遥かなる星々の彼方で
R-15

第16話 第1級緊急支援要請


TY型辺境警備基地

 照明を落とした展望室の一角で二人の士官がチェスに興じていた。共に戦術部の、航空科長アロン・シャーキン少佐と砲雷科長エネシエル・ヌエンティ少佐である。

 チェスそのものは古くからあるゲームである。ひところは人間対コンピュータの戦いが取り沙汰されたこともある。だが、ゲームの本来の目的は娯楽であるから「コンピュータに娯楽がわかるのか」「ただ勝てばいいというものではない」という意見から、コンピュータとの対決はすっかり廃れてしまった。しかしながら人間同士の対戦は廃れることはなく逆に益々盛んとも言える状況である。


「それで、結局わかったことといえば、開拓農民の息子で優秀で、でも大学はいかず予備校経由で任官したってことだけか……」

「まあそういうことだな……」

 エネシエルの問にアロンが答えた。

 アロンは長身で明るい金髪に碧い目、鼻筋は通り唇は薄い。女性が騒ぎそうな美男子である一方で軽薄そうな雰囲気も併せ持っている。もっともそう見えるだけで実際には女性に手当たり次第手を出すということもなく、かえってそれが女性達に人気である。ただ口の悪さは天下一品で、時には上官に対してもそうであるから中々少佐から上に上がれていない。
 ただ本人はそれを気にすることもなく至って呑気に過ごしている。

 一方のエネシエルは、濃い栗色の髪に白い肌。特別美男子という訳ではない平凡な容姿である。こちらもアロンに輪をかけて口が悪く辛辣、しかもぶっきら棒で無愛想。はっきり言って女性兵士の評判はすこぶる良くない部類の男である。
 向かいに座っているアロンはエネシエルと士官学校の同期である。アロンが休暇を利用してエネシエルの実家を訪れた時にその妹と知り合い交際を始めその後めでたくゴールインした。つまり2人は義兄弟であり、アロンは現在リンデンマルス号に単身赴任中である。そういうこともあって二人の付き合いは長い。

「それじゃあ何もわからんじゃないか」

 先程から盤面を見つめたままでエネシエルが言う。

「まあな。もっとも話を聞いたのがドリニッチの野郎だからってこともないだろう。元々最高機密なんだし……」

「結局我らが艦長様の過去は霧の中ってことかよ……」

「そうだ。
 よし、チェックメイト」

 エネシエルが顔を上げてアロンを睨みつける。

「何、おい待て」

「バカ言え、待てるか」

「つまらねえ野郎だな」

「何言ってやがる」

 またいつもの通り揉め出した2人であるが、まあこれはじゃれ合っているというか一種のガス抜きのようなものである。大の大人がじゃれ合うというのも傍で見ていると中々気色悪いものだが。

「まあ、謎の人物だが、『出来る』奴だってことには疑いはなさそうだな」

 ひとしきり「待て」「待たない」とあれこれ言い合った後、アロンはボソリとそう言った。エネシエルもそれに頷いた。

「確かに。前の艦長はよくも悪くも『良きに計らえ』だったからな。その点今度の艦長は黙って座ってるだけでなく言うべき時にはきちんと言うしな。
 まあ若いんだし、そうでなくっちゃ困るが」

「まったくだ」

 そう言いながら2人は再びチェスの駒を並べ直したのである。


 多くの乗組員の興味を引いた第470期同期会は、結局のところ、その後すぐに散会となってしまったのだった。レイナートが姿を消したことで場が白けたのである。その後は変わらぬ日常に戻り、アロンやエネシエルの言う通り、相変わらず新任艦長レイナート・フォージュ大佐については未だに謎ばかりであった。

 レイナートの着任後3ヶ月が過ぎようとしていた。その間リンデンマルス号は8回の支援業務をこなしている。これは支援先の辺境警備基地の距離が離れているため決して少ない数ではない。特に途中で緊急の第1級支援要請が入ったことからすれば十分な数字と言えるだろう。

 その支援要請はCシフトの時に入った。艦長のレイナートも自室で就寝中であった。枕元に置いた情報端末のアラームが鳴りディスプレイが点滅した。

 レイナートはゴソゴソと手を伸ばし端末を掴む。

「どうしました? 何か緊急事態の案件……」

『艦長、第六方面司令部管内の警備基地TY-358より第1級支援要請です!』

「何!?」

 レイナートがガバリと身を起こした。端末には船務科の当直士官の顔が映っている。

『小型の小天体が接近中、回避も迎撃も不可能とのことです』

「直ぐ行く!」

 レイナートは飛び起きるとハンガーからスラックスを引き抜いて大急ぎで穿く。パジャマを着ないでプロテクトスーツのまま寝ているから軍服は直ぐに身に着けられる。そうしてベッドに腰掛け靴下を履くとショートブーツに脚を突っ込んで、上着とスカーフと端末を持って部屋を飛び出した。
 艦長室の出入口前で歩哨に立っていた陸戦部の兵士が驚きの声を上げる。

「艦長……」

「直ぐにMB(主艦橋)へ向かう!」

 そう言って足早に歩き出す。

「君、持ってくれ」

 そう言ってレイナートは上着とスカーフを背後の兵士に預け、自分は端末を持ったまま歩き出しディスプレイの士官に話し掛ける。

「小天体の大きさは?」

『長径約1km、短径約600m、推定質量約1億トンとのことです』

「そんなのがぶつかったらYクラスの基地では一溜まりもないな……。それにしてもちゃんと観測をしていなかったのかな? 回避も迎撃も不可能って、どうして発見が遅れたんだ?」

 いつもの穏やかでバカ丁寧な口調とは異なるレイナートの言葉にも士官は落ち着いて答える。

『それが、ずっと捕捉はしていたようですが急に進路を変えたようです』

 そこでレイナートらはエレベーターに乗り込んだ。エレベーター内でも会話を続ける。

「急に進路を変えた? まさか周辺に観測されていないブラックホールでもあったのかな? それともガスでも吹き出したのか? どちらも考えにくいことだが……」

 独り言のように言って首を捻っているうちにエレベーターがMBのある最上階、レベル12に到着した。

「艦長は主艦橋へ」

 警備兵の声とともにレイナートがMBに入る。艦長席には着かずそのままOC3(作戦室)のフロアに向かった。
 OC3はそのフロアの中心に大きなテーブル状の台がありその天板は3次元ディスプレイを兼ねる。そこに立体星間図上のリンデンマルス号とTY-358とそこへ接近する小天体のイメージが投影されている。

「そのTY-358と小天体の衝突予想時刻、並びに本艦との距離は?」

 レイナートはその場の作戦部の当直士官に尋ねた。

「小天体と基地の衝突予想はおよそ36時間後。本艦とはおよそ1000光年離れています」

 当直士官が報告する。

「1000光年? ギリギリだな」

 レイナートが顔をしかめた。


 リンデンマルス号の最大ワープ能力は300光年。通常は24時間で3回、1日に900光年を跳ぶ。緊急時は1日4回で1200光年も跳ぶから、36時間で1000光年は一見不可能な数字ではない。但しそれはあくまで数字上のことである。

 ワープとはつまるところ、強力な重力を発生させて時空を歪め、現在地点と目的地点を結びつける、もしくは重ね合わせてその場に至るというものである。この技術なくして現在の宇宙開発は全く成り立たない。このために通称「ワープエンジン」と呼ばれる重力場形成装置が、小型の警備艇などを除いて、どの宇宙艦船 ― 民間の客船や貨物船 ― にも搭載されている。

 ところでワープを行う上で最も重要なこと、それは目的地点の安全確認である。跳んだ先が事象の地平線(ブラックホール)の中だったとか、灼熱の恒星間近もしくは最悪内部だった、などということはもちろん、ワープアウト直後に高速の飛来物との衝突というような事態が起きないように事前の観測は不可欠である。そのために超光速亜空間通信システムを応用した観測システムで目的地点の観測を行う。この観測作業なくしてワープはありえない。
 300光年先ということは光の速さで300年掛かる距離ということである。したがって光学望遠鏡や電波望遠鏡などによる観測では、見えるものが300年前の過去の姿でしかないから役に立たない。
 そうしてこの超光速亜空間観測システムの場合、広範囲の観測には時間が掛かる。短時間で手早く、という訳にはいかないのである。したがって第2級、第3級の支援活動はじっくりと時間を掛けて綿密な調査が行えるが、第1級の場合まさに時間との戦いになる。

 そうしてワープにおいて目標地点と到達地点の間には必ず何らかの誤差が発生する。それは300光年のワープで平均およそ半径100kmほどの範囲である。
 この半径100kmというズレは人間からすれば誤差などでは済ませられない、許容しがたい大きなものと思われがちである。だが1光年がおよそ9兆5千億km、300光年は2850兆kmである。それほどの遠方にわずか100kmの誤差で到達出来るのであるから許すも何もない、途轍もない程正確な精度と言えるだろう。

 広大な宇宙空間にあって、全長1kmのリンデンマルス号の大きさは微々たるもの、と言うより無に等しき大きさである。だが全長1kmという大きさはやはり現実に存在するものであって無視出来るものではない。そうしてワープというのはこの大きさの物体が半径およそ100kmの範囲に忽然と姿を表すということである。
 したがって天体などの大規模なものはもちろんのこと、隕石やデブリなど艦体に被害を与えうる物体の目的地点における有無は艦にとって致命的な問題となり得る。故に事前観測作業は不可欠で、最低でも500km四方の範囲を観測し、問題のないことを確認してからその目標地点に跳ぶのである。
 そうしてその確認作業は船務部の観測班の専任業務である。通常、ワープの間隔は8時間毎であるからその間、作戦部の立案した行動計画に基づく目標地点周囲の観測をし続け、実際にワープが行われているのである。

 そうしてもちろん行動計画に基づいた目標地点が観測の結果ワープに向かないということもある。その場合にはその場所を避けるのは当然である。だがそれが広い範囲である場合、迂回する分移動距離が長くなるし確認作業にも余計に時間が掛かる。したがって36時間で1000光年を行くというのは決して時間的に余裕があるとは言えないのである。
 ちなみに作戦部の通常の行動計画もこの点を十分に考慮したもので多少の航路変更を余儀なくされても、タイムリミットに間に合わなくなるという事のないように立案されているのである。


 その時作戦部、船務部、戦術部の各部長がレイナートのところへ集まってきた。いまだ艦内は第1種配備のままだが、このような緊急時は先の各部長と次席はMBに集合することになっている。
 レイナートはそれを横目で見ながら話を続けた。

「航路は?」

「既にいくつか候補を作っています」

 船務部の士官が答えた。行動計画は作戦部が立案するがその具体的な部分は各部の領分である。

「よろしい。では航路上の安全確認を直ちに進めて下さい」

「了解しました」

 士官はそう答えてIAC(情報解析室)に戻った。

 レイナートはクレリオルに向き直ると言った。

「副長、全艦第3種配備。直ちにワープ準備。安全確認が取れ次第ワープする」

「了解」

 クレリオルが目配せすると別の船務部の士官がコンソールの警報ボタンを押して集音器に向かって言う。

「総員、第3種配備。ワープ準備に取り掛かれ。繰り返す。総員、第3種配備……」

 MBはもちろん艦内全体が騒然とした。


 そこでレイナートは警護役の陸戦兵からスカーフを渡された。

「ああ、そうか。済まない」

 そう言ってスカーフを受け取り首に巻き、それが済むと上着に袖を通しつつ艦長席に向かった。
 席に着いたところで作戦部長席のクレリオルに再び声を掛けた。

「副長、管理部に通達。艦内全食料備蓄の内、簡易携帯(レトルトパウチ)食を総員に2食分ずつ配布せよ。その使用に関しては現場判断に任せるものとする。
 同じく技術部に通達。通常空間航行時の艦内工場での生産はその簡易携帯食を最優先とすること。以上」

「了解しました」

 クレリオルがコンソールに向き直り艦長命令を伝達する。
 そこでレイナートは船務部長に命じた。

「船務部長、ワープ目標地点の安全確認は半径150kmに限定して行うこと。安全の確保は最優先だが、遅れてしまっては本末転倒だ」

「了解。ですが……」

「構わない」

 そこでレイナートは続けざまに戦術部長に声を掛けた。

「戦術部長、全発射導管に対艦弾道ミサイル装填、燃料も注入せよ」

「はい」

「さらに陸戦隊は全員、強化外装甲を着用。武器は高周波ブレードに77口径マグナム拳銃のみでいい。邪魔になる小銃や軽機関砲は必要ない。その装備で艦内主要設備の警戒に付くこと」

「了解しました」

 そこでレイナートは全員に向かって言った。

「総員、あらゆる事態を想定し万全の体制を取ること。
 そうしてTY-358の救助を必ず成功させる。各自、奮励努力せよ」

「了解」

 フロアの全員が声を揃えて答えたのだった。
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