「距離、1500まで後退」 「艦長……」 レイナートの指示に作戦部長のクレリオルが困惑の表情を見せた。今ここで追い打ちをかけずしてどうするのか、と。 だがレイナートの命令は変わらなかった。 「距離1500を維持。何も敵の土俵上で戦うことはない」 アレルトメイア艦の荷電粒子砲の射程距離は最大1200程度。1500まで離れれば恐れるに足りなくなる。しかも1500という距離は十分こちらの射程範囲。無理をすることはない、その判断だった。 確かに言われてみればその通りだが、士官学校出のエリート達からするとレイナートは消極的というか弱腰に見えたようだった。 だが現実の問題として現状は決定打に欠けていた。ここで深追いすると思わぬしっぺ返しを食いかねない。元々専守防衛で先手を取られてばかりだったのが、一気呵成の攻撃で有利な状況に持ち込めていた。それでこのまま有利に進めようというのがレイナートの考えだった。 これに関して、内心「見事な采配だ」と感心していたのはコスタンティアだった。 逃げる素振り(?)で敵を油断させ包囲網を築かせなかった。結果アレルトメイア艦隊は3段構えではあったが、これには十分対処し得た。もちろんそこにはエメネリアという「隠し玉」があったればこそだったが。 今ここでも敢えて深追いをせずに距離を取ることで時間的余裕を得ようとしている。その間、荷電粒子砲の発射準備が整えば、この後、敵艦隊を一気に殲滅することも不可能ではないだろう。まさに自分の土俵で思い通りの戦いをすることを可能ならしむる一時後退であることは明白だった。 そうしてこのリンデンマルス号の後退によって、僅かではあるが奇妙な空白の時間が発生していた。 この時アレルトメイア艦隊にとってはリンデンマルス号の動きは不気味だった。 何故一気に押し寄せてこないのか? まだ何か他に策があるのか? アレルトメイア側からすればほとんど相手のスペックがわからない以上、次にどう出てくるのかが読めなくて不安にかられていた。 アレルトメイア艦隊はこの空間に姿を表した時に本国に通信を行っている。したがって援軍もいずれは来るだろうがそれには数十時間を要するだろう。それまで持ち堪えられるか? 無理だと言わざるをえないだろう。 ―― 逆にこちらから距離を詰めてみるか? 艦隊司令はそうも考えてみた。 だが8隻からいた艦隊の現状はと言えば、無傷なのは駆逐艦を追った軽空母と軽巡航艦の2隻だけでしかも現宙域を離脱してしまっている。現宙域に残っている艦艇の内、巡航艦は軽重ともに中破で戦線を離脱しつつある。残る空母も艦載機の発進がさせられず、荷電粒子砲が撃てるだけ。旗艦である戦艦も外壁に損傷を受け思うようには動けない。 すなわち勝敗は既に決したと言っても過言ではないだろう。 イステラ艦が追撃してこないのは向こうにも何か問題があるからだろうがその詳細はわからない。それでもミサイルを撃ってくれば迎撃は可能だし艦載機を展開させるには距離があり過ぎるから問題はない。 但し荷電粒子砲に関してはよくわからない。 おそらく艦体に着いている砲塔らしきものがそうなのだろうが、何せこの距離で発射されても目視がかなわない、というか認識する前に着弾しているからどうにもならない。 にしてもあんな小さな砲塔に収まっているのが信じられないことである。しかも数が半端ではない。あれが全て荷電粒子砲なら常軌を逸しているとも言える装備である。あれが一斉に火を吹いたら大型戦艦といえ跡形もなく消し去られてしまうだろう。 ―― 最早これまでか……。 決断するなら今しかなかった。愚図々々していて再度攻撃されたらそれこそ後がない。 だがここで投降するのはプライドが許さなかった。しかも敵艦には憎き貴族も乗っている。それが余計に躊躇させた。 ―― どうする? 艦隊司令は悩んでいた。 その時赤外線モニタを見ていたアレルトメイア艦隊旗艦観測士が大声を上げた。 「イステラ艦の砲塔が動いています!」 リンデンマルス号はアレルトメイア艦隊に真正面に向いて停止していた。その艦首側12基の回転砲塔が一斉に動き出し、砲身をアレルトメイア戦艦に向けたのだった。 「艦長、まだ粒子加速率は最大で78%です。今撃っても……」 一方のリンデンマルス号 「ええ。でも威嚇にはなるでしょう?」 「それはそうですが……」 「もう既に敵の被害、死傷者は4桁に昇っているでしょう。これ以上無益な殺生はしたくありませんからね」 軍隊における戦闘行為を「無益な殺生」と言うその感覚にも驚かされるが、それを平然と口にするその方がやはり普通には思えない。 だがそれを聞いていたエメネリアにすれば、感謝に堪えないことではあった。望まぬことだったとはいえ、同胞を敵に回して戦うことになってしまった。出来ることならこれ以上の戦闘は避けてほしかった。 「ならばいっその事、降伏を勧告してみますか?」 クレリオルが問う。 「いや、それは止めておきましょう。逆上されて特攻でもされたら対処しきれません」 レイナートは却下した。 エメネリアによれば対峙するアレルトメイア艦隊は平民で構成されており、貴族に対する敵愾心を抱いているのは明らか。下手に降伏勧告などしたらそれを刺激されて、それこそ後先考えずに突っ込んでくるかもしれない。 今はまだ主砲の発射準備が整っていない。この状況下で敵に動かれると対処のしようがない。 そこで通信士が大声を上げた。 「アレルトメイア艦より入電! 停戦を呼び掛けてきています!」 「なんだと、停戦?」 それに直ぐに航空科長のアロンが噛み付いた。 「アッチから仕掛けてきたくせに停戦だと?」 「ふざけてやがる! 突っぱねちまえ!」 砲雷科長のエネシエルも同意した。だがそれは艦長決定ではない。通信士はレイナートを窺った。 クレリオルもレイナートを向き直った。 「どうしますか?」 「無理に突っぱねる必要はないでしょう。こちらとしても敵を殲滅するよう命令を受けている訳ではないし」 どころか思いがけず戦闘に突入してしまったリンデンマルス号である。早期の戦闘終結は願ったり叶ったりだった。それもあって陽動で砲塔を動かしてみせたのである。 レイナートの表情はまさに「してやったり」というものだった。 「まあ、そうですね。潮時ということでしょうか」 そこでクレリオルは通信士に尋ねた。 「停戦の期間は?」 「36時間を申し出ています」 「36時間? これまた微妙な長さだな……」 戦術部長のギャヌースが口を挟んだ。 「36時間以内に援軍が見込めるってことだろうか?」 最後は独り言のようだった。 「それはないと思われます」 エメネリアだった。 「我が軍、いえ、アレルトメイアの宇宙海軍に所属する艦隊でこのような辺境に展開している部隊はそう多くはないはずです。眼前の部隊もどうしてここにいるのか不思議なくらいですから」 もしも事前にいるのがわかっていれば、そもそもTY-3051基地の探索に協力の要請も出来たはずである。もっとも、おそらくは協力的どころかいきなり敵対した可能性が高いが。 「ならば、どうしてですか?」 レイナートが改めて尋ねた。 「はい。おそらくは背後の補給艦を呼び寄せるつもりだと思います」 「補給艦を? 何故?」 「現在この宙域にいるA艦隊は救援を必要としている艦ばかりです。怪我人や戦死者の遺体収容を優先させるのだと思います」 やはり祖国のもの故に「敵艦隊」とは呼びたくないので「A艦隊」と眼前の部隊をエメネリアは呼んだ。 だがそれを一向に意に介することなく再びアロンが口を挟んだ。 「おいおい、だけど補給艦ははるか後方だろう?」 最初エメネリアが後方5000万~6000万付近に補給艦がいるはずと言っていたのを忘れてはいなかったのだった。 「まさか5000万kmを36時間でやって来れるのかよ、アレルトメイアの補給艦は?」 イステラの艦艇の通常空間での平均的巡航速度は時速にしておよそ5万km。5000万kmなら1000時間掛かって当然である。 「はい。アレルトメイアの補給艦は迅速かつきめ細やかな補給活動を可能とするため、超短距離ワープが可能です。実際には1000万km単位で跳べます」 「まさか!? ありえんだろう!」 「いえ、そのまさかです。その代わり5光年以上の長距離ワープは出来ませんけど」 「そりゃまた……」 半ば呆れた、といった表情なアロンである。 「ですから補給部隊は四六時中ワープしてますね」 「ご苦労なこった」 確かにワープが実用化されて直ぐの頃はこの程度の距離の跳躍しかできなかったから、それを考えれば短距離ワープ自体はおかしなことではない。ただそれをこの時代も続けているということに唖然としたのだった。 それまでエメネリアとアロンの会話を黙って聞いていたレイナートが口を開いた。 「いずれにせよ援軍を待つための時間稼ぎではなく救援活動を主体に行うだろう、ということですね?」 「はい、そうです」 レイナートはしばらく腕を組んで考えていたがやがて腕を解くと言った。 「アレルトメイア艦隊に通達。36時間の停戦を受け入れる」 停戦合意が発効すると、エメネリアが言った通り補給艦が姿を表した。そうしてアレルトメイア艦隊は直ぐに負傷兵の救助及び戦死者の遺体収容を開始した。主として被害の大きい巡航艦を中心に救助活動を行っていた。 その間リンデンマルス号内では交代で総員に休息と食事が支給されていた。相手との停戦合意を信じたからのことだが、既にリンデンマルス号の全荷電粒子砲は発射準備が整っており、相手が一方的に停戦合意を破棄して戦闘が再開しても、直ちに主砲の砲撃を中心とした反撃が行える状況である。そのことが背景にあった。 但し停戦中なので一応砲身の軸線はアレルトメイア艦に直接合わせてはいない。 いずれにせよ乗組員には当初、それなりに余裕が生まれているのは確かだった。 だが時間が経つに連れて兵士達はストレスを感じるようになってきていた。 現在は停戦中とはいえ戦闘配備を維持したままなので、いくら食事や休息を摂ってはいても乗組員の気が本当に休まっているかというとそういうことはなかった。本当に開き直って熟睡出来るなどという剛の者は一人もいなかったのである。 それ故停戦時間が進むに連れて乗組員達のストレスが目に見えて増加していたのである。実戦経験が今までなかった上、このように長時間臨戦体制を継続し、多大な緊張の維持を強いられるという経験がなかったからである。 確かに距離があるから荷電粒子砲の直撃を受けても大きな被害を生じるとは考えにくい。また再戦となってもいいようにやられることはありえないだろう。それはわかっている。それでもさっさと決着が着いて、早くに第4種配備を解除してほしいというのが本音であった。 もっとも技術部製造科は戦闘終了後、外装パネルの交換を計画しており、その交換用外装パネルの製造に大わらわで、逆にそちらの方でストレスを感じているほどだった。 「定時全方位索敵開始……。 新たな艦影を認めず」 停戦合意後既に30時間以上が経っていたが、 「第183通常艦隊、第297通常艦隊より超光速度亜空間通信入電。本艦への到達はおよそ7時間後、とのことです」 イステラ軍の内規により、艦艇に第4種配備が発令されると直ちに全軍に報告するべく定められている。平時である現在、第4種配備すなわち戦闘配備を敷くということは緊急事態に他ならないからである。 もちろん突発的な予定外の演習ということもあるから、第4種配備発令後1時間以内に第4種配備の解除の報がない限り、最寄りの基地または付近を航行中の通常艦隊2個艦隊が急行することとなっている。 ちなみに1時間というのは訓練ならばその間に終了するだろうし、本当に敵を相手の第4種配備だとしても、駆けつける方の準備はどうしても1時間以上は掛かってしまうからである。 そうしてリンデンマルス号に向けて航行中のその2個艦隊から到着予定時刻を告げてきたのだった。両艦隊ともにリンデンマルス号よりおよそ200光年付近にまで来ており、あと2回のワープでリンデンマルス号の3万km付近に到着の予定だった。 通信士の報告にクレリオルがレイナート尋ねた。 「停戦合意失効後、2時間後か……。 戦闘は再開してるでしょうか?」 「してたとしても、とっくに終わってるだろうさ」 ギャヌースが口を挟んだ。 「でしょうね」 レイナートが同意した。 確かに目の前の部隊だけを相手にするなら2時間は必要ない。否、10分でも長過ぎるだろう。 「問題はアレルトメイアの援軍が来るかどうかですが……」 イステラ側も救援部隊が急行中である。アレルトメイアも同様なのでは、と考えても不思議ではない。 そこで全員がエメネリアを見た。だがエメネリアはわからない、と首を振った。 「革命が起きたとは言っても、それまでと全く軍の構成や動きが変わったとも思えません。それからすれば48時間以内に新たな艦隊の出現はないと思いますが、こればかりは……」 エメネリアの記憶が正しければ、この宙域におけるアレルトメイア艦隊の駐留基地はどう少なく見積もっても、連続ワープを駆使しても50時間以内に到達出来る距離には存在しないはずだった。 もっとも付近を航行中の部隊があればその限りではないのは当然である。だがそうなるとエメネリアには全く見当がつかなくなってしまう。 「油断することなく、その状況に応じて対応するしかないか……」 レイナートがそう締め括る。 なんとも長い待ち時間が続いていた。 そうして停戦から35時間、残り1時間というところで、艦内のストレスは限界近くまで溜まっており険悪な雰囲気になりかけていた。 それはMBであっても変わらなかった。 「定時全方位索敵開始……。 新たな艦影を認めず……」 「どうやらアチラは援軍は来ないようだな……」 静まり返ったMB内、観測士の報告にレイナートが独り言のように言った。それだけでMB内は大分気分的には軽くなった。 「んん?」 だが報告したばかりの観測士がレーダーを見ながら不審げに唸った。 「どうかしたの?」 クローデラが尋ねた。 「アレルトメイア艦隊が後退しているような……」 「だったらレーダーだけでなく電波望遠鏡で赤方偏移も確認しなさい。この距離でのレーダー表示では正確なところは絶対にわからないわ」 「了解」 クローデラに言われ観測士が電波望遠鏡を稼働させた。そうしてアレルトメイア艦隊をその電波望遠鏡で捉えた。 「赤方偏移を確認。アレルトメイア艦隊、後退し始めました!」 観測士が叫ぶように言ったのだった。 |