聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

序章

第8話 王都の様子

 家臣らが王都屋敷に集合するまでの間、レイナートは毎日のように王宮へと昇り、また各省へと顔を出しては現在のイステラの状況がどうなっているのか、ということを把握しようと努めていた。
 だがそれは容易いことではなかった。

 摂政ドリアン大公を始め宰相シュラーヴィ侯爵は、レイナートの即位に対する全イステラ貴族の合意を取り付けるべく頭を悩ましていた。とにかく庶子が王位を継ぐという前例のないことを実現させるのである。その苦労は並大抵のことではないのは容易に想像がついた。
 他方、各省においてはとにかく人手不足と記録の焼失に頭を抱えていた。


 あの大地震による建造物の全壊というのはイステラではあまり見られなかった。精々半壊程度で収まっていたのである。だがそれよりも火災による被害のほうが深刻だったのである。


 どこの家、それこそ貴族から平民に至るまではもちろん、王宮や各省の建物においても、竈の火というものは昼夜を分かたず熾したままである。一旦火を落としてしまうと再び火を熾すのに時間がかかるだけでなく、余計な薪を要してしまうからである。
 この当時イステラは三食食べるという習慣はいまだ確立されていなかった。だが朝夕の二食だけでは当然ながら腹が保たない。そこで午前と午後の中の刻の鐘及び正午の鐘の頃には軽く腹に物を入れる。その時には当然ながら茶を喫する。そのこともあって、湯を沸かすために竈の火は決して絶やさないのである。これがイステラの、特に王都での出火の原因となったのである。



 イステラの王都は王城トニエスティエ城と一体化している。このトニエスティエ城は険しい山を背景とする小高い丘の上に建ち、したがって城内には基本的に平坦地が少ない。
 それでも王宮の建つ一の郭や、各貴族屋敷に各省など政府機関の建造物がある二の郭は比較的敷地が広く取られ、建物が隣接するという程迫って建てられてはいない。
 だが平民が暮らす三の郭は街区が細かく仕切られ、それを埋め尽くすように家が建てられている。

 イステラの建造物は基本的に大きな石の土台の上に切り出した石やレンガを積み上げ、その上に太い木材の大梁を交わし、その上に木材の屋根を架けている。
 だがそれだけではイステラの暑い夏、厳しい寒さの冬は耐え難く、したがって壁の内側には木板を張っているのが普通である。そうでなければ夏は熱中症による死者、冬は凍死者を出しかねないからである。
 この建築様式が大地震による出火の際に仇となったのである。

 それでなくてもイステラは夏は激しく乾燥する。南から吹き込む乾いた熱風のせいである。これが北部山岳地帯を越えてくる冷たい大気とぶつかり、イステラ全域で激しい雷雨を生じさせる。この雨は貴重な恵みの雨であるが、それでも夏の間を通して湿潤といえるほど湿った陽気とはならない。それほど南風は乾いているのである。
 逆に冬は北部山岳地帯を越えた大気が激しく雪を降らせるのである。

 そうしてこの年、夏の終わりを迎え秋となっても中々気温が下がらなかった。したがって何処も彼処も、何も彼もが乾燥したままであったのである。
 そのような状況下で大地震が起きたならどうなるか?
 結果イステラ王都の、特に三の郭は激しい火災に見まわれ、崩れ落ちた家材による圧迫死よりも焼死の方がはるかに多かったのである。



 二の郭の貴族屋敷や政府機関の建物もそれは同じであった。だがそれより深刻であったのは重要書類の多くが消失したことである。

 例えば内務省。その職掌範囲は膨大でありイステラにおいて最も権力のある組織である。ざっと見渡しただけでも、

・王家の日常生活、王族の教育、財産の管理(宮廷料理人・侍従の統括を含む)
・貴族・平民の戸籍管理
・王都および直轄地の統括(代官の任免を含む)
・近衛隊(王宮及び王家の警護)の統括
・衛士隊(警察機構・王都及び直轄地守備隊)の統括

となっている。これらを管理する上で決して失ってはならない重要な書類が幾つもあるのである。

 特に系統管理局は貴族の血統のみならず平民の戸籍の把握もしているのであるから、その記録は何物にも代えがたい。これがあるからこそ財務省は各貴族に領民の人頭税を課すことが出来、また軍務省は男子国民に対して兵役を課すことが出来るのである。
 それが火災によって失われたのであるから、内務省官吏がどれほどの衝撃を受けたかが想像出来るだろう。

 それでもなんとか焼け残ったものだけでも新たな羊皮紙に書き写し、記憶の定かであるものは記憶を頼りに記録を書き起こし、曖昧なものに関して、わからないものに関してはそれとしてきちんとその旨を書き残す。それを生き残った人間だけで行わなければならない。



 ところがイステラには国としての教育制度というものがこの時なかった。したがって読み書きがまともに出来る平民がほとんど存在しなかったのである。それでも裕福な商家の次男、三男などで役人となった者は読み書きが出来たからまだいい。
 だが例えば王都や直轄地の建造物や主要街道の整備をする工務省の下級官吏など、言うならば体を動かすのが仕事で、言われたことさえ理解出来れば読み書きなど出来なくてもいいとされていたくらいである。
 それでも各省内では、その気のある者に読み書きを教えたりすることがないではなかった。だがそれはごく一部であり、圧倒的に事務官吏を養成するための体制が整っていなかったのである。

 そうであったから各省内の混乱は目を覆わんばかりであった。しかも国内各地からの報告は断片的、かつ正確さを欠くものが多く、それをきちんとまとめ上げることさえ出来ていない。したがって各職掌内の事柄の把握すらも満足に出来ない状況であった。

 ドリアン大公らが強力な指導者、すなわち新しい王の即位を急いだのはこのことが背景にあったのである。



 各省内自体がバラバラでまとまっていない。さらにその各省も横の連携がまったく取れなくなっている。これを再び以前のように有機的に結び付けさせて国家体制を元に戻す。それこそが今一番望まれていることであり、その適任者がレイナートである。ドリアン大公やシュラーヴィ侯爵はそう考えたのである。
 これは急遽大臣に任命された貴族らも同様であった。

 元々各省の大臣は五大公家の当主によって占められていた。したがって八つの省、内務、外務、財務、軍務、工務、法務、式務、商務および宰相の地位は五大公家の誰かが就いているから残りは四つだけ。その残った四つの席に直臣貴族の中で適任と思われる者が宰相によって推挙され、国王の承認を経て座るのである。
 だが現在の五大公家はドリアン大公を除くと、各当主の中で最も年かさなのがリディアン大公家を継いだエネオアシス、十一歳である。さすがにいくらなんでも子供に大臣はさせられない。有能な家臣がそばにいて名目上、お飾りでも済むという時であってもイステラではそのようなことは認めない。基本、実力重視を標榜しているからである。

 したがって生き残った貴族の中で、任せても何とか大丈夫だろう、という人物が大臣になったのである。任された方は堪ったものではない。

「私になどとても無理です!」

 どれほどそう固辞しても、ドリアン大公は有無を言わせなかった。終いには王妃の前に連れ出され、王妃に「頼みます」と頭を下げられた始末である。そこまでされて断ることが出来ようはずはなかった。

 とは言え先祖の誰か一人が一度でも大臣を経験していたならまだいい。その時の記録があるからそれを何とか頼りにすることが出来るからである。
 だがそうでなかったら?
 そうなると何も彼もが手探りである。主君が大臣となったことを一方で喜ぶ家臣らも、その責任の重さに押しつぶされそうであった。とにかくなんとかお館様を支えなければならない。そう思って必死である。

 そうしてその煽りを食ったのが誰あろう、新たに軍務大臣となったシュピトゥルス男爵である。
 当時まだ陪臣貴族嫡男であった頃から職業軍人を目指し、対ディステニア戦役で数々の武功を挙げ順当に昇進、直臣貴族の地位を得、さらに四十代という若さで国軍第三軍司令官まで上り詰めた男。そのシュピトゥルス男爵の軍務大臣就任には誰もが納得し、その手腕に期待した。

 元々国軍司令官というのはただ単に勇猛な武将であればいい、とはいかないところにイステラ国軍の難しさがある。
 それは国軍も実力重視が建前だからである。だからと言って何も彼もそうしたら身分制度が崩壊しかねない。訓練兵や新兵の時ならいざしらず、いつまでも平民の上官の下で貴族の子弟が部下のままであったなら、必ずや取り返しの付かない問題が起こりかねない。
 それを身分の故の依怙や贔屓とは感じさせずに人事を上手く行う手腕が求められた。したがって国軍司令官は軍人である以上に政治家であることが求められたのである。



 元々貴族というのは政治家である。それは己の領地において王であるからである。と同時に国民全員に兵役を課すイステラにおいては、誰もが軍人としても鍛えられている。したがって国軍司令官はその中でも一等地を抜いた人物なのである。
 それ故新しく大臣となった人物は事あるごとにシュピトゥルス男爵の元を訪れあれこれと相談を持ちかけたのである。シュピトゥルス男爵とすれば堪ったものではなかった。

 自分ですら大臣など未経験。いくら司令官を拝命していたとはいえ、それはただ一軍である。それが全軍の頂点に立つことになったのである。はっきり言って、他のことにまで気を回している余裕はシュピトゥルス男爵にもなかったのである。
 だが親子ほど、とまではいかないものの、十も十五も年下の若い貴族に頭を下げられて相談を持ち掛けられれば無碍には追い返しにくい。まして彼らは兵役中、自分が面倒を見た新兵だったということもあった。
 それ故忙しい合間を縫って出来る限りの助言をし、励まし、奮起を促したのであった。

「オレはこの程度で済んでいるからまだいいが、シュラーヴィ閣下はもっと大変だろうな……」

 かつての上官であり恩人であるシュラーヴィ侯爵の顔を思い浮かべるシュピトゥルス男爵であった。

 当のシュラーヴィ侯爵はシュピトゥルス男爵の思いの通り、多忙、などという言葉では足りないほどの激務をこなしていた。
 何せイステラにおいて最も重要とされる内務省の大臣を務める一方で宰相も兼務しているのである。内務省からも各省からもひっきりなしに使いが来るし、摂政であるドリアン大公と常に綿密な連絡を取りつつ、王宮内に関しても細々と気配りをしなければならない。
 猫の手どころかネズミの手でも借りたいところであった。



 そういうところへレイナートが顔を出せば邪魔者扱いどころか、逃げ出すいい口実にされてしまうのが落ちである。それは年若い未経験の大臣たちのみならずシュラーヴィ侯爵やシュピトゥルス男爵からもである。

―― 誰もが疲れきっている……。このままでは皆が押しつぶされてしまうぞ!

 諸大臣と会ってその憔悴しきった顔を見るにつけそう思うレイナートだが、ではと言って自分一人に何が出来るかと言えば、おそらく大したことは出来ず、どころか余計な口出しはかえって混乱を招いてしまうかもしれない、としか思えなかった。

―― 領地の再生だって私一人で出来たことではないのだ。家臣領民、多くの人々の協力と努力があってのことだ。それだってまだ完全と言い切れる所まで至っていない……。

 そのような思いを抱きつつ、各省を訪れたあとのレイナートは三の郭へとも脚を伸ばし、人々の様子をつぶさに見て回っていた。



 ちなみにこの時のレイナートはエレノアに与えた剣、この時代に姿を表した特級鍛冶師グレマンより直接受け取った剣を腰に提げていた。リンデンマルス公爵家当主の剣は基本的に儀礼用、日頃の差料にするには相応しくない。かと言って破邪の剣はボロボロである。
 剣に関してうるさい規則のあるイステラで無腰で歩くということは出来ないし、第一、現状では王都内でも治安に関しては心許ないところがある。
 それで何か差料を新たに買い求めなければ、そう思っていた所にエレノアが剣を返してきたのである。

「勘違いなさらないで下さい。別に離縁の申し出ではありませんから」

 多少いたずらっぽい笑みを見せてエレノアは言った。

「ですがレイナート様、あなたのお腰に提げるものはやはり古イシュテリアのものがいいと思います」

「エレノア……」

「別に当代の、それこそ特級鍛冶師の打ったものであればどれでもいいのかもしれません。
 でもやはり貴方は古イシュテリアのものを提げるべきだと思います」

「しかしそれでは君のが……」

「大丈夫、私に今は必要ありません。
 それにアニスを抱いて腰に剣を提げたら重すぎて疲れてしまいます」

 そう言ってエレノアは笑う。

 もっともエレノアはアニス出産以来婦人物の服を着ていて、一度として男装に剣を提げたことがない。
 それはレイナートの妻、リンデンマルス公爵家当主夫人、そうしてアニスの母ということを強く意識しているからであった。

「レイナート様。
 貴方なら決してないと思いますけど、古イシュテリアの大王が最後の最後で取り戻した良心、人を思う心。それを忘れないためにもそうするべきだと思います」

 エレノアのその言葉に、強く頷いたレイナートであった。

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