レイナートとモーナが本部に戻ってきっちり1週間後、今度はセーリアがトニエスティエに到着した。エナという名の大尉を伴っている。 「副官をつけることが認められています。人選はお任せします」 レイナートにそう言われたセーリアは驚いた。確かに艦隊参謀なら副官がいてもおかしくないが、中佐の自分にそれが許されるとは! レイナートの立ち去った後の第二方面司令部査閲部はまるで嵐のようだった。 またセーリアのValkyries of Lindenmars隊への異動も告知された。もちろんその新たなポジションもである。 「艦隊参謀なんてスゴイ!」 「しかも主席ですもん! 私も鼻が高いわ!」 「中佐、がんばってください! 応援します!」 「お体に気をつけて」 口々に祝ってくれる部下の女性たちを見ながら、「さて、副官は誰にしようか」と考えを巡らせていた。 司令であるレイナートの話によれば新設部隊はかなりの問題を抱えてのスタートになりそうだ。とりあえず最初のうちは訓練、演習が中心だが、いずれ実戦に入り部隊の、と言うよりも、女性の前線実戦部隊での有用性を検証することになる。 そこでセーリアが選んだのがそのエナという部下である。エナは士官学校戦術作戦科からまっすぐ査閲部に入ってきて6年目。大尉になったばかりだが実力は十分だとセーリアは見ている。 セーリアが話を持ちかけると初めは驚いていたが直ぐに首を縦に振った。 「中佐殿と別れるのはとても残念だったんです。またご一緒できるのは光栄です」 ということで2人は早速業務の引き継ぎと引っ越しに取り掛かったのである。 異動の辞令は転任先の人事部で正式に発令される。したがってそれまでは、所属は現職のままである。 こういった弊害を緩和するため異動に伴う仮申請制度が軍にはある。この手続きを現在所属する司令部の人事部で行えば大抵のことは問題なくできるようになる。 宇宙基地や艦艇勤務の者は要するに宇宙暮らしと言える。だからと言ってその基地や艦艇を現住所とはできない。軍事機密という観点からもありえない。 例えば家族が地上に住んでいる場合はそこを現住所とできる。だが独身者の宇宙勤務者はわざわざ地上に部屋など借りていないのが普通である。と言って遠く離れた故郷の実家にすると色々と法的に面倒なことになりかねない。 といって宇宙基地や艦艇にできないとなるとどうするか。 軍人の場合、宇宙勤務だと私物はほとんど身の回りには持っていない。それは緊急退避の時に諦めざるをえないからである。 ところが地上から宇宙だと途端に困ったことになる。 ということで持っていくことの方を諦める。 いずれにしても軍人の引っ越しは、全財産を持って移動するということの方が稀である。 査閲官という職業柄、宇宙での艦隊戦演習の査閲を行うこともある。なのでプロテクト・スーツは既に支給されている。これは着込んで行くことにした。宇宙を移動するのであるから万が一を考えれば着た方が無難だろう。 セーリアもエナもトニエスティエは初めてである。 イステラ連邦の主星にして政治・経済・文化の中心地。そのトニエスティエの首都イステラ・シティーは人口2500万人。巨大都市である。 連絡艦はその宇宙港へゆっくりと降下していく。 艦が台座上に着床する。 だがそのため艦の昇降口は地上から20~25mというかなり高いところになる。なので艦への乗降はタラップを利用する。 「あら、もう着いちゃったの?」と思わず口に出て、中央総司令部が初めての「田舎者」であることを晒してしまうのである。 地下鉄のプラット・ホームから再び地上に上がるとそこはもうターミナル・ビル内。ここで入管手続きを行う。 窓口で入管手続きの終わったセーリアが係員の兵士に尋ねた。 「何かメッセージはあるかしら?」 係員は端末の画面を見ていたが首を振った。 「何もありません、中佐殿。大尉殿にもです」 「そう、ありがとう」 「いいえ、どういたしまして。 そう言った係員に笑顔を見せてセーリアとエナはゲートに向かう。 ゲートのところには自動小銃を持ったガードが2人と、そのガードと談笑している背の高い女性がいた。 「リディアン中佐でいらっしゃいますか?」 「ええ」 セーリアが頷くと女性が敬礼した。 「小官はValkyries of Lindenmars隊五番艦艦長副官、イェーシャ・フィグレブ少尉であります。お迎えに上がりました」 「ありがとう、ご苦労様」 そう言ってセーリアも敬礼を返す。が、かすかな違和感を感じる。 「お2人ともお荷物を。小官が運びます」 イェーシャが言うがセーリアは首を振った。 「大丈夫よ、少尉。実はほとんど空っぽで軽いのよ」 エナも頷いている。 「かしこまりました。こちらです」 そう言ってイェーシャが踵を返した。そこでセーリアは自分の感じていた違和感の正体に気づいた。 ―― そう……。この少尉、元は陸戦兵なのね……。 イェーシャも副官ということで参謀職にあることを示す真っ赤なスカーフをしていた。だがそれが妙に似合っていないというか、イェーシャの体が発する雰囲気にそぐわないというか、何か奇妙な感じがしていたのである。 パイソン77はイステラ軍が正規採用する拳銃の中では最も大型のものである。 イェーシャは意識的にゆっくりと歩いている。陸戦兵の癖でせかせか歩くとセーリアたちを置き去りにしかねないからである。 それを見たセーリアは思う。 ―― これほどの陸戦兵を副官にできるほど人材が潤沢なのか、それとも、それほど人手が足りていないのか……。 部隊は発足したばかりだと言うから楽しみではあった。 イェーシャが向かった先はエレベータ・ホールで、乗り込むと5階のボタンを押した。 5階で降りるとそこにはフロントがあり係の上等兵がいた。 「VOL隊に異動となられたセーリア・リディアン中佐殿とエナ・ルクゼンヴィス大尉殿だ」 イェーシャが言うと上等兵が答えた。 「承っております。お部屋は中佐殿が1009号室、大尉殿が1011号室、隣り合った部屋をご用意いたしました。 セーリアもエナも首を振る。所変われど同じ軍施設。使い勝手が変わる訳ではない。 「少尉、ここまでで結構ですよ」 セーリアがイェーシャに言う。それを受けてイェーシャが言った。 「承知しました。では小官はこれにて失礼させていただきます。 「わかりました」 イェーシャは敬礼するとエレベータに向かい、乗り込んだ後も扉が閉まるまで敬礼をしていた。 指定された部屋に入ると、窓のない船室からはわからなかったが、イステラ・シティーの見事な夜景が窓いっぱいに広がっている。 ―― さすがに中央総司令部だわ……。 全イステラ軍の頂点に君臨する組織、中央総司令部。 そんなことを考えていたら備え付けの電話が鳴った。応じるとエナだった。 『中佐殿、お食事はどうなさいますか?』 食堂が閉まるまでにはまだ2時間以上もある。だが空腹ではなかった。艦内で空腹が我慢できずに食べてしまっていたのである。地上に降りれば合成食ではなく本物が食べられるのはわかっていたのだが。 「お腹の方は大丈夫だけど……。 セーリアがそう言うとエナも同意した。 「かしこまりました」 翌朝は6時に起床したセーリア、ぐっすりと熟睡でき快適な朝を迎えられていた。 ―― でも、この寝心地に慣れてしまうとあとが大変そうね……。 艦艇内のベッドは簡易式ではもちろんない。だが地上の専用宿泊施設のものに比べればどうしても劣るのは致し方ない。それでも一兵卒のに比べたら大分マシではあるが。 シャワーを浴び軍服を着る。プロテクト・スーツは機密パックに収める。多少なりとも体を締め付けられるプロテクト・スーツは必要のない時にはできれば着たくはないものである。 「ご朝食はバッフェ・スタイルとなっております。お好みのものをどうぞ。 兵が淀みなく説明する。 「あら、そうなの? ではそうしましょう」 セーリアがそう言って奥へと向かう。 新鮮な生野菜にハムや卵料理と好みのものをプレートに載せ、パンにコーヒーとともにトレイに載せて席に着く。 「よく眠れたかしら?」 セーリアが尋ねるとエナが苦笑いした。 「はい。寝心地が良すぎて危うく寝坊するところでした」 「あら、私もなのよ」 そう言って2人して笑う。 「さすがに中央総司令部ですね。どれこれも美味しいし、施設は立派だし……」 エナが言う。セーリアも全く同感だった。 軍隊においては階級が上がるほど良い思いができる。だから今よりも良い暮らしがしたければ任務に励め、というのが基本である。そうして地方よりも中央の方がさらに良い思いができる、というのを実感させられる経験だった。 おかわりのコーヒーまで飲んで部屋に戻り、身支度を再度整え荷物を持ってフロントに降りる。何があるかわからないので荷物は持っていくことにしたのだった。時刻は〇七二五(7時25分)。 「おはようございます。お迎えに参りました」 「ご苦労様、お願いします」 そう応えて1階まで降りる。 正面玄関を出て直ぐ目の前、将官用の駐車スペースに停まる地上車の前でイェーシャが申し訳なさそうに言った。 「あいにく、我が隊に貸与されているのがこれしかありませんで……」 それは基地内や艦艇内移動用の小型電動車である。 「ええ、かまわないわ。歩くよりはマシでしょう?」 セーリアはそう言って後部座席に乗り込む。 中央総司令部も方面司令部も宇宙港から基地へ直通の地下鉄は乗り入れていない。これは敵やテロリストが侵入路として利用することを防ぐためである。したがって地上の道路を利用する以外に基地内に入る方法はない。 この電動車は艦内用は屋根なし、いわゆるオープンタイプだが、地上用は屋根がついている。まあ雨や風のことがあるから当然である。 そうしてイェーシャは左のフロント・フェンダーのポールから三ツ星の将官旗を外すと、背中のホルスターを横に回して運転席に乗り込む。そうして外した旗をグローブボクッスにしまう。 「電動車だと遠くに停めなければならないので……」 と言い訳するイェーシャ。だが見つかったら始末書ものの行為である。 「右のは部隊旗?」 右側のフェンダーには、イェーシャの両腕部分に縫い付けてあるのと同じデザインの見慣れぬ旗が掲げられていた。 「はい、そうです」 イェーシャが頷いた。 将官が利用する車は左右のフロント・フェンダーにその階級を示す将官旗を掲げる。 ―― 発足1週間あまりで部隊章が与えられるなんて、中央総司令部の意気込みが感じられるわね……。 部隊章の選定、さらに部隊旗や軍服に縫い付けられるワッペン、その他諸々。事前に準備していなければ当然間に合わないだろう。 「中央総司令部、管理棟」 イェーシャが自動運転装置に音声認識で行き先を告げる。 電動車は音もなく走り出す。 宇宙港は中央総司令部に隣接するとはいえ、その間はおよそ10km離れている。これは離発着する艦に万が一のことがあった時のための予防措置である。 宇宙港から総司令部の基地までは一本道。本当に直線である。 基地に近づくに連れ、道の両側には建物が増えていく。これは基地に所属する将兵や軍属の住宅、商業地域、行政・教育の機関などである。 基地に近づくと周辺道路が渋滞しているのが見えてくる。 ゲートでは当然一時停止させられる。だがゲートのガードはイェーシャの腕の部隊章を目にすると直ぐに通過を許可してくれた。 管理棟に到着すると人事部に真っ直ぐ向かう。 ところが人事部の窓口ではセーリアとエナの異動手続きが直ぐには終わらなかった。窓口に立つ軍曹が何やら手間取っていたのである。そうしてそばにいた曹長に相談したのだがそれでもまだ何かやっている。 「ああ、これはこのままでいいんだ」 少尉がそう言うと軍曹と曹長は要領を得ない様子だったが少尉が重ねて言った。 「問題ない、そのまま処理しろ」 そうまで言われれば後で自分が責任を取らされることはない。ということでようやく処理が済んだのだった。 少尉は待たせたのが中佐と大尉ということで恐縮したように言った。 「申し訳ありません、部下が不慣れでして……」 それだけではないようにも思えたが、ここで詳細を要求してもしようがないだろう。 「ところで申し訳ありませんが、この後、装備局へ足を運んでいただけないでしょうか?」 「装備局?」 そこでイェーシャが聞き返した。そういう指示は受けていないから当然の問だった。 軍隊には様々な部門、部署があり組織として細分化されているものである。そうして当然中には同じような部署が別の部門にも存在したりする。 ところがこれとは異なり「装備」に関しては同じ名前の別組織が複数存在し、それぞれ担当するものが違う。 例えば、我らがシュピトゥルス大将閣下が部長を務める戦術部。ここの装備局はイステラ軍の全艦艇を管理する。それは戦闘艦艇、後方支援艦、はては病院船、儀典局の冠婚葬祭用儀典艦に警備艇に至るまで全てである。 ところが装備部という名の部署がありそこにも装備局がある。ここは重装機動歩兵の纏う強化外装甲、各種宇宙服、飛行服・野戦服と言った特殊用途の軍服にプロテクト・スーツなどを担当する。 そうして総務部にも装備局がある。 したがってただ「装備局」と言われても「どこ」の装備局へ行けばいいのかわからないのである。 「あっ! 申し訳ありません。総務部装備局です」 「総務部の? どう行くんだっけ?」 不審に思いつつも、行けというのなら行くべきだろう。愚図々々していると本部に行くのが遅くなる。だがイェーシャも総務部の装備局は、一度は行ったことがあるのだがよく覚えてはいなかった。 「そこの扉を出て右に行くと連絡通路があるので、それを通って別棟の2階右奥です」 少尉がイェーシャに言う。 ということで今度はそちらへ向かう。 総務部の装備局へ着くと今度は手間取ることはなかったが小部屋に通された。中にはベンチが一つあるだけの何やら待合室のような作りである。 そこに女性の准尉が兵2名を連れて現れた。 「申し訳ありませんが中佐殿、大尉殿、上着を脱いで下さいますか?」 いきなりそう言われて驚かされる。 「こちらと交換させていただきます」 そう言うと兵が前へ出て手にしていた軍服の上着を目の前に広げる。 「準備がいいのね」 セーリアがイェーシャに言うと、イェーシャは知らないとばかりに首を振る。 「これはフォージュ中将閣下からのご指示です」 准尉が説明する。 「それとスカーフもお外し下さい。こちらと交換させていただきます」 そう言って准尉が示したのは、参謀職にある者が身につけるべき真っ赤なスカーフだった。 それでいよいよ自分がVOL隊に転属になったことを実感したセーリアとエナだったのである。 |