょう」 直ちに緊急の第2種配備が敷かれ、各部各科の長及びその次席、さらには各部各部門の現場リーダーまでが一斉招集された。 ブリーフィングルーム前方中央のデスクに着いたレイナートは集まった士官達を一瞥した。そうして尋ねた。 「ミルストラーシュ少佐に処遇について意見のある者は?」 士官達は顔を見合わせていたがやがて戦術部航空科長のアロンが口を開いた。 「そりゃ、さっさとお引取り願うのが筋でしょう。それが中央総司令部からのお達しですからね」 「表向きはそうですね」 レイナートが言うと室内がざわついた。 「表向きってことは、裏があるってことですか?」 今度は砲雷科長のエネシエルである。 「ええ。裏というか、シュピトゥルス少将から内密に、ミルストラーシュ少佐を艦内に留めておくように指示が出ています」 室内が一層ざわつく。一体どうして? と。 それを聞いて何故自分がここに出席させられているのか、と訝しんでいた第1航空隊のエース・アニエッタが目を見開いた。 実際何人かは彼女を見ている。 「理由に関してですが……」 続けて言ったレイナートは、これまた新人なのに何故? と訝しんでいたモーナに目を留めた。 レイナートに見詰められてモーナはハッとしたように挙手して発言を求めた。 「それは『揺り戻し』の故でしょうか?」 それを聞いてレイナートが「その通り」と言わんばかりに微笑んだ。 それに気を良くしてモーナが続ける。 「古往今来、軍事クーデターによる国家転覆、政権の奪取は、後日必ず旧体制側からの反攻があります。新体制側が旧体制側を完全に根絶やしに出来ていればそのようなことは起きにくいと思われますが、実際には中々そこまでは行きません。しかも新体制側の新施政に全く落ち度がなく、国民の不満を全て吸収出来ていれば新体制は安泰ですが、それもまずありえません。 したがって必ず旧体制側の反攻が起き、それは長期化すると内戦につながります。しかも隣国や関係各国が介入を始めると内戦は長期化、泥沼化し収集がつかなくなります」 レイナートはさらに相好を崩した。その表情は「よく出来ました」と言っていた。 記録部時代にレイナートからあれこれと教わっていたモーナも、レイナートを満足させられたことを喜び着席した。 「ということは、アレルトメイア国内はしばらくは不安定という認識でしょうか?」 クレリオルが尋ねる。レイナートは頷いた。 「ええ。ただそれが数ヶ月か、数年か。そこまでは何とも言えませんが」 それを聞いて今度はコスタンティアとクローデラが首を捻っていた。 確かに革命後の国内情勢は安定しないものだろう。だがそれが何故エメネリアを帰国させずリンデンマルス号に留めることにつながるのか。彼女が貴族の娘だからか? だがそれを言うのなら他の派遣士官達はどうなのだろう。アレルトメイアから派遣されてきている士官は初年度ということで低く抑えられ20余名と聞いている。だがその中でエメネリア一人が貴族ということはないだろう。さすがに貴族家の当主本人まではいないかもしれないが、それでも他に全く貴族がいないとは思われない。では何故エメネリアだけが特別扱いなのか。おかしくはないか。 例えば彼女が皇帝位継承権を持つ皇族であれば納得も出来る。 皇帝位継承権を持つ人物を革命側に引き渡し、万が一旧体制派 ― 帝政派、皇帝派と言い換えても良い ― が反撃し政権を再奪取した場合、もしエメネリアを帰国させ結果的に革命派に引き渡す形になっていたら、イステラは反逆者に加担した許されざる行為を犯したことになる。そのつもりはなかったとしても、そう断罪されても言い訳は出来ないだろう。 逆に現状ではほぼ不可能だろうが、旧体制派にエメネリアを渡して新体制派が政権を維持し続けたら、イステラは国家人民の敵に利する行為を行ったと非難されても文句は言えまい。 いずれの状況であってもイステラはアレルトメイアとの間に高い緊張状態 ― 最悪の場合戦争を含む ― を招くことになるだろう。 そういうことであればエメネリアを帰国させないということにも納得出来る。だがそれもエメネリアが皇帝位継承権を持つ皇族であればの話だが……。 そこで2人は愕然とした。 ―― もしかして、そうなの……? 殊にコスタンティアは自分であれこれと仮説を立てて検討していたが故にショックが大きかった。 もしそうであり、しかも艦長の過去に関わりがあったのなら色々と疑問に思っていたことが納得出来てくる。だがそんなことがあり得るの? でも……。 コスタンティアの頭の中は様々なことがぐるぐると渦巻き軽くパニックを起こし掛けていた。 それはクローデラも同じこと。与えられた情報からあらゆる可能性のあることを全て考え出すクローデラも己の仮説に自らがショックを受けていたのだった。 だが再びのクレリオルの発言で2人は我に返った。 「それだとしても、それが何故ミルストラーシュ少佐を艦内に留めることにつながるのでしょうか?」 直球の質問だった。コスタンティアもクローデラも思わずクレリオルの顔を見つめてしまった。自分の想像したことに思い至らなかったのかと。 レイナートはクレリオルの質問には答えず、保安部長のサイラに尋ねた。 「保安部長、もしも私が開示を禁じられている最重要機密事項の内容に言及した場合どうなりますか?」 サイラは表情を変えずに答えた。 「そういうことのないように願いますが、万が一そのようなことが発生した場合、最悪は艦長の職権を停止、拘束させていただくことになります」 そこでレイナートはクレリオルに言った。 「ということですが、納得出来ないでしょうね」 クレリオルは押し黙った。確かに納得出来ないことだが、だからといって艦長に禁を破らせる訳にはいかないだろう。 室内は明らかに知りたい答えが与えられないということに対する欲求不満に満ちていた。 「仕方ないですね、可能な限り話しましょう……」 レイナートが肩をすくめてそう言った時、ブリーフィングルームの入り口のスライドドアが開きエメネリアが入室してきた。 レイナートは急ぎ立ち上がって声を掛けた。 「大丈夫ですか? 少佐」 「ええ」 力ない笑みを見せるエメネリア。頬は少しこけ顔色も決して良いとは言えない。明らかに憔悴しているといった感があった。 「ご心配をお掛けました」 「いいえ」 レイナートが首を振る。 エメネリアの背後にはネイリと看護師のアニスが立っていた。そのままその場にいてもよいのかどうか不安な顔をしていた。 レイナートはその場で待機するよう命じ、2人は壁際にひっそりと控えた。 「艦長、私から皆様に説明させていただいてもよろしいでしょうか?」 「それは構いませんが……」 レイナートがエメネリアを気遣う。 「あまり無理をなされない方が良いのではありませんか?」 「いいえ、大丈夫です」 そう言って気丈にも笑顔を見せたエメネリアにレイナートは自らが座っていた席を勧めた。 「こちらへどうぞ」 「ありがとうございます」 ブリーフィングルーム正面中央の一段高くなっている段の上の机にエメネリアが向かう。そうしてエメネリアが机を前にして立った時、レイナートが集まっている士官達に体を向け姿勢を正して怒鳴った。 「総員、起立!」 一瞬何事かと思った乗組員達も艦の最高指揮官である艦長にそう命じられたら否やはない。一斉に立ち上がった。 「気をつけ!」 レイナートの号令に全員が背筋を伸ばす。そうしてレイナートは踵を中心に姿勢を崩すことなくクルリとエメネリアに体を向けた。 そうして尚一層大きな声で命じた。 「帝政アレルトメイア公国、エメネリア第一皇女殿下に、敬礼!」 そう言って自ら右掌を額に持っていく。 乗組員達は一斉に手を上げた。入口付近に控える陸戦兵は捧げ銃の姿勢を取る。だがその場の全員が直ぐに唖然とした。 ―― 第一皇女? ―― 殿下? 唖然としつつも敬礼の形を崩さない。 そうしてエメネリアはそれに応えるべく、ゆっくりと片足を後ろに引き静かに腰を屈め軽く頭を下げた。それはもちろんアレルトメイア軍式の敬礼ではなく、紛うことなき身分ある人物の返礼の仕方で、裾の広がったスカート、否、ドレスであったらもっと様になっていたことだろう。 エメネリアがゆっくりと体を戻すとレイナートが再び号令を掛ける。 「総員、直れ!」 全員が敬礼から直り気をつけの姿勢のまま待機した。 エメネリアが静かに言う。 「皆さんどうぞお掛けください」 それを受けてレイナートが命じる。 「着席!」 そう言った後、レイナートは足を肩幅まで開き「休め」の姿勢を取った。 ブリーフィングルームは直ぐに重苦しい沈黙に包まれたのだった。 |