呼び出され、急ぎ
「お、お祖父様……!?」 『やあ、クローデラ。元気そうだね?』 モニタの中の祖父はそう言ってにこやかに笑っていた。 クローデラの祖父は元々の銀髪の故に若い頃から老けて見えた。だが今はそれも歳相応であり、また連邦政府の中でも優れた容姿を持つ政治家の1人と目されている。だがその目立つ外見以上に政治家としての力量は疑いなく優れたものとされていて、保守連立与党の長期政権内にあって長く外交委員長の座についていることからも窺い知れる。 その祖父が何故、モニタに映っているのか? しかも外交委員長室のデスクに腰掛けた状態でである。あまりの予想外のことにクローデラは言葉を失ったままその場に立ち尽くしていた。 その様子に祖父は些か悲しそうな表情に変化した。 「寂しいね、クローデラ。半年ぶりだというのに……」 MB内は静まり返っていた。クローデラは茫然自失の状態であり、また政府高官からの突然の通信に誰もが唖然としており、その真意を図りあぐねていたからである。 だがその時、その場の異常な雰囲気を打ち破るかのように若い女性士官が割って入った。 「失礼ですが、外交委員長閣下。質問をよろしいでしょうか?」 『何かね? 君は?』 外交委員長の表情は穏やかのままであるが女性士官に興味を持ったようだった。そこで女性士官が名乗った。 「小官は本艦作戦部所属、アトニエッリ中尉であります」 コスタンティアはそう言ってモニタに向かって敬礼した。クローデラの祖父は少し驚きの表情を見せ、それから片手を軽く上げてそれに応えた。そこでコスタンティアは敬礼から直った。 先に口を開いたのは祖父の方だった。 『ほう? 貴官がアトニエッリ中尉かね。私のような門外漢でもその名を知っているほどの連邦宇宙大学始まって以来の秀才、また士官学校においても向かう所敵なしだったそうだね?』 「恐縮です」 コスタンティアは内心たじろいだ。まさか自分の名が軍部以外の政府の高官にまで届いているなどと想像もしていなかったからである。 だが外交委員長の次の言葉に冷静さを取り戻した。 『ところで疑問に思ったのだが、アトニエッリという姓は、もしかして……?』 その言葉に、コスタンティアは静かに頷いた。 「はい。父はアトニエッリ・インダストリー社の経営者の1人に名を連ねております」 『ほう……』 クローデラの祖父の顔が引き締まり政治家の顔になった。 アトニエッリ・インダストリー社は古くからの名門企業であり、強固な同族経営で知られている。またイステラ連邦の軍需産業界において最大級の規模を誇るとともに、多くの民生用工業製品、家庭用電気製品なども製造している。その他にも金融や情報産業など、幅広い分野に手を広げる一大コングロマリットの中心として産業界全体に君臨する巨大企業である。当然ながら一民間企業とはいえその発言力は強大であり、政・官・財界に強い影響力を有していることはイステラ人であれば誰でも知っていることである。 したがってクローデラの祖父が興味を覚えたとしても不思議ではない。 そうしてそれまで我を忘れて立ち尽くしていたクローデラも己を取り戻した。 ―― まさかこの人が! そうかもしれないとは思っていたけど! 士官学校在籍中から既に半ば伝説化していたコスタンティアのことはクローデラも当然知っていた。 入るよりも出る方が遥かに難しい ― とは言っても入るのが易しい訳ではない ― 連邦宇宙大学を2年で終了し、士官学校時代も他を寄せ付けない圧倒的な成績で首席を維持し続けた才媛、コスタンティア・アトニエッリ候補生。 大学時代には新型兵器の発表記者会見などにも出ていたしマスコミでも取り上げられることは多かったが、第四士官学校ならいざしらず、他の士官学校の候補生には殆どそうと知られていなかったコスタンティアである。 さらなる沈黙がMB内に漂っていた。それを再びコスタンティアが打ち破る。 「外交委員長閣下が自ら直接政府専用回線を使っての本艦への緊急通信ですが、これは本艦の作戦行動に重大な変更を生じる政府からの要請もしくは命令がある、ということなのでしょうか? 小官は本艦の作戦行動を決定する作戦部の一員として、そのようなことであれば、是非とも直ちにご開示していただけると幸甚なのですが」 コスタンティアにしてみれば今は自分のことに時間を費やす時ではない。そこで非礼を承知で外交委員長に質問したのだった。こういう点ではコスタンティアは怖いもの知らずであり、その行動力は上官達よりも遥かに勝っている。 そのコスタンティアの言葉は半分は本気で、半分は巧みに非難が隠されていた。すなわち孫娘可愛さに公私混同をしてはいませんか? メールで我慢出来なかったんですか? と……。何故なら外交委員長はクローデラを名指しで通信してきたからそう考えたのである。 それともあり得ないことだとは思うが、本当に何か重要な特別な用件なのか。 だがそうであれば、暗号化された秘匿通信であるべきだろう。何故ならリンデンマルス号は軍艦だからである。しかもその指示・命令系統は、連邦最高評議会 ― 国防委員会 ― 軍務省 ― 連邦宇宙軍中央総司令部というのが流れである。そもそも外交委員会が口を挟む余地はどこにもない。 だがそう言われた外交委員長、コスタンティアの意図する裏側の意味を完全に感じ取っており、それでいて少しも慌てず騒がず、静かに言ったのである。 「いや、何、諸君らに感謝の意を伝えたかったのだ」 さすがに政治家、考え足らずの行動を指摘された内心の動揺をおくびにも晒すような醜態は見せなかった。 「諸君らも承知の通り、現在のイステラはどことも交戦状態にはない。 だが隣国との関係が良好ということでもない。したがって国防予算は削減されているものの、特にディステニアとの境界を持つ第六管区の重要性、要厳重警戒であることはいまだに変わってはいない。 当然ながらその第六管区の警備基地は国土防衛のためにいまだ重要な拠点であり、そこへの補給支援を行う貴艦の任務もまた重要である。 私は政治家として、また外交に携わる者の一人として、隣国との恒久かつ平和的な関係の構築に尽力することを誓うとともに、諸君らにも尚一層任務に精励、努力されんことを願うものである」 最後は何やら政治演説のようになった感のある言葉で、その通信を誤魔化した外交委員長だった。 それに対しMBスタッフは全員起立敬礼をして通信が終了した。見え見えではあっても政府高官に対してそれ以外の方法があるか? それ故のことだった。 クローデラは穴があったら入りたい、そう思うほどの羞恥を覚えた。 最終的には祖父の言葉は、確かに一個人に宛てたものではない。だが外交委員長自らがなすべきことであったかといえば大いに疑問が残る。元々あの通信は確実に自分との会話を目的としていたはずである。そうでなければ第六管区だけで3桁にも上る辺境警備基地の一つ一つにも同じ通信をしたはずだが、それは絶対に有り得ないだろう。 確かに自分は初任官の忙しさにかまけ半年もメール一つ送らないでいた。だからと言って政府専用回線を使って直接通信してくるなど、孫可愛さのジジ馬鹿ぶりを発揮するにも程があるし、MBスタッフの誰もがが気づいていたに違いない。 軍の施設において、軍のネットワークを使って他と個人的な通信をすることは、宇宙基地や艦艇などに勤務する者については認められている。宇宙勤務者がそれすらも禁止されたら家族や恋人、友人とのつながりが全く断たれてしまうことになるからである。 ただしその場合、基本はテキストメールの送受信しか行えず、しかも抜き打ちで検閲を受ける可能性がある。特に相手が民間人である場合、重要軍事機密漏洩防止のため、そうすることがあると軍から公式声明が出されているのである。 したがって例えば、生まれたばかりの子供の画像や映像といったものを宇宙勤務の家族に送りたいとか、逆に宇宙勤務している者が家族に自分の近況を映像や動画で送りたいという場合には、必ず中央総司令部もしくは方面司令部のそれ専用の通信ネットワークシステムにユーザー登録した上で、さらに検閲を受けた後に送受信が可能なのである。 故に宇宙勤務者と個人的に顔を見ながら会話をしたいということになれば、正規手順では不可能であるのは明白である。いくら祖父が軍の内情に詳しくないとはいえ、政治家としてそのことを知らないはずがない。 クローデラが考えるに、だから祖父は政府専用回線を使って自分と通信しようと思ったのだろう。だが政府専用回線からの通信を、いくら名指しであっても一個人が、しかも一人きりですることなど出来るはずがない。それを可能としたらそれこそ職権濫用で処罰の対象になるし、祖父の政治家としての経歴に確実に汚点を残すだろう。 ―― お祖父様、まさかボケたんじゃ……。 クローデラがそう思っても不思議ではない程の事だった。 とにかく危うかった、と思わざるをえない。もし祖父がMBスタッフに席を外せと言ったなら ― もちろんこれは現実的には無理だから通信室を使うことになるだろう ― 重要問題を引き起こすところだった。 おそらくアトニエッリ中尉はそれに気づいて割って入って、あのように誘導してくれたに違いなかった。まさに窮地を救ってくれた恩人である。 だがクローデラは通信終了後直ぐにMBから去らざるを得なかった。だからその時には満足にコスタンティアに礼を言うことも出来なかった。勤務シフト外である以上、いつまでもその場に留まることが出来なかったのである。 クローデラは結局そのシフトの終了時、ワープのための第3種配備終了時、コスタンティアのシフトが開けるのを待って礼を言うことにした。だがさすがにMB内ではそれもまずかろう。そこでMBからエレベータで階下に降り、居住区のある階で通路へ出たところでコスタンティアに声を掛けた。 2人は同じくMBスタッフであり尉官であるから居住区が同じだったのである。 「中尉、先程はありがとうございました」 そう言われてコスタンティアは笑顔を見せた。 「あら、少尉、気にしないで。それにしても噂通り素敵なお祖父様ね?」 そう言われてクローデラは顔を赤らめた。コスタンティアの言葉には皮肉なものを感じられず、それでかえって恥ずかしかったのである。 「いいえ。とんだジジ馬鹿ぶりをお見せしてお恥ずかしい限りです」 ―― 確かに大したジジ馬鹿ぶりよね。 そう思いながらもコスタンティアは笑顔を崩さなかった 「大事にされているのね?」 「ええ、まあ」 居住区の通路はシフト切替時前後は意外と人通りが多い。部屋から出る者戻る者がいるからである。したがって2人が立ち話をしているとかなり注目を浴びる。 「よかったら展望室へ行かない? 少し貴女とお話したいわ」 コスタンティアにそう言われクローデラは頷いたのだった。 2人は居住区から近い第4展望室に向かった。これは左舷中ほどにある展望室でさして広いものではない。そうして展望室は常時ほとんど利用者がいないという、はっきり言って無駄な施設の筆頭とされている。 「こうやってゆっくりと話をするのは初めてね」 薄暗い照明の中でコスタンティアが言う。 クローデラが任官して6ヶ月。同じくMB内で勤務しているとはいえ、片や 「それにしても外交委員長のお孫さんだったなんて意外だったわ」 その言葉にクローデラも返した。 「そちらこそ、アトニエッリ・インダストリー社の関係者だったなんて」 「確かに情報端末の乗組員名簿にはそこまで記載されていないものね」 コスタンティアはそう言うがこれは正確ではない。艦内サーバー上の乗組員名簿には詳細な家族構成まで記述されているが、通常はアクセス権がないのでそこまでは閲覧が出来ないだけである。 「確かフラコシアス家の方って政治家や官僚が多いのではなくて?」 「そうですね。戦時中はともかく、今は一族で軍人は私だけです」 「へえ、なにか特別な事情でも? あらゴメンナサイ、立ち入ったことを聞いたりして」 「いいえ。ただ私は政治とかにはあまり興味がなかったもので……」 クローデラはそれだけ答えた。 自分のプライベートな事柄をベラベラと喋る趣味はない。ただ時折自分でも軍人が自分に向いているのかどうか疑問に思うことはあるが、では別の道を選んだとしても、やはり政治家や役人はなかったろうと思う。 今度は逆にクローデラが聞き返した。 「中尉は?」 大企業の社長令嬢が軍人になるというのも珍しいことだろうと思えたからである。 それに対しコスタンティアは言った。 「私は実家でマネキンみたいなことをさせられて、それが嫌で家を飛び出したのよ。もっと自分の実力を正しく認めて欲しい。そう思って……。 でも任官して最初の一年は……、正確にはここに転属になる前の6ヶ月間だけど、広報部で同じことをさせられちゃって……。それが随分嫌だったわ」 「そうでしたか……」 その言葉にクローデラは、コスタンティアが出ていたコマーシャルを見たのが軍人の道を選んだきっかけとは言えなくなってしまった。 「……それにしても大学を2年で終えたなんてすごいですね……って、もしかしたら私達同い年?」 コスタンティアは士官学校の2期先輩だが、大学を2年で終えているのだから当然そういうことだろう。 「そういうことになるわね。では互いに名前で呼び合いましょうか?」 「……でも、2期先輩の上官ですから……」 クローデラがそう言う。 コスタンティアと管理部のアリュスラのように、年齢や階級が違っても士官学校の同期だとプライベートでは親しく名前で呼び合うことは多いが、士官学校の卒業年度が違うとたとえ年齢や階級が同じでもそこまでにはならないことの方が多いから、まして階級が違うとなると余程のことがない限り、プライベートでも下級の者が上級の者を名前で呼ぶなど滅多にない。 コスタンティアは苦笑した。 「それもそうね。 それにしても大学の時は本当に死に物狂いで勉強したわね。とにかく早く家を出たかったから。 お陰で顔中ニキビだらけ、食事は不規則で急に太ったり痩せたり、生理不順にもなったりで、今思うと我ながら異常だったわ」 二人の会話はお世辞にもはずんだというものではなかった。だが互いに気になっていて、それが確認出来たのは喜ばしいことだと感じられた。 だがその後、2人が人前で親しげに振る舞ったということはない。 互いに自分の容姿が他人に注目されるものだと知っていた2人は、無意識に必要以上に一緒にいることを避けたのだった。したがって指定食堂利用可能時間が一緒でも同席して食事をしたのは数えるほどである。もっともコスタンティアは作戦部の士官として食事中でも他部の士官から質問を受けることが多かったし、クローデラは仕事に慣れるため各種マニュアルや技術レポートを見ながら食事をするという現実的な理由もあった。 2人共己の美貌を誇ったり他に対し変な優越感を感じるような人物ではなく、重要なのは中身、人間性や性格、仕事に向かう姿勢などだと考えており、そういう点では互いに認め合っていたので反目するようなこともなかったのだった。 そうしてコスタンティアは次々と実行の難しい作戦を立案、クローデラは情報解析士官としてその実現を支え、それぞれ階級を上げ「才色兼備」を文字通り地で行っていたのである。 |