遥かなる星々の彼方で
R-15

第20話 不機嫌の理由

 それは、惑星ロッセルテでの補給と特別休暇も終わり、新たな行動計画の策定も済み、再び辺境警備基地への補給支援業務に戻ろうという矢先の事だった。

 イステラ連邦の主星・惑星トニエスティエの自転周期に合わせた艦内時計のCST(宇宙標準時)〇二三一(マルフタサンヒト) (2時31分)、就寝中のレイナートは MB(主艦橋)の当直士官に叩き起こされた。

『艦長、中央総司令部シュピトゥルス提督より緊急通信です!』

「何? また第1級の緊急支援要請ですか?」

『いいえ、そうではないようですが……』

「では、一体何だろう?」

『提督は何も仰らず、「ただ艦長に繋げ」と……」

「わかった。執務室の方で取ります。繋いで下さい」

 そう言うとレイナートはベッドから抜け出し、プロテクトスーツの上に軍服の上着だけ羽織って隣室のデスクに座った。
 相手の姿が見える映像通信だが、座ってしまえば下半身は見えない。だからいささか手を抜いたのである。もっとも、本人にすれば上官を待たせるのは申し訳ないという、一応もっともな理由はあったが……。

「何でしょうか、提督」

『済まんな、こんな時間に』

「いえ、それはそちらも同じでしょうから……。それにしても随分遅くまで仕事をされてるのですね。お疲れ様です」

『ハハハ、気を使っていただいて恐縮だが、こちらも起こされた口だ……』

 そんな会話で始まったシュピトゥルス提督との通信だった。


 その日のAシフト、いつもの様に艦長席に座るレイナートだったが、普段は穏やかな表情でおとなしく座っているのだが、この時は明らかに様子がおかしかった。
 物思いに耽っている、というか、何かに気を取られ心ここにあらずという雰囲気で、しかもなんだかピリピリとしていた。

「……長、艦長……」

「何だ!」

 自分を呼びかける声に思わず大声で反応したレイナートに、声を掛けた若い女性下士官は身体をビクつかせ怯えていた。

「あ、済まない……、何かな?」

 自分の態度が無礼であったことにすぐに気づいたレイナートは頭を下げた。

「あ、いえ、コーヒーはいかがかと思いまして……」

「ああ、そう。ありがとう」

 何事かと一瞬騒然となりかけたが、直ぐにMB内は極めて静かになった。皆興味津々であることは間違いなかった。
 いつも穏やかな艦長が声を荒げた。それだけで何かあったことが窺い知れる。それはリンデンマルス号の運用責任者のシュピトゥルス提督からの、しかも真夜中の通信以来であることは明白だった。

―― 一体何があったのやら……。

 ひねくれ屋の砲雷科長エネシエルですらそうなのだから、一緒にロッセルテ駐留軍司令部に赴いたコスタンティアやクローデラはなおさらで、表面上は目の前のコンソールを見つめたままだが、全神経をレイナートに集中させていた。

―― 何か余程のことがあったようね。

 それが何かはさっぱりわからなかったけれども、相当深刻なことであることは容易く想像出来た。


 それからのレイナートは毎日勤務時間中は相変わらず難しい顔をしていた。そうして時間外になると艦長室に籠もり、食事にも出てこないことが多かった。
 艦長には専用の食堂と厨房が用意されている。これは艦長の食事はもちろんだが、艦長が招待した客 ― 多くは艦内の主要スタッフ ― との会食も出来る設えである。

 艦長を除く全乗組員が食堂の利用は管理部の指定するスケジュール通りであるのと異なり、艦長は毎日決まった時間に専用食堂で食事が出来るのにも関わらずである。見かねた管理部の士官が噛み付いて、ようやくレイナートが食堂に姿を現すというのも1度や2度ではなかったのである。


 そんなことが5日も続いた後のことである。
 今度はAシフトの途中で、中央総司令部のシュピトゥルス提督から再び超光速度亜空間通信による連絡があった。

「繋ぎます」

 船務部の通信士がそう言うと、MBの頭上のモニターにシュピトゥルス提督の顔が映った。
レイナートは起立して敬礼し、MBの他のスタッフもそれに倣った。

『ご苦労。ところで艦長、例の件が正式に決定された。したがって貴艦は直ちに行動に移ってくれ。座標ポイントと期日は別途暗号通信で今送っているところだ』

「決定ですか……」

『そうだ。不服か?』

「いえ。ただ現在進行中の計画が……」

『それは当然こちらから一報を入れておく。その次の行動計画についてもだ』

「了解しました。直ちに行動を開始します」

『そうしてくれ。間違っても期日には遅れてくれるなよ? 全イステラ連邦宇宙軍の恥になるからな。通信を終わる』

 そう言うとモニターが暗転した。
 レイナートはそれに敬礼を送り、敬礼から直ると小さく溜息を吐いた。それはまるでヤレヤレとでも言いたげなものだった。

「通信士、中央総司令部からの暗号通信は?」

 気を取り直してそう尋ねると通信士が答える。

「はい、届いております」

「こちらに回してくれ」

「はい……、ですがよろしいのですか? まだ解読されておりませんが……」

「構わない。というより私しか暗号キーを持ってないから、他の誰にも解読は出来ないと思う……」

 艦長と通信士の遣り取りにMBスタッフが眉をひそめた。一体どれほどの機密事項なのだろうか、と。

 このようなことはかつてなかったことであるから、MBスタッフはまたまた興味津々でレイナートを眺めている。だがレイナートは艦長席のコンソールに向かったまま、今まで以上に難しい顔をしていた。
 奇妙な静寂がMB内に漂う。

 やがて艦長席のコンソールで暗号通信を読み終えたレイナートは呟いた。

「当初予定通りか……。これなら変更の必要はないな。
 にしてもなんて言うスケジュールだ! 我々を殺す気か!」

 最後の方はまるでやけくそとも取れる口調でレイナートの口から物騒な言葉が飛び出し、MBスタッフは表情が険しくなった。
 いつまでも説明がないことについにしびれを切らしたクレリオルが、声を掛けようとしたところでレイナートが通信士に再び声を掛けた。

「通信士、艦内一斉放送の回線を開いて下さい。船務部長、警報を鳴らして下さい」

 言われた船務部長席の士官は要領を得ないまま警報ボタンを掌でぐいと押しこむ。誤作動防止のためかなり大ぶりのボタンである。
 艦内に警報が鳴り響く。その音を聞けば、たとえ爆睡中でも飛び起きろ、と言われるものである。

「全乗組員諸君、艦長です。
 本艦は現在、行動計画A-332を遂行中ですが、本日只今を以ってこれを破棄します」

 MB内がざわつく。突然現在の行動予定を変更するというのだから当然だろう。それは艦内全ての部署も同様だった。
 レイナートが続ける。

「その次に遂行予定のF-163も同様に破棄します」

 さすがにこれにはクレリオルも口を開いた。

「艦長、説明を……」

 副官である自分やMBスタッフにも一言の相談もなくでのことだから当然だろう。それを手で制してレイナートが続ける。

「本艦は新たな行動計画LF-001を発動します。戦術用コンピュータで当該ファイルを開き内容を確認して下さい」

 そこでレイナートは一旦言葉を切った。
 そうしてMBスタッフの視線を一身に集めながら続けた。

「本艦はこれより1万光年を2週間以内で踏破しなければなりません。これはかなり過酷な計画です。総員、心して掛って下さい。
 終了」

 そこでレイナートはさらに何か言いたげなクレリオルに言った。

「副長、直ちに各部長および次席級、いえ、主要スタッフ全員をブリーフィングルームに招集して下さい。勤務時間外の者もです。細かい説明をしたいと思います」

「了解しました……」

 狐につままれたような顔でクレリオルは答えたのだった。


 急な召集にもかかわらず主要スタッフはすぐにブリーフィングルームに集まっていた。それだけでなく一体どんな話が聞けるのかとヒソヒソと話をしていた。
 そこへ警護兵の声が響く。

「艦長はブリーフィングルームへ!」

「起立! 気を付け! 艦長に敬礼!」

 副長のクレリオルの号令とともに全員が立ち上がって敬礼した。それに敬礼を返すとレイナートが口を開いた。

「着席して下さい」

「着席!」

 全員が座るとレイナートは徐ろに説明を始める。

「さて先日、中央総司令部から説明のあった帝政アレルトメイア公国軍との士官交換派遣プログラムに関してですが、本艦にも1人アレルトメイア軍の士官が乗艦することになりました」

 微かなざわめきが起きた。
 中央総司令部から全イステラ連邦宇宙軍に対し、帝政アレルトメイア公国軍との友好を強化するため士官交換派遣プログラムを実施する、とアナウンスが有ったのはつい先日である。その時併せて公表された、そのプログラムを実施する基地や艦艇のリストにリンデンマルス号の名はなかった。そこで皆が他人事と捉えていたのであるから、急にそういう話になれば驚いて当然である。

「それは本艦からも誰かが派遣されるということでしょうか?」

 一同を代表してクレリオルが問う。

「いいえ」

 レイナートが首を振る。

「本艦からアレルトメイア軍に派遣される士官はいません」

「というと……」

「ええ。アレルトメイアの士官を受け入れるだけです。実際には幼年学校在学中の従卒も一緒とのことですが」

 ただそれだけであれば随分と大袈裟にすぎないか。誰もがそう思ったところでレイナートが続けた。

「本艦に派遣されてくるのは、アレルトメイア軍統合参謀本部の少佐です」

 ざわめきが起きた。
 アレルトメイア軍の統合参謀本部というのはイステラ軍で言えば中央総司令部統合作戦本部内の最高幕僚部に相当する。つまり軍の中枢中の中枢部門である。しかも佐官という高級将校である。一体どうしてそういう話になったのか、誰もが皆目検討もつかなかった。

「彼女は……、失礼、派遣されてくるのは女性で、しかもいわゆる貴族身分です」

 ざわめきが一層大きくなった。

「ご承知の通り、あの国には未だに貴族制という身分制度があります。そうして派遣されてくるのは公爵家ご令嬢の士官です」

 イステラ連邦は民主主義であり、身分制度なるものは存在しない。だが帝政アレルトメイア公国はその国名通り皇帝が国を支配し貴族が存在する。

「それ故、なのかどうかは知りませんが、本艦はその士官を出迎えに行くよう命令が下されました。それが直近の2つの行動計画を破棄した理由です」

「艦長」

「何でしょう?」

 クレリオルの問い掛けにレイナートが促す。

「その士官は、どのくらいの期間、本艦に乗艦するのでしょうか?」

「それに関しては特別指示を受けていません。したがって何時までとは答えられません」

「それは……」

 クレリオルは再び絶句した。
 両国の間で取り交わされた士官交換派遣プログラムは、基本的に期間を限ってのことである。まさか1週間や10日ということはないが、1ヶ月と1ヶ年では受け入れ側の対応がまるで違ってくる。

「士官派遣交換プログラムの趣旨は、両国の友好を深め、情報を共有化することでさらなる発展に寄与するというもの、というのは皆さんも承知していると思います。したがってアレルトメイアの士官は単なるお客さんではなく、一士官として本艦で任務に着くということになります」

 レイナートは一旦そこで言葉を切り一同を見回した。そうして保安部長に目を留めた。

「保安部長」

「何でしょうか?」

 保安部長のサイラ・レアリルス中佐は動ずることなくレイナートを見返している。

「他国の士官ということもあって艦内の機密保持について注意を払う必要があります。闇雲に全てを禁止すれば本来の目的に反するし大問題にもなりかねません。と言って自由にさせすぎる事も出来ません。その点に関しては保安部で対応を考えて下さい」

「了解しました」

 サイラは眉ひとつ動かさずに答えた。日頃から喜怒哀楽を見せないどころか、表情も変えないことから「鉄壁の無表情」と密かに影で言われている中年女性である。
 ちなみに保安部の権限は絶大で、万が一、たとえ艦長でも利敵行為を行った場合などはその職権を停止、逮捕・拘禁することまで許されている。すなわち保安部は軍組織の中における公安部と監察部の権限を併せ持っているに等しい。

「それと派遣されてくる士官は参謀本部付きということですから、基本的には作戦部に入ってもらうつもりです。その点に関しては作戦部は保安部と協議の上で対応して下さい」

「了解です」

「とにかく異分子を迎えるということになる訳ですから、今までとは勝手が変わってきます。その点について全乗組員の意識を徹底させて下さい」

 その場の全員が頷いた。

「さしあたってその士官を出迎えるポイントまで急行しなければなりません。先程も言いましたがかなり無理のある行動計画をこなさなければなりません。総員の注意を喚起し、事故などトラブルの発生がないようにして下さい」

「了解しました」

 再び一同を代表してクレリオルが答えた。

「当面の間、艦内は第3種配備が敷かれたままになります。その点に関しても各部では所属する兵の状態を把握し、問題が起きないようにして下さい」

 第3種配備が敷かれると福利厚生・娯楽施設の使用が原則禁止される。食事に関しても食堂ではなく簡易携帯食で済ませることになる。当然かなりストレスが溜まることは予想される。レイナートの懸念はそれである。


 レイナートの口調は相変わらず穏やかではあった。しかしその表情は相変わらず不機嫌なものにしか見えない。その場の誰もがそう感じているのだった。
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