―― ヤレヤレ、一体全体どうしてこうなったのかな……。 レイナートは内心ぼやきつつ新たな職場へと向かっていた。 ここはイステラ連邦の中心であり主星たる惑星トニエスティエ。その首都近郊にあるイステラ連邦宇宙軍中央総司令部の統合作戦本部棟。その地下4階に向かうエレベータ内である。 中央総司令部統合作戦本部の最高幕僚部は、シェルターを兼ねた本部棟地下4階にメインフロアがある。ここにレイナートの新たな職場、最高幕僚部戦術・作戦局戦術研究所第101研究室のオフィスがある。 最高幕僚部の戦術・作戦局戦術研究所に自らの研究室を持つなど、作戦参謀としての頂点を極めたと言っても良いほどである。 ―― 確かに士官学校一般科候補生から将官まで昇った人はいるが……。 でもそれは戦時に後方支援部門において、難しい補給作戦を成功させた、厳しい兵站をやり繰りさせた、という功績によってである。最近のイステラ軍ではあまり聞かないことである。 ―― どころか、一般科候補生から戦艦の艦長、それで将官まで出世なんて聞いたことがないんだが……。 この点については副官のモーナも同意している。 ある事柄について尋ねた際、モーナがちょっと記憶を確かめるようにして、多少自信なさげでも「それは多分ないと思います」と言えば、99%以上の確率で存在しない。逆に「あるかもしれません」と言えば、やはり99%以上の確率で存在する。 どころか過去において一度も一般科候補生から最高幕僚部で研究室を持った人物はいない。 ―― そんなに優秀じゃないはずだが……。 我ながら自分のことをそう思うのだが。 一方のモーナはエレベータを降りて廊下を歩くレイナートの背後に付き従いながら、やはりあれこれと考えていた。 ―― 私はもしかして歴史的瞬間に立ち会ってる? 歴史の証人になってる? そう考えて頭を振った。「イヤイヤ、それは大げさ過ぎる。あり得ないだろう」と。 軍は、どこよりも実力主義の組織である、と自らを表する。 ということは? 自分の役回りは一体何なのか。先の見えない、予測の付かない未来に少し不安であった。 2人はエレベータを降り研究室に充てがわれた部屋に向かう。 ―― どこも手狭で部屋が足りないというのに……。 随分と贅沢なことだと思う。 中央総司令部は各管区を担当する方面司令部を統括する。 新たな「第101研究室」とプレートの付いたドアの前にレイナートが立つ。ドアの両側には監察部憲兵局から派遣された憲兵が歩哨として立っている。その2人はレイナートに対し捧げ銃の姿勢をする。 モーナがパスワードを入力してドアを開ける。ドアは防弾措置が施されており重い。だが自動開閉するからそれと気づくことはない。 ドアを開けて中に入るとカウンターがあって若い軍服姿の女性が2人腰掛けている。その背後には天井まであるパーテーション。受付嬢が軍服を着ていなかったら、まるで「民間企業の受付か?」と思うような作りである。 その2人は立ち上がってレイナートに敬礼する。 「おはようございます、閣下」 受付の2人はにこやかな笑顔で声を揃えて言う。 その2人に敬礼を返し、パーテーションを回り込んで進むと中央に通路があり、その両側には低いパーテーションで仕切られた各研究員のブースがある。このブースは研究員とそのアシスタントが作業できるようそれなりに広く、広々としたデスクに2つの端末がゆったりと配されている。 そこへモーナを従えて入っていくと、中には12名の女性たちが既に2列横隊で整列している。前列が研究員、後列がそのアシスタントである。 「気をつけ!」 そうしてレイナートが女性らの前に立つ。 「フォージュ室長に敬礼!」 レナートが敬礼を返す。 「直れ!」 いつもは理知的ながらも穏やかな口調のコスタンティアも、こういう時にはいかにも軍人らしい声の出し方をする。 「皆、楽にして下さい」 全員が肩幅に足を開き、腕を後ろで組んで休めの姿勢を取る。まさに、一糸乱れぬ、と言っていいその動きは、全員が訓練された兵士であることを物語る。 「さてこの研究室は今日、正式に発足しました。今後与えられた課題について検討し、論文としてまとめ上げて提出しなければなりません。 「「「はっ!」」」 全員が声を揃えて返事をする。 各自1人アシスタントを付けていい、と言われた時、6人全員が驚いた表情を見せた。 「それは専属の秘書を持てるということでしょうか?」 コスタンティアの問にレイナートは言った。 「ええ、そうですね。さすがに副官という訳にはいかないので秘書という形になりますが、一応その人選は皆さんに委ねられています。これは、という人物が見つかったら至急人事に報告して辞令を出してもらって下さい」 それを聞いた6人の顔が思わず緩んだ。 イステラでは将官以上でないと正式には副官を持つことが出来ない。ただし艦隊司令などは基本は大佐だが副官を置くことが許されている。これはその職責の重さ故にである。 それでも自分を助けてくれる専属の部下がいるというのは心強いし、階級は変わらずとも、自分が出世したということを実感させてくれる。 というので皆早速これはと思う人物に連絡した。 『ご機嫌いかがかしら? と言っても調査委員会からまだ幾日も経っていないけれど。 皆、若干言葉遣いは人それぞれだったが、概ねこのような内容でメールを送っている。 第101研究室の概要は以下の通りとなった。 コスタンティアが秘書に選んだリーデリアは元リンデンマルス号作戦部、クローデラの秘書のナイジェラは元船務部で、共にMBで勤務もしていたからレイナートもそれなりに知っている。 「差し当たって、当研究室に与えられている課題は、今後増えるであろう女性兵士の前線配備に関して、予測し得る問題点の洗い出しとその対策を講じることです。早速取り掛かっていただきたい」 そう言ってレイナートは皆を解散させた。 艦長という職にあった者として、特に女性比率の高かったリンデンマルス号だったから、指揮官としてどうだったか、という意見は出せる。 この研究室の目的は、あくまで軍として、女性兵士をどのように前線部門に組み込んでいくか。その方策を模索するということになる。それを男の側からではなく、女性側から発案させるということにこの人選の意味があるのだから、逆に発言は控え、実務レベルはもちろん取りまとめも任せて、最終責任だけは自分で取ろうか、などと考えていたのである。 だが、集められた女性たちの内、エレノアは当初、やはり至極場違いな感じを抱いていたのだった。 「でも徴兵された兵士の前線配属先としては歩兵が一番多かったのではなくて?」 そう言われれば確かにそうと言えなくもない、というのは重装機動歩兵が導入される前の話で今となっては昔話である。 艦隊戦主体の現在の戦争でも歩兵が必要とされるのは、地上に降下を図り敵重要施設 ― 軍・民問わず ― の制圧や占領のためである。こればかりはどれほど高性能の宇宙艦艇をもってしても成し遂げ得ない。 そうしてイステラ軍で歩兵というと普通は重装機動歩兵を指す。一般に陸戦兵と呼ばれる部隊は全てこれに分類される。 もちろん通常歩兵と呼ばれる昔ながらの歩兵もあるにはある。だがこれは今では軽装であることを活かして敵重要拠点に突入、無力化、制圧を行う特殊部隊を指すか、もしくは白兵戦に長けた憲兵部隊である。 なのでアシスタントを自由に選んでいいと言われた時も、一旦は喜んだものの誰にすればいいか皆目見当がつかなかった。 もっとも話を持ちかけられたイェーシャも目を丸くした。 「センパイが戦術研究所の研究員? もしかして、軍のお偉いさんはみんなボケちまったんですか?」 口は悪いがイェーシャの言う通りにしか思えなかった。 「アタシもわからんのさ。まあそういう訳で1人で悩むのはゴメンだから、お前も付き合え」 「ええ~、ヤダ! 冗談じゃないですよ」 「冗談じゃない、マジメな話だ」 「イヤですよ。そんな堅苦しいところ」 「何だオマエ、アタシを見捨てるのか?」 「ええ、見捨てます。我が身がカワイイもんで」 「薄情者」 「なんとでも言って下さい」 「じゃあ、命令する。イェーシャ・フィグレブ少尉。エレノア・シャッセ大尉の秘書を務めろ」 「真っ平ゴメンですよ」 「いいから黙って命令に従え」 「イヤですってば……」 「話は人事に通しておく。直ぐに荷物まとめてやって来い」 「汚っ!」 「いいから、さっさと来やがれ!」 それで渋々エレノアのところにやって来たイェーシャである。 なのでこの2人、最初の話し合いからどうしていいのかわからずにいた。 「まさか徴兵された新兵率いて施設制圧とか想定してんですか? 何時の時代の戦争です? そんなの死体の山しかつくれませんよ? もちろん敵のじゃないですよ?」 イェーシャは物怖じせずに言いたいことを言う。 そうしてそれを言われると誰も何も言えない。だが、それで終わりにするほどコスタンティアも甘くはない。 「なら、補助要員はどう? サポートする人間は必要ない?」 「サポート?」 「そう。何も部隊全員が出撃する訳ではないでしょう? サポート要員だって部隊にはいるはずじゃない?」 「まあ、いますけどね。でもそれだって訓練された整備兵がするから、新兵の出番なんてないですよ」 イェーシャも譲らない。普段は寡黙なエレノアも言葉を添える。 「陸戦部隊は投入時期が計算されてるからな。突発的な遭遇戦でもなけりゃ、猫の手も借りたくなるような状況にはならんのさ。 年が近いこともあって階級差も何のその。口の悪いことこの上ない。だが確かに言われる通りである。 コスタンティアは士官学校戦術作戦科卒業。リンデンマルス号では補給計画の立案に終始したが、様々な作戦を立案をする参謀という職務が本義である。 「まあ、ワープ直後に接敵でもしなきゃ、ありえないですよね」 イェーシャが重ねて言う。 「ワープ直後に接敵? そういう場合だとどういうことになるの?」 アリュスラが尋ねる。後方管理部門の人間にはちょっと思いつかないからの問だった。 「え? う~ん……、例えばワープ直後に敵艦もワープアウトしてきて、それで距離が近い、艦砲の準備もできてない、なんて場合かな。 ワープ中は第3種配備で宇宙服着用が基本である。そうしてワープ直後は艦内諸施設の復帰に時間がかかる。そこへ敵艦がワープアウトしてくれば、しかも距離が近く突入による強襲白兵戦が可能、ということにでもなれば、確かに慌てて宇宙服から強化外装甲に変更することはあり得るだろう。そうしてそういう時に手を貸してくれる人間は貴重であるに違いない。 「でも、そういう状況の方がありえないでしょうね」 クローデラが言う。 「まあ、確率的にないことではないけれど、そんな偶然、それこそ天文学的確率だと思うわ」 別々の地点から艦艇がほぼ同一地点にワープして来るという可能性は高くはないだろう。確かにありえないことではないが。 「ワープ前の安全確認で、目標地点に天体、艦艇、その他、艦に大きな支障を与える危険性のあるものを発見すば目標地点の変更、もしくはワープ自体を行わないから。 船務士官としてもっともな見解である。 ワープ先の座標のズレは大宇宙のスケールからからすればないに等しいが、それでも、人間のスケールからすれば無視できるものではない。敵を急襲するためとしても、そんな危険なワープは命令する方もする方だし、従う方も従う方で、とても正気の沙汰ではないと言える。 「ならワープじゃなくて、敵を見落としてたら?」 アリュスラが再び尋ねる。 「見落とすということは索敵システムが正常に作動していないか、でなければヒューマン・エラーしかないわ。 「確かに」 エレノアが頷く。 「そうね。戦術部長としては当然その指示を出すわ」 「そういう状況だと逆に船務部の方で人手が欲しいくらいだわ。全天を目視での監視なんて、それこそ人海戦術じゃないと無理だもの。 「それもそうね」 アリュスラもようやく認めた。 「各部からのシフト作成への注文の多さったらなかったもの」 傍観者よろしく会話を聞いていたレイナートも、初日からこの調子なら意外と幸先はいいかな、などと考えていた。 「ん? どうかしたのかな、リューメール准尉?」 レイナートが尋ねるとネイリは首を振った。 「いえ、皆さんにお茶でも、と思いまして」 ただお茶汲みを買って出ただけだった。 エメネリアの士官交換派遣プログラムに伴ってリンデンマルス号に乗り込んだネイリだったが、15歳の誕生日を迎えた日に亡命の申請を出した。 ところでこのネイリの処遇は常にレイナートを悩ませた問題の一つだった。 そうしてネイリが15歳を迎え亡命の申請をした。そこまではいい。 民間人を軍の艦艇に乗せなければならないような状況。それは例えば民間船が何らかの事故、もしくは海賊の襲撃等で航行不能になった。その救助のため、というのは想定されている。 だが宇宙勤務はそうはいかないのである。なのでネイリの処遇をどうするか、という問題が発生した。 当時まだリンデンマルス号の保安部長だったサイラはその鉄壁の無表情を崩ししかめ面をした。「これ以上は黙認できません」と。 元々、帰化直後のエメネリアは中央総司令部で閑職に就かされるところだった。それを半ば強引にリンデンマルス号に引っ張ったのはレイナートである。したがってこの件に関してはレイナートにも責任の一端があるので頭を悩ませたのである。 ところがこの問題を解決したのは、実はネイリ自身である。 「ネイリさん、この生年月日ですが、これに間違いはないですか?」 サイラの口調は穏やかで詰問するようなものではなかった。それでもネイリは緊張を隠せなかった。 「はい……」 「本当に?」 「……はい……」 消え入るような声で答えるネイリ。 「となると貴女は、もうすぐ18歳、正確には17歳と6ヶ月少々ということになりますね」 「ええっ?」 その場の誰もが驚きの声を上げた。 「ネイリ、あなたもしかして、イステラ歴に換算してなかったの?」 元々、同じ惑星を源とするヒトという種族。 「これだとあと数日で志願できますね」 サイラが言う。その表情は感情を一切読ませぬ無表情なものに戻っていたが、声は温かみのあるものだった。 「だったら志願しなさいよ。軍人なら艦内にいても何も問題ないんだから」 早速ネイリは軍に志願したのである。 だが、ネイリのアレルトメイア宇宙海軍幼年学校の最上級生という経歴は無視された。 だがネイリは意に介した風はなかった。 「一から頑張ります」 それで一般の志願兵と同じ、全く初歩の初歩から始まったのである。 イステラ軍に志願するとまずは仮入隊扱いである。そうして2週間に渡る初期訓練と称する入隊選抜試験を受ける。 この初期訓練をリンデンマルス号艦内で行うことになった。そこで中央通路に基礎体力を測るためのコースが設置された。ここで定められたメニューに挑戦し、端末を使った基礎知識のテストは保安部のオフィスで行われた。 ところでこれを面白がった乗組員たちは、自分達もその特設コースにチャレンジしてみたのである。 ところで当のネイリはと言えば、1週間目にはB評定相当の結果を出し、最終試験の結果はB+という文句のないものだった。だが正式に帰化が済んでいない。なのでしばらくは仮入隊のままだった。 ちなみにB-だと、仮入隊扱いのまま基礎訓練は受けさせてもらえるが、そこで結果が出せなければ除隊となる。その後、徴兵でもされない限り軍に入る道は閉ざされたと言っていい。 「ネイリ、あなた、私と離れたくないからって手は抜いてないでしょうね?」 エメネリアの問に、最後まで沈黙を通したネイリである。 そうしてネイリは帰化が済むまで仮入隊のまま基礎訓練が実施された。 そうしてネイリは積極的に訓練を受け、座学も率先して受けた。 「……に詳しい方は誰方でしょう?」 食堂利用時間は皆限られているし、勤務中の者、勤務時間外の者とまちまちである。そこで教えて欲しい事柄に詳しい人物を紹介してもらい教えを請いに出向いたのである。 特にアレルトメイア人であったネイリにとって、イステラ人には常識であるイステラ連邦憲章や、軍人としては避けて通れないイステラ連邦宇宙軍基本法といった法律の基礎知識すら全くない。つまりスタートラインが普通よりも遥かに後ろなのである。さらに軍人として身につけることは山ほどあるから遊んでいる暇は全くなかった。 イステラ軍の下士官・兵には昇級試験制度が設けられていた。これは今の階級・職務にあぐらをかかず、より上を目指すべしというものである。 また様々な資格所得に対しても軍は後押しをしている。 そのためリンデンマルス号艦内でもそういった資格のための勉強会が定期的に開かれていた。毎週のものもあれば月に一度程度のものもある。ネイリはそのどれにも積極的に参加したのだった。 そうして正式に帰化が認められ、本入隊とされたネイリは早速昇級試験を受け始める。 「あれ、あなた、ついこの間兵長になったばかりじゃない? もう伍長の試験受けるの?」 「はい。まずはせめて下士官になっていないと……」 アレルトメイアでは宇宙海軍幼年学校にいた。 とは言うものの昇級試験は上へ行くほど難しくなる。伍長から軍曹、軍曹から曹長となると簡単にはいかなくなった。本入隊後は本来の従卒としてエメネリアの世話もあった。訓練だけ勉強だけをしていればいい、という訳にはいかない。 もっともアレルトメイア宇宙海軍幼年学校は後の高級士官を育成するための入り口でしかない。 |