「閣下、メールの送信、完了いたしました。戦術部長のシュピトゥルス大将閣下。親展として作戦部長のシュラーヴィ大将閣下と総司令長官のフェドレーゼ元帥閣下にもです」 「よろしい」 モーナの報告にレイナートが頷いた。 「なんだと! どういうことだ!」 査閲部長はそれを聞いて青くなっていた。 さて、その少し前、約束の時間きっかりにロビーに姿を表したレイナート。セーリアはそれを見て直ぐに立ち上がり背筋を伸ばして敬礼した。 「おはようございます、閣下」 「おはよう、中佐。作戦案はできましたか?」 レイナートが尋ねるとセーリアは情報端末を差し出した。 「こちらに」 「拝見しましょう」 そう言って端末を受け取ると着席した。 しばらく無言でその作戦案を読んでいたレイナートが顔を上げた。 「質問を良いですか、中佐?」 「はい。なんなりと」 頷くセーリア。 「では、まず……」 レイナートが質問を開始する。そうしてその問いに立て板に水で返答するセーリア。 参謀の立案する作戦は、その根拠の説明を常に求められると言っていい。 そうして作戦案は司令に迎合するだけのものであっても、また逆に反発するだけであってもダメなのである。 いくつかの質問を終えてレイナートは言った。 「では、最後の質問です。この作戦案の最大の目的は何ですか?」 それに対しセーリアはきっぱりと答えた。 「部隊全員の生還です」 敵に対し一定以上の損害を与えなければ作戦としての意味はない。だがこの課題においてはセーリアは部隊員の生還を最優先した。それはたとえ全滅してまでも敢行すべき作戦ではない、と判断したからである。 「わかりました」 そう言ったレイナートの表情からは何も読み取れなかった。 「ところで、中佐。正式に人事異動となった場合、どのくらいで着任できますか?」 レイナートの声は穏やかで柔らかかった。 「10日、いえ、一週間もあれば……。もちろん 「よろしい。では早速準備して下さい」 「では……?」 「おめでとう、中佐。 「ありがとうございます、閣下!」 思わず涙がこぼれそうだった。 士官学校戦術作戦科を決して悪くない成績で終了した。だが周りが良すぎた。その為、希望した参謀部門への配属がなされなかった。その後も現在に至るまで、常に望まない部署を渡り歩いてきた。だが一度も仕事で手を抜いたことはない。いつも最善を尽くしてきた。 「では早速査閲部長のところへ行きましょうか」 レイナートが言う。 だが思った通り、というかレイナートがセーリアの異動の件を持ちかけると査閲部長は首を横に振った。 「お気持ちは分かります、閣下。リディアン中佐は優秀ですから。ですがそれ故こちらとしても手放せません」 査閲部長はネズミのような顔に薄ら笑いすら浮かべている。 「中央総司令部から、我が隊に対し可能な限り協力するように、との通達が出ていると思いますが」 「ええ、存じてます。ですからこちらも協力はしたいのです。ですが彼女が抜けると穴が大きすぎてこちらも困るのですよ」 ――心にもないことを! セーリアは怒りを隠せない。どれだけ私を苦しめれば、踏みにじれば気が済むの! と。 「そうですか、困りましたね。なんとかなりませんか?」 だがレイナートはと言えば強権を振るうでもなくそう言うばかりである。 ―― 少しがっかりだわ……。 星3つが星1つにいいようにあしらわれている。そうとしか見えなかった。 「わかりました。仕方がない……」 「えっ!?」 レイナートの諦めの言葉にセーリアは我が耳を疑う。 ―― そんな……。 それは有頂天から一気に失意のどん底に叩き落された気分だった。 何のために苦労して作戦案を立案したのか。その苦労が全て水の泡だなんて……。 「副官、シュピトゥルス閣下に連絡を。状況を説明しないと」 セーリアの目に涙が浮かぶ。だがそれは先程堪えた嬉し涙ではない。悔し涙だった。 ―― こんなことなら、初めから乗るべき話じゃなかった……。 そう歯を食いしばっているセーリアを尻目にモーナが淡々と言った。 「かしこまりました」 ―― もうダメだ、終わりなんだ……。 それはなんと儚い、一瞬の夢だったことか。そんな夢なら見ない方が良かった。 「ところで、本当によろしいのでしょうか?」 モーナが念を押す。だが何故かその顔はレイナートではなく査閲部長を向いていた。 「好きにすればいいではないか」 そこで手早くメールを送信したモーナである。 「ところで、査閲部長……」 レイナートが声を掛けた。 「何でしょうか?」 最早勝ち誇ったような笑みを隠そうともしない。 「貴官はご存知でしたか?」 「何をですか?」 「我が隊発足の経緯です」 「さあ、存じませんな。それが何か?」 「ええ。まあ知っておいても、というよりは、知っておかなければならないと思いますのでご教示しましょう」 「何ですかな?」 その上からの物言いに憮然とし始める。 「我が隊は中央総司令部統合作戦本部の作戦部長、シュラーヴィ大将閣下と同戦術部長のシュピトゥルス大将閣下の発案を、現総司令長官であらせられるフェドレーゼ元帥閣下が大層お気に入りになり、ご自身で最高幕僚部長閣下、主要後方部門の部長閣下を説得されて実現の運びになったのですよ」 「何ですって!?」 査閲部長の目が見開かれた。 「先日、総司令長官閣下の名で通達が出たと思いますが、それはそういう背景があってのことです」 「……!」 そもそも、総司令長官通達で「協力を要請する」というのは「絶対に協力しろ、異論は認めん」というのに等しい。つまりそれに背けば抗命罪に問われる可能性すらある。 そこでモーナが言ったのだった。 「閣下、メールの送信、完了いたしました。戦術部長のシュピトゥルス大将閣下。親展として作戦部長のシュラーヴィ大将閣下と総司令長官のフェドレーゼ元帥閣下にもです」 「よろしい」 モーナの報告にレイナートが頷いた。 「ま、待ってくれ!」 査閲部長が叫ぶ。 「いえ、申し訳ありませんが既に送ってしまいました。好きにして良いとのお言葉だったので」 そう言ってモーナが査閲部長を睨みつけた。 「ご自身が言ったんですよ?」と言わんばかりに。そうしてその目はこうも言っていた。 ―― 縛り首のロープを首に巻いたのはご自身ですよ。 すると、突然査閲部長席の通信端末から怒声が聞こえた。 「貴様、一体何をした!」 査閲部長を怒鳴りつける第二方面司令部司令であった。 「たった今、総司令長官閣下から直接通信があったぞ! 第二方面司令部は協力する気はないのか、と! 主星、すなわち中央総司令部に召喚ということは、決して単なる取り調べ、事情聴取ということではない。それは査問と呼ばれるものであり、罪の取り調べと同義とされる。 「貴様一体何をした! 答えろ!」 画面の中の司令は憤怒の形相である。 ―― どういうこと? そこでレイナートが沈黙を破った。 「さて、査閲部長、リディアン中佐の人事異動の件ですが、協力いただけますね?」 唖然とした顔でレイナートを見た査閲部長は力なく頷いた。 「さて、中佐。聞いての通りです。可能な限り可及的速やかな着任を望みます」 「閣下……」 まるでジェットコースターに乗せられた気分だった。天辺からどん底へ。そうして再び天辺へ。 そうしてレイナートは査閲部長のデスクの通信端末に向かって話しかけた。 「方面司令閣下、中央総司令部には私の方から取りなしておきますので、事後の処理を適切にお願いします」 「……了解した」 そう言うと司令は通信を切った。 「さて、副官。時間があまりない。我々はこれで失礼するとしよう」 「了解です、閣下」 「では中佐、異動日がはっきりしたら副官に日程を報告して下さい」 「かしこまりました。 もう堪えきれず、涙が溢れ頬を伝っていた。 査閲部長室から正面玄関へと向かう廊下で、モーナは先程の茶番と言うか、一幕を振り返っていた。 ―― 全くとんでもない上官だわ、この人。 そう思いながらレイナートの背中を睨んでいた。 ―― いえ、それを言うならさらにその上の人達ね。全く、うちの上司を監察官代わりにするなんて! 昨夜、第二方面司令部への顔出しを早々と切り上げたレイナート、一時滞在者用官舎へそそくさと移動した。 ―― えっ、嘘!? まさか……。 夜も更けた時間帯である。にも関わらず自分を自室に呼びつける。その意図はまさか……。 ―― 護身用の38口径を持ってくればよかった。 どうしようかと悩んだ末に拳銃は必要ないだろうと置いてきたのが失敗だった。と、途轍もなく物騒なことを考えながらレイナートの部屋に向かったモーナである。 だがレイナートとすれば単に打ち合わせがしたかっただけである。 一時滞在者用とはいえ、食堂やバーは階級ごとに利用制限がある。佐官のモーナは将官用には入ることすらできない。といってレイナートが佐官用に席を陣取れば「閣下、失礼ですが」と、体よく追い出されかねない。 「明日、中佐の作戦案を見てからの判断になるが、問題がなければ、直ちに彼女の異動を査閲部長に伝えるつもりだ」 「わかりました」 いささか拍子抜けのモーナだったが、決してそういうことを期待していた訳ではない。 「だが今日の査閲部長の様子では、素直にうんとは言わないだろうな」 「小官もそう思います」 「ということで、貴官の役割はメール送信だ」 「メール送信……ですか?」 「そう。シュピトゥルス閣下とシュラーヴィ閣下。それとフェドレーゼ閣下にも。 「はい。シュピトゥルス閣下とシュラーヴィ閣下。 「そうだよ」 「そうだよ、じゃないですよ! 元帥閣下に親展でどうやって送れって言うんですか!」 「あれ、アドレスを知らない?」 「当たり前です!」 「そうか、これは失礼した」 「閣下!」 烈火のごとく怒るモーナである。 「じゃあ、あとで君のアドレスに転送しておくよ」 「そうじゃなくて!」 アドレスを知ってるからって、送ったメールを見てもらえる保証なんてないじゃないですか! と言おうとしたが、レイナートは勝手に先を続けた。 「それと、メールの最後に『VOL』と必ず着けてくれ。我が隊の頭文字の。これで閣下に目を通してもらえるはずだから」 モーナの憤慨を物ともせず、自分の言いたいことだけを言うレイナートである。 恨みがましい目でレイナートを見るモーナ。 「今回の人事に合わせて、少々荒療治まで頼まれてしまったよ」 レイナートは肩を落とす。 「荒療治?」 「そうだ。どうも第二方面司令部の査閲部は風通しが悪いらしいので、風通しを良くしてこいとの別命だ」 「風通し……」 「まったく……、第五方面司令部の時もやらせて、またやらせるんだから。 「第五方面司令部?」 「ああ。以前第五方面司令部に異動になった時にも同じようなことをさせられたよ」 「それはもしかして、リンデンマルス号に異動になる前……ですか?」 「うん。異動先は一応旅団配下の連隊だったんだけどね、その基地司令官がどうしようもないヤツだった」 連隊であっても駐留艦隊基地司令なら准将以上だろう。それを「ヤツ」とは……。 「とにかく職権濫用がひどくてね。気に入った部下で周りを固めて気に入らないのは窓際に追いやった。哨戒任務もひどく不公平で、ひどいのは補給も受けられずにギリギリまで出動させられるという有様だった」 「それは確かにひどい話ですね」 「だろう? まあ連隊規模の駐留艦隊基地だから人員は少なかったけど、後方部門に女性兵士も当然いた」 「……まさか、セクハラ……ですか?」 「紛いのことは多々あったそうだ。 「直訴しなかったんですか?」 中央総司令部の監察部に直接被害申し立てをしなかったのかという意味である。 「したんだろうね。それで私が派遣された」 「何故、閣下が? 「まあ、それもあったろうし、その後の記録部の一件のせいでもあるんじゃないかな。 そこで興味半分、付き合い半分で聞いていたモーナの目が光った。 「記録部では何をなさったんですか?」 記録部ということなら自分も気になっていたから当然知りたい事柄である。 「いや、別に。戦闘レポートの見直しをしてたらおかしなことに気づいてね」 「おかしなこと?」 「うん。記録によれば重症を負ったはずの兵士の名が、別の戦闘記録に出てたんだよ」 「それは同時期、ということですよね?」 「そうだよ。初めは同名異人かと思ったんだけど認識番号が……」 「同じだった!」 「そう。で、あれこれ調べたら、どうやら負傷手当の不正受給らしいということに気づいた。それも1隻まるごと、のね」 「それはひどい」 「ああ、まったくだよ。国民の血税を何だと思ってるんだか」 「それでどうなったんですか?」 「どうも、こうも、報告したよ、集められるだけの証拠を掴んでね。 「それで……、また、シュピトゥルス閣下にですか?」 「いや、普通に監察部にだよ?」 「そうですか。それで第五方面司令部の方は?」 「こちらは、まあ、要するに喧嘩を吹っ掛けた訳だ」 「喧嘩……」 「そう。不正ははっきりしてたからね。事件を大事にすれば騒ぎになっると思ってね」 「それで騒ぎには?」 「ならなかったよ。貴官だって聞いたことなかっただろう?」 「ええ、確かに……。 「そうなんだよ。とにかく予算削減で軍は二進も三進もいかなくなってたからね、あの時は……。 「何だか、本当にひどい話ですね。それって結局、保身ということじゃないですか! 許しがたいです」 「だね」 「それで閣下は?」 「最初と同じだよ。軍の隠蔽体質なんてそう簡単には変わらないさ。口を閉ざす代わりに昇進して転属。それの繰り返しだった」 「何故、監察部にでも異動にならなかったんでしょう?」 「それはどうだろう? 一般科卒業で監察部の監察官なんて、前例がないよ。どうしてそんな人事が行われたのかっていう痛くもない、いや、かなり痛い腹を探られてことが公になるかもしれない。それを恐れたんじゃないかな」 話を聞いていたモーナは、何故レイナートの経歴が最高機密扱いだったのかわかったような気がした。理由は、要するに当時の上層部の保身、この一点だろう。何だか軍を辞めたいとすら思えてくる。 にしても、よく「消され」なかったものだと思う。 かつてクローデラの祖父が考えたのと同じことをモーナは考えていた。 だが見方を変えればレイナートの大佐に至るまでは、その上層部の保身、隠蔽主義の賜物だろう。 ―― 本当に強運の持ち主だわ。 レイナート自身に才があり、そうしてあり得ない出来事の連続。それが今のレイナートの地位につながっていることは明白である。したがって「色々ある」けれども上官としては「ハズレ」ではないと思っている。 だがそこではたと気づく。 ―― でもこれを機会に亡き者に……。 何せ30代半ばですでに中将なのである。このままいくと史上初の一般科候補生からの元帥、さらにはイステラ連邦宇宙軍総司令長官になるかもしれない。 ―― まず、ないでしょうね。 ということはこの新設部隊は女性の地位低下とともに、フォージュ中将の抹殺をも目論んでいるのかもしれない。 そうしてその考えをモーナは否定できなかった。ありえないことと笑い飛ばせなかった。 ―― これは本当にまいったわね。 これでは自分も巻き添えを食うことは目に見えている。 ―― これはなんとしてもこの部隊を成功させなきゃ! 夜に部屋に呼ばれたことに対する憤りなどすっかり忘れていたモーナである。 そうして翌日の査閲部長室での一幕を演じ、2人は意気揚々とトニエスティエへと戻ったのである。 隊の本部、あの古い消防機庫に戻ると、元々消防車を入れておく1階部分のシャッターの上に「Valkyries of Lindenmars隊 本部」とペンキで大書されていた。 「このままじゃ、どう見たって特務艦隊の本部には見えないわね」 「確かにね」 元々この建物は正面ゲートを入って直ぐ左手に広がる基地に通う兵士の自家用車駐車場の奥にぽつんと立っていて他の建物からはかなり遠い。まあその分、目立つことは目立つのだが、やはり本部棟や管理棟等の大型建造物に比べれば、掘っ立て小屋の感は否めない。 「それで、応募者はありましたか?」 出張から戻ったレイナートが開口一番尋ねた。 「問い合わせは何件かあったんですが……」 部隊発足、募集開始1週間時点で部隊への配属を希望する者は皆無だったのである。 |