遥かなる星々の彼方で

Valkyries of Lindenmars
リンデンマルスの戦乙女たち

R-15

第88話 経済効果

 

 ネイリがお茶を淹れて配ったことで、一旦話し合いは仕切り直しのような形になった。
 別に雑談をしていた訳ではないのだが、丁度良い切り替えとなった。
 そこで改めて今後の方針について話し合い、そうして、差し当たって為すべきことは記録棟での登録ということになった。

「記録棟は文字通り記録部のある建屋で、イステラ軍全ての様々な情報、記録を保管しています」

 モーナが説明する。

「そこでは、こういった外部端末……」

 そう言って自分の情報端末を掲げた。

「……では閲覧できない情報も見ることが出来ます。
 ただし当然ですが、それには事前に登録が必要です。要するに、図書館の閉架図書を利用するようなものだと思って構いません」

 モーナは、一旦言葉を切ってから続けた。

「ただし注意すべき点は、記録部の館内専用端末でしか見られない情報はコピーが取れないということです。したがって手書きか外部端末に手入力するしかありません」

 その場の誰もが「ええー」と不満げな声を出した。

「ですが、やはり利用価値が高い、というより最高幕僚部の戦術研究室なら利用しないという訳にはいかないでしょう。
 何しろ、余程高度なセキュリティを掛けられていない限り、大抵のものは全て閲覧できますから」

 そう言ってモーナはちらりとレイナートを見た。レイナートの軍歴も一時期までは非公開に近かった。その基本データも含め全てが見れますよ、ということだった。


 ということで全員で記録棟へと向かった。
 記録棟は統合作戦本部棟の背後に隣接する、と言っていいほど近くに建てられていた。それに利用者は本人が出向いて登録する必要がある。

 だが、レイナートが腰を上げようとしないのでモーナが詰る。

「提督、ご足労ですが同行して下さい」

「私もかい?」

「ええ。それとも人数分の申請許可書をご記入なさいますか?」

 記録棟の重要情報閲覧許可は本人が出向きさえすれば登録できるという訳ではなかった。何せ門外不出の重要機密まで閲覧できるのである。当然その理由が問われるし、所属長の許可も必要である。 結局レイナートも出かける羽目になったのだった。


 受付の憲兵に出かける旨を伝え廊下に出る。
 エレベータ・ホールまでは多少は歩く。廊下には人通りもあって、ここが地下4階だということをつい忘れてしまう。
 第101研究室の一団は、レイナートを中心にその周囲を囲むようにコスタンティア、クローデラ、アニエッタとそのアシスタントが位置取りをする。そうして先頭にはエレノアとイェーシャが立った。これは艦長を保護する形態である。

 リンデンマルス号の作戦部長、船務部長、戦術部長は艦長に万が一のことがあった場合、その職権を代行する。だが逆に、何があっても盾となって艦長を守れともされている。そこに老若男女の別はない。若い女性であっても艦長のために身を張れ、命を投げ出せ、というのである。

 すれ違う他の兵士が興味深げに見てくる。何せ男一人、若い女性に取り囲まれて歩いているのである。「何だあいつは?」という目で見られても仕方はあるまい。

 エレベータに逃げ込むように乗り込んで「ヤレヤレ」と思ったのも束の間、エレベータ内に充満する若い女性の匂いに、目が眩みそうになるレイナートである。

―― これはマズイぞ!

 レイナートも年若き成人男子。そういう状況では反応すべきところが反応してしまう。

―― 早く着け!

 そう思いつつ階層表示を見つめる。たかだか4階分。大した時間ではないのだが、こういう時には長く感じる。

 そうしてエレベータが地上1階に到着、ゾロゾロと降りると、エレベータを待っていた兵士にちょっと驚かれる。「何、このハーレム状態?」と。
 それを尻目に裏玄関に回りドアを出ると真正面が記録棟。本当に目と鼻の先である。


 その記録棟に入ると正面に受付がある。
 そこにモーナはスタスタと近寄り、受付の兵士に言う。

「キャリエル、モーナ。認識番号、AX356……」

 聞こうとしたことを相手から言われ、敬礼していた兵士が驚きつつも手早く端末に入力する。そうしてハッとして顔を上げた。

「御用は何でしょうか、少佐殿?」

 名前と認識番号を入れれば略歴が表示される。そこには過去に記録部に所属していたこともである。兵士の驚きは要するに過去の先輩、ということがわかったからであった。

「最高幕僚部戦術研究所第101研究室の研究員、及びそのアシスタントの利用者登録をお願いしたいの」

「畏まりました。責任者の方の許可申請は出されていらっしゃいますか?」

「いえ、まだなの。その代わりに足を運んでいただいたから」

「はい?」

 兵士が聞き返した。

 するとモーナは振り返って言った。

「室長、お願いします」

 呼ばれてレイナートが女性たちをかき分けて受付に進む。
 レイナートにとっても一時期とはいえ勤務先だった記録棟。それで懐かしくて皆の後ろでキョロキョロとしていたのだった。

 だが受付の兵士にすれば、肩に白金の十字形四点星を3つもつけた人物がノコノコ自分からやって来たのだから肝をつぶす。

「い、いらっしゃいませ、閣下!」

「ご苦労様、伍長。よろしく頼むよ」

「は、はい!」

 穏やかに言うレイナートに鯱張って敬礼した兵士である。


 無事に登録が済むと、試しにやってみようということになって、館内専用端末の置かれる閲覧室に皆でまたゾロゾロと進む。

 そうして一つの端末の前でモーナが操作してみせる。
 受付で登録時に渡されたアクセス・キーを端末に入力する。

「えっ? あなたもう覚えたの?」

 アクセスキーは32進法16桁。ちらりと見ただけで覚えられるものでもないから、皆が驚く。
 だが聞かれたモーナの方が驚いている。

「え? たかだか16桁の数字と文字ですよ?」

 こともなげにそう言うモーナに「さすがは元・記録部」と感心する。
 だが、そういうのはモーナには心外だった。

 モーナは上昇志向が強い。まさか他人を引きずり下ろして、とまでは考えないが、チャンスは無駄にしたくないと考え、できる努力は惜しまない。そうやって大学まで進んだ。
 そうして士官学校に入学したが、上には上がいるもので最終成績は13位だった。これは実機による飛行訓練、野外行軍演習、白兵格闘演習、といった実戦部隊に必要な項目で点数が伸びなかったからだった。その代わりに、といっては何だが、とにかく記憶力がいいい。そういう意味ではいかにも作戦参謀向きの人材、ということである。


 さて、そうやって開いた外部アクセス禁止情報の一覧からモーナは一つを選んで開いた。

「これは室長がミルストラーシュ中佐と初めて出会った時の遭遇戦の記録です」

 それを聞いて皆が目を輝かせ身を乗り出し、雁首揃えて端末を覗き込む。

「記録は室長が指揮した哨戒艇の航行ログ、交信ログ、索敵機器の受信ログ、臨検を行った際の尋問記録などで、全部でおよそ千ページほどになります」

「えっ、そんなに!?」

 誰かから驚きの声が漏れた。

「ええ。細かく言えば、その時哨戒艇に乗り込んでいた乗組員の一覧なんかもありますし、通信を行ったRX-175基地側のオペレータの名前、さらには急行した通常艦隊の詳細まで含まれてます。
 こういったデータを元に戦闘レポートが作成されてる、ということです」

 モーナが説明した。

「こんな小規模の遭遇戦ですらこうですから、大規模会戦の場合は数十万ページ、時には百万を超えることもあります」

 それを聞いて皆の目が点になる。

「そこから必要なデータを探し出してまとめ上げる。戦術研究所の研究室は大変なところだなとは思ってましたが、まさか自分が配属されるとは思ってもみませんでしたね」

 そう言っている割には、モーナの顔には不敵な笑みすら浮かんでいた。

「でも、ここで誰をも唸らせる論文を作成できれば出世は間違いなしですね」

 そう言ってフフフっと笑った。
 誰もが怖いものでも見たかのように背筋に薄ら寒いものを感じていた。


 その後、昼食時になっていたということもあって別れて食堂に向かった。
 だが初日の昼にしてその足取りは重かった。戦術研究所への配属が想像以上に大変なものだと実感したからである。

 午前中、記録棟へ向かう前に研究室としての大まかな方針は決まっていた。
 それは、過去の大規模会戦の記録を元に、そこに配属されていた兵士の女性兵士の比率を色々変えてシュミレートする、というものだった。
 士官学校の戦術演習にも利用されるような有名な会戦であればわかりやすいのではないか、ということでそう決まったのだが、想像される仕事量に辟易しかけていたのである。


 ところで中央総司令部は多くの人間が働いているということもあって、食堂の数もすこぶる多い。それこそ各建屋ごとに存在し、しかもその使用が厳しく分けられている。すなわち、将官用、佐官用、尉官用、下士官用、兵用である。
 この内、例えば将官用は文字通り将官のみしか入れず、例えば副官の佐官と一緒に食事をしようと思っても佐官の入場を認めてはもらえない。どうしても、というのなら別に予約を入れて個室を取るしかない。それは他の将官の会話を佐官に聞かせてはならない、という発想の故にである。
 もっとも将官用の食堂は高級レストランにも匹敵すると言われているほど豪華で、各テーブルの距離はかなり遠い。にも関わらずである。

 そうしてこれが各階級用でも厳格に適用されているのである。
 そういう意味では、リンデンマルス号を含む宇宙艦艇の方がこういった規則には緩い。それは厳格に実施するにはスペースが足りないからである。

 そうして、今いるところの手近な食堂に入ることも遠慮すべしとされている。それは他部署の人間が入ると「他所者がいる」という目で見られ、不快に思われるからだという。

「まあ、縄張り意識みたいなものでしょうけど、つまらないことですよね」

 過去に中央総司令部に勤務した経験を持つモーナの弁である。

 だがモーナの言うことももっともで、中央総司令部の特に統合作戦本部は、過去の参謀本部、前線司令本部、後方支援本部の3つが統合されて一つになったという経緯があり、その名残でこの3部門の仲は決して良いものではない。
 すなわち参謀本部の後継である最高幕僚部、前線司令本部を元とする作戦部や戦術部、後方支援本部から出た管理部、補給部などでは、統合作戦本部として一つになってもいまだに横のつながりが薄いのである。

「ですから食堂は、やはり本部棟地下4階の最高幕僚部のフロアのものを使った方が良いと思います」

 モーナの進言に従って、そうすることにしたのであった。


 そうして佐官用に入ったのはもちろん、コスタンティア、クローデラ、エメネリア、アニエッタにモーナの5人である。
 過去にモーナと同じく中央総司令部に勤務した経験のあるコスタンティアではあるが、本部棟の食堂は初めてだと言った。

「だって広報部だったんですもの。使ってたのは管理棟だったわ」

 と言って内部の作りが各建屋で全く違うということもなく、また年を経ても特に大きな変化もないことから、初めてだからといってそうまごつくこともない。

 ただ見かけない顔だから、ということもあるのかもしれないが、何か注目を浴びているような気はした。
 それがはっきりとわかったのは食事を取り空席を見つけてまとまって座った時である。

「もしかして新しい第101研究室の人たち? 今日が初日なんですってね。頑張ってね、期待してるわ」

 そう言って声を掛けてくる女性が多かったのである。
 もっとも男性たちは何やら苦々しげに遠巻きにこちらを睨んでいるが。

「どうしてわかるのかしら? やっぱ新顔だからかしら?」

 アニエッタが言う。

「そうかもしれないわね」

 クローデラも頷く。

「まあ、有名人が多いですからね。このグループは」

 モーナが言うとエメネリアが聞き返した。

「有名人? そんなにみんな有名なの?」

「あら、中佐もその1人ですよ。アレルトメイア貴族のお姫まさから一イステラ軍人になったんですから」

「ああ、そうね」

 エメネリアが苦笑しつつ頷いた。

「でも、他にも?」

 重ねて聞き返す。

「そりゃあ、イステラ2大美女が揃ってますもん。いえ、中佐を含めて3大美女かしら?」

 モーナが言うとアニエッタがふくれっ面で言葉を添えた。

「そうよね。伝説の第470期のアトニエッリ候補生、第472期のフラコシアス候補生……」

「そんなに有名だったの?」

 エメネリアがまた尋ねる。
 帰化したアレルトメイア人でありイステラのことには疎いから興味津々だった。

「ええ、ええ、共に良家のお嬢様、成績は最優秀、しかも絶世の美女。
 有名にならない方がおかしいでしょ?」

「そういう言われ方は好きじゃないわ」

 コスタンティアが憮然として言う。

「そうね。私も……」

 クローデラも同意する。
 場が一瞬気まずくなる。だがモーナは平然として言った。

「それにお父様が新進気鋭の提督であらせられるシュピトゥルス少佐殿。
 結局、無名人は私だけです」

 その言葉はアニエッタも敵に回すものだった。だが確かにモーナの言う通り、注目を浴びない方がおかしいと思える顔ぶれである。
 だが実は理由はそうではなかった。

 声を掛けてくる女性たちはクローデラとアニエッタの首元に必ず視線を向けたのである。

「ああ、そういうことね」

 コスタンティアが得心がいった、という顔をした。

「どういうこと?」

「スカーフの色よ」

 全員がまだリンデンマルス号の部署のままのスカーフをしていた。すなわちコスタンティアとモーナ、エメネリアは作戦参謀もしくは幕僚を示す赤色、アニエッタは戦術部の青色、そうしてクローデラは船務部の緑色である。
 そうしてこのスカーフの色は地上勤務でも共通である。
 そうしてここは本部棟地下4階、最高幕僚部のメインフロアの食堂だけあって、利用者全員が赤色のスカーフを巻いていた。そこに青や緑がいれば否が応でも目立つ。

「しまった、私の失態だわ」

 モーナが唇を噛む。
 それは本来であれば責任者のレイナートが手配すべき事柄だが、実質は副官の仕事だからである。

「まあ、いいわよ。気にしないで」

 アニエッタの言葉にクローデラも頷く。

「ええ。私も今まで全然気づいてなかったし、自分が緑以外のスカーフを巻くなんて想像してもいなかったし……」


 だが、中には激励の言葉ではなく、残念そうな顔で慰めのようなことを言う女性もいたのが気になるところだった。しかも大抵は自分達よりも若干歳上、40前後と思しき中佐や大佐の女性だった。

「気を落とさないでがんばってね」

 そこで5人は「?」という表情をする。最高幕僚部の戦術研究室への異動は栄転としか見做されない、というものである。何故「気を落とすな」と言われるのだろうか。 だがその答えはその場では与えられなかった。


 不得要領のまま研究室へ戻ると、懐かしい顔があった。

「シャスターニス先生!」

 コスタンティアらが駆け寄る。
 今では軍医大佐のシャスターニス・シェルリーナだった。看護士の中尉、アニス・ルクルスを伴っていた。

「どうしたんですか!?」

 嬉しそうにコスタンティアが尋ねた。

「ええ、ちょっとご挨拶、っていうか顔見せにね」

「えっ、まさか大学病院に戻るとか?」

 シャスターニスは元々連邦宇宙大学医学部の脳神経外科の権威である。

「よしてよ! あんな古狸、魑魅魍魎の巣窟に戻る気なんてないわ!」

 そう言って笑う。

「なら……?」

「実は私、艦長に請われてこの研究室の医療アドバイザーになったのよ」

 シャスターニスがそう言うとアニスが訂正した。

「違いますよ、先生。艦長は内科か産婦人科の女医、としか言ってなかったでしょう! 人選はシュピトゥルス提督だって話じゃないですか!」

 シャスターニスもアニスもレイナートのことをいまだに艦長と呼ぶ。まあ口癖のようなものだろう。

「はいはい、わかってますよ。ところで……」

 シャスターニスが苦笑しつつ言った。

「女性を前線の実戦部隊へ配属する。その問題の解決がこの研究室の課題でしょう?」

 この問いにはモーナが答えた。

「ええ、そうです」

「ということは専門の医療アドバイザーが必要、と艦長は考えたようね」

 そう言ってシャスターニスは真顔になった。

「だって女性は男と違ってイロイロとあるでしょう?」

「ええ、まあ……」

 皆が頷く。
 元々男と女では体の構造自体が同じではない。当然男になくて女にはある、というものもある。

「だから頭の固い男どもに、医学的根拠も添えて納得させ得る論文が必要と考えたみたいね」

「なるほど」

「まあ、そういう訳で、軍大学校医学部の授業の合間に時々顔を出すわ」

 そこで皆が「えっ?」という顔をする。

「軍大学校医学部の授業って、先生、軍大学校に?」

「ええ。本業の脳神経外科の方で講義をしてくれって言われてね」

「それはスゴい! おめでとうございます」

「別にめでたくも何ともないんだけどね。
 それにせっかく内科と産婦人科の勉強し直したのに……」

「そうなんですか?」

「ええ。だって艦内じゃ脳神経外科手術なんてなかったじゃない? それに女性乗組員も多かったでしょう? だからね」

 シャスターニスがそう言ったところでレイナートも戻ってきた。

「シェルリーナ軍医大佐殿、お久しぶりです。また、今後とも宜しくお願いします」

 軽く会釈しつつのレイナートの言葉にシャスターニスが不服そうな顔をした。

「相変わらず固いのね。シャスターニスでいいって言ってるのに……」

 そうしてちょっと媚びたような表情を見せた。

―― やっぱり先生って年下狙い!?

 途端に険しい顔をした女性陣であった。


 ところでリンデンマルス号を含む回廊制圧戦に出撃し、艦が爆破処理された後の調査委員会への出頭でトニエスティエに来た女性たちが最初にしたこと。それは下着の購入であった。

 調査委員会の聞き取り調査が行われている間、乗組員たちは全員、中央総司令部の一時滞在者用官舎に宿泊した。リンデンマルス号の場合、まあ全員と言っても百名ほどで3千名全員ではないが。
 官舎はごく普通のビジネス・ホテルといった設えで、当然だが部屋にバス・トイレが付いていた。全員これに狂喜乱舞した。

 何せ艦内では温水シャワーは艦長室とお偉いさん用の特別室、あとはジムにしかなかった。
 当然、皆が使えるのはジムのものだけだが、予約はいつも一杯で2ヶ月待ちが普通。普段は各居住区のミスト・シャワーしかなかった。しかも使用時間は5分だけ。自由な時間にたっぷりと、それこそ湯水のように温水を使ってシャワーを浴びるなど夢の様な話である。
 だから年1回の定期点検のための寄港を心待ちにもしていた。

 でもそれが地上勤務ではあたり前のことなのだ。そう思うと何だかやるせなくなった。
 宇宙勤務は基本的に希望者しか配属にならない。望まぬ者を配して事故でも起こされたら損失が大き過ぎるからである。
 自分は確かに希望を出した。それには後悔していない。だが艦内生活は不便を強要される。
 そこにいた時にはさしたることではないと感じていたし、艦の定期点検に伴う休暇が終わると再び艦に戻ることも苦痛ではなかった。
 だがそのリンデンマルス号がなくなってしまった。帰る場所がなくなってしまった。
 そう思うと何だかいたたまれなくなった。

 だが人間というのは、まあ、現金なもので、現実には直ぐに適応しようとする。それが下着の購入につながっているのである。


 宇宙勤務者にはプロテクト・スーツの着用が義務付けられている。これには全く例外がない。それは突発的な事故に際し、着用しているといないでは生存率が比べ物にならないほど違うからである。だがそれ以上に人体に有害な宇宙線から身を守るためである。
 そうして地上での休暇中でも基本的には身につけている。それは緊急招集、出航に備えてである。

 だが地上勤務ならその必要はない。また聞き取り調査中も着用していなくとも咎められることはなかった。
 だがプロテクト・スーツを着ないとなると代わりに下着が必要になる。まさか素肌に直接軍服を着る訳にはいかないからである。

 それでも男はまだいい。
 PX(購買部)へ行ってブリーフでもトランクスでも好きなものを買えばいい。大抵の男はそういうところ以外に拘りはないからそれで済ませてしまう。

 だが女性だとそうはいかない。
 PXでも女性用の下着は売っている。だがそれはいわゆるスポーツ・ブラ、ショーツのようなデザインで、しかも色はプロテクト・スーツと同じ薄鈍色。色気のかけらもない。
 だが聞き取り調査中は、別段軟禁状態ではないが、基地の外へ出ることは禁じられている。したがって、ランジェリー・ショップで好みのものを買うこともできない。
 そこで渋々PXで購入する。一々プロテクト・スーツを着るよりはマシだからである。

 それ故聞き取り調査が終了すると、皆、先を競ってランジェリー・ショップへ向かった。何故軍の基地の直ぐ側にそういう店があるのかというと、そういう理由からである。


 そうして下着を選ぶ際に重要なこと。それは常日頃身に着けるものだから体に合っているということはもちろん、色もデザインも気に入ったもの、ということは確かにある。
 だがそれ以上に重要なのは、意中の男性が気に入るかどうか。これは非常に大きな要素である。
 大胆過ぎてはしたない、と思われては本末転倒。と言っておとなし過ぎて地味と思われたら浮かぶ瀬もない。
 意中の男性の顔を思い浮かべ、この下着姿の自分を見たらどんな反応をするか。それを考えながら慎重に選ぶ。
 ショップの店員も心得たもので的確なアドバイスを心がける。
 したがって基地近くのランジェリー・ショップは連日夜遅くまで満員御礼の大盛況である。

 宇宙艦艇が放棄されると、その後は女性用下着の売り上げが一気に伸びる。

 それは動かしがたい事実なのだが、その経済的な相関関係に着目した経済学者は皆無だった。

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