遥かなる星々の彼方で
R-15

第58話 決断の時

 レイナートから「エメネリアを皇女としてではなく一軍人として扱うように」という「命令」を下されたコスタンティア、クローデラは基本勤務シフトがAシフトに固定された。要するにエメネリアと同じ勤務ということである。
 当然ながらこれは2人の所属長である作戦部長と船務部長も了承していた。しかもご丁寧にも指定食堂利用可能時間まで同じにされたのである。

 こうなるともう「強制的」にエメネリアと接しろと言われていることと変わらない。それで2人共不機嫌の極みに達していた。
 エメネリアとしても2人のそういう空気はわかるから、申し訳無さと寂しさに表情が曇りがちだった。といって落ち込んだ顔をしていると、同情を引こうとしていると思われる気がしたので出来る限り気丈に振る舞ってはいた。
 とは言うものの食堂では3人が同じテーブルに着くことはなく、それぞれ離れたテーブルに座ったのだった。
 これは同じ時間帯に第2食堂を利用していた兵士達の耳目を完全に惹いていたが、3人はどこ吹く風(実際にはエメネリアはネイリと一緒なので4人)だった。

 そんなある日、第2食堂にシャスターニスが姿を表した。

 軍医である彼女は本来ならば第1食堂が近いが、その軍医であることを理由に時々第2食堂が指定されていた。要は休憩時間も兵士達に気を配れ、というありがたくもない軍上層部のお達しを真面目に捉えている管理部の計らいだった。

「少佐さん」

 シャスターニスはそう気さくにエメネリアに声をかけた。

「何でしょうか、軍医中佐殿?」

「あら、相変わらず固いわね」

 シャスターニスが笑う。

「要件は貴女の体調に関して。貴女にはいまだにプロテクトスーツが支給されていないでしょう? 他の人に比べて宇宙線の影響が心配なの。手の空いてる時に艦内病院に検査に来てちょうだい」

「わかりました。……でも、いいんですか、予約とかは?」

「予約無しでかまわないわ。貴女、重要人物だし」

 シャスターニスの言葉にエメネリアの顔が更に曇った。

「だって貴女、他国の少佐さんだもの。下手なことになって戦争でも始まったら誰が責任取るの?」

 口調はサラリと言っているがシャスターニスの言葉は決して軽い内容ではない。ましてエメネリアは皇女であることが判明している。いくら軍事クーデターが起きたとはいえ粗略に扱って良い人物ではない。VIPであることに変わりはないのである。
 このやり取りだけで第2食堂の士官席が重苦しい空気に包まれていた。

 そこへ、指定時間になったモーナが食器トレイを手にやって来た。だがその場の雰囲気の異常を察知して踵を返そうとした。
 すると背後で冷たい声がした。

「キャリエル少尉、どこへ行く? 士官席はここだが?」

 振り返るとそこには鉄壁の無表情があった。
 自分でも肝は細くないと思っているモーナもその言葉にはさすがに抗えず着席することにした。とは言え、どこに座るのがベストなのか?
 同じ部署ということであればコスタンティアのいるテーブル一択だが、最近の大尉殿はピリピリしていて近寄りがたい雰囲気である。ではクロー―デラのいる席? 普段ほとんどつながりのない人物と同席するのは他を敵に回しかねないからありえない。となると……。
 他に空いているところは、と見回していたら声を掛けられた。

「こちらへどうぞ、少尉さん」

 ここでも最初に主導権を握ったのはシャスターニスだった。すでにエメネリアの前に座っていたのである。

「それがいい。本官も同席させてもらう」

 驚いたことにサイラまでが同席しようとしたのである。吊り目の三白眼を丸くしてモーナが絶句した。「私、一体何かした?」と……。
 シャスターニスは全く動じる気配がなくニコニコとしている。
 結局エメネリアが元いたテーブルにはネイリを含め5人で満席になっていた。

「あら、珍しいですね、保安部長さん? 今からお食事?」

「生憎もう済んでいる。それに本官は第1を指定されている」

 確かに手には食器トレイを持っていない。では何で? と誰もが疑問に思ったところでサイラが自ら説明した。

「最近の艦内は色々と情報収集が必要な状況にあると認識している。それ故このように必要と思えるところへ足を運ぶことにしている」

 単純明快、簡潔な説明だったが、一面まだ「?」が残る答えではあった。そうしてサイラは背後を振り返って付き従ってきた陸戦兵2人に声を掛けた。

「お前達はコーヒーでも飲みながら待機するように」

 言われた2人の陸戦兵、エレノアとイェーシャは無言のまま頷いた。不服があろうがなかろうが命令には逆らえない。
 展望室でエメネリアのことをあれこれ話していたのを咎められた2人は、その後すっかりサイラに目をつけられていた。そうしてサイラが艦内を巡視、と称して移動する際は必ずお供を仰せ付けられていたのだった。

「さて少尉、少し話を聞かせてもらいたい」

 サイラはそう言ってモーナを睥睨した。モーナも吊り目の三白眼でサイラを見返している。
 元々ちょっとのことで動じるほどヤワなタマではないが、保安部長に睨まれて平然としていられるほど図太い神経でもない。ただその容貌のせいで平然としているように見えるのは損なのか得なのか。

「何の話でしょうか?」

 モーナが問い返した。いわばまな板の鯉。煮るなり焼くなり好きにしろ! と開き直っていた。

「貴官が記録部にいる時に現れたという佐官について聞かせて欲しい」

 ど真ん中のストレートの問をサイラは放った。

「それは……」

「いや、何もその人物の名を言えとか個人情報を漏らせというのではない。ただ当時の仕事ぶりが聞きたい」

 言い淀むモーナにサイラはそう言ったのである。

「ですが……」

 モーナはそれでも逡巡した。レイナートのことは口外禁止と命じられている。それを破れと言われているに等しいから当然だろう。

「いや、何も個人を特定出来る情報は必要ない。記録部で何をしていたかだけを話してくれれば良い」

 そうまで言われてモーナは重い口を開いた。

「少佐殿は戦闘レポートの見直し作業をされてました」

「戦闘レポートの見直し? 記録部ではそんなことをしてるのか? 何のために?」

 サイラが眉をひそめた。一度発行されたレポートを見直すなどということが必要だとは思えなかったからである。

「いえ、これは定期的に行われていることです。戦闘レポートは士官学校の戦術演習の教材としても利用されています。そのため主だったものの改訂作業が数年に一度スケジュールされているんです」

 モーナは腹を括ったのか舌が滑らかになった。食事を進めつつ淀みなく話している。

「それは、新たに退役した老朽艦は民間に払い下げられるにせよ、解体されるにせよ、艦内の全てのデータは残らず兵器廠で吸い出され、項目ごとに分類されて関係各所に送られます。殊に対ディステニア戦役終了間際に就役した艦の場合、小型の警備艇や儀典局の典礼艦を除くと戦闘実績があることがほとんどですから、その中の戦闘行為に類する全データが統合作戦本部に提出されます。
 ところがその中には過去の戦闘報告の際には提出されなかったデータもあったりするんです。それは当時、報告の必要を認めないと判断されたか、もしくは単に報告し忘れていたかですが……。
 そういったデータをレポートに追記する必要があったり、またはレポートの記載を訂正する必要が出てきたりすることもあります。
 また、これは滅多にありませんが、士官学校での演習で目新しい、卓越した解釈が出てくるということもたまにはありますので、そういうことも盛り込まれるべきと判断される事があります。
 これらの事由から改訂作業が行われているんです」

 モーナはそう言ってサンドイッチを頬張った。話してばかりでは食べる時間がなくなってしまうからである。
 サイラは先を急がせずモーナが一段落着くまで待っていた。シャスターニスやエメネリアは言わずもがな。

「ただ……」

 モーナが口を拭いながら話を再開した。

「改訂作業は人によってまちまちなんです」

「まちまち、とは?」

 サイラが尋ねた。どうも口調が尋問しているかのようである。

「通り一遍、過去の記録と照らし合わせて問題がなければそれで良しとする人。これだと1週間も掛かりません。大半の人はこうです」

 そこでコーヒーを口にする。が、顔をしかめた。MB(主艦橋)の本物の豆をドリップしたものに比べ、食堂のは完全合成品。味も風味も違うからだろう。

「そうして少佐殿はとある大規模会戦の記録を丹念にチェックしていました。丁度その頃退役した最後のガンドゥラ級巡航艦からのデータが入ってきたので、それを照査していて何か気になったようです」

「気になった、とは?」

「わかりません。小官は少佐殿の直接の部下ではなかったので内容まではわかりません。
 ですが少佐殿はその改訂作業に5ヶ月近くも掛かけていました。そうして記録部長に結果を報告したんです」

「それで?」

「それで……、少佐殿は記録部からいなくなりました」

「いなくなった? どういうことだ?」

「わかりません。
 とにかく急に異動が決まったそうで、少佐殿はどこかに転属となったそうです。そうして小官は記録部長から、少佐殿に関して一切口外しないよう命じられました。
 それが小官の知る少佐殿の全てです」

 モーナが話し終えると、第2食堂士官席は深い沈黙に包まれていた。


 モーナはその後、統合作戦本部の他の部署で大きな、それでいて密かな人事異動が行われたことについて敢えて言及しなかった。それが「少佐殿」の出した報告と何か関係があったのか、確信出来る何物も持っていなかったからである。

 モーナは実際レイナートが何を調べていたのかは知らなかった。いや調べていた案件についてはわかっている。それについての何を調べていたのかは知らなかったのである。
 ただし実際には同じ部署であり、折に触れて話をする機会はあった。そこで色々と質問をしていたことはある。
 何せ自分の3期先輩であるにも関わらず既に少佐である。おそらく連邦宇宙軍最速と言ってもいいほどの出世の速さに違いない。興味を持たない方がおかしい。だからむしろ積極的に機会を狙ってレイナートに話し掛けるようにしていた。だがその際に色々と教わっていたことをここで敢えて開陳する気はまったくなかった。
 そうしてその時のレイナートはモーナに対しまるで教師のように接していた。質問に対しただ答えるのではなくモーナにきちんと考えさせた。それはまさしく指導と呼べるようなやり方だった。

 元々モーナも士官学校を優秀な成績で卒業している。頭は悪くない。将来の幹部候補生の1人として中央総司令部に配属されたのである。
 そういう人間が自分に合った丁寧な指導をされれば、当然ながら伸び代のある人間だから直ぐに成長する。もしもリンデンマルス号作戦部の欠員補充に指名されなければ、おそらく記録部で2年程過ごした後、中尉となって他部署へ異動になっていたことだろう。


「そうか、ご苦労」

 サイラはそう言って立ち上がった。だが、エレノアとイェーシャがようやくコーヒーサーバーから戻って席に着いたばかりだったので、顔をしかめつつも再び腰掛けたのだった。

 そこでエメネリアが尋ねた。

「どうしてみんなして艦長の事を気にするんです?」

 エメネリアの質問の理由はレイナートの軍歴が公開されていないことに対して疑問を抱いていないからだった。
 アレルトメイアは民主国家のイステラとは異なり帝政を敷いている。情報公開もイステラほどなされていない。特に貴族に関してはその傾向が強かった。そういう背景があるからだった。
 そうしてエメネリアの問には誰も答えなかった。


 背後のテーブルでその話を聞いていたコスタンティアはその明晰な頭脳をフル回転させていた。

 かつて第6管区内の惑星ロッセルテで緊急の補給を受け乗組員に24時間の休暇が与えられた時に、レイナートの随伴としてクローデラ、第1航空隊のアニエッタとともに基地司令を表敬訪問したことがある。
 その際レイナートは基地司令に第5方面司令部に在籍していたと言っていた。それは現職、すなわちリンデンマルス号の艦長となる前だったということだから、今のモーナの話から、レイナートはその記録部で「何かをしでかし」第五方面司令部に人知れず異動になった可能性が高い。
 記録部で一体何をして、第五方面司令部で何をやらかしたのか? それは一切不明だが、それが今のレイナートに繋がっていることは理解出来た。

―― だけどそれが何? それより私はそんな「物騒な」上司の下にいていいの?

 艦長室で大尉になった経緯は聞いた。その時は激怒したが今冷静に考えてみると、どう考えてもレイナートは近くにいて良い人物には思えなかった。

―― 君子危うきに近寄らず、ね……。

―― まだこの艦に心残りがない訳じゃないけど、転属を願い出た方がいいかもしれない。

 気持ちがそのように傾き始めていた。

―― でも、そうなると次の行き先よね。……まだ最高幕僚部は無理かしら……。

 士官学校を出た者にとって究極の目標であるイステラ連邦宇宙軍中央総司令部統合作戦本部最高幕僚部。
 ごく僅かな、最も優秀な士官にのみ与えられる栄誉。それが最高幕僚部に勤務することである。

 コスタンティアは今それを真剣に考え始めていたのだった。
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