遥かなる星々の彼方で

Valkyries of Lindenmars
リンデンマルスの戦乙女たち

R-15

第77話 新任務


 レイナートがクローデラから手渡されたコーヒーを啜っているところで、通信使が振り返って大声を出した。

「中央総司令部、シュピトゥルス提督より緊急通信です!」

 レイナートの表情が一変した。ただし緊張感が走った、というよりもヤレヤレといった感じにだった。不謹慎にも「どうせいい話じゃないだろうな」と思ったからである。
 だが上官を待たせる訳にはいかない。
 レイナートは直ぐに艦長席に戻り通信士に回線を開かせた。カップを手に持っていることに気づき慌てて背後のエメネリアに預けるというほど、かなりアレな様子であった。

「ご苦労、艦長。変わりはないか?」

 シュピトゥルス提督の滅多に聞くことの出来ない労いの言葉にレイナートの表情が強張った。

「済まないとは思うが、こちらにも都合がある。可能な限り、出来る範囲で構わんから、観測を続けてくれ」

 相反する言葉を並べてシュピトゥルス提督が言った。それに対してレイナートは愚痴のように言う。

「お言葉ですが、教育・文化・科学省はそうは思っていないようですが……」

 それを聞いてシュピトゥルス提督は若干気まずそうに言う。

「向こうとしても急に省間合意を反故にされたんだから当然怒ってはいるだろう。だが構わん。本当に出来る範囲でいい。本来の職務を優先してくれ」

「了解です」

 それで少し表情が和らいだレイナートである。

 シュピトゥルス提督が言っているのは、教育・文化・科学省からの依頼の件であった。


 ディステニアとの停戦後に進められた軍縮の一環で、RX型基地(中規模観測目的基地)の宇宙天文台化が進められた。ところがアレルトメイアの政情不安・内戦を受けて、第七管区のRX型基地の一部が再び軍事専用化されることとなったのである。

 これに教育・文化・科学省が反発した。
「ようやく再開された天体観測を再び止めろと言うのか」と文句を言ったのである。
 殊にアレルトメイアに一番近いRX型基地は現在、ごく近いうちに超新星爆発を起こすと考えられている恒星の観測を継続的に行っている。これを中断されることになるので「数十年に一度のチャンスだぞ! それを潰されてたまるか!」と強硬に主張したのだった。
 軍務省は「他の天文台(基地)で行えばいいではないか」と主張したが、教育・文化・科学省が納得しなかった。

「それでは他の観測が疎かになる」

 両者の主張は平行線を辿った。


 戦時中は軍事最優先で我慢を強いられていた各省の中で、特に教育・文化・科学省の不満が大きかった。教育や学術研究を疎かにするとツケは大きい、として。そうして戦後復興とともに各省が本来の活動を取り戻す中、全ての学術・芸術部門を統括する教育・文化・科学省は「人は国家の財」「国家は人なり」と唱え発言力を強めていた。
 もちろん誰もそれに異を唱えることなど出来ない。だが軍部としても国防上譲れないところが当然ある。
 そこで出された折衷案が、リンデンマルス号が哨戒活動中にこれを代行する、というものだった。

 リンデンマルス号はその巨体故に搭載されている光学望遠鏡、電波望遠鏡も大型のもので、軍用だからもちろん高性能である。だがこれは通常の索敵にはほとんど用いられておらず、索敵後、視認のためにしか使用していないのだから半ば遊んでいる状態である。そこで、これらで観測を行い、そのデータを教育・文化・科学省に送るという追加任務が与えられたのである。

 ところがいざ観測を行いそのデータを送信すると、「こんな短いのじゃ話にならない。もっと長時間行え」やら「大雑把過ぎる! もっと精密に撮影しろ」とやら、色々と注文がうるさい。挙句の果てには「しばらく停船して観測だけしろ」とまで言ってきたのである。


 アレルトメイアで内戦が勃発するまでのリンデンマルス号の主任務は辺境基地の補給支援と慰問だった。だが現在は第七管区のアレルトメイトとの境界の近い部分での哨戒が主任務で、その合間を縫って基地への補給を行うというように様変わりしている。
 したがって艦の行動スケジュールは相変わらず余裕があるとはいえない状態である。しかもそもそも軍艦である。間違っても艦の行動の主体を天体観測にすることは出来ない。
 そう抗議すると、さもありなんとする軍務省と納得できない教育・文化・科学省とで散々遣り合うこととなった。その結果、結局とばっちりが倍になって返ってくることになってしまった。何をか言わんやである。
 要するに「苦労するのは最終的には現場」という図式で、リンデンマルス号は文句を言われつつ、文句を言いつつ観測を続けていた。

 レイナートとしても士官学校出とは言え根っからの軍人気質でもないから、教育・文化・科学省に協力することに吝かではない。どころか天体観測にだけ専念できるのなら、その方が余程好ましいことだとさえ思う。戦争狂でもなければ、さして好戦的な性格でもないのだから当然だろう。
 もっとも天文学には一通りの興味しかないレイナートであるから、毎日毎日、来る日も来る日も天体観測だけしているなんて、考えただけでも気が滅入ってくるのは確かだったが。

 いずれにせよ現状、隣国は内戦状態にあり、少なくない数の難民船が中立緩衝帯を越えてきているという事実がある。したがって前線において、哨戒活動は決して疎かにすることの出来ない最重要任務と化している。
 故に現状を無視しているとしか思えない度を越した要求には従えないと思うし、本来の職務を疎かにして万が一のことがあれば、それこそ結局は国家の損失になる。したがって出来ることなら、観測作業は断るとまでは言わないまでも、もう少し優先順序を下げて欲しいというのが本音だった。


「その件に関してはそれでいい。
 それよりも新たな問題が発生した」

 シュピトゥルス提督の顔が難しいものに変わった。

「問題?」

 レイナートの表情も険しくなる。

「そうだ。アレルトメイアの貨物船が中立緩衝帯を越えて我が国の領域内に侵入したとの報告があった」

「貨物船が? 何でまた? 混乱に乗じて密輸でも目論んでるんでしょうか?」

 今までのところ越境してくるのは客船ばかりで貨物船だったことは皆無だから、レイナートは思わず驚きの声を上げた。そうして、さすがのシュピトゥルス提督も首をひねりつつ答えた。

「それはわからん。現在、貴艦よりおよそ2億kmの地点にいるようだ」

「2億km……。これまた……、何と言うかビミョウな距離ですね」

 レイナートがいささか唖然として言う。


 リンデンマルス号は現在哨戒任務中だから、アレルトメイアとの国境にかなり近いところを航行している。とは言っても中立緩衝帯ギリギリという訳ではない。中立緩衝帯にあまり近づくと要らぬゴタゴタが起きかねないからである。それからすると中立緩衝帯を越えてきた貨物船がいるということ、そうしてそれが自艦から2億kmというかなり「近く」にいると言われると、「本当なのか?」と疑ってしまいたくなってしまう。

 それはそれとして、辺境基地の大半は実はTY型と言われる小型通信中継基地である。これはイステラの支配区域全域で超光速度亜空間通信のネットワークを構築するためのピアで、もちろん索敵も行ってはいるが防衛を主目的とはしていない。そうしてそれら基地が形成する網の目状の警戒網は実は意外と目が粗く、したがってイステラの領域内に侵入する艦船全てを捕捉出来ているかと言えば決してそんなことはない。もしもそれこそ、蟻も這い出る隙間もないほどの監視網を構築しようとしたら一体どれほどの数の基地が必要になるか。それこそ天文学的数字になってしまう。
 それ故に実働部隊による哨戒活動が必要なのであり、それが第七管区においては重点的に行われるようになったということである。


「それと、現状一番近い部隊は貴艦を除くと500光年も離れている」

「500光年……。それでは話になりませんね」

 追い打ちをけてくれたシュピトゥルス提督にレイナートが肩を落として言った。

―― つまり、リンデンマルス号(我々)にそれを探し出せということか……。こいつは大変なことになったぞ……。

 イステラの通常戦闘艦の最大跳躍(ワープ)距離はおよそ100光年程。軍紀によりワープは24時間で最大4回までと定められているから、500光年なら少なくとも30時間は掛かってしまう。もちろんこれは各ワープ毎の目標捕捉作業が「極めて順調」に進んだ場合であるから、実際にはもっと時間はかかることになるに違いない。

 その点、距離2億kmなら2度のワープ ― 数十光年を2回跳んで戻ってくるというかなり無駄なことをしなければならない ― で到達できるから計算上は精々十数時間で到達できる。だが実際には、やはりそんな短時間での到達は難しい。何故なら、イステラの戦闘艦艇の最大索敵能力はおよそ5千万km。これを超える距離となると超光速度亜空間通信システムを応用した探査でないと目標を捕捉出来ないからである。
 これは元々の観測システム以外に、以前TY-3051基地探索に利用した新システム ― 実際には亜空間内の電磁波捕捉システム ― を利用することでかなり時間短縮が可能だが、それでも事前に大まかな位置情報がないと探すと言っても大変な作業になる。半径2億kmの球の表面積が探査区域の広さになるのである。その全域ではないとしても、わずか全長数十mの貨物船をその中から探すとなったら、膨大な時間を要するのは容易に想像できるだろう。
 そうして目標の位置を確認してから跳躍先周辺域の安全確認を行うという手順である。通常の定時ワープでも跳躍先の安全確認には数時間かかっているのである。この両者を合わせたら1回のワープだけで10時間以上かかっても不思議ではない。
 ちなみに通常航行の場合だと最大船速は時速およそ5万km。したがってワープしなかったら最大索敵範囲の限界に至るまででも1000時間、1ヶ月以上も掛かってしまうことになるから、やはりワープした方がそれでも早い。


 ところでリンデンマルス号の最大ワープ距離は300光年。それほどリンデンマルス号に搭載されている重力場発生装置(ワープエンジン) は「極めて」強力である。だが強力であるが故に逆に短距離ワープが出来ない。したがって2億kmを移動する場合、30光年ほどのワープを2回はする必要がある。もっともこれは他の艦艇も同様で、ただリンデンマルス号の場合、1回の跳躍距離を他に比べて大きく取らざるを得ないということである。

 ところでこの型のワープエンジンは現在のところリンデンマルス号にしか搭載されていないが、別段新たに作れない訳ではない。だが今のところ新規製造予定はない。というのはこのワープエンジンは出力に見合うだけ大型で重い。故に他の艦艇には搭載出来ない。搭載しようとすれば艦体をその分大きくしなければならないのである。

 ところが艦体を大きくしワープエンジンも大型になればその分艦の質量が増す。となると地上降下のための反重力発生装置や慣性制御装置といった重力制御に関する装置も強力化しなければならない。だがイステラの現在の技術では強力化は即大型化につながる。つまり重くなる。するとまた能力不足になる、という悪循環で結局地上降下を諦めなければならなくなる。

 地上降下が出来ない艦艇はそうなると惑星上空の宙空ドックにしか入港出来ないということになる。
 ところが宙空ドックは今のところ多少艦が大きくなっても問題はないが、この超強力ワープエンジンを搭載出来るほど艦体を大型化すると既存の宙空ドックには入れなくなってしまう。そうなると宙空ドックもそれに見合った新たなものを作る必要が出てくる。つまり新たな予算が必要となるということである。

 リンデンマルス号は第三方面司令部のある惑星シュナルトワの上空の船渠(せんきょ)で建造された。これが改造されてリンデンマルス号専用の宙空ドックとされたが、リンデンマルス号の運用は第六、第七管区が中心だったので第三管区では遠すぎる。
 そこでまず第七管区、第七方面司令部のある惑星ガムボス上空に宙空ドックの建造が始まったが直ぐに横鑓が入った。

―― たった一隻のために宙空ドックを3つも用意する? そんな贅沢が許されると思ってるのか?

 それで結局第六管区内の宙空ドックの建造は見送られたのだった。


 このリンデンマルス号用の宙空ドックは現状の他の艦艇が利用するには大きすぎた。それ故今のところは本当に専用ドックとなっている。だが高性能ワープエンジンを搭載するために他の艦も艦体の大型化が進めば問題なく利用出来るようになる。だがそうなると今度は必然的にドックの数が足りなくなる。
 しかも艦体を大型化するということは、第2、第3のリンデンマルス号を建造するということと同義である。リンデンマルス号1隻建造するにも政府内はもちろん、野党とも根気強い調整を経てやっとのことで漕ぎ着けたのである。そんな金食い虫をさらに造るには予算がいくらあっても足りない。したがって2番艦の建造も予定にない。
 それ故せっかくの高性能ワープエンジンも他で使われていないのである。

 そうして現在のイステラはこの状況を打開するため、基本サイズはそのままで出力のみを上げるという方向に向かっており、限られた予算の中で兵器研究所は日夜開発を進めているが、今のところ目立った成果は上がっていないという現実がある。


「とにかく貴艦は直ちに現場に急行してくれ。観測された地点とそこからの推定移動場所のデータを送る」

「了解しました」

 大変だろうがなんだろうが命令には逆らえない。シュピトゥルス提督との通信を終えたところでレイナートが指示を出した。

「予定区域の哨戒任務を放棄して、直ちに貨物船を追跡します。
 送られてきたデータは?」

「解析中です」

 いつの間にか船務部長席に戻っているクローデラが答えたが、実際に解析しているのは部下の解析士官である。

「結構です。貨物船の現在地点が絞り込めたらワープに移ります。総員に準備させて下さい」

「了解」

 ナーキアスが応えた。
 もっとも目標の位置確認、さらにその地点の安全確認まで含めると作業は最低でも十時間は要するだろう。その間目標が移動していることも考えられるから、その補正も含め、最終的に捕捉するまでにはかなりの時間を見積もる必要がある。

 結局、最初のワープはかろうじて9時間後、その後2回目のワープを7時間後に行い貨物船より50万km地点に姿を表したリンデンマルス号である。2億kmのために30光年ほどのワープを2回もしたのだからなんとも無駄な話であるが、そうしないと短時間で目的地点まで到達出来ないのだから他に選択肢はない。

 いずれにせよ、ここまでは今回はたまたまリンデンマルス号が一番近かった、というだけの話であった。


「貨物船を捕捉しました!」

 ワープ後の安全確認後、観測士が報告した。まだ第3種配備は解かれていないままである。

「貨物船に停船勧告。同時に臨検も受託するよう伝えて下さい」

 すかさずレイナートが指示を出した。
 それに従って通信士が貨物船に呼び掛けるが貨物船からの応答はなく、また停船する気配もなかった。

「貨物船より返信なし」

「速度そのまま。進路も変えません」

 通信士や観測士の報告にナーキアスが首をひねる。

「聞こえてないのか?
 ちゃんとアレルトメイアの一般民間通信帯域で呼び掛けたか?」

「はい。戦術アドバイザーの指示通りの周波数帯で呼び掛けてます」

 通信士はエメネリアを一瞥しながら報告する。

 レイナートがエメネリアを振り返って尋ねた。

「まさか偽装した戦闘艦という可能性は?」

 民間船が軍艦の指示に従わないというのは通常考えられないから、レイナートはそうした疑問を口にした。だがエメネリアは落ち着いた口調で否定する。

「それはないと思います。あの型式の船はアレルトメイアでは一般的な中型の民間貨物船ですし、あれと見合う大きさの戦闘艦はありません。したがって戦闘艦艇の可能性は低く、やはり貨物船だと思います」

 それを聞いてレイナートが顔をしかめる。

「通信機の異常か、それとも、ここがまだアレルトメイア領域内だと思っているのか。
 いずれにせよ、こちらの艦影は捉えているだろうに無視するとは、随分肝っ玉の座った船長だな」

 半ば呆れ気味のレイナートが呟くように言った。民生用の、レーダーを始めとする探査システムは当然、軍用に比べ能力が落ちるのは普通である。であってもこの距離ならこちらを捉えてないはずがない。にも関わらず、しかも軍艦からの停船命令を無視したらどうなるか。それがわからないはずはないだろうに、ということである。

「レーダー等の故障でしょうか?」

 観測士がそれとなく上官のクローデラに尋ねた。
 だがクローデラは首を振る。

「まさか。ありえないわ。観測機器が故障してるのに航行するなんて自殺行為よ」

 自らの位置を特定出来なければ宇宙の迷子になる。それは二度と生きて還ることが出来ないのと同義である。したがってそういう場合は、発見されやすいようにその場に留まって救援を待つのが一般的である。

「観測機器に通信装置も故障して闇雲に移動している、という可能性は否定出来ないが、それならそれでこちらにアプローチを取ってくるだろう。
 発光信号により停船を呼び掛けてみて下さい」

 レイナートの言葉遣いは相変わらず穏やかで丁寧だが、口調はともかく命令であることに変わりはない。

 直ちに艦の発光装置でアレルトメイア貨物船に停船するよう伝えられる。だがそれでも貨物船の動きに変化はなかった。
 昔ながらの発光信号による通信も未だ非常時には行われる。レーダー等機器の故障も絶対ないとは言えないからで、そういう場合には目視による監視を行うのが普通である。それすら行っていないから応答もしてこないということだろうか。
 となると何らかの理由で船員が全員死亡もしくはそれに近い状態で、船は制御する者がいない状態となっているのだろうか。であれば早急に対策を講じなければならない。

 レイナートは腕を組み、ひとしきり思案したところで腕組を解いて口を開いた。

「総員、第4種配備。
 戦闘機部隊は発進準備完了後直ちに出撃。貨物船を強制停船させよ」

 口調の改まったレイナートによって艦内に戦闘配備が発令された。一旦、騒然となった艦内はすぐに粛々と戦闘配備が整えられた。
 そうしてACR(航空管制室)から発信バレルの装填された第1航空隊第1小隊(アルファ1)に発進命令が伝えられた

『ACRよりアルファ1各機、直ちに発進せよ』

スクエア1-A(アルファ1隊長機)了解。アルファ1全機発進する」

 次々とアルファ1のF-118艦上戦闘機が発進バレルから折りたたんでいた翼を広げつつ飛び出していく。

「こちらリンデンマルス号所属第1航空隊隊長機。アレルトメイア貨物船は直ちに停戦せよ。繰り返す……」

 スクエア1-Aが貨物船に停船勧告を行う。だが相変わらず貨物船からは梨の礫。減速も転進もしない。

「貨物船、進路そのまま、減速もしません」

 MBの観測士が再び報告する。
 それを聞いてレイナートがアレルトメイア一般通信帯域の周波数に合わせたままの通信機でアルファ1に命令を下した。

「貨物船に対し警告を加えよ。境界侵犯した上でこれ以上の航行継続は我がイステラに対する敵対行動と看做す。本艦は敵性勢力は実力を持ってこれを排除する、と」

「艦長!?」

 ナーキアスが大声を出した。

「まさか民間船を攻撃するつもりですか?」

「民間船であっても警告を無視する以上、黙視できません。
 もしかしたら乗員が全員死亡しているのかもしれません。となると内部にはかなりの異常が発生している可能性があり闇雲に乗り込む訳にはいきません。曳航も無理だから結局はこの場で破壊措置を施すか、司令部から技術工作船を回してもらうか、の2つしかありません。ですが現状、悠長に技術工作船を待っている余裕はありません。なので破壊するしかないでしょう。
 また乗員が全員無事で機器が故障しているだけであっても、あれだけ艦載機が近づいているのに気づかないということはないでしょう。となると、もしかしたらスパイ行為を働いているという可能性も否定出来ません。となるとやはり攻撃もやむを得ません」

 レイナートは極めて落ち着いた事務的な口調でそう言った。もちろんそれは通信機を介してアレルトメイアの貨物船にも伝わっているはずである。 だがそれは貨物船を攻撃する意志は実はなく、いつまでも無視するなら本気でやるぞ? という半ば脅しである。
 実際、スパイならなんとしても拘束・連行して情報部に引き渡すべきであるし、もしも病気や事故であれば、他国の艦船であってもその原因究明は行うべきであるから、いきなり攻撃するというのは短絡的に過ぎる話である。
 うまく乗ってくれればいいが、と思うレイナートである。


『全機、攻撃態勢に入れ!』

 通信機からスクエア1-Aの音声が入る。

『こちらイステラ軍、リンデンマルス号第1航空隊。アレルトメイア貨物船は直ちに停船せよ。停船しない場合、我が部隊は……』


 そこでようやく貨物船が応答した。

『待ってくれ! こちらは非武装の民間船だぞ! それを攻撃しようってのか!?』

 それを聞いてレイナートが貨物船に向かって言った。

「非武装であれ民間船であれ、我が国の領界内を外国船が許可なく航行することは認められません。直ちに停船して下さい」

『こっちは領界侵犯なんてしてないぞ!』

 船長と思しき男の怒気を含んだ声が通信機から聞こえる。

「いや、貴船は確かに中立緩衝帯を越えてイステラ領界内に入り込んでいます。直ちに停船しなさい」

 レイナートの口調が少しずつ強くなっていった。

『そんな無茶な!』

「停船せよ。これは最後通牒である。停船しなければ……」

 レイナートがそう言うと貨物船から諦めにも似た声が聞こえた。

『わかったよ、停まりゃあいいんだろっ!』

 宇宙空間における国境というのはどうしても問題が起きやすい。何もない空間に絶対的な線引 ― 実際には面だが ― をすることが困難だからである。だが、それだからこそ通常、船舶は中立緩衝帯から遠く離れたところを航行する。それはこのようなトラブルを避けるためである。

 脅しをかけられた貨物船がようやく減速・停止した。リンデンマルス号も貨物船から1万kmまで接近して停止した。この距離ならたとえ相手に荷電粒子砲があっても恐るるに足りない。もっともこちらの主砲も射程外であるが、他に打つ手はいくらでもある。


「これより部隊を送る。臨検を受け入れように」

 それまで強気だった貨物船船長が今度は泣き言を言った。

『勘弁して下さいよ。こっちは真面目な、罪もない民間の一貨物船ですよ?』

「それを判断するのは臨検が済んでからです」

 レイナートはにべもない。

『わかりましたよ。受け入れりゃあいんでしょ!』

 不貞腐れたような声が聞こえた。
 初めから素直に停戦すればいいものを、とMB内の誰もが考えていた。

 そうしてレイナートが新たな命令を下した。

「アルファ1は貨物船周辺にて待機」

 そうしてナーキアスに声をかける。

「戦術部長、『ヴァルキリーズ』を出動させて下さい」

「わかりました」

 ナーキアスが頷くと艦内通信を行った。

「こちらMB、ヴァルキリーズ出動、貨物船の臨検を行え! 繰り返す……」

『ヴァルキリー1、了解!』

 艦内通信機からエレノア・シャッセ中尉の声が還ってきた。


 ヴァルキリーズ。
 それは、リンデンマルス号戦術部陸戦科に新たに設置された部隊である。
 隊長のエレノアに副隊長のイェーシャ・フィグレブ少尉以下、女性陸戦兵から選抜された総勢32名によって構成されている部隊である。

 アレルトメイアが内戦状態になったことで不審船 ― 実際にはアレルトメイアから逃げ出そうという人々を乗せた船 ― が増えることが予想された。リンデンマルス号に哨戒任務が与えられたのもそれが一番の理由であり、事実、中立緩衝帯を超える船が増えている。
 そうなると当然、それら不審船への臨検が増えた。そこでレイナートがシュピトゥルス提督に進言し許可を得て設置された、主として臨検を行うための部隊である。だがそこに保安部員が含まれていないのは明らかに戦闘を視野に入れているからに他ならない。

 女性だけで構成されている、ということを除くと今までの陸戦隊と何が違うかと言えば、それは突撃艇による対象船への乗船という、本来の重装機動歩兵のあり方に近いものである。
 それまでリンデンマルス号陸戦隊は艦内警備と保安にのみ従事していた。つまり他艦への特攻という本来の任務とは全くかけ離れた業務のみしか行っていなかったし、それで十分というか、それ以外には活躍の場がなかったのが実情である。
 しかしながら臨検を行うとなれば当然、当該船舶へ乗り込む必要がある。だがそれまでリンデンマルス号に配備されていたドルフィン3では、強化外装甲を纏った重装機動歩兵が乗機出来る人数に限りがある。それでレイナートはシュピトゥルス提督に突撃艇の配備を願い出たのであった。

 突撃艇は名前こそ「艇」だが、実際には対艦弾道ミサイルとほぼ同じ大きさ、形状をしている。ミサイルとの最大の違いは先端部分である。弾頭は搭載されていない代わりにドリルが装備されていて、内部に重装機動歩兵を50人収容出来るというものである。そうして対艦弾道ミサイルの発射導管から射出される。
 つまり不発弾よろしく敵艦に突き刺さり、ドリルでゴリゴリと敵艦深く進んだところで部隊が敵艦内に突入するためのものである。
 撤収時は先端のドリルを切り離し本体部分のみで帰投する。1回毎にドリル部分を放棄するのだから無駄の多い装備と言えないこともないが、迅速な離脱を目的としているためそのような措置が取られている。
 これを使って貨物船に乗り込むということである。ただし貨物船に突き刺さったら貨物船が航行不能になるから、この突撃艇で接舷するのみに留まるのは言うまでもない。


 命令を受けたエレノアが部下に号令をかけた。

「行くぞ!」

「了解!」

 強化外装甲を纏った女性兵士達が声を揃えて返事をした。そうして陸戦部隊の詰め所から、レベル-2の地下通路へ出て、電動車に分乗して艦尾の艦首対艦弾道ミサイル装填口のある弾薬庫に向かう。
 強化外装甲を装着するとどうしても身長は2mを超える。それが小型の電動車に窮屈そうに分乗している姿はある種滑稽である。だが当人たちは至って大真面目。表情は引き締まっている。

 このヴァルキリーズが女性のみで構成されているのはレイナートの判断である。臨検を行う場合、対象船が民間の客船の場合、乗客には女性や老人、子供がいることは十分に予想出来る。これらの人々を怯えさせないようにという配慮からである。フェミニストが聞けば「女性蔑視だ」「差別だ」と眉を逆立てそうだが、選抜された兵士たちにはそういう考えはない。どころか重装機動歩兵本来の任務に近い働きが出来るということで喜んでいた。


 部隊が装填口に到着したところでレイナートからの追加指示があった。

『ヴァルキリーズの船内捜索は、主に貨物室を中心に行って下さい』

 エレノアが首を傾げた。
 今までこのような指示が特別出されたことはなかった。今回が初めてである。貨物船への臨検も初めてだからそのせいだろうか。いずれにせよ、艦長命令には従うしかない。

「……ヴァルキリー1、了解」

 そう応えて部下に命令した。

「聞いた通りだ。全員、抜かるな! 搭乗!」

 そうしてヴァルキリーズの面々は突撃艇へと乗り込んだのである。


『マーリン1 発進準備完了』

 コードネーム「マーリン」が与えられた突撃艇が対艦弾道ミサイルの発射導管に装填された。

 発射導管内は大電流が流れるから、内部の重装機動歩兵に影響が出ないよう突撃艇の内壁には絶縁・防磁対策が施されている。その分内部は手狭であり、最大収容数の50人が乗るとほとんど身動きが取れなくなるが、ヴァルキリーズは総勢32名なのでそこまでではない。

 通常は目的の船 ― 多くの場合それは敵軍の戦闘艦 ― に直接打ち込まれるが、今回は接舷しなければならないので、もちろんのことだが操舵が必要になる。

 操舵手は貨物船ギリギリのところで突撃艇を停止させた。直ちにエレノアが貨物船に呼びかける。

「こちらリンデンマルス号陸戦部隊『ヴァルキリーズ』隊長、シャッセ中尉。
 船内への乗降ハッチを開いて欲しい」

 だが再び貨物船は沈黙し応答がなかった。

「聞こえないのか? ハッチを開けろ。開けないのなら無理やりこじ開けるまでだぞ?
 総員、突入準備! 爆薬用意」

 実戦部隊というのはどうも短絡的、という訳でもないが、まだるっこしいことを嫌う傾向がある。エレノアは半ば本気でそう言ったのだった。そうしてヘルメット越しに命令を下すから当然それは貨物船の通信機にも聞こえる。なので直ぐに返答があった。

『わかりましたよ、開けりゃあいいんでしょう!』

「ご協力に感謝する」

 エレノアはニコリともせずに言った。もっとも音声通話のみだからこちらの表情はわからないだろうが。

 ロックが解除されたハッチからヴァルキリーズが船内に入る。といっても通常、人の乗降用ハッチはエアロックになっているから、一旦中に入り、外ハッチを閉めてそれから内側のドアを開けるという手順を踏まないとならない。これが敵艦ならそういう配慮は一切しないが、民間船相手にそれをやったら大問題になる。したがって船内に乗り込むだけでそれなりに時間がかかってしまう。


 退路の確保は最重要課題だからエアロックのドアに2人残る。途中通路が分岐するとその度に数人が分かれていくから艦橋に到達する時にはヴァルキリーズは数名になっていた。もっとも、貨物船の艦橋、操舵室など大して広くないのが普通だから、30人も入ったらすし詰め状態になってしまうのは初めから予想出来ている。

 臨検を行うのはアレルトメイアの船舶であるがエメネリアは同行していない。民間船であること、エメネリア用の強化外装甲がない、というのが理由である。ただしイステラ人にはわからない、知らない情報を迅速に得るため、MBのエメネリアとは直通回線が開かれている。


 そうしてエレノア以下数名が操舵室に入った。
 操舵室内には船長、航法士、通信士、観測士と思しき男たちがいた。

「私はイステラ連邦宇宙軍のエレノア・シャッセ中尉だ。艦長は何方か?」

 エレノアは男たちを見下ろしながら聞いた。
 ヘルメットのバイザーの遮光機能をオフにしているから、見上げる船員たちにもエレノアの顔が見えている。明るい褐色の肌のエレノアにいささか驚いた様子を見せている。

「オレが船長だ。こっちに落ち度はないはずだ。そっちからすりゃ越境してるって言うんだろうが、こっちの計器ではそうなってないんだ。まあ、見解の相違ってやつだな」

 髭面の中年男が横柄にそう言った。面構えにふてぶてしさが現れている。

「それは調べてみれば直ぐわかることだ」

 エレノアは落ち着いた口調でそう言うに留めた。

「あんまり引っ掻き回さないでほしいね」

 露骨に嫌な顔をして船長はそう応えた。

「そうされたくなかったら初めから越境などせず、直ぐに指示にも従えばいいことだ。
 臨検を開始する」

 エレノアの言葉に隊員たちが動き始める。

 手に自動小銃を携えている隊員たちはそれを肩に背負って動き始めた。
 元々はただの陸戦兵だが、臨検を行うとなれば航行記録、通信記録、観測記録などをチェックする必要がある。それらの講習というか訓練を受けてはいるものの、やはり他国の船舶故に勝手が違うようだ。作業はそれなりに時間がかかっている。それをエレノアは固い表情で眺めていた。


 一方、ヴァルキリーズの副隊長に抜擢されたイェーシャは部下を数名連れて貨物室の探索に来ていた。特に今回は艦長から「重点的に」という注文がつけられているのでいささか気負い気味だった。

―― 密輸でも疑ってんのかな?

 貨物船の臨検ということでそんなことを考えていた。

 だがレイナートの指示にはもっと深い杞憂が根底にあったのだった。

 
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