遥かなる星々の彼方で
R-15

第12話 ジムを後にして

 ジムでのトレーニングを切り上げたコスタンティアはロッカールームへと向かった。
 ジムは男女共用で、士官用と兵士用とにも分かれていない。一箇所だけである。したがってロッカールームはもちろん男女別だがそれぞれ階級にかかわらず同じ所を使う。
 各人の利用時間は時間帯ごとという区切りではなく5分刻みで1時間ずつとなっている。これはロッカールームの混雑緩和のための措置である。
 ロッカールームはロッカーが30人分、そうして温水シャワーが6ブースある。
 フィットネスマシンがあるということもさることながら、この温水シャワーがジムの人気の秘密だった。

 いくら人工重力発生装置によって艦内重力が1Gに保たれているからといって、湯を張った浴槽を持つ大浴場などというものは艦内にはない。また艦内各居住区にもシャワーはある。だが居住区内のシャワーは流水タイプではなくミストタイプである。
 居住区の部屋は、佐官が1人部屋、尉官が2人部屋、下士官が4人部屋、そうして兵士は6~10人部屋である。そのうち部屋にシャワーがついているのは艦長室とゲストルームだけ。このゲストルームは政府高官や将官などの高級士官が乗船した際に利用するもので艦内には合計4部屋しかない。すなわち通常、艦長以外は全員、共同シャワーなのである。
 しかもミストタイプの上に利用時間は1人5分までとなっている。いくらないよりはマシと言っても、たったの5分では本当に汗を流すだけである。
 ところがジムのシャワーは温水の流水タイプで、しかも1人10分まで使えるのである。人気があるのも当然である。

 そもそも宇宙船内部において水は大変な貴重品である。リンデンマルス号の場合乗組員は3000人もいる。飲料水に限っただけでも1人1日1リットルとして1日に3トンの水が必要なのである。これが2リットルなら6トン。それ以外にも様々な場面で水は使用されるから膨大な量である。
 リンデンラルス号の外壁パネルは宇宙線を吸収しエネルギーとしている。この宇宙線はほとんどが水素原子核や電子である。したがってここから水素原子を作ることは不可能ではないが、ここから水を作ることは出来ない。酸素原子核がほとんどないからである。つまり定常的な外部からの補給は難しいということである。
 そこでリンデンマルス号は艦内に大量の液体酸素と液体水素を貯蔵している。これを化合させて水を作っているのである。したがってその貯蔵タンクは大型でしかも数が多い。
 リンデンマルス号が巨体なのはそういうことが大きく影響しているということもある。

 もちろんこれだけでなく汚水も浄化されて再利用している。
 リンデンマルス号の水浄化システムは汚水を飲料水として利用しても問題ない程にまで出来るという高い性能を持つ。しかしながらいくら浄化してあるとはいえ、元は誰かの汚物だった水を飲むなどとてもではないが出来ることではない。それだけで多大なストレスとなって勤務など出来なくなってしまう。
 そこで再生水は工業用水として利用される他、分解されて酸素と水素に分けて液体化し、対艦弾道ミサイルや一部の艦載機のロケット燃料に使われている。
 したがってジムの温水シャワーがいかに貴重なものかがわかるだろう。


 コスタンティアがロッカールームに入ると、シャワーの利用も終わり服を着ている者、これからジムを利用するために着替えている者などまちまちで10人近い姿があった。そこに2人、シャワーの順番待ちをしている女性兵士がいた。2人は、おそらくは下の階級の者なのだろう、コスタンティアを見て順番を譲ろうとしたがそれは断ったコスタンティアである。

「気持ちは嬉しいけど、それじゃあ階級を傘に我が物顔で振る舞ったみたいじゃない。ちゃんと順番を待つからどうぞお先に」

 コスタンティアは笑顔でそう言ったのだった。
 温水シャワーの利用時間は僅かに10分。それを最大限有効に使おうというのだろう、2人とも順番待ちの間に全て、プロテクトスーツまで脱いでいた。
 だがこれはこの2人に限ったことではなく、もちろん異性の目がないからということはあるだろうが、決して珍しいことではない。今まで何度も全裸で順番待ちをしている女性兵士を見てきている。もちろん利用者全員がそうではないし、生まれながらのお嬢様であるコスタンティアにも無理なことだった。

 プロテクトスーツの上にタンクトップとショートパンツという、服を着たたままの状態でシャワブースに入り中で脱ぐ。
 シャワーブース内の正面にはガラス製のハッチがあり、それを開けると脱いだ服をハンガーに釣り下げていく。これはランドリーシステムで、こうしておけば自動的に洗浄・乾燥・滅菌が行われ、シャワーを終える頃にはさっぱりとした状態で身に着けられるという具合である。

 ちなみにプロテクトスーツは素肌に直接着るものなので、何日も着続けるということには多くの人間が抵抗を感じている。
 洗濯に関して言うならば、ジムのシャワー内のランドリーユニットのみならず、居住区には備え付けのランドリーマシンもあるので順番待ちさえ我慢すれば問題はない。だが、とにかく脱ぐにも着るにも時間が掛かる上、尉官以下は基本的に同室の人間がいるので色々と気を使う。それで毎日着替えるというのは中々面倒なものである。

 それはともかく、シャワー後、本当であればシャワーブース内で全部もしくはせめてプロテクトスーツだけでも着たいと思うコスタンティアだが、プロテクトスーツは脱ぐ以上に着るのに時間が掛かる。やはり時間いっぱいシャワーを使いたいと思うため、どうしても着る前に時間が来てしまう。
 そこでバスタオル1枚巻いただけの姿でブースを出ることになってしまうのだが、それを見るロッカールーム内の女性乗組員達は、同性であるにもかかわらず何故か頬を赤らめ、眩しい物でも見るかのように目を細めてしまうのである。
 そうしてシャワーを終えたコスタンティアはロッカー前のベンチに腰掛け、自分を見つめる多くの視線に耐えながらプロテクトスーツを身に着け軍服を着こむ。ただいつもプロテクトスーツを着る時、どうも胸を強調しすぎているのでは、と思ってしまう。
 確かにバストラインやウェストラインを綺麗に見せてくれるのはありがたいが、どうも男性に媚びているかのようで嫌だった。ただ聞くところによると女性デザイナーが女性兵士の意見を多数取り入れて開発されたものという。確かにこれを着用していなかった広報部時代よりも今のほうがプロポーションは良くなっているような気もするのは確かだが。いずれにせよ規則だから着ない訳にはいかない。だから黙々と着る。勤務時間外だからスカーフは巻かず、私物を持ってジムを後にした。

 ジムはレベル0のかなり艦首よりに配されている。最先端は艦首レーダー、艦首側の防御シールドやエネルギー中和シールドの発生装置が設置されているのでその後ろになる。またここにはライブラリやシアターもあるので、いわゆる福利厚生・娯楽施設区である。
 ここから自室に戻るには一度レベルマイナス2まで下りて中央通路を艦尾側まで歩いて行くのが面倒がない。艦橋部分の下層階は迷路のように通路が複雑だからである。

 コスタンティアの自室は第23居住区で、3P2S11というところにある。これはレベル3の中心線より左舷側に2ブロック、艦尾側に11ブロックということである。この辺りは細かい居住区や設備が多くて通路がかなり入り組んでいる。

 ちなみに艦内の各所はこのように全て表示される。これでいくとジムは00B48、つまりレベル0、中央(0)、艦首側48ブロックということである。
 すなわち艦首から艦尾を結ぶ中心線と両舷の最も広いところを結ぶ線、この交点を原点とし、これより上(通常は「プラス」とわざわざ言わない)か(マイナス)か、( Starboard)(Port)か、(Bow)後ろ(Stern)かで表すのである。


 ジムを出るとすぐエレベーターホールがある。
 自室に真っ直ぐ、簡単に向かうならエレベーターでレベルマイナス2に降りて中央通路を使う一択である。だが第1種配備の間は中央通路はジョギングをする兵が多く、また陸戦部が格闘術の訓練をしていることも多い。そこにシャワーを浴びてさっぱりした姿で歩くのは気が引けた。ジムは中々利用出来ないからである。
 もっともそれは皆同じことなのだからそこまで気を使う必要もないのだが、そういう意味ではコスタンティアも色々と気苦労の多い人である。

 そこでそのまま通路を艦尾に向かって歩き出した。エレベーターホールを挟んで反対側は艦内病院である。
 艦内病院はかなり大きなブロックである。診察室は軍医3名が3交代で診察をするので1つしかないが、検査機器が多数設置されている。しかもそれぞれの機械が発するノイズ(電磁波など)を遮断するため検査機器ごとに部屋が分かれている。それ以外にも兵から採取した血液や尿などの分析室、手術室ももちろんある。
 それと死体安置室 ― 文字通り戦闘や事故、急病などで艦内で死亡した兵士の死体を安置するところである ― もかなりのスペースが取られている。

 艦内で死亡した場合の兵士の死体の取り扱いは基本的に3種類である。
 1は検体。これは医学の発展に寄与する、という名目のもとに、生前の意志に基いて行われる。ただし「医学の発展に寄与する」というのは、要するに士官学校医科候補生の解剖実習に己の遺体を提供するということで、そのため最寄りの士官学校まで届けられるのである。

 次は昔ながらの埋葬。遺体を惑星の土中に埋葬するというものである。
 但し「どこそこの惑星に」という希望は認めてもらえない。リンデンマルス号の場合、中央総司令部所属なので惑星トニエスティエの軍の共同墓地である。そこに火葬され専用の木箱に骨を納められて埋葬されるのである。これは埋葬スペースの節約という理由からである。

 そうして最後が宇宙葬。遺体をカプセルに収め宇宙に放つというものである。これは一番多くありそうだが、すんなりとすぐには行われない。というのはこれを故人の勤務した艦で直ぐ行うと遺族は葬儀にも立ち会えない。遺族にしてみれば大切な家族、または恋人の遺体にも会えず葬儀にも立ち会えず、でやりきれない。クレームが来るのである。
 そこで司令部の儀典局が派遣する専用船に遺体を移しそこで葬儀を行い宇宙に流すのである。
 いずれの場合でも遺体は冷凍保存しておく必要がある。そのための場所ということであって、それらを含め艦内病院はかなりのスペースを専有しているのである。

 その病院の壁の掲示板に「妊娠検査を受けましょう」という映像が映し出されているがいつものことである。それを横目に見ながらコスタンティアは歩いて行く。
 リンデンマルス号の乗組員の総数はおよそ3000人、その男女比はおよそ6対4である。
 これは他の艦艇に比べると遥かに女性の比率が高い。しかも20歳そこそこから40歳以下がほとんどである。つまりすることをすればその可能性のある者がほとんどということである。
 艦内では恋愛や性行為は禁止されていない。というよりも出来ない。そんなことをすればたちまち裁判沙汰になる。ところで艦内のPX(購買部)では避妊具も避妊薬も販売されていない。それは禁止はしないが暗にするなという軍の意向の現れである。

 だがそこは若い男女、そういう行為に及ぶ者もある。その際、軍は特に女性の妊娠には神経を尖らせている。それは宇宙艦艇勤務の女性には流産、早産、もしくは胎児に奇形が多いからであり、宇宙線やワープの影響とされている。したがって妊娠がわかった場合、女性は直ちに地上勤務に異動させられるのである。
 それがあって艦内病院は女性兵士の定期的な妊娠検査を呼びかけている。ただし身に覚えのない者には全く関係ない話だから、コスタンティアも1度も受けていない。

 ところでリンデンマルス号は女性乗組員が多いということもあって、3人の軍医の内1人は女医が配属されている。いくら医者とはいえ、やはり異性には相談しにくいということもあるからである。ただしおよそ1200人の女性兵士を一人で観るというのは大変だし、そもそもシャスターニスは脳神経外科が専門、畑違いである。実は二人いる男性軍医の1人が元々産婦人科医で ― 艦内では産科は必要ないがこの2つはセットのようなものなので致し方無い ― 一応女性に配慮した形にはなっている。
 だがこれは本来女性の産婦人科医でないと意味のない話なのだが、どうも司令部の人事部の仕事はこういうところが片手落ちだと思わざるをえないコスタンティアである。


 途中第1食堂やPXを通るが、寄り道する予定はなく真っ直ぐ自室に向かうつもりである。
 そもそも食堂の指定利用時間ではないし、作戦部のコスタンティアは第2を指定される方が多い。その方が近いからである。したがって第1食堂には足を踏み入れたのも数えるほどである。

 PXは軍服、プロテクトスーツ、靴下にブーツ、タオル類に歯ブラシ、女性には生理用品といった様々な支給品を受け取るところである。
 それ以外にも個人消費目的の物品、例えばレトルト食品やミネラルウォーター(これはかなり高額)に化粧品の購入や、在庫のないものでも取り寄せるということが可能である。ただしこれは事前に注文しておいて寄港の際に納品されるのを後で受け取るというものである。リンデンマルス号の場合、年に1回しか寄港しないし、その時自分で店へ行って自ら購入すれば済むことなのでこのシステムを利用する者は皆無である。

 また艦外とのメール送受信はここでしか行えない。貸与されている情報端末は艦内ネットワークにのみつながっており、外部と直接通信することは出来ないからで、機密漏洩を防ぐ目的からそのようになっているのでである。
 リンデンマルス号は基本的に毎日〇〇〇〇(マルマルマルマル)(0時)に定時連絡を行う。これは完全に任務に関することだけだが、それとは別に日曜日の〇一〇〇(マルヒトマルマル)(1時)には福利厚生等に関するデータ通信を総司令部と行う。この時に乗組員のメール送受信を行うのである。
 またこの時には最新のデジタルコンテンツの受信も行う。こちらは1ヶ月後にはライブラリで無料レンタル出来るが、それまで待てないという者はPXで購入も出来るのである。
 このように各員にとって最も利用頻度の高い施設がPXである。


 コスタンティアはいつも上陸の際に自分の欲しいものは自分で用意する。例えば好みのブランドの紅茶、化粧品、フェイスタオルやバスタオル(軍支給のものは風合いが悪く好きになれない)などである。大学を飛び級で卒業し士官学校に入った時から実家とは絶縁状態であるからメールのやり取りもない。したがって普段から余りPXを利用することはない。精々食堂メニューに嫌いなピーマンを使ったものがある時くらいである。そこで今日も素通りするつもりだった。


 だがPXから聞き覚えのある声が聞こえたため、つい立ち止まり物陰に身を隠してしまった。

「やあ、レック」

 それは艦長レイナートの声だった。
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