遥かなる星々の彼方で
R-15

第3話 ドック入り



 リンデンマルス号の主任務は辺境警備基地への補給と慰問という、いわゆる後方支援である。これだけ聞くとまるで輸送艦か何かのようだが、れっきとした中央総司令部直属の特務戦艦である。

 リンデンマルス号は、正八面体を横倒しにして前後に大きく引き伸ばして ― この時点で最早正八面体ではないが ― それを上下から押しつぶし、艦尾側となる片一方の頂点をザックリと切り落としたような形をしている。正面から見ても、上から見ても横から見ても基本的には菱型(艦尾は切り取られた形で頂点はないし、更に言えば2つの大きな推進エネルギー噴射口が両舷にあるので艦体の後ろ半分は菱型というイメージはない)で、非常に直線的なフォルムをしている。
 そうしてその全長はおよそ1km、最大幅320m、最大高130mというもの。イステラ宇宙軍の他のどの艦艇に比べても桁外れに大きい。
 ちなみにイステラの現在の主力戦艦はアレンデル級で全長はおよそ400m、幅90mである。またガラヴァリ級空母の場合、全長は550m、幅130mである。巡航艦や駆逐艦はこれよりもさらに小さいからリンデンマルス号の巨大さがわかるだろう。
 そうして当然それに伴う質量も通常艦艇とは比べられないほど巨大なものであり、したがってリンデンマルス号は惑星の地上に降下出来ない。

 巨大な質量を持つ宇宙艦艇は反重力発生装置と慣性制御装置の助けを借りて、およそ1G前後の惑星重力 ― これ以上でもこれ以下でも人類の棲息に適さず、開拓され人が移り住むようになった惑星は全てこの程度の重力を持つものである ― の中、地表面に建設された宇宙港にゆっくりと着床する。エネルギー噴射だけでも重力加速度を相殺し降下は出来るが、そのエネルギー噴射による周辺への被害が大きすぎるため重力制御システムを併用するのである。
 だがリンデンマルス号の場合、現在の技術で最大限の性能を持つ反重力発生装置を搭載しても降下速度を減殺しきれず、地表に墜落し甚大な被害を発生させることが計算上明らかなのである。それ故リンデンマルス号は就役以来一度も惑星地表面に降下したことがない。

 辺境基地の後方支援を主任務とするリンデンマルス号は、その巨体の内部に通常艦艇が有する設備はもちろんのこと、食料、医薬品、各種消耗部品まで生産出来る工場とその保管用倉庫、医務室という規模では収まらない医療設備、シアター、ライブラリ、ジムといった娯楽・福利厚生施設までも完備する。
 また外壁は宇宙空間を飛び交う宇宙線(高いエネルギーを帯びた超微粒子)を捉え、艦内エネルギーに変換するシステムも持つ。
 したがって一旦出航すれば何年も航行し続けることが可能である。だがそれではいくら艦内設備が充実していても乗組員はストレスが溜まり士気にも影響する。第一、艦体そのものの点検も満足には出来ない。

 そこでリンデンマルス号は年1回宙空ドックに入港し艦体の総点検が実施される。
 この宙空ドックは、その重力制御システムに何らかの異常が起き地上に降下出来ない艦艇を修理するためのもので、各方面司令部本部および主な艦隊駐留基地がある惑星には必ず設けられており、惑星上空の高度100万mを周回している。ただしリンデンマルス号は規格外の大きさのため、他のドックを流用することが出来ず、したがって専用のものが用意されている。ただし予算の関係上、各方面司令部の全てへの設置は見送られ、第三と、第七方面司令部にだけ設けられている。
 この第三方面司令部の宙空ドックは、リンデンマルス号を建造した船渠(せんきょ)を改造したもので、第七方面司令部上空のものに比べて設備は格段に充実している。
 だがリンデンマルス号の作戦行動の大半は第六、第七方面司令部管内になるため、定期検査のための入港も、したがって第七方面司令部の宙空ドックがほとんどで、第三方面司令部のドックに入港するのは大掛かりな改修作業が必要な時だけである。

 またドック入りの際、全乗組員は地上に降り、方面司令部付属総合病院で精密検査を受け健康状態をチェックされる。もちろん艦内病院においても定期健診は行われているが、この地上病院での検査も不可欠のものとされている。
 これは辺境警備基地の駐在兵にも適用される規則であり、基地に大型の工作艦がやって来て点検作業を行い、その時駐在兵はまるごと入れ替えられるのが普通である。


 宇宙空間は人類にとって厳しい環境である。というよりも本来人間は地上の生物であって、宇宙 ― これは水中でも同様だが ― で生存するには地上の環境をそこまで持ち込まなければならない。そうして惑星上の分厚い大気に守られた環境を宇宙で再現するには人類はいまだ力不足であり、人体に有害な宇宙線に晒され続けている宇宙艦艇は、もちろん内壁にも外壁にもこれを遮断する措置が施されているし、またプロテクトスーツという直接身につけて人体を保護するアンダーウェアも着こんでいる。それでも万全とは言えない状況がある。
 またワープ航法が人体に与える影響も軽視出来るものではない。ワープとは結局、超強力な重力を発生させて時空を歪め、現在地点と目的地点を重ね合わせるというものである。その発生させた重力そのもので艦が押しつぶされないように様々な保護機能が働くが、それでも人体に全く影響なしとはいかない。
 それ故艦艇勤務の者の健康状態は常にチェックされる必要があるとされているのであり、ドック入りの大きな目的の一つとされているのである。

 またこの地上降下時に溜まっている有給休暇を消化する。
 軍人とはいえ公務員。その処遇は人事監督院の監査対象である。確かに軍隊は特殊な組織であるが、それを理由に「労働者」の権利を無視してはならない、というありがたいお達しの故に、地上に降りた際に有給休暇を半ば強制的に取らされるのである。
 これらの事由から、乗組員の年1回の地上への降下は義務となっているのである。


 ところが前回、すなわちおよそ3ヶ月前のドック入りの際、地上の軍病院でリンデンマルス号の乗組員全員が受けた健康診断において、艦内の検査ではそれまで問題なかった艦長の検査結果に異常が見られ、急遽再検査となった。
 もちろん艦内医療検査機器の故障も疑われ、こちらの重点点検も合わせて実施された。結果、艦内設備に異常はなく、艦長は急性宇宙線症候群と診断され地上勤務への配置転換を余儀なくされたのである。

 定期的な健康診断が行われているとともに宇宙艦艇及び基地勤務の者には定年制度も設けられている。これは前述の人体に対する影響を鑑みての措置であり、45歳になると地上勤務へ配置転換(軍そのものを除隊させられるというものではない)させられることになっているのである。
 ところが急性宇宙線症候群と診断された艦長はこの時まだ41歳、定年まで4年もあった。それ故後任には全く目星をつけていなかった中央総司令部人事部は、後任人事を急ぐ必要に迫られた。
 だがこれが非常に難航した。

 後方支援を主目的とした改修のため、多くの兵装が減らされたリンデンマルス号であるが、それでも現状、半個艦隊に十分対応出来る戦闘能力を有しているため、リンデンマルス号の艦長は大佐相当職とされていた。
 ところでイステラ連邦宇宙軍の宇宙艦隊での大佐相当職は「通常艦隊司令」もしくはより大きな規模の艦隊「旅団または師団」の幕僚であり、士官学校卒業のエリート士官にとって一つの目標であった。
 それからするといかに高い戦闘能力を持つとはいえたった一隻、しかもその主任務は後方支援では、進んで艦長になりたいと思う大佐などいなかった。
 大佐ともなれば軍組織において非常に重要な位置におり有能な人物が多い。しかも宇宙勤務だから年齢制限があり若い方がいいという制約がある。したがって各方面司令部においても簡単に手放せる存在ではないから、後任者の選出には非協力的で何かと理由をつけては断ったのである。
 もちろん人事異動も命令である以上有無をいわさずに従わせることは不可能ではない。だが現状では強制しても当人が納得せずに退役するという可能性があって、無理強いは事実上不可能であった。

 宇宙船を有するのは何も軍だけではなく民間の運輸会社もあり、旅客、貨物の定期路線を持つところも数多く存在した。これら運輸会社も大手であれば自前で乗組員、すなわち船長や航法士、機関士を育成出来ていた。ところが中小となると客室乗務員は育てられても、航法士や機関士となるとお手上げだった。育成するための施設・設備の整備に莫大な資本が必要であり、それ以上に教官の確保が難しかったのである。
 そこで中小の運輸会社は高給を以って退役軍人を雇い入れていたのである。

 軍の宇宙勤務には45歳定年制があるが、民間にはそういう規定はない。これは法律で定められたものではなく、あくまでも軍による人的資源の損耗を軽減するための独自の措置であった。
 45歳ともなれば軍役に少なくとも20年は就いている。すなわち退役後には軍人恩給が受け取れる。年金は一定年齢にならなければ受け取れないし、その年齢に達しても他に収入があると支給額を減らされたり、最悪の場合支給が止められてしまう。
 ところが軍人恩給にはそういう制限がなかった。したがって民間に転職しても給与を受け取りつつ恩給も貰うということが可能だったのである。
 これは軍人以外からは随分と不公平な制度と見做され反発を受けているが、強い政治的発言力を持つ退役軍人会と、政治家に身を転じた退役軍人が自分達の既得権益を死守するために様々な活動を行い一向に改められる気配はない。

 民間の定期航路の船長というのは軍人、特に艦体司令まで務めた人間にとっては退屈なものである。だが望まぬ地上勤務に甘んじるよりも、恩給と給与という2つの収入を得ながら宇宙船に乗り続けることが出来るというのは魅力的なことである。その故もあって軍人にとっては有力な再就職先の一つとなっていた。
 大体にしてまさに油の乗り切った世代であるから、45歳定年制を素直に受け入れられない者は軍隊内に少なからず存在した。
 それにいわゆる「宇宙船乗り」と揶揄される連中は、地上で生活するよりも宇宙船内で暮らすことを好むという輩だった。この手合いは逆に45歳になると進んで退役し民間の運輸会社に職を求めるのだった。
 それがあるから本人の意向を無視した人事異動は即退役につながりかねない。それもあって人事部では一方的な配置転換が出来ないのであった。
 だがそうは言っても後任艦長は出来るだけ早く決定しなければならない。


 リンデンマルス号は直接地上に降下出来ないため、宙空ドックと地上との間をシャトルを使って行き来しなければならない。
 リンデンマルス号の全乗組員の総数は3000名を超える。ところで第七方面司令部の宙空ドックには大型の輸送船は接舷出来ない。したがって輸送船を使って1度に大量の人員を運ぼうとすると、乗組員は宇宙遊泳で本艦から輸送船へ移らなければならない。それは非現実的であるから、結局小型シャトルか輸送機で行き来することになる。となると当然複数のシャトルを何回も往復させなければならない。順番待ちをしなければならない分時間も掛かる。

 ところが艦長の後任人事が遅れたため、乗組員は一旦は予定通りに艦に戻ったにも関わらず再度下船を命じられた。
 艦内に人間がいるとなると空調、照明、厨房に食堂、汚物処理システムから人工重力発生装置まで作動させなければならない。当然制御用の各種コンピュータにそれを一元管理する主コンピュータもである。要するに艦のメインシステムを通常通り起動させる必要があるということである。
 ところでリンデンマルス号のエネルギー供給は外壁パネルからの宇宙線取り込みである。これが宙空ドック内では十分に行えない。ということは艦はエネルギー不足気味の不安定な状態で惑星上空に留まっているという事態が起きる。もちろんすぐに何かが起きるということはないが、惑星上空を周回するドック内でメインシステムを稼働させ、それで万が一のことが起きたら最悪の場合、係留しているドックごと地上へ墜落するという可能性もあるということを意味する。それ故再度の総員下船命令が発令されたのである。

 艦長交代は予定外の突発的出来事であった。艦長が健康上の理由でその職に居続けることが不可能となったのである。理由が理由だけにある意味仕方がないと乗組員達も諦めざるを得ない。明日は我が身、ということもあるからである。だがそうは言っても一方ではいい面の皮である。地上に降りても待機が基本、休暇を取って遊びに行くなどということは出来ない。結局「まだか、まだか」と焦らされつつ待つよりはなかったのである。


 そうして、本来の出航予定から遅れること1ヶ月、ようやく新任の艦長が決定・着任し、リンデンマルス号は本来の任務に戻ったのである。
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