イステラ軍の勤務形態は7日に1度の休みがあり、基本は3交代制。民間では週休二日が当たり前なのにも関わらずである。もちろん勤務年数と階級による有給休暇、別の公休制度があるものの、週6日勤務が基本では志願中心の人材確保はなかなか難しい。 そもそも公務員と民間では給与を比べる事自体悲しくなるが、軍だけは他の省庁とは全く異なる。基本給与が1流企業と比べても全く遜色ない上、各種手当は民間など遥かに凌駕する。 民間でも基本的にある手当は当然あるし、さらに軍人の基本業務は戦争をすること、ということもあって危険手当が半端なく多い。後方勤務の場合は直接戦闘部門ではないが、確かに倉庫内には武器弾薬も保管されているとはいえ、それでも何らかの理由をつけて危険手当が付く。さらに宇宙勤務手当があって、プロテクト・スーツ着用手当、宇宙服着用手当というのまである。 この厚遇ぶりには政府内でも時に槍玉に上がるが退役軍人会は猛反対する。 さて、消防機庫を仮のオフィスとすることを決めたValkyries of Lindenmars隊。だが外壁の汚れはともかく、内部は何年も空調が動いていないのでホコリが積もっている。とてもではないがこのままでは使えない。 「わたくしにとってメイド服こそが本来の戦闘服。さればこれを着ずして任務の遂行はありえません!」 だがさすがにそれは無理な話である。そういう私服 ― と言っていいのかどうか ― を何か特別なイベントでもない限り基地内で着ることは許されていない。 「リューメール准尉、気を落とさないように。いずれは機会はあると思う。 レイナートは皆にそう言った。 「ただこの様子では時間がかかりそうなので1時間ほど早く始めよう。皆の時間超過手当はきちんと申請するから」 翌土曜日朝。〇七〇〇(午前7時)に集合してきたValkyries of Lindenmars隊の面々。ただエメネリアとネイリが遅れていた。 「まさかメイド服が着れないショックで来ないんじゃないでしょうね。冗談じゃないわよ!」 「ホント、困ったことになったわね」 自分たちで掃除をするという言い出しっぺはネイリである。そうしてそれを受け入れたのはネイリの「掃除のプロ」というスキルを当て込んでのことだった。したがってネイリがいないと自分たちは何をどうしていいかわからない、というのが本音だった。 「あら、来たようね」 基地内官舎からの巡回バスが停まり人が降りてきた。 「でも変じゃない? 逆方向のバスよ」 と思っていたらさらに変なことに気づいた。 「なんだかネイリの服の色が違うんだけど」 イステラ軍の軍服は濃い鈍色で、地上勤務の女性はボトムはパンツかスカートを選べる。 だがネイリの服は全く違う。 「まさか、メイド服?」 「のようね」 「嘘でしょう?」 「見つかったら大事じゃない!」 「いえ、その前に巡回バスに乗れないでしょう」 「じゃあ、どうして」 「まさか、許可を取ったとか……」 口々に言っていた女性たちはレイナートを振り返った。 「いや、私は知らない。許可なんてしてないぞ」 焦るレイナート。 「本当ですか? まさかメイド服がお好みでこっそり許可したとか……」 モーナがレイナートを睥睨した。 「本当だとも! 絶対に許可なんてしてない!」 必死に抗弁する。 「にしても、あの大荷物は何?」 近づくに連れてネイリは前から見ても背中に大きなものを背負っているのが見えるし両手も塞がっている。ちなみにエメネリアは手ぶらで涼しい顔をしていた。 2人はレイナートの前まで来ると何事もないように敬礼した。 「遅れて申し訳ありません」 エメネリアが言うがレイナートの目はネイリに注がれている。 「閣下、恥ずかしいです」 頬を赤らめて俯きもじもじと言うネイリ。 「リューメール准尉、その格好はなんですか!」 モーナが詰問した。 「メイド服であります、少佐殿」 そう言って胸を張るネイリ。 それだけでスレンダーなアニエッタと筋肉質なエレノアとイェーシャは面白くない。 「誰が許可したの? 許可なしでその格好は懲罰ものよ」 それに対してネイリはスラスラと答えた。 「シュピトゥルス大将閣下であります、少佐殿」 それを聞いてアニエッタが目を丸くした。 「えっ? 親父さんが……」 と、見る間に顔が真っ赤になった。燃えるように赤い髪にも負けないくらいに。 ―― あのクソ親父!、 さてはロリコンだったか! 「任務遂行に必要とあらば構わない、と仰って下さいました」 「任務って……」 呆れてものも言えない、というのはまさにこのことだった。 「副官たるもの、上官の便宜を図り、その職務をつつがなく遂行できるようサポートするのが本来の役目。 確かにその言葉には一応頷ける。頷けるが、どうもシュピトゥルス提督の下心が見え隠れする気がする。 「小官の服装よりも、本日の任務の方が重要です。違うでしょうか、閣下?」 だが平然とそう言われたら、これまた頷くしかなかった。 「準備をしてまいりました。本日の装備であります」 そう言ってネイリは皆に何物かを配って歩く。 「これは……、もしかして特殊警棒?」 「そうです、少尉殿。さすがによくご存じです」 イェーシャの言葉にネイリが首肯した。 「何だ、これ?」 エレノアが尋ねた。 「ハタキであります、大尉殿」 「ハタキ?」 「はい、ハタキです」 「……」 そこで会話が終わってしまった。 「それで、ハタキってなんだ?」 エレノアが再度尋ねた。 「ハタキとは、メイドの必須アイテム。これなくしてメイドは任務を遂行できないという標準装備中の標準装備です」 再び胸を張る。 「こうして……」 警棒を伸ばした。 「溜まっているホコリをすべて払い飛ばします」 そう言って手首のスナップを効かせて警棒を振る。 「あら、わたくしの分は? ネイリ?」 だがただひとり何も渡されなかったエメネリアが尋ねると、ネイリが滅相もないと首を振った。 「お嬢様にこのような下々のマネはさせられません!」 ―― どうせアタシら下々ですよ。 という顔を女性たちは一斉にする。 「だめよ、ネイリ、そういうのは。 エメネリアが言う通り、確かにレイナートも手渡されていた。主のエメネリアにはやらせずともレイナートには一緒に掃除をさせるつもりだったところが空恐ろしいまでにプロフェッショナルである。 「最愛の殿が……」 「ああ、もう、どうでもいいわ。さっさとやっつけましょ!」 アニエッタが口を挟んだ。 ―― 「最愛の殿方」なんて言わせるもんですか! アニエッタが睨み返した。 自分の主人が負けまいと意地になってしまったネイリは諦め顔でレイナートに言った。 「閣下、号令をお願い致します」 主たるエメネリアの恋の成就を助けるのも己の務めだが、今は、ホコリの山を目の前にメイドの血が騒いでもいるようだった。 「号令?」 レイナートがキョトンと聞き返す。 「そうです、閣下。部隊は指揮官の命令で行動を開始します」 それは確かにそうだが、こんな時もか……。 「リューメール准尉、準備完了。何時でも行けます!」 警棒のハタキを手にネイリが構えた。真剣な眼差しはまさに突入の合図を待っている兵士そのものだった。 それを見ていたアリュスラはふと思った。 ―― 私も軍人、なんだろうか? 確かに軍に所属しているのだから軍人と呼ばれる職業にはついている。でも一度も戦闘経験のない、後方部門しか知らない自分は果たして軍人と呼べるものなのだろうか。 己が所属していた管理部は直接戦闘部門ではなかった。だから戦闘艦艇であるリンデンマルス号内にいても、実際にアレルトメイア艦隊と砲火を交えていた時も、銃を持って負傷兵の発生に備える看護士の警護に当たっただけだった。そもそも銃なんて訓練でしか撃ったことがない。 そんな自分を艦長にという。しかも新造の後方支援艦だという。だがそれは大丈夫なんだろうか? だが新しい部隊の艦隊編成では、この後方支援艦も艦隊の正規構成艦となるという。ということは部隊行動を要求されるということだ。丸腰に近い船で? それは砲撃演習の標的艦ではなかろうか? ―― そんな船の艦長が私? 一体どうしろと言うのよ! とアリュスラは声を大にして叫びたかった。 コスタンティアは同期の華。これほど優秀で美しい女性は見たことがなかった。 そんな自分が後方支援艦のとはいえ艦長? しかもその区分が曖昧な船。 戦術研究室ならまだ自分は役に立てていたという実感が持てた。 ―― でも新たな職務はわからいことだらけで怖い。逃げ出したい。 いつのまにか特殊警棒を持つ手が震えていた。 それを見てなのか、ビーチェスがアリュスラに声を掛けた。 「大尉殿、自分の後ろを離れないで下さい」 「えっ?」 「訓練所からの叩き上げは戦闘訓練もしっかりやってますからご安心下さい。敵施設への突入・制圧も訓練だけですが経験済みです。後方一筋ではありましたが、必ずや大尉殿の盾になってご覧に入れます」 「だから何? どういうこと?」 歳上の叩き上げの部下にそう言われてアリュスラは訳がわからない。 「大丈夫。誰にでも始めてはあります」 だがビーチェスはそう言うに留まった。アリュスラには少しも彼女の発言の意図がわからなかった。 「アンタ何言ってるの? たかが掘っ立て小屋の大掃除よ。特殊部隊の突入作戦じゃないんだから!」 「ええ、そうです。 そう言ってビーチェスは笑ってみせた。 ―― もしかしたら、気を使われた? ―― 私が新しい任務にビビってるのに気づかれた? それは本当に小さな励ましだった。でもそれで少し余裕ができた。周囲に目を配るという余裕が。 誰もが緊張の面持ちだった。それは単なる大掃除に臨む顔じゃなかった。 ―― きっとみんなも同じなんだ。 そこでレイナートをちらりと見た。 ―― 普通、もう少し貫禄が出そうなものなんだけどね。 でもそのレイナートが一番の重責を担っている。そう思うと自分の悩みは小さく思えた。 ―― 頑張らなきゃ。「女性が男に劣っていないことを、男と同じようにやれるということを軍全体に見せてやる」んだから。 「アリュスラ・クラムステン大尉、突入準備よし!」 胸を張ってそう大声を出したら何だかスッキリした。 ―― 私って結構単純かも……。 自然と笑みが溢れた。それはアリュスラをして「リンデンマルス号の 全員が一列横隊で身構えていた。 その場が沈黙に包まれた。「トクン、トクン」という己の鼓動が聞こえるほど静まり返っている。 ―― 私は大丈夫。落ち着いてる。 ―― やれる! 私はやれる! そこによく通る声が響いた 「総員、突入せよ!」 レイナートの号令と同時に全員が「ハップ、ハップ」と声を上げながら、全速で駆け出し消防機庫のガレージから内部に突入する。 それを見てレイナートが首を傾げる。 ―― 何だか変にテンション上がってないか? 新兵や士官候補生の突入訓練や野駈けの時、何故か「ハップ、ハップ」と声を掛けさせられる。そうして理由を教導官に尋ねても「昔からそうだった」と言われるだけである。 それはともかく、ガレージから突入した女性たちは、まさに突入訓練の如き動きでまずは階段に取り付く。突入時とは打って変わって沈黙している。 そこでエレノアが怒鳴った。 「突入!」 ガバッと扉が開かれ中に乱入する。 「隠れてないで出てこい!」 何か勘違いしてそんなことまで叫んでいる。 そうして全員が室内に入ったことで一気に床のホコリが舞い上がった。「ゴホ、ゴホ」「ゲホ、ゲホ」と全員が咳き込んだ。 「窓を開けて! 窓!」 ネイリが大声を出した。 窓が開けられたがそう簡単に中の空気が澄むはずはない。 「何よこれ、ゲホ」 「キャー、ゴホ」 もう、大騒ぎである。 「こんなの無理だろ!」 イェーシャが涙目で恨めしそうに消防機庫をにらみながら文句を言う。皆も頷いていた。ただ1人ネイリを除いて。 「閣下、新たな装備の準備許可願います!」 その勢いに気圧されてレイナートは思わず頷いてしまった。ネイリは敬礼すると踵を返して駆け出した。メイド服がどんどん小さくなっていく。 「新たな装備ってどこへ行ったんでしょう?」 おっとりとエメネリアが首を傾げた。 やがてメイド服が戻ってくる。手に何かを携えて。背後に男性兵士をひとり従えて。タッタッタッと駆けてくる。 そうしてレイナートの前に戻ると敬礼した。 「装備を用意しました。着用許可願います!」 「な、何を持ってきたのかな?」 レイナートが尋ねるとネイリは大声で答えた。 「マスクであります!」 軍の装備品でマスクと言えばそれは防毒マスクである。 「私、これ嫌いなのよ」 不満の声が上がる。 「ですが任務の遂行には不可欠です。小官は装備の使用を進言いたします」 ネイリは至極真面目である。 さすがに軍の正規装備品の防毒マスク、細菌兵器や毒ガスをも遮断する。故にどれほどホコリが舞い上がろうとも苦にもならなくなった。 「コノヤロ! コノヤロ!」 「クソッタレ!」 「覚悟しろ! 覚悟しろ!」 まるで頭にくる上官の顔でも思い浮かべているかのように、およそ女性らしからぬ声を発しながらハタキを振り回す。開け放たれた窓から煙のようにホコリが舞い上がっていく。 いつしか建物の周りには人だかりができていた。 「何やってんだ?」 「さあ?」 さすがに肩に十字型四点星を3つも着けた人物の前では大声では話しにくい。ヒソヒソと話している。 やがて建物内から大声が聞こえてきた。 「キッチン、クリア!」 「当直室、クリア!」 「分隊員控室、クリア!」 「階上を全て制圧。任務完了、部隊撤収!」 そうして防毒マスクを着け、ホコリにまみれた女性たちが建物内からゾロゾロ出てくる。そうして極めつけは、防毒マスクにメイド服、手にはハタキのネイリが出てきたところで、何故か観客から拍手喝采が巻き起こった。 「頑張ったな」「偉いぞ!」「ピー、ピー」「ヒュー、ヒュー」 口笛まで鳴らす者がいた。 「いいぞ、良くやった!」 という声に振り返れば、満足げに頷いているアニエッタの父、シュピトゥルス大将閣下。 「親父さん! 聞きたいことが!」 アニエッタが父親に駆け寄る。 「少佐、勤務中だぞ!」 「うるさい、このロリコン!」 たしなめる父親を逆に怒鳴りつけた。 「装備回収。次の装備を分配します」 ネイリは淡々と口にした。 「ええ!? まだ何かやるの!」 「当たり前です」 ピシャリと言う。 「舐めても大丈夫なくらい、全てを磨き上げて下さい」 「舐めてもって、嘘でしょ!」 「そのくらいの気概を持て、ということです。メイドの基本です!」 「いや、私、メイドじゃないから!」 すんなりと次の作業には移らない。 観客もいつの間にかいなくなった。 そうして午前は終わりを告げ、昼になっていた。 「お腹すいた~」 そう言いながらバケツを手に建物から出てくる。朝から体を動かしていれば当然である。 「でもこの格好じゃ食堂には行けないわよ!」 ホコリまみれで薄汚れている。入ろうとしても「不衛生」を理由につまみ出されること請け合いである。 「どうするのよ?」 「何か買って来ようか?」 「ええ~、動きたくなーい」 するとネイリが両手に朝の荷物を持ってきた。ギクリとする女性たち。「まだ何かさせるつもり?」と。 「お昼を用意してまいりました。サンドイッチ程度しかありませんが、皆さん召し上がって下さい」 そう言って荷物の中からランチボックスを取り出して一人ずつに配る。 「まるで野戦行軍演習ね」 と言う割には顔がほころんでいた。 「あら、ネイリ。夜中から何かゴソゴソやっていたと思ったらこれを作っていたの?」 おっとりとエメネリアが尋ねた。 「はい、お嬢様」 「夜中からって、アンタ、寝てないの?」 「なんの一晩くらい! メイドたるもの……」 プロ根性の塊のネイリだった。 さて、いざ食べる段となって、せっかく掃除した室内を汚したくない、ということで近くの芝の植え込みの上で車座になった。 「閣下こちらへ」 ネイリがまずレイナートを案内する。まあ最高位であり、自分たちの指揮官である。当然である。 「お嬢様、こち……」 次にエメネリアをその隣へ、とネイリが声を掛けたところで異議が唱えられた。 「ちょっと、待ったあ!」 「異議あーり!」 「職権濫用は許さないわよ」 どんな職権なんだかよくわからないが、誰がレイナートの隣りに座るかで紛糾した。 「公平にジャンケンしよ! ジャンケン!」 「そうしましょう!」 「ふふふっ、ついにこの時が来た。私は絶対勝つ! 勝ってみせる!」 「後出しはなしよ!」 「当たり前でしょ!」 一体貴女たちはお何歳ですか、と聞きたくなるほど皆、真剣だった。 「なんで、私が……」 一緒にジャンケンすることを強要されたモーナが文句を言う。 「いいから、やりなさい! 副官でしょ!」 一体誰の? どこに関係が? というモーナの声は次の声でかき消された。 「いくわよ? 最初はグー、ジャンケン、ポン」 「アイコで、しょ!」 しばし決着がつかなかった。それはそうだろう。13人でともなると一発で決まる方が珍しいだろう。 「負けた~」 「あ~あ、残念」 そうしてこの場で、当人としては最もレイナートのことをどうでもいいと思う2人が勝ってしまった。モーナとネイリである。 「……」 恨めしげに自分の拳を見つめるモーナ。 「やった、お嬢様、勝ちました! わたくしの代わりに……」 「席交換禁止!」 「そんなの絶対許さない!」 「ダメと言ったらダメ!」 全くどこの小娘たちかという騒ぎようだった。 午後には設備の点検を始める。電気、水道、通信回線、備品のチェック。修理の必要なもの、補充される必要のあるもの。それらがリストアップされる。 そうして時刻は一六〇〇(午後4時)になろうとしていた。 「1時間ほど早いが終わりとしようか」 レイナートが言う。 「ええ!? 時間超過手当がつかないじゃない!」 「そんなのどうでもいいわ。早くシャワー浴びたい」 「それもそうね」 ということで女性たちはいつもより1時間早く帰っていった。 そうして彼女たちは自室のバスルームに入って鏡を見て叫ぶ。 「なにこの汚い顔! もうやだ! これじゃあ明日、恥ずかしくて出勤できないわ」 そうして身体を洗い流した湯が真っ黒に染まっているのを見て絶叫したのだった。 「ぎゃーっ、もう二度と大掃除なんてやらない!」 |