遥かなる星々の彼方で

Valkyries of Lindenmars
リンデンマルスの戦乙女たち

R-15

第94話 大掃除

 

 イステラ軍の勤務形態は7日に1度の休みがあり、基本は3交代制。民間では週休二日が当たり前なのにも関わらずである。もちろん勤務年数と階級による有給休暇、別の公休制度があるものの、週6日勤務が基本では志願中心の人材確保はなかなか難しい。


 そもそも公務員と民間では給与を比べる事自体悲しくなるが、軍だけは他の省庁とは全く異なる。基本給与が1流企業と比べても全く遜色ない上、各種手当は民間など遥かに凌駕する。

 民間でも基本的にある手当は当然あるし、さらに軍人の基本業務は戦争をすること、ということもあって危険手当が半端なく多い。後方勤務の場合は直接戦闘部門ではないが、確かに倉庫内には武器弾薬も保管されているとはいえ、それでも何らかの理由をつけて危険手当が付く。さらに宇宙勤務手当があって、プロテクト・スーツ着用手当、宇宙服着用手当というのまである。
 とにかく手当尽くしと言ってもいいほどで、18歳の新兵でも1流企業の係長くらいの給料はもらっているのである。
 さらに任務に必要とされる資格・免許に関しては軍が全費用を持ってくれるという、至れり尽くせりである。

 この厚遇ぶりには政府内でも時に槍玉に上がるが退役軍人会は猛反対する。
防人(さきもり)を冷遇するのか!」と。
 宇宙旅行も当たり前の時代、誰のお陰で海賊に怯えることもなく星間移動ができるのだ! 文句があるなら自分たちでやれ!
 軍人出身の政治家や退役軍人会の鼻息は荒い。いい歳してるんだから少しは落ち着け、と言いたくなるほどである。


 さて、消防機庫を仮のオフィスとすることを決めたValkyries of Lindenmars隊。だが外壁の汚れはともかく、内部は何年も空調が動いていないのでホコリが積もっている。とてもではないがこのままでは使えない。
 だが基地の施設管理を司る管理部は手一杯で来週末にならないと作業できないという。
 だが来週初めには辞令が出て今の研究室を出なければならない。となると自分たちで掃除しないとならない、ということになった。
 そこで急に燃えだしたのはメイドこそが己の本分とするネイリ。目が爛々と輝いている。
 そうして当然のごとく掃除をするのにメイド服を着ると言い出した。

「わたくしにとってメイド服こそが本来の戦闘服。さればこれを着ずして任務の遂行はありえません!」

 だがさすがにそれは無理な話である。そういう私服 ― と言っていいのかどうか ― を何か特別なイベントでもない限り基地内で着ることは許されていない。
 がっくりと項垂れたネイリ。

「リューメール准尉、気を落とさないように。いずれは機会はあると思う。
 いずれにせよ今日はもう終業時間までいくらもないから、明日、作業しようと思う」

 レイナートは皆にそう言った。
 明日は土曜日。正式な辞令前なので所属はまだ最高幕僚部であり、そこは日曜日が定休なので土曜日は通常の出勤日である。

「ただこの様子では時間がかかりそうなので1時間ほど早く始めよう。皆の時間超過手当はきちんと申請するから」


 翌土曜日朝。〇七〇〇(午前7時)に集合してきたValkyries of Lindenmars隊の面々。ただエメネリアとネイリが遅れていた。

「まさかメイド服が着れないショックで来ないんじゃないでしょうね。冗談じゃないわよ!」

「ホント、困ったことになったわね」

 自分たちで掃除をするという言い出しっぺはネイリである。そうしてそれを受け入れたのはネイリの「掃除のプロ」というスキルを当て込んでのことだった。したがってネイリがいないと自分たちは何をどうしていいかわからない、というのが本音だった。

「あら、来たようね」

 基地内官舎からの巡回バスが停まり人が降りてきた。

「でも変じゃない? 逆方向のバスよ」

 と思っていたらさらに変なことに気づいた。

「なんだかネイリの服の色が違うんだけど」

 イステラ軍の軍服は濃い鈍色で、地上勤務の女性はボトムはパンツかスカートを選べる。
 パンツは宇宙勤務と同様、膝までが緩めで膝下が少しすぼまった、細めのニッカーボッカーのような感じ。一方のスカートはタイトで膝がギリギリ隠れる長さ。本日は掃除ということもあって全員例外なくパンツにブーツという、宇宙勤務さながらの格好だった。

 だがネイリの服は全く違う。
 軍服よりもっと黒く、いや黒にしか見えないし、丈が長く裾が広がっていて、とてもタイトスカートではない。しかも白いエプロンまでしている。。

「まさか、メイド服?」

「のようね」

「嘘でしょう?」

「見つかったら大事じゃない!」

「いえ、その前に巡回バスに乗れないでしょう」

「じゃあ、どうして」

「まさか、許可を取ったとか……」

 口々に言っていた女性たちはレイナートを振り返った。

「いや、私は知らない。許可なんてしてないぞ」

 焦るレイナート。

「本当ですか? まさかメイド服がお好みでこっそり許可したとか……」

 モーナがレイナートを睥睨した。

「本当だとも! 絶対に許可なんてしてない!」

 必死に抗弁する。

「にしても、あの大荷物は何?」

 近づくに連れてネイリは前から見ても背中に大きなものを背負っているのが見えるし両手も塞がっている。ちなみにエメネリアは手ぶらで涼しい顔をしていた。

 2人はレイナートの前まで来ると何事もないように敬礼した。

「遅れて申し訳ありません」

 エメネリアが言うがレイナートの目はネイリに注がれている。
 間近で見たらまさにメイド服なのである。凝視しても仕方ないだろう。

「閣下、恥ずかしいです」

 頬を赤らめて俯きもじもじと言うネイリ。
 これが萌えというやつか! とは思わなかったレイナートである。いや、正真正銘、掛け値なしに本当である、と主張はしたいところだったが。


「リューメール准尉、その格好はなんですか!」

 モーナが詰問した。
 責任者である上官が呆けている以上、副官が問い質すのが筋だろう、ということで。

「メイド服であります、少佐殿」

 そう言って胸を張るネイリ。
 ジャケットともジャンパーとも付かない、一風変わったデザインのイステラ軍の制服の上着に比べ、メイド服は身体のラインが良くわかった。「この娘、大きい」と、その場の誰にも思わせたのである。

 それだけでスレンダーなアニエッタと筋肉質なエレノアとイェーシャは面白くない。
 また、その美貌だけでなく、スタイルの良さでも他を寄せ付けないコスタンティアとクローデラでさえも「私、負けてるかも」と思わせたのだから大したものである。

「誰が許可したの? 許可なしでその格好は懲罰ものよ」

 それに対してネイリはスラスラと答えた。

「シュピトゥルス大将閣下であります、少佐殿」

 それを聞いてアニエッタが目を丸くした。

「えっ? 親父さんが……」

 と、見る間に顔が真っ赤になった。燃えるように赤い髪にも負けないくらいに。

―― あのクソ親父!、 さてはロリコンだったか!

「任務遂行に必要とあらば構わない、と仰って下さいました」

「任務って……」

 呆れてものも言えない、というのはまさにこのことだった。
 兵士は、たとえ女性従卒であっても、メイドではない。

「副官たるもの、上官の便宜を図り、その職務をつつがなく遂行できるようサポートするのが本来の役目。
 それに軍服を無駄に汚す必要はない、とのお言葉をいただきました」

 確かにその言葉には一応頷ける。頷けるが、どうもシュピトゥルス提督の下心が見え隠れする気がする。

「小官の服装よりも、本日の任務の方が重要です。違うでしょうか、閣下?」

 だが平然とそう言われたら、これまた頷くしかなかった。

「準備をしてまいりました。本日の装備であります」

 そう言ってネイリは皆に何物かを配って歩く。

「これは……、もしかして特殊警棒?」

「そうです、少尉殿。さすがによくご存じです」

 イェーシャの言葉にネイリが首肯した。
 特殊警棒は折りたたみ式。もちろん相手を叩きのめすための武器で憲兵の標準装備の一つである。
 だがその先端に細く割いた布切れらしきものが取り付けてあった。

「何だ、これ?」

 エレノアが尋ねた。
 エレノアもイェーシャもリンデンマルス号艦内では憲兵任務もこなしていた。したがって特殊警棒は見慣れたものではあるが、こんなものを付けたことはない。

「ハタキであります、大尉殿」

「ハタキ?」

「はい、ハタキです」

「……」

 そこで会話が終わってしまった。
 沈黙が流れた。
 だがそれでは本当に始まらない。

「それで、ハタキってなんだ?」

 エレノアが再度尋ねた。

「ハタキとは、メイドの必須アイテム。これなくしてメイドは任務を遂行できないという標準装備中の標準装備です」

 再び胸を張る。
 だが、皆が聞きたいことはそういうことじゃない。そのハタキとやらの用途である。
 その意を汲んでか、ネイリがさらに説明する。

「こうして……」

 警棒を伸ばした。

「溜まっているホコリをすべて払い飛ばします」

 そう言って手首のスナップを効かせて警棒を振る。
 皆がネイリの見せたように振ってみている。

「あら、わたくしの分は? ネイリ?」

 だがただひとり何も渡されなかったエメネリアが尋ねると、ネイリが滅相もないと首を振った。

「お嬢様にこのような下々のマネはさせられません!」

―― どうせアタシら下々ですよ。

という顔を女性たちは一斉にする。

「だめよ、ネイリ、そういうのは。
 だって閣下にも持たせてるじゃない」

 エメネリアが言う通り、確かにレイナートも手渡されていた。主のエメネリアにはやらせずともレイナートには一緒に掃除をさせるつもりだったところが空恐ろしいまでにプロフェッショナルである。
 だがそれを優雅に我が手に取ってエメネリアが言う。

「最愛の殿が……」

「ああ、もう、どうでもいいわ。さっさとやっつけましょ!」

 アニエッタが口を挟んだ。
 途中でセリフを遮られたエメネリアが怖い顔でアニエッタを睨んだ。

―― 「最愛の殿方」なんて言わせるもんですか!

 アニエッタが睨み返した。
 しばし火花が飛び交っていた。


 自分の主人が負けまいと意地になってしまったネイリは諦め顔でレイナートに言った。

「閣下、号令をお願い致します」

 主たるエメネリアの恋の成就を助けるのも己の務めだが、今は、ホコリの山を目の前にメイドの血が騒いでもいるようだった。

「号令?」

 レイナートがキョトンと聞き返す。

「そうです、閣下。部隊は指揮官の命令で行動を開始します」

 それは確かにそうだが、こんな時もか……。

「リューメール准尉、準備完了。何時でも行けます!」

 警棒のハタキを手にネイリが構えた。真剣な眼差しはまさに突入の合図を待っている兵士そのものだった。


 それを見ていたアリュスラはふと思った。

―― 私も軍人、なんだろうか?

 確かに軍に所属しているのだから軍人と呼ばれる職業にはついている。でも一度も戦闘経験のない、後方部門しか知らない自分は果たして軍人と呼べるものなのだろうか。

 己が所属していた管理部は直接戦闘部門ではなかった。だから戦闘艦艇であるリンデンマルス号内にいても、実際にアレルトメイア艦隊と砲火を交えていた時も、銃を持って負傷兵の発生に備える看護士の警護に当たっただけだった。そもそも銃なんて訓練でしか撃ったことがない。
 別に銃で誰かを撃ちたいなんて思わない。迫り来る敵兵を殴り倒したい、なぎ払いたいなんて思わない。
 そんな自分は本当に軍人なのかと思ってしまう。

 そんな自分を艦長にという。しかも新造の後方支援艦だという。だがそれは大丈夫なんだろうか?
 国際間の取り決めで、病院船は攻撃してはならないとされている。また病院船は武装してはならないともされている。
 だが新型艦は工作艦の機能も併せ持つという。
 工作艦もほとんど武装は持たないが攻撃対象となる艦である。となると法的にどういうことになるのだろう。
 第一、病院船は部隊のはるか後方で待機していて、戦場が一時的または永続的な停戦に至らないと出番はない。死傷者の発生しないことを願いながらただ待っているのである。

 だが新しい部隊の艦隊編成では、この後方支援艦も艦隊の正規構成艦となるという。ということは部隊行動を要求されるということだ。丸腰に近い船で? それは砲撃演習の標的艦ではなかろうか?

―― そんな船の艦長が私?

 一体どうしろと言うのよ! とアリュスラは声を大にして叫びたかった。


 コスタンティアは同期の華。これほど優秀で美しい女性は見たことがなかった。
 その彼女が戦艦の艦長というのは諸手を挙げて賛成だし十分納得できる。
 一方こちらは2年制の短大から士官学校予科を経て本科一般科。同期というのもおこがましい。
 それだって別に真面目に軍人を目指した結果じゃない。民間企業は気が進まず、他の公務員にはなれなかった(採用試験に受からなかった)。呑気に無職でいられるほど周囲の目は甘くなかった。だからとりあえず軍に入ることにした。
 これが戦時で、しかも訓練所で訓練されて前線に投入される戦闘員だったらやめていた。でも今は平時。さらに士官学校に入れば後方の事務要員になれる、というのが最大の理由だった。
 そんな安直な動機だったのに実際に兵站を学んでみるととても面白かった。いや、面白いというのは不謹慎だけど「兵站なくして軍隊なし」「兵站を考えない戦争は成立しない」とまで言われる重要性とそれに携わる醍醐味は、一民間企業では味わえないものだと思えた。
 だから自分の仕事に誇りも持てた。

 そんな自分が後方支援艦のとはいえ艦長? しかもその区分が曖昧な船。
 本当にどうすればいいのかわからない。
 確かに艦隊運用は司令と参謀の仕事だけど実際に艦を動かすのは艦長の務め。
 私にできるの?
 しかも大量の新兵も配属されるという。下手をすれば自分の命令一つで何百人も死ぬことになる。

 戦術研究室ならまだ自分は役に立てていたという実感が持てた。
 膨大なデータの中から必要なものを抽出し集計する。管理部でいくらでもやってきたことだ。
大人数の食堂利用計画や事務利用計画の調整は大変だったけど、大きなトラブルを起こしたことはない。
 リンデンマルス号は外からの補給はほとんどなかったけど、作戦部の立案した計画に沿っての艦内での製造・在庫を管理するのは日々やってきた。第1級支援要請という緊急事態で滞った分をどう的確に対処するか。それだって失敗なんてしたことはない。

―― でも新たな職務はわからいことだらけで怖い。逃げ出したい。

 いつのまにか特殊警棒を持つ手が震えていた。


 それを見てなのか、ビーチェスがアリュスラに声を掛けた。

「大尉殿、自分の後ろを離れないで下さい」

「えっ?」

「訓練所からの叩き上げは戦闘訓練もしっかりやってますからご安心下さい。敵施設への突入・制圧も訓練だけですが経験済みです。後方一筋ではありましたが、必ずや大尉殿の盾になってご覧に入れます」

「だから何? どういうこと?」

 歳上の叩き上げの部下にそう言われてアリュスラは訳がわからない。

「大丈夫。誰にでも始めてはあります」

 だがビーチェスはそう言うに留まった。アリュスラには少しも彼女の発言の意図がわからなかった。
 さすがにそこでアニエッタが突っ込んだ。

「アンタ何言ってるの? たかが掘っ立て小屋の大掃除よ。特殊部隊の突入作戦じゃないんだから!」

「ええ、そうです。
 だから大丈夫です、大尉殿。
 大尉殿でしたら絶対にうまくやれます」

 そう言ってビーチェスは笑ってみせた。

―― もしかしたら、気を使われた?

―― 私が新しい任務にビビってるのに気づかれた?

 それは本当に小さな励ましだった。でもそれで少し余裕ができた。周囲に目を配るという余裕が。

 誰もが緊張の面持ちだった。それは単なる大掃除に臨む顔じゃなかった。

―― きっとみんなも同じなんだ。

 そこでレイナートをちらりと見た。
 端正な顔立ちの穏やかな好青年、という第一印象からあまり変わってない。

―― 普通、もう少し貫禄が出そうなものなんだけどね。

 でもそのレイナートが一番の重責を担っている。そう思うと自分の悩みは小さく思えた。

―― 頑張らなきゃ。「女性が男に劣っていないことを、男と同じようにやれるということを軍全体に見せてやる」んだから。

「アリュスラ・クラムステン大尉、突入準備よし!」

 胸を張ってそう大声を出したら何だかスッキリした。

―― 私って結構単純かも……。

 自然と笑みが溢れた。それはアリュスラをして「リンデンマルス号の聖母(マドンナ) 」と呼ばしめた、かつての柔らかな笑みと同じだった。


 全員が一列横隊で身構えていた。
 エレノアやイェーシャなどはまさに白兵戦に突入する重装機動歩兵かのごとき殺気まで放っている。

 その場が沈黙に包まれた。「トクン、トクン」という己の鼓動が聞こえるほど静まり返っている。

―― 私は大丈夫。落ち着いてる。

―― やれる! 私はやれる!

 そこによく通る声が響いた

「総員、突入せよ!」

 レイナートの号令と同時に全員が「ハップ、ハップ」と声を上げながら、全速で駆け出し消防機庫のガレージから内部に突入する。

 それを見てレイナートが首を傾げる。

―― 何だか変にテンション上がってないか?

 新兵や士官候補生の突入訓練や野駈けの時、何故か「ハップ、ハップ」と声を掛けさせられる。そうして理由を教導官に尋ねても「昔からそうだった」と言われるだけである。


 それはともかく、ガレージから突入した女性たちは、まさに突入訓練の如き動きでまずは階段に取り付く。突入時とは打って変わって沈黙している。
 エレノアが階上を覗い、慎重にゆっくりと、足音を立てずに階段を上っていく。
 手にはハタキ。よく見ればマヌケな構図だが彼女たちは真剣そのもの。
 階段の上がり口でエレノアは身をかがめ周囲を窺う。
 異常なし。もちろん一言も発しない。階下の仲間に指暗号サインで伝える。それを見て全員がやはり上っていく。足音を立てず、でも素早く。
 エレノアは今度は壁に身を潜め奥を窺う。階段を上がったところは廊下で右と左に分かれ正面にもドア。
 再び指暗号サイン。
 右翼に4名、左翼に4名。退避経路の確保を忘れるな。
 全員が了解のサインを返す。
 そうして左右廊下の奥。扉の前に4人ずつ付く。
 準備OKのサイン。

 そこでエレノアが怒鳴った。

「突入!」

 ガバッと扉が開かれ中に乱入する。

「隠れてないで出てこい!」

 何か勘違いしてそんなことまで叫んでいる。

 そうして全員が室内に入ったことで一気に床のホコリが舞い上がった。「ゴホ、ゴホ」「ゲホ、ゲホ」と全員が咳き込んだ。
 いつの間にか「突入ごっこ」と化していたが巻き上がるホコリに一気に現実に引き戻された。

「窓を開けて! 窓!」

 ネイリが大声を出した。

 窓が開けられたがそう簡単に中の空気が澄むはずはない。

「何よこれ、ゲホ」

「キャー、ゴホ」

 もう、大騒ぎである。
 全員が這々の体で逃げ出した。

「こんなの無理だろ!」

 イェーシャが涙目で恨めしそうに消防機庫をにらみながら文句を言う。皆も頷いていた。ただ1人ネイリを除いて。
 ネイリは何事かブツブツ呟いていたが、レイナートの前に駆け寄った。

「閣下、新たな装備の準備許可願います!」

 その勢いに気圧されてレイナートは思わず頷いてしまった。ネイリは敬礼すると踵を返して駆け出した。メイド服がどんどん小さくなっていく。

「新たな装備ってどこへ行ったんでしょう?」

 おっとりとエメネリアが首を傾げた。


 やがてメイド服が戻ってくる。手に何かを携えて。背後に男性兵士をひとり従えて。タッタッタッと駆けてくる。

 そうしてレイナートの前に戻ると敬礼した。

「装備を用意しました。着用許可願います!」

「な、何を持ってきたのかな?」

 レイナートが尋ねるとネイリは大声で答えた。

「マスクであります!」

 軍の装備品でマスクと言えばそれは防毒マスクである。
 これは基本的には地上基地の装備品で宇宙艦艇や宇宙基地には配備されていない。それは宇宙勤務には宇宙服があるからで、艦内の警戒ランクが上がると宇宙服着用は必須となる。
 ところが地上基地の場合、緊急事態だからと宇宙服を着ることはありえない。着たところでまともに動けなくなる。
 だが万が一、敵の工作員やテロリストなどの基地内侵入を許し、空調設備を支配されたら?
その懸念のために各室課には必ず防毒マスクが準備されているのである。
 そうしてネイリは近場の他部署からこれを借りてきたのだった。しかも自分ひとりでは持ちきれないので手伝いまで依頼して。

「私、これ嫌いなのよ」

 不満の声が上がる。
 訓練生時代にこれを装着して行う実習があった。だが古い装備品、しかも使い回しだから臭い。はっきり言って臭い。
 好んで着ける者など一人もいなかった。

「ですが任務の遂行には不可欠です。小官は装備の使用を進言いたします」

 ネイリは至極真面目である。
 確かにあのホコリでは目も開けられない、呼吸もできない。
 全員渋々手に取った。そうして今度は歩いて建物の中に入っていく。


 さすがに軍の正規装備品の防毒マスク、細菌兵器や毒ガスをも遮断する。故にどれほどホコリが舞い上がろうとも苦にもならなくなった。

「コノヤロ! コノヤロ!」

「クソッタレ!」

「覚悟しろ! 覚悟しろ!」

 まるで頭にくる上官の顔でも思い浮かべているかのように、およそ女性らしからぬ声を発しながらハタキを振り回す。開け放たれた窓から煙のようにホコリが舞い上がっていく。

 いつしか建物の周りには人だかりができていた。
 当然だろう。
 突如現れたメイド服を着た若い女性に「マスクを貸してください」と言われた部署が興味を持たない訳がない。

「何やってんだ?」

「さあ?」

 さすがに肩に十字型四点星を3つも着けた人物の前では大声では話しにくい。ヒソヒソと話している。

 やがて建物内から大声が聞こえてきた。

「キッチン、クリア!」

「当直室、クリア!」

「分隊員控室、クリア!」

「階上を全て制圧。任務完了、部隊撤収!」

 そうして防毒マスクを着け、ホコリにまみれた女性たちが建物内からゾロゾロ出てくる。そうして極めつけは、防毒マスクにメイド服、手にはハタキのネイリが出てきたところで、何故か観客から拍手喝采が巻き起こった。

「頑張ったな」「偉いぞ!」「ピー、ピー」「ヒュー、ヒュー」

 口笛まで鳴らす者がいた。

「いいぞ、良くやった!」

 という声に振り返れば、満足げに頷いているアニエッタの父、シュピトゥルス大将閣下。

「親父さん! 聞きたいことが!」

 アニエッタが父親に駆け寄る。

「少佐、勤務中だぞ!」

「うるさい、このロリコン!」

 たしなめる父親を逆に怒鳴りつけた。
 この後、シュピトゥルス閣下は愛娘に小一時間は問い詰められていた。


「装備回収。次の装備を分配します」

 ネイリは淡々と口にした。

「ええ!? まだ何かやるの!」

「当たり前です」

 ピシャリと言う。
 そう言って手渡したのはバケツと雑巾。

「舐めても大丈夫なくらい、全てを磨き上げて下さい」

「舐めてもって、嘘でしょ!」

「そのくらいの気概を持て、ということです。メイドの基本です!」

「いや、私、メイドじゃないから!」

 すんなりと次の作業には移らない。

 観客もいつの間にかいなくなった。
 まさか建物内部まで入って見物する訳にもいかず、第一、自分の仕事もある。油を売っていたら上司にどやされる。


 そうして午前は終わりを告げ、昼になっていた。

「お腹すいた~」

 そう言いながらバケツを手に建物から出てくる。朝から体を動かしていれば当然である。

「でもこの格好じゃ食堂には行けないわよ!」

 ホコリまみれで薄汚れている。入ろうとしても「不衛生」を理由につまみ出されること請け合いである。

「どうするのよ?」

「何か買って来ようか?」

「ええ~、動きたくなーい」

 するとネイリが両手に朝の荷物を持ってきた。ギクリとする女性たち。「まだ何かさせるつもり?」と。

「お昼を用意してまいりました。サンドイッチ程度しかありませんが、皆さん召し上がって下さい」

 そう言って荷物の中からランチボックスを取り出して一人ずつに配る。

「まるで野戦行軍演習ね」

 と言う割には顔がほころんでいた。

「あら、ネイリ。夜中から何かゴソゴソやっていたと思ったらこれを作っていたの?」

 おっとりとエメネリアが尋ねた。

「はい、お嬢様」

「夜中からって、アンタ、寝てないの?」

「なんの一晩くらい! メイドたるもの……」

 プロ根性の塊のネイリだった。


 さて、いざ食べる段となって、せっかく掃除した室内を汚したくない、ということで近くの芝の植え込みの上で車座になった。
 ところがその並び順で一悶着あった。

「閣下こちらへ」

 ネイリがまずレイナートを案内する。まあ最高位であり、自分たちの指揮官である。当然である。

「お嬢様、こち……」

 次にエメネリアをその隣へ、とネイリが声を掛けたところで異議が唱えられた。

「ちょっと、待ったあ!」

「異議あーり!」

「職権濫用は許さないわよ」

 どんな職権なんだかよくわからないが、誰がレイナートの隣りに座るかで紛糾した。

「公平にジャンケンしよ! ジャンケン!」

「そうしましょう!」

「ふふふっ、ついにこの時が来た。私は絶対勝つ! 勝ってみせる!」

「後出しはなしよ!」

「当たり前でしょ!」

 一体貴女たちはお何歳ですか、と聞きたくなるほど皆、真剣だった。
 そうして13人の女性によるジャンケン大会が始まった。

「なんで、私が……」

 一緒にジャンケンすることを強要されたモーナが文句を言う。

「いいから、やりなさい! 副官でしょ!」

 一体誰の? どこに関係が? というモーナの声は次の声でかき消された。

「いくわよ? 最初はグー、ジャンケン、ポン」

「アイコで、しょ!」

 しばし決着がつかなかった。それはそうだろう。13人でともなると一発で決まる方が珍しいだろう。
 ちなみに副官たち ― 上司が艦長となったことで特例でアシスタントから昇格する内示を受けていた ― は別にレイナートの隣なんてどうでもいいのだが、自分の上司の気持ちを慮って参加していた。すなわち自分が勝ったら上司に譲るつもりで。

「負けた~」

「あ~あ、残念」

 そうしてこの場で、当人としては最もレイナートのことをどうでもいいと思う2人が勝ってしまった。モーナとネイリである。

「……」

 恨めしげに自分の拳を見つめるモーナ。
 一方、勝ってはしゃいでいるのはネイリである。

「やった、お嬢様、勝ちました! わたくしの代わりに……」

「席交換禁止!」

「そんなの絶対許さない!」

「ダメと言ったらダメ!」

 全くどこの小娘たちかという騒ぎようだった。


 午後には設備の点検を始める。電気、水道、通信回線、備品のチェック。修理の必要なもの、補充される必要のあるもの。それらがリストアップされる。

 そうして時刻は一六〇〇(午後4時)になろうとしていた。
 中央総司令部基地の基本就業時刻は〇八〇〇から一七〇〇まで。昼の休憩を挟んで8時間勤務である。

「1時間ほど早いが終わりとしようか」

 レイナートが言う。

「ええ!? 時間超過手当がつかないじゃない!」

「そんなのどうでもいいわ。早くシャワー浴びたい」

「それもそうね」

 ということで女性たちはいつもより1時間早く帰っていった。
 後ろ姿にはさすがに疲労感が溢れていた。

 そうして彼女たちは自室のバスルームに入って鏡を見て叫ぶ。

「なにこの汚い顔! もうやだ! これじゃあ明日、恥ずかしくて出勤できないわ」

 そうして身体を洗い流した湯が真っ黒に染まっているのを見て絶叫したのだった。

「ぎゃーっ、もう二度と大掃除なんてやらない!」

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