聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第29話 ラストーレル伯爵の最後

「曲者である。出合え!」

 ラストーレル伯爵は怒鳴った。薄暗い客間の壁際に控えていた執事達は一斉に壁に掲げられていた剣に手を伸ばした。
 イステラ貴族に仕える者達はそれが貴族身分であれ平民であれ兵役を済ませている。特に二度の兵役を済ませている者なら剣のみならず弓や槍もよく遣う。したがってイステラの貴族家では私兵団を常設しているところは少ない。必要に応じて構成すれば済むからで、執事や下男であってもいつでも兵士として働けるのである。また貴族家ではそうやって人員の肥大化を防いでいるのである。

「その者たちを捕らえよ。生かして返すな!」

 ラストーレル伯爵が指示を飛ばす。だが執事達は直ぐにクレリオルに飛びかかるようなことはしなかった。それまでの話の流れから「これはお館様の指図通りに動いてもいいものか?」と不安になったのである。

「何をしておる! さっさと殺せ!」

 そこへ入り口から槍を携えた者達が乱入してきた。この者達は今までの経緯を知らないから、槍を構えて突進しようとした。が、部屋に入るやすぐに動かなくなった。

「貴様ら!」

 ラストーレル伯爵は怒髪天を衝く勢いで家臣らに命じた。

「さっさと殺せ! 生かして返すな!」

 だがそれでも家臣らは動かない。
 ラストーレル伯爵は振り返って目を凝らした。そうして家臣や執事達の首元にギラリと光る刃を認めたのであった。

「いつの間に!」

 ラストーレル伯爵がクレリオルに向き直った。そこでクレリオルは不敵な笑みを浮かべた。

「我らが何の手筈も整えずに参るとでもお思いか?」

「何だと!」

「御貴殿も、王妃陛下・王女殿下の暗殺などという大それた真似を企てるのであれば、手練を用意しておくべきでしたな。我らのように」

 部屋の中は煌煌と明かりが灯されている訳ではないからかなり薄暗い。そうして身動き一つしないラストーレル伯爵家の家人達の背後に、不敵な笑みを浮かべる侍女の姿があった。だがそれはもちろんラストーレル伯爵家の使用人などではなく、ゴロッソの配下の王国情報室の室員や元の暗部の者達であった。

「ぐぬぬっ」

 歯噛みするラストーレル伯爵にクレリオルが続けた。

「それと一番の失敗は料理に毒を盛ったレスモンデルなる者を生かしておいたこと。もっとも事件直後に彼の者が行方不明や死亡ということになれば、一番に疑われるのは御貴殿自身。それを恐れて生かしておいたのでしょうが、元より計画が余りにも杜撰」

 クレリオルの顔から笑みが消えた。

「国王の不在故、王宮が手薄になったからと実行されたのでしょうが、我らを甘く見過ぎだ」

 もっともそうは言うものの殺害自体は未遂であっても、王妃の食卓まで毒入りの料理が運ばれているのである。重臣らの面目も丸つぶれになっているが……。そこは棚上げしたクレリオルである。

 そこでクレリオルはゴロッソに目配せする。ゴロッソは懐から小さな小瓶を取り出しラストーレル伯爵の前の机の上に置いた。

「ところでこちらは今回の事件で使われたのと同じ毒薬」

「バカな! どこでそれを……」

「これは今朝届きました、先日自死したロッセルテの街の薬屋の老婆の店から押収したものです。
 ご貴殿は一体この老婆とは如何にしてお見知り置きになったのでしょうかな?」

「……貴様、そこまで……」

 狼狽するラストーレル伯爵を尻目にクレリオルは続ける。

「今回急遽お毒見役となったシャスマン名誉侯爵家のご次男殿も同じものとの太鼓判を押して下さいました」

「……」

「しかも毒見してくれただけでなく、実際に服用するとどうなるかを身を以て示して下さいましたよ。
 いや、あの苦しみ様は見るに耐えませんでしたな」

「何だと!? グラスティオに飲ませたのか!」

「いいえ、人聞きの悪い事を申されますな。ご自分から進んで口にされたのですよ。己の罪を認め、陛下へのお詫びを繰り返しながら……。
 もっともご自分から口にされれば、シャスマン名誉侯爵家には一切の咎めはないと約束した上での事でしたが」

「貴様……」

「さて、如何でしょう? この辺りで終わりになさいませんか? 強情を張ってもいいことは何もございますまい。どころか一族郎党、親族まで巻き込んで逆賊の汚名を着ることになりますぞ?」

 クレリオルのラストーレル伯爵へ向けた顔は真冬のイステラを凌ぐほど冷たいものだった。

「ふざけるな! 誰が! ええい、何をしている、早くこいつらを殺せ! 生かして返すな!」

 ラストーレル伯爵が喚く。だが家臣らは誰も動かない。否、動けなかった。それは喉元に刃物を突きつけられているからということもあるが、自分達の主人が王妃殺害を目論んだ大罪人だということを解したからである。
 家臣らからはクレリオルらを襲おうという殺気や意気込みが消えた。
 するとその中の一人が声を発した。

「お館様、そちらの御仁のお話は誠でございましょうや?」

「何を馬鹿なことを言う! 儂は知らんぞ! 濡れ衣だ! それがわからんのか馬鹿者め!」

「ですがお館様、もし万が一濡れ衣であっても、これが公の裁きに持ち込まれればラストーレル伯爵家も、我ら家臣も、また領民たちもただでは済まないということには代わりはないのでは? ならばお館様お一人の命で済むのであれば……」

「バカを申せ! 儂を生け贄に差し出すのか!?」

 そこでクレリオルが口を挟んだ。

「生け贄とは人聞きの悪い。
 よろしいか、ラストーレル伯爵殿。最早調べは付いているのだ! あなた以外に真犯人はいない!」

 クレリオルは厳しい表情でラストーレル伯爵を睨みつけた。

「それでもあなたが罪を認めないというのであれば、我らは貴方を不敬罪で正式に訴追する。そうしてあなたが身元を引き受けた領民が手を下したのだ。当然あなたも無罪で済むということはありえない。不敬罪という罪は我が国で最も重い罪。それをお忘れではありますまい。
 もちろん貴方お一人で済むはずはなく、どう少なく見積もってもラストーレル伯爵家の家族全員、及びその五親等内血族と三親等内姻族全てに累が及ぶ。親族らはたとえ貴族身分まで剥奪されることはなくとも、このイステラで貴族として大手を振って歩けなくなるのは必定。それは家臣領民たちも同じこと。
 貴方は一体何人道連れにすれば気が済むのだ!」

「知るか! 儂は間違っておらん! あのような下賤の者を王座に就け、汚らわしい異国の平民に国母となる機会を与えるなど、それこそ許しがたい悪行ではないか! 貴様ら大臣達が政道を違えたから儂が正そうとしたのだ。儂のどこが間違っている!?」

「……やはりお館様が……」

 家臣の一人が沈痛な面持ちで声を発した。クレリオルも静かに頷いた。これにて刑を執行出来ると……。

「いいから早くこいつらを消せ! そうすれば……」

 ラストーレル伯爵は喚き散らすがクレリオルが言う。

「なかったことにはなりませんよ、我らを殺しても。どころか我らが生きて帰らなければ、直ちに国軍がここへ殺到してきます。試してみますか?」

「何だと!」

「まさかこのような重大事を我らが一存で決着をつけようと思ったなどとお考えか? だとしたら貴方は余程お目出度い方だ」

「貴様っ!」

「我らは少しでも穏便に、被害を少なくしようと苦心したからこそ、こうして乗り込んできたのだ。この一件すでに宰相始め全大臣・諸役はもちろん、王妃陛下もご存知のことである。もうどこにも逃げ道はないのだ!」

 クレリオルは最後通牒を突きつけた。

 それを聞いた家臣が静かにラストーレル伯爵に近づいた。そうして机の上の小瓶に手を伸ばした。

「お館様。ここは一つ貴族家当主としての器量をお見せいただきたい。所詮貴方は元は廃嫡され当主の座に収まることの出来なかった人物。それが今まで多少なりとも夢を見られたのです。もう十分でございましょう?」

「馬鹿な! 貴様、何を言う!」

 家臣はクレリオルに向き直ると頭を下げて言った。

「あとはお任せ下さい。我等の手で始末をつけます故、何卒このラストーレル伯爵家の存続を……、幼き先代様の御子息様にお残し下さいますよう宜しくお願い致します」

「わかった。我らもそれを望んでのことである。安心するがいい」

「ありがとう存じます」

「貴様ら!!」

 最後はラストーレル伯爵を抜きにして話がついた。

「さて、お館様、お薬の時間でございます」

 家臣の言葉はまるで平素服用している薬を勧めるかのごとくに静かなものだった。

 家臣の言葉にラストーレル伯爵は杖を振り回した。

「馬鹿者、儂を誰だと……」

 だが背後から何人もの執事服の男達に組み敷かれ、机の上に押さえられてしまった。

「お館様、お薬でございます。一滴もこぼさずにお服み下さいませ」

 男達は暴れるラストーレル伯爵をお押さえつけ口をこじ開ける。

「ううっ」

 それを見ていたクレリオルとゴロッソは、静かに目礼するとその場を去った。暗部の者達もいつの間にか姿を消していた。

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