遥かなる星々の彼方で

Valkyries of Lindenmars
リンデンマルスの戦乙女たち

R-15

第97話 異動


Valkyries of Lindenmars 隊 部隊章

 レイナートとモーナが本部に戻ってきっちり1週間後、今度はセーリアがトニエスティエに到着した。エナという名の大尉を伴っている。

「副官をつけることが認められています。人選はお任せします」

 レイナートにそう言われたセーリアは驚いた。確かに艦隊参謀なら副官がいてもおかしくないが、中佐の自分にそれが許されるとは!


 レイナートの立ち去った後の第二方面司令部査閲部はまるで嵐のようだった。
 査閲部長が憲兵に連行されたと思ったら方面司令部司令の名で新たな査閲部長の名がアナウンスされた。と同時に査閲部内は大幅な部員の刷新まで予告されたのである。
 査閲部長に取り入って我が物顔で振る舞っていた連中は戦々恐々として小さくなっていた。

 またセーリアのValkyries of Lindenmars隊への異動も告知された。もちろんその新たなポジションもである。
 これには大半の女性部員らが盛大に祝福してくれた。

「艦隊参謀なんてスゴイ!」

「しかも主席ですもん! 私も鼻が高いわ!」

「中佐、がんばってください! 応援します!」

「お体に気をつけて」

 口々に祝ってくれる部下の女性たちを見ながら、「さて、副官は誰にしようか」と考えを巡らせていた。


 司令であるレイナートの話によれば新設部隊はかなりの問題を抱えてのスタートになりそうだ。とりあえず最初のうちは訓練、演習が中心だが、いずれ実戦に入り部隊の、と言うよりも、女性の前線実戦部隊での有用性を検証することになる。
 自分は査閲官としての実績を買われ、その査閲を行うことになるだろう。となれば副官も自分のサポートだけでなく、査閲官としての力量に富む者がいいに違いない。

 そこでセーリアが選んだのがそのエナという部下である。エナは士官学校戦術作戦科からまっすぐ査閲部に入ってきて6年目。大尉になったばかりだが実力は十分だとセーリアは見ている。

 セーリアが話を持ちかけると初めは驚いていたが直ぐに首を縦に振った。

「中佐殿と別れるのはとても残念だったんです。またご一緒できるのは光栄です」

 ということで2人は早速業務の引き継ぎと引っ越しに取り掛かったのである。


 異動の辞令は転任先の人事部で正式に発令される。したがってそれまでは、所属は現職のままである。
 ところが軍隊というのは色々と規則がうるさい。階級や所属部署によってセキュリティ上の制限があるという問題もある。
 例えば新たな職もしくは職場では当然可能なことが現職のままでは不可能ということもある。ことに昇級を伴う異動の場合にはそういうことが起こりやすい。この場合、新たな職のために現在どうしてもしておく必要のこともできないということになってしまう。

 こういった弊害を緩和するため異動に伴う仮申請制度が軍にはある。この手続きを現在所属する司令部の人事部で行えば大抵のことは問題なくできるようになる。


 宇宙基地や艦艇勤務の者は要するに宇宙暮らしと言える。だからと言ってその基地や艦艇を現住所とはできない。軍事機密という観点からもありえない。
 そうしてイステラ国民としての公的な現住所がないという訳にはいかない。軍人も公務員であり、その前に国民であり、国民としての義務があるのである。

 例えば家族が地上に住んでいる場合はそこを現住所とできる。だが独身者の宇宙勤務者はわざわざ地上に部屋など借りていないのが普通である。と言って遠く離れた故郷の実家にすると色々と法的に面倒なことになりかねない。
 たとえば地方税はその住所のある区域を担当する行政機関に納めなければならない。
 こういった、現住所を元に定められている義務は意外と多い。これを国民として正しく履行するためにも「正しい」現住所は必要である。

 といって宇宙基地や艦艇にできないとなるとどうするか。
 そこでそういった将兵の住民登録は所属部隊の属する基地のある行政機関にて行われる。すなわち基地で暮らしていることにするのである。
 これであれば、行政機関からの通知なども確実に本人に届くからである。
 そこで現在の所属先の人事部に異動の仮申請手続きをすれば、このような行政上の必要事項は全て軍が代理でやってくれる。いわゆる転出、転入もであり、その証明書を発行してくれるのである。
 そうしてこれがないと本当の意味での引っ越しができない。


 軍人の場合、宇宙勤務だと私物はほとんど身の回りには持っていない。それは緊急退避の時に諦めざるをえないからである。
 だが地上勤務だとそういう恐れがないから、気がつくと家の中は荷物が一杯になっているものである。
 これが異動でも地上勤務から地上勤務ならとりあえずは困らない。捨てるなり全部持っていくなり、手はいくらでもあある。

 ところが地上から宇宙だと途端に困ったことになる。
 この時代、家は家具付きが普通である。これは賃貸であれ売買であれ変わらない。その方が面倒がないから、特に軍人はその傾向が強い。
 もちろん思い入れのある家具というのもあるからそういうのは持っていきたい。だがこれを持ち込むことは許されていない。
 またジュエリー、アクセサリー類の貴金属は自己責任で可能である。例えば友情の証の記念品とか家族の形見とか、そういうものを近くに置いておきたいというのは当然の心情だろう。
 ただし宇宙基地や艦艇からの退避の時には諦めなければならない。その覚悟があれば可能、ということである。

 ということで持っていくことの方を諦める。
 そこで軍に申請すればそれを無料で預かってくれる。無料で利用できる銀行の貸金庫と想像すると近いだろう。
 ただしあまり大型のものは無理なのでそういう場合は民間の貸倉庫を借りる必要がある。ただし民間の場合は無料という訳にはいかないのは当然である。
 こういった場合でも、異動仮申請の証明書を添付して軍に申請すると、その費用の一部を軍が払ってくれるという特典があるのである。
 したがって地上勤務者が宇宙勤務に異動の場合、こういった理由からも異動仮申請は必ずするのである。


 いずれにしても軍人の引っ越しは、全財産を持って移動するということの方が稀である。
 そうしてセーリアもエナも軍の独身者用官舎住まいだったので元々大した荷物はなかった。なので仮申請はしたものの本当に必要だったかは不明だった。
 何せわざわざ倉庫を借りてまで預けるものはなかったし、トニエスティエに向かう連絡艦に乗り込む際には機密パック一つで済んでしまったのである。

 査閲官という職業柄、宇宙での艦隊戦演習の査閲を行うこともある。なのでプロテクト・スーツは既に支給されている。これは着込んで行くことにした。宇宙を移動するのであるから万が一を考えれば着た方が無難だろう。
 他に持っていくものはといえば替えの軍服1組と軍服の直ぐ下に着るTシャツ数枚。まあ、PX(購買部)があればどこでも軍服やTシャツ、靴下などは支給を受けられるから必要ないと言えば言えるが一応念のため。
 いずれプロテクト・スーツを常時着ることになるといっても半年間は地上勤務。なので一応下着も数組は持っていくがそれで十分だろう。私服を着る機会はなさそうだからこれは要らない。あとは洗顔用品や化粧品、生理用品など。
 だから機密パックの隙間を見て、他に何を入れようかと悩んだほどである。
 そうして連絡艦に乗り込んだのであった。


 セーリアもエナもトニエスティエは初めてである。

 イステラ連邦の主星にして政治・経済・文化の中心地。そのトニエスティエの首都イステラ・シティーは人口2500万人。巨大都市である。
 中央総司令部はそのイステラ・シティーの郊外にあり専用宇宙港を隣接する。

 連絡艦はその宇宙港へゆっくりと降下していく。
 惑星は自転しながら恒星を公転するので位置が変わり、艦の到着時刻は日々少しずつ変わる。
現在はCST(宇宙標準時)一九三二(午後7時32分)。西の地平線にはまだ赤みが残っているものの、上空は深い紺色になっている。

 艦が台座上に着床する。
 とは言うものの台座と艦体は接触していない。その隙間およそ5m。外装パネルと外壁装甲を守るためにわざと広めになっているが、この隙間はカバーされていて実際には見えない。もし万が一、イタズラ心でこの隙間に何かを入れてみようとしたら? 例えば自分の手とか。それはそれは恐ろしい結果になる。なのでそういうお調子者のためにカバーされているのである。

 だがそのため艦の昇降口は地上から20~25mというかなり高いところになる。なので艦への乗降はタラップを利用する。
 このタラップを降りてくると直ぐ近くに小さな建物、エレベータの昇降口がある。ここで地下25mまで降りて超電導リニア地下鉄に乗りターミナル・ビルを目指す。中央総司令部も各方面司令部、駐留艦隊基地の宇宙港もこの点は変わらない。規模の違い程度の差しかない。
 ただ初めて中央総司令部へ来ると驚く。何せ地下鉄に乗っている時間は1分にも満たないからである。

「あら、もう着いちゃったの?」と思わず口に出て、中央総司令部が初めての「田舎者」であることを晒してしまうのである。

 地下鉄のプラット・ホームから再び地上に上がるとそこはもうターミナル・ビル内。ここで入管手続きを行う。
 入管窓口では命令もしくはメッセージが受け取れる。
「○○までに△△へ出頭せよ」
「別命あるまで□□で待機せよ」
などといった命令・指示から、
「至急、連絡乞う。父」
 といった完全な私的・個人的なものまでもである。これは艦艇内の個人宛私的通信は全く認められていないからである。
 また命令の類も緊急度・重要度が、たとえ艦の運行を妨げることになったとしても優先される、というのでなければ普通は送り側の方で遠慮する。待機命令など降りてから受け取れば十分だからである。


 窓口で入管手続きの終わったセーリアが係員の兵士に尋ねた。

「何かメッセージはあるかしら?」

 係員は端末の画面を見ていたが首を振った。

「何もありません、中佐殿。大尉殿にもです」

「そう、ありがとう」

「いいえ、どういたしまして。
 トニエスティエにようこそ」

 そう言った係員に笑顔を見せてセーリアとエナはゲートに向かう。

 ゲートのところには自動小銃を持ったガードが2人と、そのガードと談笑している背の高い女性がいた。
 その女性が2人に気づくと背筋を伸ばした。そうして近づくセーリアに尋ねた。

「リディアン中佐でいらっしゃいますか?」

「ええ」

 セーリアが頷くと女性が敬礼した。
 その女性の軍服の両腕の上腕部、肩に近いところに見慣れぬ部隊章が縫い付けてある。

「小官はValkyries of Lindenmars隊五番艦艦長副官、イェーシャ・フィグレブ少尉であります。お迎えに上がりました」

「ありがとう、ご苦労様」

 そう言ってセーリアも敬礼を返す。が、かすかな違和感を感じる。
 イェーシャがその後エナに向き直るとエナも敬礼を返す。

「お2人ともお荷物を。小官が運びます」

 イェーシャが言うがセーリアは首を振った。

「大丈夫よ、少尉。実はほとんど空っぽで軽いのよ」

 エナも頷いている。
 そこでイェーシャが一瞬困ったような顔をした。言われるまま預からずにいるか、それとももう一度申し出るか。だが直ぐに決心したようだった。

「かしこまりました。こちらです」

 そう言ってイェーシャが踵を返した。そこでセーリアは自分の感じていた違和感の正体に気づいた。

―― そう……。この少尉、元は陸戦兵なのね……。

 イェーシャも副官ということで参謀職にあることを示す真っ赤なスカーフをしていた。だがそれが妙に似合っていないというか、イェーシャの体が発する雰囲気にそぐわないというか、何か奇妙な感じがしていたのである。
 だがイェーシャが振り返ったことで得心がいったのだった。
 それはイェーシャが背中の腰の部分に拳銃、通称「パイソン77」を収めたホルスターを装着していたからである。

 パイソン77はイステラ軍が正規採用する拳銃の中では最も大型のものである。
 77口径というその大口径もさることながら、通常より3倍近くも火薬量を増やしたマグナム弾を使用するその銃は、故障を避けるため自動式(オートマチック) ではなく部品点数の少ない回転式(リボルバー)を採用している。
 そうしてその威力は凄まじい。ちなみにプロテクト・スーツの防弾要件はこの77マグナム弾が基準となっており、距離3mで発射されたこの銃弾を跳ね返すこととなっている。
 ただし、いくらプロテクト・スーツとはいえその衝撃の全てを吸収はしきれず、至近距離で発射されたら肋骨骨折や内臓破裂といった重傷は避けられない。
 またさらに強化型宇宙服をまとった屈強な男性であっても尻もちか膝をつかせるほどの衝撃を与える。
 もし生身でこの弾丸を受けた場合、3発で肉片しか残らない、と言われるほど凶悪な銃である。
 それほどの銃であるから誰もが扱えるということはなく、この銃が撃てるということは陸戦兵、特に重装機動歩兵の選抜要件にもなっているのである。


 イェーシャは意識的にゆっくりと歩いている。陸戦兵の癖でせかせか歩くとセーリアたちを置き去りにしかねないからである。
 その後姿は一分の隙もない。中央総司令部付属の宇宙港であるから敵襲や暴漢などあり得るはずもないが、周囲への警戒を怠らずに歩いている。

 それを見たセーリアは思う。

―― これほどの陸戦兵を副官にできるほど人材が潤沢なのか、それとも、それほど人手が足りていないのか……。

 部隊は発足したばかりだと言うから楽しみではあった。

 イェーシャが向かった先はエレベータ・ホールで、乗り込むと5階のボタンを押した。
 ターミナル・ビルの4階部分までは宇宙港を管理する部門のオフィスがあり、5階から12階までは一時滞在者用宿泊施設になっている。

 5階で降りるとそこにはフロントがあり係の上等兵がいた。

「VOL隊に異動となられたセーリア・リディアン中佐殿とエナ・ルクゼンヴィス大尉殿だ」

 イェーシャが言うと上等兵が答えた。

「承っております。お部屋は中佐殿が1009号室、大尉殿が1011号室、隣り合った部屋をご用意いたしました。
 食堂は当階、本日は二三〇〇まで、バーも同時刻に終了します。食堂は、翌朝は〇六〇〇よりご利用いただけます。
 何かご質問はございますか?」

 セーリアもエナも首を振る。所変われど同じ軍施設。使い勝手が変わる訳ではない。

「少尉、ここまでで結構ですよ」

 セーリアがイェーシャに言う。それを受けてイェーシャが言った。

「承知しました。では小官はこれにて失礼させていただきます。
 明朝、〇七三〇にお迎えに上がります」

「わかりました」

 イェーシャは敬礼するとエレベータに向かい、乗り込んだ後も扉が閉まるまで敬礼をしていた。


 指定された部屋に入ると、窓のない船室からはわからなかったが、イステラ・シティーの見事な夜景が窓いっぱいに広がっている。
 部屋はシングルベッドにデスク、一人用のカウチとあって、いわゆるビジネス・ホテルのような設えで方面司令部のそれと比べると高級感に溢れている。

―― さすがに中央総司令部だわ……。

 全イステラ軍の頂点に君臨する組織、中央総司令部。
 その本体とも言うべき統合作戦本部に配属される日が来るとはよもや思ってもいなかった。
 連絡艦に乗り込んでもずっと半信半疑ではあった。それがシティーの夜景でようやく本当のことに思えてきたのである。

 そんなことを考えていたら備え付けの電話が鳴った。応じるとエナだった。

『中佐殿、お食事はどうなさいますか?』

 食堂が閉まるまでにはまだ2時間以上もある。だが空腹ではなかった。艦内で空腹が我慢できずに食べてしまっていたのである。地上に降りれば合成食ではなく本物が食べられるのはわかっていたのだが。

「お腹の方は大丈夫だけど……。
 せっかくだから何か飲みましょうか。ささやかながら祝杯を上げましょう」

 セーリアがそう言うとエナも同意した。

「かしこまりました」


 翌朝は6時に起床したセーリア、ぐっすりと熟睡でき快適な朝を迎えられていた。

―― でも、この寝心地に慣れてしまうとあとが大変そうね……。

 艦艇内のベッドは簡易式ではもちろんない。だが地上の専用宿泊施設のものに比べればどうしても劣るのは致し方ない。それでも一兵卒のに比べたら大分マシではあるが。
 ところがこの宇宙港の宿泊施設のベッドは、今まで経験した中でも五指に入るほど良いものだったので驚いた。こんな部屋に連泊したら他へは行きたくなくなるのは請け合いである。

 シャワーを浴び軍服を着る。プロテクト・スーツは機密パックに収める。多少なりとも体を締め付けられるプロテクト・スーツは必要のない時にはできれば着たくはないものである。
 化粧をして6時30分には部屋を出る。エナとともに食堂へ向かう。
 フロントの脇に入り口があり、そこにはやはり兵が控えている。

「ご朝食はバッフェ・スタイルとなっております。お好みのものをどうぞ。
 奥の、窓際でないお席でしたら、階級に関わらずご一緒にご利用いただけます」

 兵が淀みなく説明する。
 宇宙港の一時滞在者用宿泊施設は同一の建物を将官から兵までが利用する。当然そこに配属されている兵士は訓練の行き届いたホテルスタッフにも引けを取らない。

「あら、そうなの? ではそうしましょう」

 セーリアがそう言って奥へと向かう。
 これが中央総司令部の基地施設内だと階級ごとに厳しく利用が制限されるが、隣接するこの宇宙港は何故かそこまでうるさくはなかった。ただし将官と佐官、佐官と尉官という組み合わせならばであり、兵は余計な説明を省いたのでそこまではわからなかったが。

 新鮮な生野菜にハムや卵料理と好みのものをプレートに載せ、パンにコーヒーとともにトレイに載せて席に着く。

「よく眠れたかしら?」

 セーリアが尋ねるとエナが苦笑いした。

「はい。寝心地が良すぎて危うく寝坊するところでした」

「あら、私もなのよ」

 そう言って2人して笑う。

「さすがに中央総司令部ですね。どれこれも美味しいし、施設は立派だし……」

 エナが言う。セーリアも全く同感だった。

 軍隊においては階級が上がるほど良い思いができる。だから今よりも良い暮らしがしたければ任務に励め、というのが基本である。そうして地方よりも中央の方がさらに良い思いができる、というのを実感させられる経験だった。

 おかわりのコーヒーまで飲んで部屋に戻り、身支度を再度整え荷物を持ってフロントに降りる。何があるかわからないので荷物は持っていくことにしたのだった。時刻は〇七二五(7時25分)。
 そこにはもうイェーシャが待機していた。

「おはようございます。お迎えに参りました」

「ご苦労様、お願いします」

 そう応えて1階まで降りる。


 正面玄関を出て直ぐ目の前、将官用の駐車スペースに停まる地上車の前でイェーシャが申し訳なさそうに言った。

「あいにく、我が隊に貸与されているのがこれしかありませんで……」

 それは基地内や艦艇内移動用の小型電動車である。

「ええ、かまわないわ。歩くよりはマシでしょう?」

 セーリアはそう言って後部座席に乗り込む。

 中央総司令部も方面司令部も宇宙港から基地へ直通の地下鉄は乗り入れていない。これは敵やテロリストが侵入路として利用することを防ぐためである。したがって地上の道路を利用する以外に基地内に入る方法はない。
 なお垂直離着陸航空機が基地内にも用意されているが、急病人の搬出用以外にこれを通常の移動に使用することは一部の将官を除いて許されていない。

 この電動車は艦内用は屋根なし、いわゆるオープンタイプだが、地上用は屋根がついている。まあ雨や風のことがあるから当然である。

 そうしてイェーシャは左のフロント・フェンダーのポールから三ツ星の将官旗を外すと、背中のホルスターを横に回して運転席に乗り込む。そうして外した旗をグローブボクッスにしまう。

「電動車だと遠くに停めなければならないので……」

 と言い訳するイェーシャ。だが見つかったら始末書ものの行為である。
 苦笑しつつセーリアが尋ねた。

「右のは部隊旗?」

 右側のフェンダーには、イェーシャの両腕部分に縫い付けてあるのと同じデザインの見慣れぬ旗が掲げられていた。

「はい、そうです」

 イェーシャが頷いた。

 将官が利用する車は左右のフロント・フェンダーにその階級を示す将官旗を掲げる。
 ところでイステラ軍の場合、部隊章というのはごく限られた部隊しか持っていない。通常艦隊など数千にも上るので一々用意されていないのである。
 数少ない部隊章を持つ部隊としては、有名どころでは歩兵特殊部隊のブルー・フラッグス。青旗を模した部隊章はそのまま青い部隊旗にもなっている。
 そうして部隊旗がある場合は右側にそれを掲げる規則である。
 Valkyries of Lindenmars隊は部隊章が与えられた。それは赤地に黒で甲を被る女性の横顔を模し、部隊名の入ったもの。

―― 発足1週間あまりで部隊章が与えられるなんて、中央総司令部の意気込みが感じられるわね……。

 部隊章の選定、さらに部隊旗や軍服に縫い付けられるワッペン、その他諸々。事前に準備していなければ当然間に合わないだろう。

「中央総司令部、管理棟」

 イェーシャが自動運転装置に音声認識で行き先を告げる。
 もちろん自分で運転することもできるがこの方が面倒はない。ただし、その後音声認識装置をオフにしないと、車内の会話を拾って勝手に行き先を変えるという、笑えない事態も起こるが。


 電動車は音もなく走り出す。

 宇宙港は中央総司令部に隣接するとはいえ、その間はおよそ10km離れている。これは離発着する艦に万が一のことがあった時のための予防措置である。
 もしコントロールを失った艦が中央総司令部に墜落したら?
 その場合の被害は筆舌には尽くしがたい。
 否、中央総司令部は全軍を指揮する中枢であるから、被害などという言葉では言い表すことはできないだろう。

 宇宙港から総司令部の基地までは一本道。本当に直線である。
 ところで電動車は最高時速が25kmしか出ない。これは基地内や艦内で暴走しないようにとの配慮からである。したがって電動車だとどうしても30分はかかってしまう。もっと高速の他の車ならそんなに時間はかからないが、部隊に貸与されたのがこれしかないのだから仕方がない。
 イェーシャが初めに謝ったのにはこれも理由であった。

 基地に近づくに連れ、道の両側には建物が増えていく。これは基地に所属する将兵や軍属の住宅、商業地域、行政・教育の機関などである。
 中央総司令部に勤務する将兵、軍属は併せて1万人以上にもなる。したがって、基地の内部にも住宅はあるがそれだけではとても足りない。そこで民間の建築・不動産会社などがアパートや戸建住宅を建設し販売したり賃貸しているのである。
 ただ敷地の直ぐ側には高層建造物はない。これは基地への狙撃、はないにしても監視等を避けるという名目で法律上許されていないのである。

 基地に近づくと周辺道路が渋滞しているのが見えてくる。
 自家用車での通勤は正面ゲートからのみ入構可能なので交通集中が起きるのである。
 ちなみに宇宙港からは専用ゲートからなので渋滞を尻目に楽に通過できる。

 ゲートでは当然一時停止させられる。だがゲートのガードはイェーシャの腕の部隊章を目にすると直ぐに通過を許可してくれた。
 どれほどの大人数でも毎日みていればそれとなく顔は覚えるし皆軍服を着て乗っている。なのでゲートでのセキュリティ・チェックもそれほど厳重でないということもある。
 まあ褒められたことではないが、戦時とはいえまだそれほど緊張感がないということの現れだろう。


 管理棟に到着すると人事部に真っ直ぐ向かう。
 そこで異動の手続きを完了すると晴れて転属となる訳である。
 ちなみに辞令の発令は職場の責任者によって口頭でするのが一般的だが、多分にこれは形式的なものである。その場で言ったところで人事部にて手続きをしなければそれは正式には発効しないからである。

 ところが人事部の窓口ではセーリアとエナの異動手続きが直ぐには終わらなかった。窓口に立つ軍曹が何やら手間取っていたのである。そうしてそばにいた曹長に相談したのだがそれでもまだ何かやっている。
 イライラ、まではいかないものの不審に思ったのだった。
 通常の転属に伴う手続きでここまで手間取ることはない。何かトラブルか? と思ったところでその上司と思しき少尉がやってきて、端末の画面を覗き込んだ。

「ああ、これはこのままでいいんだ」

 少尉がそう言うと軍曹と曹長は要領を得ない様子だったが少尉が重ねて言った。

「問題ない、そのまま処理しろ」

 そうまで言われれば後で自分が責任を取らされることはない。ということでようやく処理が済んだのだった。

 少尉は待たせたのが中佐と大尉ということで恐縮したように言った。

「申し訳ありません、部下が不慣れでして……」

 それだけではないようにも思えたが、ここで詳細を要求してもしようがないだろう。
 それに少尉が続け様に言った。

「ところで申し訳ありませんが、この後、装備局へ足を運んでいただけないでしょうか?」

「装備局?」

 そこでイェーシャが聞き返した。そういう指示は受けていないから当然の問だった。
 それにただ「装備局」と言われてもどこへ行けばいいかわからない。


 軍隊には様々な部門、部署があり組織として細分化されているものである。そうして当然中には同じような部署が別の部門にも存在したりする。
 例えば「庶務」というセクション。これは各室課に必ずあると言っていいもので、所属する兵士の労務管理や備品、消耗品の管理をするところで、どの部署においても業務内容はほぼ同じである。
 総務部や人事部、管理部などでは各部署の細かいところまでは手が回らない。だから各部署ごとに取りまとめさせるためにそれぞれに存在するというものである。

 ところがこれとは異なり「装備」に関しては同じ名前の別組織が複数存在し、それぞれ担当するものが違う。

 例えば、我らがシュピトゥルス大将閣下が部長を務める戦術部。ここの装備局はイステラ軍の全艦艇を管理する。それは戦闘艦艇、後方支援艦、はては病院船、儀典局の冠婚葬祭用儀典艦に警備艇に至るまで全てである。
 もちろんそれらは所属する部隊によって運用されている。だが税法上の国家資産としての艦艇は全て戦術部装備局が所有していることになっているのである。
 ちなみに宇宙基地は戦術部の施設局、艦載機や突撃艇、重装機動歩兵用のスペース・バイクなどは同じ戦術部の兵器局が担当する。

 ところが装備部という名の部署がありそこにも装備局がある。ここは重装機動歩兵の纏う強化外装甲、各種宇宙服、飛行服・野戦服と言った特殊用途の軍服にプロテクト・スーツなどを担当する。
 同じ装備部の兵器局は拳銃や自動小銃といった小火器にガードが着用するヘルメット、防弾ベスト、エルボー・ガード、ニー・ガードといったプロテクター類、防毒マスクなどを担当するセクションである。

 そうして総務部にも装備局がある。
 ここは正規の軍服(靴を含む)や儀典用の各種装飾品などを担当するのである。
 ちなみに軍服の下に着るTシャツやタンクトップ、下着、靴下は装備という観点からは軍服には含まれず、タオルなどと一緒に用具局と言う名のセクションで管理する。
 さらに言うならトイレット・ペーパーや洗面用品、女性の化粧品、生理用品などPXで支給が受けられるその他のものは総務部の用品局というのが担当している。

 したがってただ「装備局」と言われても「どこ」の装備局へ行けばいいのかわからないのである。

「あっ! 申し訳ありません。総務部装備局です」

「総務部の? どう行くんだっけ?」

 不審に思いつつも、行けというのなら行くべきだろう。愚図々々していると本部に行くのが遅くなる。だがイェーシャも総務部の装備局は、一度は行ったことがあるのだがよく覚えてはいなかった。

「そこの扉を出て右に行くと連絡通路があるので、それを通って別棟の2階右奥です」

 少尉がイェーシャに言う。
 同じ少尉だがイェーシャは参謀部門を示す赤いスカーフをしている。これは艦長や艦隊司令の白スカーフとともに余所よりも格上とされているので言葉遣いが丁寧にだったのである。

 ということで今度はそちらへ向かう。
 管理棟は人事部、総務部、経理部に施設管理を担当する文字通りの管理部と入っていて、本部棟に並ぶ大型の建造物である。なので結構歩かされた。


 総務部の装備局へ着くと今度は手間取ることはなかったが小部屋に通された。中にはベンチが一つあるだけの何やら待合室のような作りである。

 そこに女性の准尉が兵2名を連れて現れた。

「申し訳ありませんが中佐殿、大尉殿、上着を脱いで下さいますか?」

 いきなりそう言われて驚かされる。

「こちらと交換させていただきます」

 そう言うと兵が前へ出て手にしていた軍服の上着を目の前に広げる。
 その上着の両腕の部分にはVOL隊の部隊章が縫い付けてあり、肩にはそれぞれの階級章も着けられてあった。要するにまさに准尉の言うとおり部隊章の着いた軍服との交換だった。

「準備がいいのね」

 セーリアがイェーシャに言うと、イェーシャは知らないとばかりに首を振る。

「これはフォージュ中将閣下からのご指示です」

 准尉が説明する。

「それとスカーフもお外し下さい。こちらと交換させていただきます」

 そう言って准尉が示したのは、参謀職にある者が身につけるべき真っ赤なスカーフだった。

 それでいよいよ自分がVOL隊に転属になったことを実感したセーリアとエナだったのである。

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