遥かなる星々の彼方で
R-15

第44話 宣戦布告

 クローデラは情報解析士官席のコンソールをぼんやりと眺めつつ、心の中では祖父からのメールのことを考えていた。

『艦長のレイナート・フォージュ大佐に興味を持つのはやめなさい』

 クローデラの祖父はクローデラを随分と可愛がってきた。大学進学の時も士官学校を目指した時も一度も反対しなかったし、むしろ応援してくれたほどである。その祖父がそう書いてきたのだからそこにはやはり何か理由があるに違いない。だが祖父のメールにはその理由は何も書かれていなかった。

―― どうしてなのだろう? やはり艦長の過去に関係があるのかしら?

 そうとしか思えなかった。

 祖父が政府専用回線で連絡してきたという恥ずかしい経験があるクローデラは、その後は出来るだけこまめにメールを送るようにしていた。二度とないとは思うが、再び同じことをされないためにである。
 祖父の誕生日には情報端末で自撮りした動画も送っている。だがこれは検閲が不可欠なので、そう頻繁に出来ることではない、というか、正直に言えばあまりしたくないことである。だが孫娘思いの祖父のために誕生日くらいにはと思ってしている。
 ところで検閲が不可欠とされているのは、動画内に機密事項に関することが映っていないかはもちろんのこと、デジタルデータ内にコード化された機密が紛れ込んでいないかを確認するためである。したがって動画データを保安部に提出し、保安部で内容を解析した上で指定の送付先へ保安部が送信するのが手順である。したがって内容は全て閲覧されてしまう。そういう意味ではプライバシーも何も全く無いから、リンデンマルス号の乗組員の中には利用者はあまり多くない。

 リンデンマルス号は中央総司令部直属の艦なので、毎日CST(宇宙標準時)〇〇〇〇(マルマルマルマル)(0:00)に行われる定時連絡は、中央総司令部と直接行う。その際、リンデンマルス号宛の個人メール、またリンデンマルス号からの個人メールの送受信も行われる。実際にはその時間には定時ワープが行われているから通信は全てワープ後である。いずれにせよ任務上必要な通信は随時行われるが、個人のものに関しては毎日その一回限りである。したがって個人メールも時間までは艦内サーバーに保管されているのである。

 クローデラは少なくとも2週間に1度は祖父にメールを送るようにしている。さすがにこの頻度では余り書くこともないが、祖父の暴走を未然に防ぐためである。
 そうして急な艦長の交代となりレイナートが着任した際もそのことを祖父にメールで報告している。
 その時チラリとレイナートの軍歴が一切不明でわからないということを書いた。その件に関してはその時だけで後は必ず近況報告しか書かなかった。そうしてレイナートのことを書いたことに対してつい昨日受け取ったメールで、つまりなんと数ヶ月を経て、ようやく祖父からもたらされたのである。
 すなわち『クローデラ、悪いことは言わないから艦長のレイナート・フォージュ大佐に興味を持つのはやめなさい。また、もしも今の職場が意に沿わぬのならなんとかしてあげるから申し出なさい』というものだったのである。

 これがクローデラを大いに悩ませることになった。食堂で任務に復帰する時間を忘れかけたのもその故であった。
 このメールはクローデラに多大のショックを与えた。
 一つはレイナートに興味を持つなということ。これにもかなり驚かされたが、経歴が一切公開されていない以上当然のことにも思える。
 それ以上に唖然とさせられたのは後半部分である。
『職場が意に沿わぬのならなんとかしてあげる』というのはどういうことか?
 例えば自分を優遇させるために政治家として上官に圧力をかけるということなのか?

 いや、そのようなことではないだろう。政治家として清廉潔白、非の打ち所がないとまでは祖父のことを思ってはいない。政治はキレイ事だけではうまくいかない。子供ではないからそれはありうることだ考えている。クローデラが政治から距離を置くのは実はそういうことにも理由がある。
 だが現状、自分が不利になるような大きな問題も起きていないのに祖父がそこまで権力を誇示することはないと思う。

 では? もしかしたら裏から手を回して転属させてやるということなのか? もしかしたらそれは艦長がレイナートである故なのか? それともそれには関わりなく全く別の理由で?
 与えられたわずかな情報からあらゆる事態を想定する。それが情報解析士官としての自分の役割である。その能力を駆使して考えてもクローデラには判断が難しかった。

 イステラ連邦宇宙軍の宇宙勤務は基本は本人の意思である。宇宙勤務を希望しない者に強制的に宇宙基地や宇宙艦艇への配属を命じることはない。但し士官学校に入学し士官候補生となった際、宇宙勤務に同意したと見做される。したがって士官候補生は正規任官後、本人の意向を確認することなく宇宙勤務を命じられることが普通である。
 祖父は自分の士官学校入学に反対しなかった。だから宇宙勤務にも同意してくれたはずである。それを今になって止めさせたいのか。それとも艦長がレイナートだから転属させたいのか。
 決定的な答えを導き出すための情報が不足していた。

 イステラ軍の士官学校を卒業して任官する年齢は、コスタンティアのような特殊な例を除けば、通常は25歳である。
 ところでこの時代、イステラ人の平均寿命は3桁に達していた。だが生物としてのヒトの生理機能は遥か昔、宇宙開発初期の頃と大きくは変わっていない。女性が初潮を迎える年齢も閉経を迎えるのも数百年前と大して変化していないのである。したがって社会通念上10代前半での妊娠出産はもちろん、性行為自体が避けられるべきものと考えられているし、30代後半を過ぎてからの初産も危険が伴うとされている。そういう点からすると士官学校を出て軍人となった女性は結婚や妊娠、出産を望んでも極めて不利な状況に置かれることになる。
 特に宇宙艦艇勤務の場合、胎児に対するワープによる悪影響が指摘されており、妊娠が判明した時点で強制的に地上勤務にされる。
 そのこともあってイステラ軍の宇宙勤務者は男が圧倒的に多い。リンデンマルス号の乗員の男女比がほぼ6対4というのは実は異常に女性の比率が高いのである。

 したがって祖父がクローデラの宇宙勤務を今になって快く思わなくなった、ということになってもおかしくないことではある。特に宇宙勤務者には宇宙線症候群という難病も発症し易い。これは宇宙滞在が長ければ長いほど発症し易いとされているからそう思っても不自然ではない。

―― でもそれが理由なのかしら?

 祖父がそのようなことをメールに書いてきたのは今回が初めてである。

―― もしかしたら、裏から手を回して艦長のことを調べて、それで言ってきているのかしら?

 祖父は政治家となって以来外交畑を歩んでいるが、国防・軍関係者と全く繋がりがない訳ではない。完全に隠蔽されている艦長の経歴を知ることも不可能ではないかもしれない。
 だとすると「興味を持つな」どころではない。暗に「関わるな」と言っているに等しいだろう。だがMB(主艦橋)スタッフである自分が、艦長と全く没交渉、関わりを持たないで任務に就くなどということはあり得ない。
 となると、それこそ突然、祖父が裏から手を回した転属命令が出される可能性も否定出来なくなる。
 そう思い至って愕然となったクローデラである。

 結局、祖父の真意がはっきりしないものの、それが一番ありそうだと思えてきた。

―― もし、転属命令が出されたらどうしよう?

 元々航法科出身で船務科勤務の現状、しかもこのまま平時が続けば将来将官まで出世するかどうかは微妙だろうが、途中で退役しないかぎり佐官までは行くだろう。というか佐官にまで出世出来ないとなったら士官学校出としては落伍者の烙印を押されてしまう。そうして佐官になれば艦長や幕僚という未来も大いに可能性がある。そういった職種には確かに戦術作戦科出身者が多いし、逆に医科や法科出身だと少ないが航法科や戦闘技術科出身の艦長や幕僚は決して珍しくない。かえって現場を知っているということで有能な人物が多いとも聞く。

 今の仕事にはやりがいを覚えている。やはりリンデンマルス号程「現場」に出ている艦はない、ということが大きく影響していると思われた。例えば統合作戦本部に栄転となって、同じような任務についたとしても今ほど「現場」の匂いは感じることは出来ないだろう。それは至極残念なことに思えた。存外、自分は軍人が性に合ってる、特に現場向きということだったのか、とある意味我ながら驚くが。

 それからすると転属命令などありがたくもなんともないが、もしも出されれば拒否は出来ないだろう。したところで却下されるに決まっている。宇宙勤務は本人の意志が重要視されているが、それ以外の異動命令拒否はあり得ない。それを許していたら組織としての軍隊が成り立たない。唯一それが許されている(?)のはリンデンマルス号の艦長職だけである。そう思ったら思わず笑えてきた。

―― そのリンデンマルス号勤務なんだもの……。

―― それに……。

 そこで思わず顔が赤くなった。それは艦長レイナートの下でこのまま働いていたいと何気なく考えたからである。
 艦長就任以来いまだ数ヶ月。だがレイナートの下での勤務は前艦長の時よりも心が踊ることが多かった。海の物とも山の物ともつかぬレイナートだったが有能な人物ではないかと自分では評価している。緊急の第一級支援要請への指示等からそう思っている。

―― それに見た目は結構良いし、若いし……。

 そう考えてクローデラは盛大に茹で蛸のように赤くなっていた。

―― まさか私、艦長のこと……?

 自分自身の感情なのに得体が知れなくて愕然とした。
 もちろん初恋だって経験しているし、過去において好きな異性というのが全くいなかった訳ではない。だがあまり異性に対する恋愛感情というものを自分では強く感じたことがなかった。

 クローデラは子供の頃からおとなしく物静かな少女だった。ただし目立たない、ということはなかった。その艶やかな銀髪と抜けるような白い肌、人形のように整った顔立ちが目立たぬ訳がない。ただ一族が政治家や高級官僚ということで、周囲からは一線を引かれているようなところがあった。
 大学時代は哲学科で周りは変人ばかり。士官学校時代はそれこそ座学、実習、演習が忙しかった。つまり今までまともに男性と付き合ったことがなかったのである。
 だから自分の心の中で、レイナートのことを思う時に感ずるなんだかモヤモヤとしている感情が何なのか、自分自身でもよくわからなかった。

 それをはっきりとわからせる事件が起きた。否、事件というほど大袈裟なものではない。
 それは日付の変わる頃の時間帯に、艦長とコスタンティアが展望室で仲良さそうに談笑していたと聞いたことによってである。そこではっきりとレイナートに対する恋愛感情を意識したのだった。
 だから第2食堂で第1食を摂っているコスタンティアに思わず言ってしまった。あんな美人で有能な女性に先を越されたら勝ち目なんかない。そう思ったら口走っていたのである「抜け駆け」と。
 コスタンティアは否定していたけれど、本心はどうなんだがわかったものではないと考えていた。

 だが自分をアピールすることには積極的になれなかった。恋愛経験に乏しいというのが最大の理由だったが、軍の規則の影響もあった。
 地上基地ならいざしらず、宇宙艦艇や基地内では夫婦が共に勤務することを軍は認めない。もちろん恋愛までは禁止されていないが、相手が艦長ということになれば大っぴらに付き合うのは難しいだろう。と言ってコソコソと付き合うのも何か違う気がする。それに万が一男女の関係となって妊娠でもしたら一発で地上勤務に配置転換される。その時相手が共に地上勤務になればいいが、そうでなければ年に一度の定期寄港の時にしか会えなくなる。
 まさに軍は女性兵士に対し「結婚か? 仕事か?」を迫るのである。確かにこれは不公平である、と自分がそういう状況になって始めて実感出来たクローデラだった。

―― どうしたらいいんだろう? 私はどうしたいの?

 今度は意識した恋心をどのように処理するかで、自分自身もわからなくて途方に暮れていた。


 ところが呆気なくクローデラを決心させた出来事が再び第2食堂で、しかも同じくコスタンティアの周りで起きた。

 第2食堂で1人食事をしてたコスタンティアにエメネリアが近づきこう言ったのである。

「コスタンティア、貴女には負けないわよ?」

 真剣な眼差しでコスタンティアを見据えて。
 コスタンティアも顔を上げエメネリアを見返して応えた。

「何のことかしら?」

「私はあの人に会いにこの艦に来たの。貴女には、いえ、誰にも負けないわ」

 リンデンマルス号に乗艦してまだ数日にも満たないエメネリアによる艦内女性に対する宣戦布告だった。そうしてそれは、かつてないほどの速さでリンデンマルス号艦内を駆け巡ったのである。


 それを聞いたクローデラは直ぐに祖父にメールを送った。すなわち、「何も意に染まぬところなどありません。どころか毎日が充実しています。しばらくはこの艦での勤務を続けていけたらと思っています」と。
 だから「余計なことはしないで下さいね、お祖父様」と釘を差したクローデラだった。
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