遥かなる星々の彼方で
R-15

第57話 諦め

 とにかく怒り心頭のコスタンティアだったから、艦長室の空気は間違っても温かいものではなかった。
 だがそこでクローデラがレイナートに尋ねた。

「艦長はその後も昇進されましたよね。結局、ほぼ1年に1階級だった訳ですか?」

 コスタンティアはそれを聞いて再びレイナートを睨みつけた。
 レイナートはそれまでの「困ったな」という顔から至極真剣な表情に戻った。

「その件に関してはお話し出来ません」

 従来の主張を繰り返したのである。

「確かに最初の件も外に漏れれば大問題になりますが、それ以降のはもっとです。それこそ話す方も聞く方も命懸けになります」

 そう言って回答を拒否したレイナートだった。

「あら、そう。じゃあもう聞かない。それでお話は他には?」

 シャスターニスがあっさりと尋ねた。レイナートは苦笑しつつ答えた。

「ええ。とにかくミルストラーシュ少佐のことについては以前通りの対応を取って下さい。話はそれだけです」

 レイナートの言葉にコスタンティアはいまだ納得出来ていなかったが、艦長に「ここまで」と線を引かれたらそれ以上は食い下がれない。黙るしかなかった。


 それで解散となり4人が艦長室を後にした。その途中の廊下でコスタンティアはサイラに食って掛かった。

「中佐殿、あれは監察部に告発すべき案件だと小官は考えますが」

 いまだ興奮気味に言うコスタンティアにサイラは表情を変えずに答えた。

「大尉、これは既に中央総司令部において解決済みとなっている。今更ほじくり返したところでどうなるものでもないと考えるが」

 サイラはまるで男のような口調でそう言うに留まった。

「ですが……」

 コスタンティアは更に食い下がろうとした。だがサイラは一切の感情を滲ませずに言う。

「確かに本官も手違いによる2階級特進など前代未聞だと思う。しかしその当時は閲覧禁止程度であったにせよ、現在艦長の経歴は機密扱いとなっている。したがって告発すれば、当然ながらその情報を知り得た経緯を説明させられる。その場合、専守機密保持義務規定違反を問われ、最低でも重禁錮25年は覚悟しなければならない」

「ええっ!?」

「まさか!」

 クローデラやシャスターニスでさえその言葉に目を剥いた。

「最悪の場合は銃殺刑もあり得る」

「……!」

 追い打ちをかけたサイラに皆が絶句した。

「したがって大尉、その件を告発し軍の不正を正そうと考えるのは貴官の自由だが、その場合、それ相応の処分を覚悟する必要がある。しかもそれは自分1人だけではなく、この場の4人全員を巻き込むということを意味する。
 賢明な貴官なら当然わかっていると思うが」

「鉄壁の無表情」サイラは眉一つ動かさず、冷徹とも呼べるほどの雰囲気を纏いながらそう言い放ったのである。

 コスタンティアは唇を噛み締めて俯いた。
 いくら納得出来ないとはいえ、己の人生、最悪は命を賭けてまですることではないのは理解している。しかも自分が巻き込んだ形でさらに3人も同じ目に合わせる可能性が発生していた。口を閉じざるを得なかった。
 だがこのことはコスタンティアのレイナートに対する感情をさらに悪化させる一因となったのは確かである。


 部署に戻る途中、サイラは内心溜息を吐いていた。

―― どうしてこういうことになったのだか……。

 サイラ・レアリルス、42歳。イステラ連邦宇宙軍中央総司令部特務戦艦リンデンマルス号保安部所属。階級、中佐。保安部長。このまま何事もなければ3年後には定年で地上勤務に戻るのだが、どうやら雲行きが怪しくなってきたとしか思えない。それは偏に新任艦長レイナートの故としか思えない。

―― 新任とは言っても彼が着任してもう9ヶ月になるが……。

 なんとも頭の痛い存在としか思えなかった。


 元々弁護士志望だったサイラは進路を決定する段階で悩んだ。
 通常、弁護士になるには大学を卒業後、司法試験に合格し国家資格を取る必要があり、これが最も一般的な方法である。
 ところで大学卒業後、士官学校本科専修科法科に進むことでやはり弁護士になれる。しかも司法試験に受かる必要はない。ただしもちろんのことだが弁護士(もしくは検事)として働けるのは軍内部に限られる。その代わりに退役後、簡単な手続きだけで司法書士に鞍替えが出来るという特典がある。
 超難関試験の一つである司法試験に挑戦するか、それとも軍内部だけという限定付きだが士官学校を選ぶかは本人次第である(ただし、士官学校法科が決して優しいということはない。どころか法律の勉強だけでなく、軍人として様々なことを学ばされる士官学校の方が余程難しいという意見さえある)。
 そこでサイラは士官学校を選び、第三士官学校法科に入学した。
 士官学校は確かに軍事教練もあるので簡単ではなかったが無事に卒業、第三方面司令部法務部に配属となった。

 方面司令部法務部はその管内における法的事項を全て取り扱う、いわば高等検察局兼裁判所兼法務局のような組織である。
 イステラ軍の基地、宇宙艦艇などで内部に保安部を有するものは、何らかの問題が発生した場合、そこで簡易法廷が開かれ処分が決定される。この簡易法廷はいわば地方裁判所のようなものである。もし被告とされた兵士もしくは軍属がその裁定に不服がある場合は、その区域を管轄する方面司令部法務部に上告する権利が認められている。
 余談だがさらにその決定に不服がある場合、中央総司令部法務部、いわば最高裁に上告することも認められている。
 軍人だからといって安易に軍法で裁かれ処断されるといことがないようにである。

 サイラは第三方面司令部法務部勤務で訴訟部門に席を置いていた。すなわち時に検事、もしくは弁護人として上告審に関わってきたのであるが、上告審自体がそれほど数多くないとはいえ皆無ではない。

 ある時、上訴した被告の弁護を担当することとなった。それは中規模基地での傷害事件の上告審だった。
 日頃から仲の悪い二人が喧嘩に及び、一方が相手に怪我をさせたというものである。それが故意であったのか、それとも偶発的な事故だったか。それを争ったものである。
 この当時、いわゆる人工多能性幹細胞、胚性幹細胞、刺激惹起性多能性細胞を用いた再生医療の発達で、ヒトの脳を除くほとんどの器官や臓器は再生出来た。だからと言って怪我をさせられたという事実を無にすることは出来ない。その故での裁判だった。
 裁判が基地の簡易法廷から方面司令部の法務部に舞台を移したことで被告は方面司令部に収監された。この被告に聞き取り調査を行い、その裏付けを取るために事件の起きた基地へ調査に向かったのである。
 そこでサイラは「現場」の実態を知ったのだった。

 基地や宇宙艦艇内の保安部は要するに施設の警護業務と、よろず法律相談所のような側面とを併せ持つ。実際、宇宙勤務者の地上の家族に不幸があり遺産相続などが発生した場合、その手続を艦艇内の保安部で行う、などということが可能なのである。実際には慶弔休暇が与えられるので、それを利用して地上に降りてその当該官庁に出向いて行うということが多いが、何らかの事由で地上に降下出来ない場合のための措置である。
 それ以外にも冠婚葬祭全般とそれにまつわる諸手続き、職場でのパワハラ、モラハラ、セクハラといった人権侵害相談等々、「こんなことまでするのか?」と思うほど様々なことを行っているのである。

 サイラはこれに興味を持つに至った。
 その上告審自体は、結局、証言と証拠の食い違いから丹念に事実を拾い上げ考察を加え、暴行はあったものの故意の傷害、すなわち怪我の発生は意図したものではなく偶発的なもの、という判決を勝ち取り、原告側は控訴を見送り結審したのだった。

 ところでサイラはその後、数年間悩んだ上で宇宙勤務の希望を上司に出したのだった。そのまま地上勤務で同じような仕事を続けていくことに興味を失った訳ではないが、宇宙勤務の方が数倍「面白そう」と思ったからだった。
 この転属願いが受け入れられサイラは宇宙勤務に就くことになり中規模・大規模基地や大型戦闘艦艇を含む艦隊勤務を転々とした。これは艦艇や宇宙基地の保安部員は、そこが閉じた空間であることを理由に、3年乃至5年で配置転換・異動となるからである。
 サイラも、したがって、リンデンマルス号に配属となる以前に幾つもの基地や艦艇に勤務した。リンデンマルス号に異動となったのは4年前。本来であればあと1年で異動の予定だが、45歳定年までリンデンマルス号勤務の内示を受けていた。異動しても2年少々で定年だからだろう。

 サイラの人生設計ではこのままリンデンマルス号で定年を迎え、地上勤務になったら士官学校の法科講師を密かに希望していた。
 45歳未婚、独身、子供なし。今更結婚相手を探そうという気持ちはなかったし、子供を望まれてもこの歳での初産は危険が多すぎる。養子を取って子育てしようとまでは考えていない。ならば士官学校で後進の育成をするのがいいと考えたのだった。
 第三方面司令部法務部の時の上司が准将となって、第五士官学校で法科教授をしている。その伝手を頼るつもりで、もちろん採用試験はあるからそのための勉強も勤務の合間に勤しんでいた。
 だがその予定がどうも怪しくなりそうだった。

 順調に出世しているサイラにとってレイナートは初めての歳下の上官だった。これは各部の部長達にとっても同様だったろう。下手をすれば10歳以上も歳下の上官など、訓練所から入隊したか、さもなければ余程の落ちこぼれでもない限りありえないことである。
 しかもレイナートの軍歴はサイラの1/4の期間しか無い。それで自分よりも高位だというのだから余程華々しい、素晴らしい経歴の持ち主に違いない。そう考えた。
 だがそういう人物であれば、所属部署、部隊が異なっても当然話題になってしかるべき有名人になっているであろう。

 ところが蓋を開けてみれば誰も知らない無名人、と言うか「普通」人。もちろんその経歴は気になったが一切アンタッチャブル。いくら法務部出身の保安部長だからと言って、最高機密扱いの情報に触れることなど叶わない。となると当然裏のあることは直ぐにわかる。ならば余計な詮索はせぬが華。そう考えていたのだが……。

 当然ながらサイラは規則やルールは守るべきものと考えている。人が社会生活を営む上である程度制限が加えられるのは仕方ないと考える。
 たとえ個人の自由や権利にある程度の制限が加えられても、より大きな自由や権利が保証されるのであればそうあるべきものと考えている。だから「規則は破(られ)るためにある!」などという考えに与することはない。
 もちろん常にがんじがらめの規則に縛られろ、とは考えない。
 規則の運用は常に厳格でなければならないが、ある程度の余裕というか幅を持たせてもかまわないとも思う。その匙加減は難しいが法の運用とはそうであるべきと考えている。そうでなければ法はどこまでも細分化され、それこそ息が詰まるような堅苦しい社会になりかねないと考える。
 サイラにとって法とは人を縛り苦しめるためのものではなく、人の暮らしを豊かに、幸福にするためのものだと考えているからである。

 だが新艦長レイナートの過去の一端に触れた今、どう考えてよいかわからなくなってしまった。
 何故、手違いによる2階級特進が判明した段階で訂正しなかったのか。何故、己の過ちを認めることに躊躇したのか。それは担当者の保身以外の何物でもないのではないか。
 ならばそのような不正は糾弾されるべきだろう。しかもそれが一切手出し出来ないようにまでされている。コスタンティアが怒るのも当然だろう。

―― 昔の上司に相談してみようか?

 艦長の経歴は最高機密扱い。ということは経歴そのものが抹消されているという可能性は低いだろう。だがそれを白日のもとに晒すということはコスタンティアに警告した通りの結果を招くに違いない。あえて自分から火中の栗を拾いにいく必要はないだろう。

 だがやはり釈然としないものを感じているのも確かだった。

―― 中央総司令部の法務部からも、公安部からも、それこそ監察部からも特別な指令は受けていない……。

 ここへ来て改めて「自分の上官は不気味な人物だ」と思わざるを得ず、「諦めるしか無いか」と肩を落とすしかなかったサイラだった。
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