コスタンティアとエメネリアが和やかに中食(第2食)を摂っている間、クローデラは小走りで
―― とんでもない失態だわ! 同席を求められて許可した本人が、時間がないからとその場で席を立つなど失礼にも程がある。 ―― あとで、キチンと謝らなければ! だが今は職場に戻るのが最優先である。 リンデンマルス号艦内は殊の外時間厳守にうるさいが、これは軍艦であれば当然のことだろう。軍艦内部は職場というだけでなく、多くの乗組員が共同で生活をする場であるから、一人の小さなわがままも多くの人間の迷惑となる。特にジムや食堂といった使用時間が細かく設定されている所では余計にである。 それでなくてもレイナートの着任後、突然行われた第4種配備で艦内非常時の緊急配備体制の不備が多数指摘された。 「わずか1分の遅れでも命取りになる」 そう言われれば誰も何も言い返せない。 確かに各シフト中、交代で食事に行くから全員が職場に揃っていることは少ないのが実情である。だが重要な部門に限らずあらゆる部署で交代は隙間なく行われている。自分が遅れれば他がそのとばっちりを食うのである。 まして だからクローデラは走ったのであった。 MBに至るエレベータに飛び乗り、もどかしそうに点滅する階層表示の数字を睨みつける。そうしてエレベータがMBに到着するとスタスタと降りてIACへ向かう。 「ゴメンナサイ、遅くなったわ」 クローデラが言うと情報解析士官席の同僚が笑顔で答えた。 「まだ1分少々ありますよ」 「ええ、そうね。でも、ほとんどギリギリでしょう?」 「真面目ですね、中尉は」 そう言って士官席の同僚が立ち上がった。 「それでは食事に行きます」 「ええ、どうぞ、ごゆっくり」 その答えに同僚は苦笑いしてエレベータに向かった。 今週のシフトではクローデラより高位の尉官と一緒のため、クローデラが船務部長代行とはなっていなかった。 「ふう」と小さく溜息を吐いて、コンソールに埋め込みの、艦の様々なセンサー・観測機器から送られてくる数値が表示されているモニタを見つめた。その左右にもモニタが設置されており、右側はレーダー、左側は各種望遠鏡の映像が順に映し出されている。そうして特に異常を示すものの有無の確認が情報解析士官席の主たる役目である。 とは言うものの、モニタを凝視し続けなければならないという訳ではない。これらはそれぞれ専属の観測士がおり、解析士官席にはその主だったものが表示されているからである。だからついつい気持ちが気になることへと傾いていく。 それはつい先日届いた祖父からのメールの言葉である。 『艦長のレイナート・フォージュ大佐に興味を持つのはやめなさい』 クローデラの祖父はイステラ連邦最高評議会議員で外交委員長の要職にある。最高評議会は有権者の直接選挙で選ばれた上下両院議員で構成される国権の最高意思決定機関である。これは全議員が出席を義務付けられる年数回の総会と、定期的に開催される各種委員会によって重要政策を決定、下部行政機関 ― いわゆる省庁 ― に執行させるというのがイステラの国としての組織のあり方である。そうして各委員会の委員長が各省大臣を兼任している。したがってクローデラの祖父は外務大臣の職責にもあるということである。 クローデラの実家フラコシアス家は政治家や官僚を多く輩出しており、クローデラの両親も兄弟姉妹も官僚として各省庁に勤めている。したがって家族の中でただ一人クローデラだけが軍人の道を目指したのだった。 クローデラは子供の頃からパズルや推理小説などが好きだった。すなわち与えられたわずかな情報を手掛かりに難しい問題を解決するということが好きだったのである。 それは成長しても変わらず、どころか益々のめり込んでいった。とは言うものの自分でパズルを作るとか推理小説を書くとかには興味はなかった。問題を解く方に向いていたのである。 政治家や高級官僚を多く輩出する家だけに家族は皆優秀でそれはクローデラも同じだった。そういう意味では「物静かな優等生」という言葉がしっくり来る少女だった。 それが大学を受験する際に悩んだ。一族はほとんど連邦宇宙大学の法学部出身である。兄姉もそこに通っているし弟妹もそうするつもりで勉学に勤しんでいる。 だがクローデラは法律には全く興味がなかった。否、家族の誰も特別法律に興味など持っていない。だが官僚になり出世する必須条件だから法学部へ入っただけである。 官僚や政治家にも興味がなかったクローデラだったから、したがって法学部に進むというのは無意味で苦痛にさえ思えた。 そこでハイスクールでの進路指導で提示された案が論理分析を主体とする科学哲学の分野への進学である。 哲学という学問は妙に裾野が広く、人間倫理から数学などの科学とどこが違うのかというほど理数的なものまで多種多様な分野を内包していた。 進学コンサルタントの言葉に興味を覚えたクローデラは結局、連邦宇宙大学文学部哲学科を目指したのだった。そういう意味では、軍にとってこれまたかなり異色の人材と言えたのは確かである。 物静かなおとなしい娘のクローデラの進路に家族は驚きはしたものの、頭ごなしに否定することはなく本人の意志を尊重したのだった。 大学での4年間は論理分析や論理計算に明け暮れる日々だった。クローデラ自身、記号や数式が並ぶ教材に「私は数学科に入ったんだっけ?」と勘違いしそうになるほどだったが、授業は興味深く交友関係にも恵まれ充実した日々であった。 そうして迎えた卒業。進路、すなわち就職をどうするかで再び悩んだ。 卒業生の実績を見ると、教師や研究者(哲学者)またはコンピュータのプログラマが多かった。だがそのいずれもに食指は動かなかった。 与えられたわずかな情報から考え得るあらゆる状況を論理的に導き出す。クローデラが大学で学んだのはその一語に尽きた。これはあらゆる学問のみならず産業や経済、ひいては人の知的活動の基礎でもある。そういう意味では就職先は無限とも思えたがどうにもピンとくるものがなかった。 そこで少しでも有益な情報が得られればと就職情報室へ向かったのだが、その時室内に置かれたテレビで見たコマーシャルがクローデラの運命を決定したと言えるだろう。 それは、モニタに向かう若い女性の真剣な横顔、そうして背後を振り返り何かを報告している姿。その女性の類まれな美貌もさることながら、これでもかというくらい充実感を湛えた笑顔。濃い鈍色の軍服がまるで華やかなドレスかと思えるほどにその女性は輝いて見えた。 ―― 自分もあんな風に輝いて仕事がしてみたい! 物静かな少女の心の中に熱い思いが過ぎったのだった。それでクローデラは連邦宇宙軍士官学校を目指したのである。 だが、さすがにこの決定には家族も直ぐには賛成してくれなかった。 「何を好き好んで軍人になるのだ?」 軍隊の本質的な役割とは、武力 ― という名の暴力 ― による主権の維持である。これは国土防衛、治安維持、または外交支援等いずれにおいても変わらない。要するに「力」を背景にこちらの言い条を相手に納得させるというものである。 現在のイステラはディステニアとは停戦が成立しおり、またどことも戦争状態にはない。だからと言っていつ何時、戦争になるかはわからない。こちらから仕掛けることはなくとも、相手から仕掛けてくることがないとはいえない。もちろん外交というものによって、そのような状況を予測し避けるということは行われている。 だが政治というものはナマモノ。誰にも100%の予想・予測など不可能である。それがあるから家族はクローデラの士官学校入学に反対した。徴兵されたのならいざしらず、自ら志願して職業軍人になるなど正気の沙汰ではないというのであった。 だが外務大臣である祖父が意外にも賛成してくれた。というよりもクローデラの意思を尊重してくれたのだった。 数多くいる孫の中で、クローデラはどちらかと言えば祖父のお気に入りだった。だからその決定に家族は一様に驚いた。 「まあいいじゃないか。政治家や役人になるだけが人生じゃない」 確かにその言葉通りだが家族の疑問は尽きなかった。だがいずれにせよそれによってクローデラは第二士官学校への入学を果たせたのである。 士官学校では航法科を選んだ。戦術作戦科にも興味はあったが、より「政治色の薄い」方を選んだのである。クローデラは身内に政治家が多いために政治というものに対して、忌避感とまではいかないまでも、距離を置きたいと感じていたからである。 そうして戦術作戦科は将来の参謀・幕僚を育成するところで戦術作戦科候補生の多くは任官後、軍の頂点である中央総司令部統合作戦本部最高幕僚部を目指す。この制服組のトップ組織は確かに軍の戦略、また大規模軍事行動の作戦や戦術を決定する組織であるが、同時に私服組の軍務省、さらにその上位組織である最高評議会国防委員会や軍務省との政治的駆け引きをするところでもある。それを知って戦術作戦科を避けたのだった。 一方の航法科は艦の運用にまつわるあらゆることを学ぶところである。それは観測、索敵、情報分析、航路選定に実際の操舵、通信管制などである。それは観測によって得られた情報を分析し最良を選択すること。それこそクローデラの求めるものであった。 クローデラは空戦や陸戦の実技はあまり得意ではなかった。そういう所ではライバルの後塵を拝することもあったが、それでも総合成績では第472期全候補生の中で常にトップ3という優秀さを示したのだった。 そうして迎えた任官。 それ故誰もが予想した通り、初任官先は中央総司令部であったが、具体的にはリンデンマルス号船務部に配属という些か意外なものであった。 だがそこには人事部の、ある意味で陰謀があった。 祖父が外交委員長、家族や親族の多くが高級官僚というクローデラである。誰もが部下にすることを嫌ったというのが本当のところである。部下とはいえ万が一にでも機嫌を損ねたら? それを家族に訴えられたら? 自分の首が危うくなりかねない。 軍隊というのは確かに特別な組織ではあるが軍人も公務員であることに違いはない。我が身が可愛いのは同じなのであった。 したがって保身という意味からもそういう人物に近づきたくない、近くにおいておきたくない、という発想からの決定であった。 だがクローデラはこの人事決定をむしろ喜んだ。何故ならリンデンマルス号は他の艦艇に比べ出動の機会が多い。というよりも、年1回の寄港以外は常に作戦行動中というあまり例のない艦だからである。 これが通常艦体の場合なら、一年の半分は艦隊基地のある惑星上に着床しているのが普通である。停戦後の予算削減の結果、常に出動し演習や哨戒をしているということがなくなったからである。もちろん地上にいる間も休みではなく研修やら訓練やらはある。それは必要なことではあるが、一方でとても退屈なことだと言われているのを聞いていた。これが補給艦隊だと通常艦隊より出動の機会は多いが、ある意味で決まりきった定期航路を決まりきったスケジュールに従って移動するというのに近いともいう。どちらもあまり心躍ることではなかったのである。 であるから、そこへの異動が左遷と目されるリンデンマルス号であっても、どころか、常に宇宙空間にある方がクローデラには好ましく、初任地がリンデンマルス号であることをむしろ喜んだのである。 そうして着任初日、クローデラは目を瞠った。自分が士官学校を目指すきっかけとなった女性がMBにいたからである。 「作戦部のコスタンティア・アトニエッリよ。よろしく」 そう自己紹介した中尉はウソのような美人で素敵な笑顔だった。 クローデラ自身、色白、祖父譲りの透き通るような銀髪の人形を思わせる美人だったが、一方で表情に乏しいことには自分でも気づいていた。だがそれを「クールビューティ」と評されることには違和感があり、また外見ばかり取り沙汰されることに辟易もしていた。 ―― でも、この人がいれば自分は目立たなくなるかも知れない……。 などと甘いことを考えていたが、2人が並ぶと誰もが見とれてしまって仕事にならないほどだった。そのせいなのかどうなのか、2人は同じシフトになることが多かった。 着任してからはあっという間に時間が過ぎた。とにかく新人というものはただでさえ覚えることが多い上に、日に3回のワープに慣れるのも大変だった。だが泣き言は言ってはいられない。歯を食いしばって、と言うと大袈裟だが、勤務シフト中は現場でしごかれ、勤務外時間もおちおち休んでなどいられなかった。自分の勤務を省み、機械の操作を反芻し、改善点を考え、さらに情報端末を駆使して可能な限り必要な情報を集め、スキルアップに心掛けたのである。 なので実家や祖父にメールを送ることさえ満足に出来ないでいた。 そのクローデラは着任後半年経ったある日、勤務時間外にもかかわらずMBに呼び出された。 ―― 何かしら? 時間外にMBに呼び出されるなど、思い当たるフシがクローデラには全くなかった。自分は新人でまだまだ役に立っているという実感に乏しかった。その自分を緊急事態で必要とするなどということはないだろう。では理由は何か? 懲罰ということであれば艦長室か保安部室だろうと思われる。 ―― 本当に、何の目的で? 嫌な予感というか、妙に落ち着かないものを感じながらMBに出頭したクローデラは、前方頭上のメインモニタを見て絶句したのだった。 |