滞在中の第三方面司令部の宿舎の部屋で荷造りの終わったレイナートは、部屋を見回して忘れ物がないかを確認してから機密パックの蓋を閉じた。 「そろそろ時間だな……」 そう独り言ちたところで部屋をノックする音が聞こえた。 「どうぞ」 少し大きめの声でそう言うとモーナが「失礼します」と言って入ってきた。 「艦長、お時間です」 「わかってるよ。準備は出来てる」 モーナとの会話ではレイナートの口調はかなり砕けた感じであるが、取り立ててそこに甘い感情はない。強いて言えば過去に同じ中央総司令部記録部にいたという気安さからか。 レイナートがベッドの上の機密パックを持ち上げようとしたところでモーナが言った。 「自分が持ちます」 レイナートがそれを遮る。 「いや、構わない。女性に持たせる訳には……」 そこでモーナがつり目の三白眼をさらにつり上げた。 「艦長! 自分は確かに女ですが艦長の副官です。提督と呼ばれる方にご自分で荷物を持たせたら何と言われるか!」 それを聞いてレイナートは首をすくませて小さく溜息を吐いた。その落とした肩には白金の十字形四点星が一つ輝いている。 アレルトメイア艦隊との戦闘後、第三方面司令部に帰還したリンデンマルス号では大幅な人事異動があった。主要部門の長の顔ぶれがほとんど変わったのである。 作戦部長兼副長だったクレリオル・ラステリア中佐は大佐に昇進、統合作戦本部戦術研究所に異動となった。 戦術部長のギャヌース・トァニー中佐は大佐となって通常艦体司令に、船務部長のキャニアン・ギャムレット中佐も大佐に昇進し別の艦体司令に異動となった。 他にも空戦科長のアロン・シャーキン少佐は中佐となって空母の艦長、砲雷科長のエネシエル・ヌエンティ少佐も中佐となって戦艦の艦長となったのだった。 もっともそこに至るまでには全乗組員に対するウンザリするほど繰り返された調査委員会という名の審問があった。TY-3051基地の救援からアレルトメイア艦隊との戦闘に至るまで、毎日毎日第三方面司令部の監察部に呼び出されてはしつこく聞き取り調査が行われた。時には超光速度亜空間通信を使って中央総司令部の調査官にも審問を受けた。 それはまるで犯罪容疑者に対する取り調べかと思わせるほどだった。だが半年も掛けての取り調べの後、ようやく乗組員達は調査委員会から開放され、昇進や栄転の通知を受け取ったのだった。 結果、レイナートは准将に昇進、本来であればリンデンマルス号艦長職は大佐相当職なので准将となれば異動となるのが基本だが留任となった。アレルトメイア情勢が先行き不透明ゆえ、リンデンマルス号は今後も補給支援活動1本ではなく、対アレルトメイア戦略上戦闘もありうるという観点から、新任に任せるのは不安、という表向きの理由からだった。 本来准将の相当職は、前線部門の場合、通常艦隊6個艦隊からなる大隊の司令。これに士官学校一般科卒業者を当てるのに軍上層部が難色を示したのだった。もちろん一般科出身者の将官も存在するが基本は後方部門。そういう意味では見事なまでの官僚化の弊害の表れ言えよう。 もっとも当のレイナートは「給料が上がって仕送りが増やせる」と喜びはしたが昇進については全く他人事だったが。いずれにせよ要はリンデンマルス号で飼い殺しということである。 モーナはレイナートの機密パックのハンドルに手を掛けたが、直ぐに室外に声を掛けた。 「これを運んで」 すると、若い屈強な曹長が入室し機密パックを運び出した。モーナは初めから自分で運ぶ気など更々なかったのだった。 その後レイナートとモーナは基地の兵士に先導されて連絡用シャトルに乗機した。上空150万mの宙空ドックに向かうためである。 「艦長のお陰でいい思いが出来てラッキーです」 乗機して直ぐにモーナはしれっとそういうことを言った。 それを聞いてレイナートは再び溜息を吐いた。 一口に連絡シャトルとは言っても将官用ともなると内装はかなり豪華になる。もちろん機内は宇宙服着用は義務であるし別にバーがついているとかということもない。だがそれこそ自らが出世するかもしくは副官にでもならなければ滅多なことでは乗れないから貴重な経験ではある。 第三方面司令部のある惑星シュナルトワの宙空ドックは、元々リンデンマルス号を建造した 応急措置を施してワープを可能としたリンデンマルス号だが、一部外部装甲まで被害が及んでおり本格的な補修作業を必要としたのでこの第三方面司令部の宙空ドッグに入港したのだった。 宙空ドックは鋼管を組んだヤグラ状の周囲に宇宙線取り込みパネルと太陽光発電パネルが張り巡らされている。その隙間から連絡シャトルがリンデンマルス号にアプローチする。 「こちら第三方面司令部所属、ST-056。リンデンマルス号に着艦許可を求める」 連絡シャトルのパイロットがリンデンマルス号に呼び掛ける。 『こちらリンデンマルス号 直ぐに返信があり 連絡シャトルは誘導灯にしたがいフライトデッキに着床、ハンガー内へ進入する。 ハンガーの中で降機、エアロックを経てようやく艦内に入った実感がする。 「お帰りなさい、艦長」 陸戦隊のエレノアとイェーシャがレイナートを出迎える。 「ご苦労様、ただいま」 レイナートはそう言って敬礼を返しエレベータに乗り込む。モーナ、エレノア、イェーシャが続く。 エレベータがレベル12の 「艦長が艦橋へ!」 MBスタッフ全員がレイナートを敬礼で出迎える。 レイナートは艦長席に進みやはり敬礼を返すと着席した。 「船務部長、出港準備は?」 「全て完了しております」 レイナートの問に、両肩に金色の日輪の階級章を一つ着けたクローデラが答えた。 キャニアンの後任には中尉から少佐に昇進したクローデラが就いていた。 もっとも一つの案件で二階級の昇進は名誉の戦死による特進しか無い。そこでクローデラはTY-3051基地発見の功で大尉に、そしてその翌日アレルトメイア艦隊との戦闘における情報解析士官としての功で少佐となったのだった。 わざわざ第三方面司令部の人事部に2日続けて呼び出され昇進の辞令を受け取ったのだからご苦労なことではある。 そうして船務部長に就任したのだが、そこには外交委員長であるクローデラの祖父に対する国防委員会及び軍務省の牽制があった。要するに政治的駆け引きとともに恩を売った形だが、密かにクローデラに軍人を辞めさせようかと考えていた祖父にすればありがた迷惑な話だった。 またクローデラとしても自分の年齢と経験で少佐になるのは早すぎると感じていたから内心は複雑だった。だがそれまでの船務部の一スタッフとしてではなく、艦の主要スタッフとしてレイナートと共に働けることに喜びを感じていたから結局は素直に従ったのだった。もっとも拒否をしたらどこかへ左遷されていただろうが。 次いでレイナートは作戦部長に尋ねた。 「今後の行動計画は?」 「立案済みです。戦術コンピュータに入力も完了しております」 コスタンティアが柔らかな笑みとともに答えた。レイナートが頷く。彼女の肩にも金色の日輪の階級章が一つ輝いていた。 コスタンティアはリンデンマルス号が第三方面司令部に到着して直ぐに転属願いを自ら取り下げた。一番の理由はこのままレイナートの下で仕事がしたいと考えを改めたからだった。レイナートが過去のわからない不気味な人物であることに変わりはなかったが、アレルトメイア艦隊との戦闘の采配を見て出世は当然と思えたからだった。 ならばもう少しリンデンマルス号に留まろう、まだまだやり残したことはあるし、ということだった。 そうしてコスタンティアは少佐になり作戦部長に就任した。これに関して艦内では「当然」という声しかなかった。また転属願いの取り下げも好意を持って迎えられた。 それはクレリオルの後任には彼女以上に相応しい人物はいないという艦内の意志の現れだった。 そうしてこれはコスタンティアが中央総司令部統合作戦本部最高幕僚部に異動になることを断じて認めたくなかった老提督達にも歓迎されたのだった。 リンデンマルス号でどれほど出世しようが構わない、好きにさせればいい。要するにそこで飼い殺しにしておけばいい、という思惑からである。 「よろしい。 通信士、第三方面司令部に連絡。リンデンマルス号、出港する」 レイナートが指示を出す。 「了解。 第三方面司令部、こちらリンデンマルス号。出港する」 『リンデンマルス号、了解。 第三方面司令部からの出向許可を得、MB内が騒がしくなった。 「全乗降ハッチ閉鎖を確認。乗降チューブ外れました」 「エア・リーク確認急げ!」 「エア・リーク認められません!」 「エネルギー供給率75%。全システム正常に作動中。問題はありません」 「牽引索、外せ!」 「牽引索の離脱を確認」 「艦体前後に障害を認めず」 「後部サブ・ブースター点火、微速前進」 「本艦、離岸を開始しました。ドックとの距離、50……、100……、200……、300……」 船務科の観測士が計器の数字を読み上げる。 「距離、500……」 「主エンジン点火、出力15%へ!」 「距離、800……、1000、1500、2000、3000……」 そこでレイナートが新たな指示を出した。 「第3種配備を解除、第2種配備に移行」 「艦内体制、第3種配備を解除、第2種配備へ移行」 新作戦部長コスタンティアが復唱する。 レイナートは立ち上がると艦内一斉放送を行った。 「全乗組員諸君、艦長です。 本艦は新体制の元、新たな作戦に動き出しました。 皆さんご承知の通り、アレルトメイアはいよいよ内戦の様相を呈しています。本艦は国境警備を強化するため第七管区に向かいます。場合によっては再び戦闘に巻き込まれる可能性は否定出来ませんが落ち着いて対処することを希望します。 総員、イステラ連邦宇宙軍のプライドを忘れぬように。以上」 その言葉をイステラの軍服を身に纏ったエメネリアが頷きながら聞いていた。 エメネリアはイステラに亡命した。貴族の身分も、前皇帝の娘、帝位継承権第2位という地位も捨てたのである。 リンデンマルス号が第三方面司令部のある惑星シュナルトワの宙空ドックに入港後、アレルトメイア情勢に大きな変化があった。長らく行方不明であった皇太子の所在が確認されたのである。 皇太子は殺害された父・前皇帝から、血を分けた妹である第2皇女の陰謀を知らされており、時期を見て全アレルトメイアに第2皇女の計画を白日の下に晒したのだった。 それによれば革命軍であるはずの人民解放戦線そのものが第2皇女の傀儡であり、己が帝位に就くための駒でしかないことが明らかにされたのである。 これによって第2皇女の幽閉も実は第2皇女による自作自演の芝居であり、第2皇女に危害が加えられない理由もそれが故と判明したのだった。 これは当然、純粋に革命を欲したクーデター政権を激しく刺激した。そうして第2皇女は殺害されたのである。 ここで第2皇女に着いていた貴族達は寄る方を失い進退に苦悩することとなった。そこで皇太子は自らに忠誠を誓い帝政の復活、革命組織の打倒に尽力するならこれを許すとしたのである。 こうしてアレルトメイアにイステラ首脳陣が予測していた揺り戻しが起きた。すなわち革命側と旧体制復活派との内戦が勃発したのである。 そうしてエメネリアは帰るところを失った。 今更帝政復活を目論む弟に与する気持ちにはなれなかった。かと言って正しい手順を踏むことなく暴力革命で国家体制を転覆させた革命側にも同調は出来なかったのである。 では自分が第3勢力として立つか? だが後ろ盾が何もなかった。養家であるミルストラーシュ公爵家は皇太子に着くことを早々と表明した。となれば袂を分かつしかない。 そうして他に当てに出来る誰もいなかったのだった。 エメネリアは民主的な手法によって民主共和制への移行を願った。だがそれは叶わぬ夢となってしまったのだった。苦渋の決断を強いられたエメネリアはそれで亡命を決意したのである。 アレルトメイア軍の統合参謀本部付将校だったエメネリアは、イステラ連邦宇宙軍中央総司令部統合作戦本部にとって、現下において喉から手が出るほど欲しい人材だった。 だが「亡命するとはいえ他国人を軍の中枢に近づけて良いものか?」「第一、女ではないか!」と、頑迷な老提督達がここでも反対した。 結局エメネリアは亡命を認める代わりに知っているアレルトメイア軍の全ての情報の提供を求められそれに従った。 そうして中央総司令部の閑職で飼い殺しにされそうになったのをレイナートが救った。 「いざ戦闘となれば、現場ではマニュアル通りの対応で済むはずがない! そういう時にこそ彼女の存在が不可欠なのに! お偉いさん達はそんな事もわからないのか? 会議ボケしてるんじゃないか?」 公然となされた侮辱とも取れる上層部批判の発言はもちろん重大問題視された。 だがこれには少壮気鋭の提督達が立ち上がってくれた。 「戦闘は戦術演習室で起きるんじゃない、現場で起きるんだ!」 結局エメネリアはイステラ連邦宇宙軍少佐として、リンデンマルス号の対アレルトメイア戦術アドバイザーというポジションを得たのである。これは事前に決定されていた、アレルトメイア戦略を重視しリンデンマルス号を第七管区の最前線に向かわせる、という方針が後押しをした形にもなったのだった。 だがその一方で今度はネイリの処遇が問題となった。 イステラにおいて亡命は満15歳以上でなければ本人の意志は尊重されなかった。当時まだ13歳のネイリは当然の事ながら、本人が希望するイステラへの亡命が認められなかったのである。 だが、それではネイリをどうするか? 未成年の従卒1人を送り返すのか? どうやって? 結果的にアレルトメイアとは戦闘が起きてしまった。故にネイリを帰還させようとアレルトメイアと接触を持てばただでは済むまい。 他の派遣士官達は本人の希望でイステラへの亡命か本国への帰還かを選ぶことが出来るようになった。帰国の場合、これもかなり難しい問題だったが本人の希望で革命側もしくは旧体制復活派の元へ、民間の人道支援組織を利用して密かに帰国するという手段が取られたのである。 だが未成年のネイリは後回しにされ、気がついたら帰国の機会も失われてしまったのだった。 結局は旧主であるエメネリアが身元引受人となり、満15歳まで後見するという玉虫色の解決案でお茶が濁されたのだった。 「そうしますと、わたくしはお嬢様、いえ、少佐殿のことを何と呼べばよろしいのでしょうか?」 「そうねえ……、後見人ということは保護者と同じだから……」 「では、『お姉様』ですか? それとも『お母様』ですか?」 真顔で尋ねるネイリに誰もが突っ込んだ。 「イヤイヤイヤ、それはあり得ないわ」 「まあ、とりあえず少佐殿でいいんじゃない?」 そう言われてネイリも頷いた。 「そうでした。 『お姉様』とか『お母様』では、わたくしがコブとなってしまっておじょ……、いえ、少佐殿の縁談にも差し障りが……」 「ネイリ!」 「ちょっと、縁談って何よ!」 「誰が相手よ!」 「何それ!」 と、一部女性(個人名については想像におまかせする)の間でかなり喧しい事になったりもした。 それはさておき、リンデンマルス号の新体制における各部門長の女性比率が一気に高くなっていた。保安部長のサイラも医監部長のエーレネ・エオリアン少佐は留任だった。要するに艦内部署の長の半分が女性となったのである。殊に艦の中枢、作戦部と船務部の長が女性というのは前代未聞のことだった。それ以外にも異動していった下士官を始めとする兵員の後任には女性が転任してくることが多く、艦内の男女構成比が50:50に近くなっていたのである。 これにはレイナートもやりにくさを感じずにはいられなかった。だが中央総司令部人事部の決定を覆すにはそれ相応の理由がないと認めてはもらえない。このまま行くしかなかった。 ―― とは言え、以前より戦闘の危険性が高いんだけどな……。 女性だから軍人に向かないとか、相応しくないという考えはレイナートにはない。 それでも戦闘という行為は、詰まる所、破壊と殺人と言えなくもないとも思っているところがある。そのことが子供を産むという女性の機能 ― という言い方には語弊があるかもしれないが ― と相反している気がしてならなかったのである。 ―― ところで自分は軍人という「職業」には向いているのかな? 第6展望室から見える小さな光点にしか過ぎない星々に思いを馳せながら、今更ながらそんなことを考えているレイナートを乗せ、新生リンデンマルス号は遥かなる星々の彼方へ向かって進んでいた。 |