その後数日間、コスタンティアは転属願いについて悩んでいた。否、転属願いを出すことに関しては決心がついていたが、その内容をどうしようかで頭を悩ませていたのである。 コスタンティアの怒りはいつまでも収まらなかった。艦長室で聞かされたレイナートの過去。それに対するわだかまりがいつまでも解消されないでいたのだった。 ―― 軍は能力を、実力を正しく評価してくれるところ……。そう思っていたのに! コスタンティアは実家や広報部でマネキンまがいのことをさせられていた時以上に憤っていたのだった。それこそ一度は退役をすら考えたほどである。 だが、だからと言って何もかも放り出しても自分が惨めになるだけ。そう考えた。それで転属を検討し始めたのである。 それに改めて考えてみてもやはりレイナートという人物は不気味だった。 当初は好奇心の方が勝っていたが、どう考えても新規任官4年半で大佐というのは出世が早すぎる。大尉になった経緯に関しては納得は出来ないものの理解した。だがそれ以降に関しては余程の功績があったのであろうことは想像がつくがそれが開示されていない以上、見方を変えれば軍内部の闇 ― それも想像を絶するような ― を見知っているということになりはすまいか。そういう人物に対し不気味さと恐怖心を感じてもおかしくはないだろう。そのように考えたのだった。 そうしてどうせ転属を願い出るのであれば最難関に挑戦しようと思ったのである。 それは中央総司令部統合作戦本部最高幕僚部。イステラ連邦宇宙軍の頂点に君臨する超エリート集団にして制服組のトップ組織。多くのエリート士官がそこを目指し大半は挫折するという最も狭き門である。コスタンティアもいずれはチャレンジしようとしていたところである。 ―― 確かにこの でももうこれ以上レイナートの下で働くことは無理だと感じていたのだった。といってありきたりの転属先では認めてもらえないかもしれない。理由をしつこく聞かれることもあるだろう。でも最高幕僚部を目指すとなれば納得してもらえる。その自信があった。 そうしてコスタンティアは転属願いを書き始めたのだが理由は正直には書けない。最重要秘匿事項を知ったが故、などと書けるはずがない。それで自分の過去の実績を挙げ、最高幕僚部でも十分に働けると実力・能力をPRした転属願いを書いたのだった。 元々転属願いを出せるのは暗黙の内に士官学校出の尉官以上、しかもいわゆる出世コースに乗っている者とされていた。 下士官以下の場合、転属の希望を持ったとしても、それを所属長に願い出るのみで司令部に直接訴えることは不可だった。それを許していたら司令部の人事が目茶苦茶になってしまうからである。 そうして希望を聞いてもらえることは少なかった。上官としては使える人間は手放したくないし、使えない人間ならさっさと放り出しているからである。 したがってそれこそ職務に多大なストレスを感じ継続出来ないとか、モラハラ、パワハラ、セクハラ等でカウンセリングを受けた上ででもなければ転属の希望が叶うことはまずない。 ところが士官学校出の場合己の能力に自信がある。そうしてある程度のジョブローテションが定まっているから転属の機会が元々多い。にも関わらず転属を願い出るのはさらなる高みを目指して、という事が多かったのである。 各司令部としても、数百万人もいる尉官ひとりひとりの細かいところまでを全て把握出来ている訳ではない。したがって適材適所が完全になされているとは司令部自身が考えていなかった。 また転属願いを出すことは積極性の発露と捉えているところがあった。それ故上官がそれを握りつぶすことは逆に禁止されていたのである。但し上官が転属の希望を素直に聞き入れて、転属願いを人事部に送ってくれるかどうかは別の問題ではあるが。 満足の行く転属願いを書き終えたコスタンティアは迷うことなく提出することに決めた。提出する相手は作戦部長のクレリオル・ラステリア中佐である。 クレリオルは驚きながらも一応は転属願いを受け取り内容を確認した。 その上でコスタンティアに言った。 「最高幕僚部か……、貴官であれば納得出来る話だが、何故、今この時期なのだ?」 「はい。現在アレルトメイアでは軍事クーデターが発生し予断を許さぬ状況と認識しております。したがいましていずれの部門においても優秀な人材を欲していると考えますが、特に最高幕僚部においてはそれが顕著であろうと愚考致します。 小官は若輩ながらこの艦で様々な経験を積ませていただき、また数多くの救援作戦計画の立案に寄与出来たと自負しております。最高幕僚部においてもこれを活かせるものと確信しております」 「それも納得だが、現在の作戦部はファビュル大尉が離任したばかりである。ここで貴官もいなくなると作戦部はガタガタになりかねんぞ?」 「そうでしょうか? 部下達は順調に育っていると思いますが」 部下というが中にはコスタンティアよりも年上もいる。 「まあ、育ってもらわんとこちらが困る話だが、いずれにせよ、本官としてはこれを受領することは作戦部長としては出来かねる。現在の作戦部に貴官は不可欠の存在だからだ」 「ありがとうございます」 コスタンティアは胸を張った。 「ですが考えは変わりません。何卒、受領願います」 クレリオルは深い溜息とともに言った。 「ならば直接、艦長に提出するように。 本官は作戦部長としてこれは受領出来ない。だが拒否も認められていない。したがって艦長の判断に委ねることとする」 「了解しました」 コスタンティアはそう答えた。ならば直接引導を渡してやる! 否、その言い方だと立場は逆だが、そういうつもりになったのだった。 Aシフトの終わりの定時ワープの後、第3種配備から第1種配備に移行したところで、コスタンティアはレイナートの元へツカツカと進み踵を鳴らして直立不動の姿勢を取った。 「艦長、お願いしたいことがあります」 コスタンティアの真剣な眼差しに、レイナートはいつも通りの穏やかな表情で応じた。 「何でしょうか?」 「小官は本艦からの異動を希望しております。転属願いの提出を許可願います」 作戦部長次席、文字通り作戦部のナンバー2の突然の言葉に、MB内はワープ直後の喧騒から打って変わって静まり返った。 コスタンティアの言葉に一瞬目を瞠ったレイナートは、またいつもの落ち着いた表情に戻って聞いた。 「作戦部長は何と?」 レイナートが尋ねた。 「自分で許可を取るように、とのことです」 その言葉にレイナートがクレリオルを一瞥するとクレリオルは肩をすくめた。その様子から既に説得には失敗したように見えた。 「わかりました。とにかく提出して下さい。内容を検討させてもらいます」 「受理はして頂けるということですか?」 コスタンティアの言葉には言外に「まさか握り潰すつもりか?」というニュアンスがあった。 「内容を確認して書式上問題がなければそのままシュピトゥルス提督に提出します。それで良いですか?」 コスタンティアはレイナートがそう言ったことに意外感を覚えつつも頷いた。 「はい」 「ところで、もしよかったら希望先を教えて下さい。中を見ればわかることですが」 「中央総司令部統合作戦本部最高幕僚部です」 微かなざわめきが起きた。「まさか」「でも納得」など小声が聞こえる。 そこでレイナートが言う。 「大尉、わかっているとは思いますが、転属願いを提出は出来ますが、人事異動の最終決定権は私ではなく、中央総司令部人事部と本艦運用責任者のシュピトゥルス提督にあります。 ですから私からどのような口添えをしても、それが決定に影響を与えることは小さいと考えて下さい」 最高幕僚部に栄転を願うエリート達は、過去の上司から最大賛辞の推薦状を出して貰って転属を願い出る。だがそれでも狭き門なのである。 「わかっております」 「話はそれだけですか?」 「はい。お手間を取らせ失礼しました」 そう言ってコスタンティアは敬礼した。 賽は投げられた。もう戻れない。だがコスタンティアに後悔はなかった。 レイナートが敬礼を返すとコスタンティアは踵を返してMBから立ち去った。 自室に戻ろうとするコスタンティアを途中の通路でエメネリアとクローデラが呼び止めた。 「どういうこと、コスタンティア?」 エメネリアの問い掛けにコスタンティアが振り返る。 「何がです?」 「さっきの話よ。転属願いだなんて……」 コスタンティアは乾いた微笑で答えた。 「もう本艦で出来ることはあまりないと思っています。とすれば目指すのは最高幕僚部だということですけれど……」 「そういうことを聞きたいのではないわ! それにその口調は何!」 エメネリアが食って掛かるがコスタンティアは至極冷静に応じた。 「では何でしょう? 自分の能力を正しく評価してくれる、やりがいのある職場を目指すことはおかしいことでしょうか? それに言葉遣いに関してはTPOは弁えているつもりです。VIPに対し敬意を表することに問題はないと思いますが」 そう言われてエメネリアの表情が暗くなった。それでもめげることなく尋ねる。 「それは……、艦長に対する反感からなの?」 エメネリアが重ねて尋ねた。だがコスタンティアはにべもなかった。 「殿下のお言葉のご意図はわかりかねますが、そういうことではありません」 大嘘も大嘘、レイナートに対する反感からなのだが、それを正直に言うコスタンティアではない。 「お話がそれだけでしたら小官はこれで……」 慇懃無礼、ではなく慇懃であり礼にかなった態度だった。だがそれにエメネリアを迎えに来たネイリが噛み付いた。 「どういうことですか、大尉殿!」 だがコスタンティアはネイリに対してはさらに冷酷だった。 「従卒のあなたが口を挟むことではないわ」 決定的な一言だった。 エメネリアは一瞬目を見開き、そうして悲しそうに目を伏せ肩を落とした。 「もういいわ……。ネイリ、行きましょう」 その言葉にネイリは悲しそうな顔をしたが、それでもコスタンティアとクローデラに敬礼してエメネリアの後を追った。 それを見送った後クローデラが静かに呟いた。 「……最低……」 それをコスタンティアが聞き咎めた。 「何か言いたいことでも、中尉?」 そこでクローデラは人形のように整った顔をさらに人形めかして無表情で答えた。 「何でもありません、大尉殿。失礼します」 クローデラもコスタンティアに敬礼をして立ち去った。 ―― 何よ、みんなして! あの艦長の下で普通に働ける方がおかしいでしょう! 自分は決して間違っていない。コスタンティアはそう信じて疑わなかった。 書き上げた転属願いは翌日のAシフトまでにレイナートに提出した。と言っても書面ではなく情報端末に送信しただけである。 レイナートはその内容を確認しクレリオルと協議した。 「本人の意志は固いようです」 クレリオルはそう言うに留まった。 「すると翻意はありえない、と?」 レイナートが確認した。 「ないと思われます」 「そうですか……。それで、作戦部としては困りませんか?」 「もちろん、大問題です。彼女に代われる人材は現在の作戦部にはいません」 「となると、交代要員を手配してもらわなければなりませんね」 「ええ。ですが彼女ほど有能な人材は望むべくもないでしょう」 「でしょうね。困りましたね」 「本当に困った話です。 小官はあと2年ほどで地上勤務です。小官の離任後、彼女を次の作戦部長に推挙するつもりでした」 「そうですか……。 確かに彼女ほど優秀なら、あと2年で佐官になっていてもおかしくないですものね」 「その通りです。 まったく……、どうして急に転属なんて考えたんだか……」 クレリオルがぼやく。 「どうやら私が原因のようですね」 「艦長がですか?」 「ええ。経歴が一切公開されていないことが気に入らないようです。優秀な彼女としては、同期の一般科卒よりも階級が3つも下だということに我慢がならないのでしょうが、その理由がわからないから……。 もっともこればかりは私にはどうしようもないことですが。言えることなら私も言いたいんですけどね」 「言うとどうなります?」 「さあ。一生重禁錮か、銃殺か……。いずれにせよただでは済まないでしょう」 「そうですか。では小官は尋ねません」 「ええ。聞かないで下さい」 結局、転属願いはシュピトゥルス提督に送り、併せて交代要員の申請をするということで会話は終わった。正式に提出された願いを正しく処理しないと職権濫用になるからである。 そうしてコスタンティアに対し、シュピトゥルス提督に転属願いを送信した旨を伝えたのだった。 そうして翌日のAシフトの終了間際に、シュピトゥルス提督からレイナートに対し緊急の超光速度亜空間通信が入った。 「艦長、シュピトゥルス提督から緊急通信です!」 通信使の声にコスタンティアは一瞬不安になった。「早すぎないか」すなわち「却下か」と……。 だが要件は違った。 「艦長、緊急の第1級支援要請だ。 第七管区のTY-3051基地を流星雨が襲いコントロールを失った。最悪なことに基地はそのままアレルトメイアに向かって流されている。 これを大至急救援に向かってくれ」 メインモニタに映ったシュピトゥルス提督の顔には一切の余談を許さぬ緊迫感が現れていた。 |