聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第30話 決着

 夜道に馬を並べてクレリオルとゴロッソが王都を目指していく。騎士に扮したゴロッソもいつもとは異なり馬上なのである。

「何とも後味の悪いものだな」

「……」

 クレリオルが言うがごロッソは無言である。

「私はレイナート様ほどではないにしろ公明正大であることを旨としてきた。それからするとこのような決着の付け方は二度とはしたくないものだ」

「……」

 ゴロッソはやはり無言である。

「人目を忍んでの暗殺となれば、さらに嫌なものであろうな。それを国はお前達に強いてきたのだ。今にして思えば顔向けも出来ん」

「お気に召されますな。我らはそのようにすることで生きる場を与えられたのですから」

 ゴロッソがようやく口を開いた。

「いや、確かにお前達は常人として暮らすには色々とつらいものを持っているやもしれん。だがそこまでのことをさせる必要があったとも思えぬ」

「私にはわかりませぬ。それはいつ始まったとも知れぬイステラの闇の仕来りでございましたし、それが我らの生きる術の全てでございました故……」

「レイナート様がお前達を日の当たるところへと仰せになった時、私は正直言えば面倒なことを、と考えた。だが今こうして自分が似たようなこと、いや、私のほうが遥かにマシだな。いずれにせよ、レイナート様のお考えは正しかったと言わざるをえないと思う」

「本当にもったいのうございます」

「ゴロッソ、陛下を何時までもお助けしてくれ」

「クレリオル様……」

「此度の失態、死を以って償わぬ訳にはいくまい」

「ですがクレリオル様には何も責任は……」

「このような事態が発生した事自体、臣下には責がある。頬かむりは出来ぬ。
 ゴロッソ、済まぬが王都へ戻ったら最後の仕事を頼みたい」

「何でございましょう?」

「レイナート様宛てに書状を書く。それを届けてもらいたい。全てを報告し、お沙汰を待つ所存だ。可能な限り脚が早い者を用意してくれ」

「御意……」

 クレリルの言葉にゴロッソは唇を噛んだ。黙って首を縦に振るしかなかったからである。

 クレリオルや他の重臣達はこの後謹慎に近い形でそれぞれの屋敷に籠ることにしていた。そうして自分達の最終処分はレイナートに委ねることにした。レイナートの最愛の妻エレノアと愛娘アニスの毒殺未遂という事件である。レイナートがどれほど怒るかクレリオルでさえ想像出来なかった。自ら命を断つぐらいではレイナートは許さないかもしれない。そう考えてのことであった。
 その一方でゴロッソらは罪を問われることはないだろう。いくらなんでもイステラの全官吏が同じく処罰されるということはありえない。イステラ建国以来、王の死去に伴う殉死ということですら今までになかったことである。
 確かに王妃の暗殺未遂というのは由々しき事態である。その下手人と親族は罪に問われるのは当然である。そうして重臣と呼ばれる者達は職務に怠慢があったとされてその罪を償うべく死を賜るというのもありえないことではない。だがそこで終わりである。ゴロッソ達王室情報室の者や、他省の官吏は以降も変わらず職務に就くのである。そこに理不尽なものを感じずにいられないゴロッソであった。


 その翌未明、レイナートは人の気配で目を覚ました。自分の寝室では近衛兵が寝ずの番をしている。だがその者達とは違う何者か別の気配だった。

「何者か?」

 訝しんだレイナートは剣を引き寄せ闇に問うた。

「このような時刻に申し訳ございませぬ。手前はゴロッソの手の者でございます」

 闇の中から声がした。

「ゴロッソの? 何があった?」

 レイナートが静かに問うと、闇の中に長い髪で顔を半分隠した女が姿を表した。だが部屋で寝ず番をしている近衛兵は、おそらくは眠らされたのか何も反応を見せない。

「されば」

 そう言って女は小さく折りたたまれた羊皮紙をレイナートに差し出した。それを受け取りつつレイナートは女に尋ねた。

「その方の顔には見覚えがあるな。確か……、内務省にいた者ではないか?」

「ご明察にございます。わたくしのような者をお気に留めて置かれるなどもったいのう存じます」

「まあ良い。単に物覚えが良いだけだ。ところでその後リディアン大公殿下は如何か? まだ仕事を教えて差し上げているのか?」

 その女はそう、内務省系統管理局に職を求めたリディアン大公エネオアシスに仕事を教えた、元暗部の女アレアナであった。

「いえ。故あって暗部に、いえ、王国情報室の末席を汚しております」

 レイナートは暗がりの中で悲しそうな表情になった。

「そうか……。理由は問うまい。だがせっかく表の仕事を得たのにまた陰の仕事へ戻ったのが余のせいであったなら、この通り詫びる……」

 レイナートはそう言ってアレアナに頭を下げた。

「陛下! そのようなことをなされては……」

「構わぬ。身分立場がどうであれ、頭を下げるべき時には頭を下げる。それが人としてのあるべき姿だ」

 そう言ってアレアナをさらに恐縮させたレイナートは、羊皮紙を拡げた。

「クレリオルからか……」

 クレリオルからの書状に目を通したレイナートの顔は大層険しい物になった。アレアナは床に膝を突いたまま静かに待った。

 書状を読み終えたレイナートはアレアナに言った。

「直ちに帰国し大臣始め、今回のことに責任を感じ謹慎している者達全員に申し伝えよ」

「はい」

「今回の決着について余から特に言うことはない。最善と信じた方法を取ったと認む。
 但し事件を大袈裟にしたくないのなら謹慎は逆効果。直ちに平常通りその任に戻るべし。沙汰は余が帰国の後正式に申し伝える、とな」

「畏まりてございます。」

「それと女官長のクローデラ殿と女官のレッセニア殿を呼んでくれ」

「御意」

 そう言うとアレアナは再び闇の中に姿を消した。その時になってようやく近衛兵達が驚いたようにレイナートに声を掛けた。

「陛下、日の出まではまだいくらか時間がありますのにもうお支度をなさるのですか?」

 レイナートは苦笑しつつ言った。

「このまま寝ていられるほど暇ではなくなったのでな」


 直ぐに寝室にクローデラとレッセニアが姿を表した。レイナートがいつも起床する日の出までには、支度を整えておかなければならないから、女官も侍女達も日の出の遅くとも半刻前までには起きている。もう支度もしていたのだろう。二人に慌てた様子はない。

「お呼びでございますか、陛下」

 優雅に腰をかがめたクローデラが開口一番レイナートに尋ねた。レッセニアはクローデラの後ろに静かに控えている。

「うむ。
 レッセニア殿、貴女のご実兄ラストーレル伯爵殿が急逝されたとの急使が参った。直ちに帰国なさるが良い」

 レイナートの言葉にレッセニアが口元を両手で抑えて目を剥いた。

「兄が!? それは一体どうして?」

 兄のラストーレル伯爵からは、密かにクローデラとレイナートを男女の仲になるようにけしかけるべく指示されていたレッセニアである。悪い予感がしていた。
 だがレイナートは静かに頭を振った。

「詳細はわからぬ。だが葬儀を始め色々とあるだろう。貴女はすぐに帰国されよ」

「ですがわたくしには陛下の女官としての役目が……」

 そこでレイナートは静かな、だが決して反論を許さぬ口調で言った。

「悪いようにはしないから、今はただ私の言葉に従うように」

 レッセニアもその言葉に従うしかなかった。


 一行が出立の準備を終えて再びディステニア王都へと向かって動き出した時、レッセニアを乗せた馬車は逆にイステラへ向かって進み出した。女官の急な帰国に訝しむ者もいないではなかったが、最も近い血縁者の不幸ということで納得させられた。
 レイナートはこの件に関しギャヌースやアロン、エネシエルといった家臣たちはもちろん、レックにすら事の真相を告げることはしなかった。言ったところでどうにもならないと思ったこともあるが、少なからず衝撃を受けていたからであった。

―― 私の即位を快く思っていない者がやはりいたか……。

 望んで国王になった訳ではない。自らの責任と、それがその当時の最善と思ったから即位を受け入れたのである。エレノアのことも王妃にしたかった訳ではない。ただ自分の正妻と周囲に認めさせたかっただけである。
 そうして即位してから行ってきた施策も良かれと思って実行しただけで決して独裁者になろうと思った訳ではない。

―― 今になって何故そのような真似をするのだ。あたら無駄に死人を作るだけではないか。私を王と認めたくないのなら、初めからそう言えばいいではないか。

 レイナートは怒りと悲しみとでやりきれない思いで馬車に揺られていた。

―― やはり退位しよう。

 教育制度はいまだに稼働していない。それが何とも心残りであるが、このまま王位についていると同じような第二、第三の事件が起きる可能性も否定出来ない。

―― そのためにもディステニアでの要件をさっさと済ませて帰国しなければ……。

 改めて決意するレイナートである。

―― それと今後は、何があってもエレノアとアニスと、生まれてくる子供と一緒に行動しよう。離れていていいことなど何もない。


 後の世、エレノアや娘達が常にレイナートと行動を共にしたのはこの事件がきっかけであった。

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