聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第17話 ディステニア入国

 レイナート一行は無事に国境を越えてディステニアに入国した。

 随員らは人数のせいもあって手続きに時間を要したが、レイナート本人は至極簡単であった。
 レイナートはイステラのリンデンマルス公爵として、またディステニアのグリュタス公爵として過去に数度この国境を越えている。そのことを知っている国境警備兵がいたということが幸いしたのである。
 またその時は同時にアレルトメイアのミルストラーシュ公爵、リューメールのカストニウス公爵としても入出国している。だが今回はそれこそイステラ国王としてである。
 それこそ外国の高位貴族に対する国境での僅かな失敗も重大な国際問題となりかねないのである。それが国王相手となったらどうなることか。とにかく国境警備兵らは手続きを簡単に穏便に手早く済ませたいという思惑があったのである。


 ディステニア国境での出迎えは、首席摂政補佐官となったガンドゥリゥスの側近、ユディーレン子爵家家人のフレマンテであった。

「国王陛下のご尊顔を拝し……」

 型通りの固い挨拶をするフレマンテにレイナートは笑顔を見せた。

「お久しぶりですね、フレマンテ殿。息災でしたか?」

 気さくなレイナートの言葉にフレマンテが一層恐縮する。

「かくも勿体無きお言葉を賜り……」

「固いのは抜きにしましょう、旧知の仲ではないですか」

「されど……」

 だがフレマンテは態度を崩さなかった。
 確かに子爵家の家人風情が公爵殿下本人と親しく口を利くだけでも本来ならありえないことである。それがまして一国の王ともなれば言うには及ばない。したがってフレマンテは頑なに固辞して馬を並べることさえしなかった。
 レイナートにすれば少し世間話でもしながらと思っていたのだがそれは全く無理な話であった。


 入国を済ませた一行は前後をディステニアの近衛兵に囲まれて王都を目指していく。レイナートにすればディステニアは第二の祖国とまでは言わぬものの決して敵性国家ではない。だが随員の多く、特に侍従や高級女官、国軍兵站部隊は過去のイステラとディステニアとの関係から緊張を隠せないでいた。したがって隊列の雰囲気は相当重苦しいものであった。
 しかもイステラ国旗にディステニア国旗、さらにリンデンマルス公爵家、グリュタス公爵家、ミルストラーシュ公爵家、カストニウス公爵家の各紋章旗がはためき、レイナート本人のみならずそれを守るべく近衛兵が眼光鋭く警戒しているのだから、物々しさといったらこの上なかった。

―― やはり国王となってしまえばこうなるのも致し方無いか……。

 元々レイナートは生まれのせいもあって堅苦しいのが嫌いな質である。それが身分の割に気さくで公平さにもつながっているのだが、さすがに一貴族と国王では身分の重みが違う。自分がそうしたくとも周囲がそれを許さないというのは当然のことである。
 結局レイナートの周囲は家臣らが囲み、フレマンテと馬を並べて話をするということは出来なかった。


 それ故気持ちはついついロッセルテの街での出来事に向かってしまったのは仕方のないことだろう。

―― あの老婆は何故、自ら毒を服み命を断ったのだろうか?

 それが最大の疑問点であった。

「毒薬転じて薬と化す」とも言う通り、薬とは本来毒である。毒の力を以って病を押さえつけるのが薬の目的である。
 そうして病気に効く特効薬などというものはそうおいそれとは存在しない一方で、目覚ましい薬効を示す薬も確かに存在するということを人々は知っている。
 そうしてこの時代、医者とは薬師とほぼ同義であった。それは患者の症状の診たてから病気を的確に判断し適切な薬を調合するからである。
 一方で薬の調合専門、すなわち医者のように診たてをしない薬師も当然存在した。いずれにせよ薬に対する知識と調合の技術は大層貴重なものとされていたのである。それ故腕の良い薬師は引く手数多であるし、いくらでも金が稼げるのだった。
 したがってたとえ王侯貴族であっても欲しい薬を思うがままに手に入れるということは非常に難しいものなのである。それこそ時には貴族自身が薬師に頭を下げて調合を依頼することさえあったほどである。


 そういう意味からすると、薬師が服毒自殺を図るということは、とても異常なことと思えてならないレイナートである。

―― 自ら命を断つというのは余程のことだ。それ程までに知られたくないことでもあったのだろうか?

 もしもレイナートが、老婆の正体はロル・エオリア侯爵のために薬を調合していた薬師である、ということを知ったなら驚愕したろうが同時に納得もしただろう。と同時にその目的が自分を狙ったものかもしれない、というところまで思い至ったかもしれない。だがこの事実は最後までレイナートの知るところとはならなかったのである。

 確かに内務省系統管理局及びリンデンマルス公爵家ではレイナートの命を受け、ロッセルテの代官所に保管されていたオババの身上書から、その人物の特定を図るべく調査が進められた。そうして直後に起こった王妃・王女暗殺未遂事件によって一時その調査が後回しにされたものの、最終的には調査は続行された。それでもオババの正体を掴むことは出来なかったのである。

 それはそうだろう。
 元々オババはイステラの生まれでさえない。しかも入国の時もロッセルテで薬屋を始めるに当たっても、応対した役人に人知れず薬を使い詳細を誤魔化していたのである。
 そうしてレイナートはシェリオールでもビューデトニアでも直接オババと接触を持ったことはない。確かにシェリオールでは一服盛られかけたが、その薬を調合したのがオババだったということを知らない。それ故目の前で服毒自殺した老婆がその時の薬師だったなどとは思いもよらないでいたのである。
 したがってもしその可能性に気づいていたなら事態はかなり変わっていたかもしれない。あるいは急遽予定を変更してディステニア行きを中止したかもしれない。
 だが結局レイナートは予定通りディステニアに向かい、王宮北宮では暗殺未遂事件が起きたのであった。


 国境からディステニア王都まではおよそ四日の道のりである。
 そうしてこの国境近くの北部地域はかつて鬱蒼とした森であり、幅の広い獣道のような道しかなかった。それはディステニアからイステラへ侵攻するための軍用道路であり、それを隠蔽するための深い木々の中の道であった。
 それをイステラとの和平が成立したことでスピルレアモスは開墾し国の直轄の麦畑としたのである。それによってディステニア有数の穀倉地帯となり食糧事情の改善に大いに貢献しているのだが、いま眼下に広がるのは青々とした麦畑ではない。否、確かにに麦は植えられているが一面豊かな、という感はない。

―― 前に来た時は、それこそ見渡す限り青い麦畑が広がっていたが……。

 冬の寒さ、積雪が半端ではないイステラでは秋蒔きの小麦は育たない。春蒔き小麦のみである。だがディステニア北部は雪が降るもののイステラほどではなく、それ故秋小麦を育てその収穫後には野菜の栽培をしているのであり、これはこの地域が開梱された時から変わらない。

 そのまばらとも言える麦畑は、それこそロズトリンのフィグレブほど酷くはないが、アチラコチラが枯れていたり全く植わってなかったりと、あまり手入れの行き届いた畑という感じではなかった。
 このことから、実はディステニアの復興が進んでいないのではと、レイナートには思えてならなかった。

―― 以前、ガンドゥリゥス殿が訪ねてきた時、「現在、王妃コスタンティア陛下を摂政に戴き、挙国一致体制を以って復興に励んでおります」と言っていたが……。

 どうもそれも怪しい話に思えてきたレイナートである。

―― 私を王位に、という真相はその辺りにありそうだな……。

 であるなら尚の事、ディステニアの王位に就くことなど論外だ、と強く思うレイナートであった。

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