Cシフトの終了まで残り一時間、最後の定時確認作業が終わった後、各部からの報告を入力し終えたコスタンティア・アトニエッリ少佐は、イステラ連邦宇宙軍中央総司令部所属の特務戦艦リンデンマルス号の
この艦の作戦部長に就任して早6ヶ月。その姿はすっかり板についている。もっとも作戦部長次席だった頃からこの席には当直士官として座っていたからそれもあるかもしれない。 アレルトメイア艦隊との遭遇戦の後、リンデンマルス号において大幅な人事異動があった。殊に作戦部、戦術部、船務部においてである。 ただリンデンマルス号において作戦部は特殊な存在であり、その長が艦のナンバー2と乗組員達は看做しており、そういう意味では、年齢も階級も下であるコスタンティアには何かと気苦労も多い。 そうして何気なくつい考えてしまうこと。それはリンデンマルス号艦長レイナート・フォージュ准将のことである。 レイナートとコスタンティアは士官学校で同期。だが片や少佐で片や准将、3階級も違う。もっともコスタンティアの昇進が遅いということはない。どころか連邦軍全体から言っても早い方である。 これはコスタンティアが転属願いを提出した直後にリンデンマルス号とアレルトメイア艦隊との遭遇戦が勃発したため、転属願いはリンデンマルス号の実質運用責任者であるロムロシウス・シュピトゥルス中将の手元に留まっていて、具体的な事務手続きには至っていなかったからである。 だから本当に良かったとコスタンティアは思う。 ―― だって、そうしなかったらもう2度と会えなくなってしまったかもしれないわ……。 そう考えて思わず頬を赤らめた。 『レイナート・フォージュ:士官学校予備校から士官学校予科を経て第470期入学、第七士官学校本科一般科卒業。最終成績、4023人中1989番。 今は艦長のプロフィールはここまで公開されているが、昇進のきっかけ、その事由については未だ非公開のままである。それでも初めて開いた時に比べ雲泥の差である。 これを見てコスタンティアが最初に思ったことは、レイナートは初任地と中央総司令部記録部以外はずっと艦長職にあった人、ということである。これは一般科卒業の士官としては稀有の存在ではなかろうか。 ただ先般のアレルトメイアとの遭遇戦を除くと、公式にイステラが戦闘行為に及んでいるのは20年前の対ディステニア戦役まで遡ってしまうから、レイナートの場合はどうだったのかがわからない。レイナートがエメネリアと初めて出会った時のことは「正式な戦闘」としては記録されていないのである。 いずれにせよレイナートは有能な人物である、という意識はコスタンティアの中で確固たるものになっていた。 だがその二人の将来、ということを考えると暗澹たる思いがする。 ―― だってもし結婚出来たとしても、いえ、結婚したら確実に離れ離れになってしまうわ。 イステラ連邦宇宙軍では、宇宙勤務者同士が結婚した場合、同一の艦艇や基地での勤務を認めない。どちらか、または両方が移動になる。それは宇宙艦艇や宇宙基地の内部で夫婦として私生活を送ることは職場の風紀上好ましくないと考えているからである。 ―― となると医監部長のようにするしかないかしら? でも出来れば子供も産みたいし……。 医監部長エーレネ・エオリアン少佐は軍医ではなく医監部の事務武官の長である。士官学校戦術作戦科を卒業後、その高い事務調整能力から幕僚や参謀といった本来の進路をはずれ、艦艇や基地での事務担当官として実績を積み上げてきた。 「彼とは離れて暮らしたくなかったので……」 エーレネは照れつつも周囲にそう説明した。 コスタンティアは二人の結びつき愛情の深さに感動しつつも、自分は同じようには出来ない、と思っていた。 ―― もしも私と艦長が結婚したとして、2人揃って地上勤務になることはないでしょうね。 艦の主要スタッフが替わってまだ間もない。にも関わらず艦長と作戦部長がまた変わるということになったら艦内体制がガタガタになってしまうだろう。したがって当然2人の内どちらか ― そうしてそれは女性である自分の方が可能性が高いと思う ― 異動になると考えているコスタンティアである。 だからレイナートに気持ちを打ち明けられない。自分の思いを伝えられないでいる。 「おはよう、作戦部長」 コスタンティアは背後から声を掛けられた。それも当面の最大のライバルと思われる女性、エメネリア・ミルストラーシュ少佐からである。 「おはよう、対アレルトメイア戦術アドバイザー」 柔らかな笑みを浮かべるエメネリアにコスタンティアも笑顔で返した。だが2人共顔は笑ってはいるものの目は笑っていない。 まだコスタンティアがレイナートに対し恋愛感情を抱いていない時は2人の関係は良好だった。互いにファーストネームで呼びあう程に。 コスタンティアが思うに、身分制度のないイステラにおいても貴族の令嬢というのは男性に対し、まさに「高嶺の花」として、名状しがたい感情を湧き起こさせるのではないだろうか。 その場は何事もなくエメネリアは自分の席に着いた。 作戦部長就任後、コスタンティアは基本的にCシフト固定である。したがって定時ワープの時にしかレイナートと顔を合わせる機会がない。だがエメネリアはレイナートと同じく常にAシフト。 エメネリアが祖国アレルトメイアを捨てイステラへ亡命することを決心するのには散々悩み抜いた。 元々、アレルトメイア軍とイステラ軍の士官交換派遣プログラムは、実父と養父の思惑があったとはいえ、自分が提唱したものだった。 ―― あの時の少尉に会いたい。 その思いもあった。 自分の生まれ、取り巻く環境の故に誰もが自分とは一線を画して接する。だから真の意味での友人、心からの信頼関係とか腹を割って話せる、という相手がいたことがない。 だが何もない辺境を観光して楽しめという養父を通して実父から受けた理不尽な命令。その時出会った1人の男性。 彼は異国の軍人に対する節度ある態度は取ったが、それ以上の事、例えば腫れ物にさわるような態度はなかった。それは身分制度のない国の人間だからだったのだろう。それはエメネリアにとっては衝撃的とも言える初めての経験だった。 そうしてやっとの思いで再会を果たしたが、彼は驚異的とも言える昇進を果たし階級は自分を追い越していた。 だが一方で目の前に強力なライバルがいる。 ―― 正々堂々勝負して私はコスタンティアに勝てるだろうか? エメネリアは不安をさえ感じていた。 しかもコスタンティアはリンデンマルス号の行動を左右する作戦部の長。ある意味で艦長の最も信頼の厚い立場にいる。対アレルトメイア戦術アドバイザーという、非正規のポジションにいる自分とは根本からして違う。 だがレイナートに自分の気持ちを打ち明けることには躊躇してしまう。それはイステラの軍規では夫婦が同一の職場にいることが許されない、ということがあるからである。 ―― 人を好きになることがこれほど厄介な事だったなんて思ってもみなかったわ……。 もっとも貴族社会ではもっと小うるさい事が多かった。それからしたら確かにイステラは自由の国のはず。でも思うことが思うようにならないのは一緒だとしか思えなかった。 「おはようございます」 新たな声がした。 「おはよう、船務部長」 「おはよう」 コスタンティアとエメネリアが口々にクローデラに挨拶を言う。クローデラはそれに微かに頭を下げて船務部長席に着いた。 ただ、艦内時計はイステラ連邦の主星トニエスティエの自転周期に合わせた 「さてと……、そろそろ宇宙服を着ないとならないわね」 そう言ってコスタンティアは立ち上がった。 MBの後方宇宙服の収納スペースに向かい、自分のサイズに合う宇宙服を着込むコスタンティア。そこにエレベータの到着を知らせるチャイムが鳴った。 「艦長が艦橋へ!」 エレベータの扉が開くと陸戦兵が飛び出し、自動小銃を捧げ銃にして声を張った。 すでに戦術部長席に着いていたナーキアスが立ち上がって大声を発した。 「艦長に敬礼!」 MBに
「諸君、ご苦労です。業務を再開して下さい」 その言葉にスタッフは着席して自分の仕事を再開する。 「艦長、毎時の点検項目は全て入力済です。ご確認を願います」 「わかりました。見ましょう」 そう言ってレイナートは艦長席のコンソールを操作する。 艦内体制に関わらず各セクションは1時間毎に各種点検を行う。そこで異常があった場合、当然、その原因の究明、修復が図られる。そうしてそれは全て記録に残される。 しばらく画面を見ていたレイナートが小さく言った。 「どうやら問題はなさそうですね。 「艦内体制を第三種配備に移行、ワープ準備に取り掛かれ」 ナーキアスが副長権限でスタッフに通達。艦内に警報が鳴りワープへと動き出した。そうして準備発令29分後にワープが実施された。 「ワープ完了。艦内に異常はありません」 「艦の周囲、5000万km圏内にも異常ありません」 どこからともなく安堵の溜息が漏れる。毎度のこととはいえ、ワープは乗組員全員に大きなストレスを与えているという事実は否めない。だがワープをしなければ宇宙に出る意味が無いこの時代、好むと好まざるとにかかわらずワープは実施するしかない。 無事に定時ワープとその後の確認作業が終了しレイナートが第三種配備の解除を命じたところで、いつの間にかクローデラがレイナートの傍らにいた。たった今まで船務部長席にいたのに、である。 「艦長、コーヒーをいかがですか?」 分身の術でも使ったのか。さもなければ奥歯のスイッチを舌で押したのか。そうとしか思えない早さだった。 ―― また、出し抜かれた! コスタンティアは唇を噛み締めた。 ―― 地道にポイントを稼がないと……。 クローデラは内心そう思っていた。 クローデラは船務部長となってからBシフトに固定になった。したがってコスタンティアと同様、1日3度の定時ワープの時にしかレイナートと顔を合わせることがなくなっていた。ナーキアスがBとCに交互に入るので、艦長代行は毎シフトごとではないがそんなことはどうでもいい。否、それはそれで軽んじていい事柄ではないが、とにかく最重要課題はレイナートの心象を良くし、ライバルに抜きん出ること。そう考えていた。 「……ありがとう」 レイナートもそのあまりの素早さに面食らったものの好意はありがたく受けた。 「こちらにお持ちしますか?」 艦長席が飲食禁止であるのを知らない訳ではない。それでも敢えてそう言ってみるクローデラである。 「いや、いいよ。向こうへ行く」 そう言ってレイナートが立ち上がった。 「どうぞ」 「ありがとう」 そのあまりにミエミエな行為に誰も何も言えない。逆にこうまで露骨ならかえって清々しいくらいである。 とは言うものの、その様子をエメネリアとコスタンティアは厳しい目つきで睨みつけていて、ナーキアスの方はと言えば頭を抱えていた。 ―― よりによって、なんで自分がMB勤務になってからこういう事態になるんだ? 陸戦科長の時はMBでの戦術部長代行というのはほとんどなく、それは空戦科長と砲雷科長が行っていた。緊急時の攻撃準備には陸戦部隊よりも艦砲、艦載機の方が優先されるという事によるからだった。 ―― いつになってもストレスで胃に穴が開くのがなくならない、というのはこういうことか。 ついついボヤきたくなるナーキアスだった。 |