遥かなる星々の彼方で

Valkyries of Lindenmars
リンデンマルスの戦乙女たち

R-15

第101話 効果と波及


 午後の撮影も順調に終了した。
 午後は一人ずつインタビュー形式で自由に己の所存を語ってもらう、という方法での動画撮影だった。

「必ずやご満足いただけるものに仕上げます」

 中尉はそう太鼓判を押した。
 だがその軽薄な雰囲気の故か「期待薄だな」と思いつつ、全員かすかな疲労とともに本部となっている消防機庫へ戻ったのである。


 本部に戻り、2階に上がるとレイナートのオフィスとなっている当直室から笑い声が聞こえた。
 開け放れた扉から中を覗くと、レイナートが端末で誰かと話をしていた。

「……それでは、よろしく頼むよ」

『はい。必ず申請を出します!』

 そうして会話を終了させたレイナートが自室を覗き込む部下たちに声を掛けた。

「おかえりなさい、どうでした?」

 相変わらずの穏やかな表情、口調に丁寧な言葉づかいであった。

「はあ、まあ、無駄にならなければいいんですが……」

 コスタンティアはそう言葉を濁す。
 だがセーリアは違ったようだった。

「有意義ではあったと思います」

「そうですか。
 一応こちらも成果はあった、と言っていいのかな。問い合わせが15件、内11人が我が隊への異動申請を出すと言ってくれました。残る4人に関しても、まあ、期待していいんじゃないかと思います」

 そう言ってレイナートはメモ代わりの自分の情報端末を示した。
 手書き入力で記された文字はその性格通りというのか、きれいな整った文字だった。

「女性ばかりですね……。それでどの娘がお気に召したんですか?」

 と、コスタンティアが低い声で聞いてきた。先ほどの通信でのレイナートの明るい楽しそうな雰囲気に少々気分を害していたのである。

「女性ばかりって……」

 レイナートは「女性だけの部隊なんだから当然じゃないか」という言葉を途中で飲み込んだ。
 普段の薄化粧とは違う化粧バッチリの女性たちに怖い顔で睨まれたからである。

―― 美人の怒った顔は怖い……。

 背中に冷たい汗が流れたレイナートである。


 翌朝、全員が出勤してきてそれぞれメールを開くと広報部からのメールが届いていた。あのディレクターの中尉が差出人である。

『広告ができましたのでご確認下さい。
 問題がなければ総務部へ送ります』

 そう但書が着いていた。

 軍の諸施設の入口ロビーや食堂、はては宇宙基地や艦艇内の食堂にもモニタが掲げられ、様々な映像が表示される。
 その多くは軍の公式記者会見の模様、また公共放送の軍に関するニュース、または軍からのお知らせなどで、兵士に対する情報公開の一環としてである。
 これらは総務部が管理して配信している。そこへ出来た広告を送るというのであった。

 広告は2種。一つは写真で艦長用椅子を取り囲むVOL隊の女性たちの集合写真。その誰かにカーソルを合わせると吹き出しが出てコメントが表示されるという、メール用のもの。
 もう一つはそれぞれのインタアビューをつなぎ合わせたもので、いわゆる配信用のものだった。

 内容的にはどちらも問題はない。あとは訴求力があるかどうかということだが、これについては本人たちには何とも言いようがなかった。

 コスタンティアのコメントは「努力することを惜しんではならない、自分にそう言い聞かせてきましたし、それが今の自分につながっていると思います」というもので、彼女らしいものだった。
 クローデラは「自分にしかできないこと、というのはあまりないと思いますけど、自分にもできること、はたくさんあると思います。私はそれを少しでも増やそうと思っています」と述べ、セーリアは「チャンスはどこにあるかわかりません。問題はそれが目の前に現れた時に掴もうと1歩踏み出せるかどうかではないかしら」という、やはり彼女らしい言葉だった。
 エメネリアは「帝政アレルトメイア公国宇宙海軍参謀本部付き少佐。それが以前の私です。そんな私にもイステラはチャンスをくれました。きっと貴女にもチャンスがあるはずです」と言い、アニエッタはアニエッタで「もう、ここまで来たらヤルっきゃないでしょ! あと必要なのは一緒にやってくれる仲間よ!」と力説した。
 エレノアは「喋るのは苦手」と言いながら、それでも「陸戦兵の役目は後続のための道を切り開く事。たとえポジションが変わっても自分のやることは一緒」とボソリと言い、アリュスラは「『兵站なくして軍隊なし』後方任務上等!」とその容貌らしからぬセリフを言ったのだった。


 そうしてその兵員募集の広告が一斉に軍内部で公開された。もちろんメールも送信された。
 広告のキャッチコピーは「イステラ軍は新たな時代へ! 女性だけの部隊Valkyries of Lindenmars艦隊創設 隊員募集」というものだった。

 広告の効果がどの程度あるのか。それは皆目見当がつかなかったが、これで効果なしとなれば別の手段を考えなければならない。いわば背水の陣だった。

 結果は、申込みが目に見えて増えとりあえず安堵を感じた一同だった。

 募集したのは佐官はごく少数、次いで現場責任者となる尉官数百名、その補助となる下士官千名、残りは兵である。
 そうして新兵が多いというのは変わらぬ事実だったが、直ぐに前線に投入されるのではなく新型艦の運用実証試験 ― 本来なら精鋭部隊に任される仕事 ― が主任務ということを強調したのも良かったのかもしれない。

 とは言え、現在の職場環境にも与えられた職務にも不満がない女性たちの申込みはなかった。
 それはそうだろう。
 特に現在が地上勤務で、しかも旅団以上の駐留基地勤務なら付近には巨大都市が存在する。
 そこは不便さとは無縁の地上生活、娯楽も多いのだからあえて宇宙勤務をしたいとは思わないのが普通である。

 だが、そうして申込みが一旦増えだすと、あとは加速度的に志願者の数が急増していったのだった。


 一応面接を兼ねて直接本人に連絡をさせることにしていた。
 そのため端末を増設してもらい、艦長となるコスタンティアらに参謀のセーリア、さらに彼女らの副官にモーナまでその応対に駆り出されたのである。

 だがこちらの定時間内に向こうも勤務時間であるとは限らない。そこで早出残業する必要も出てきた。
 そうしてあっという間に時間外勤務の制限枠を超過してしまったのである。
 やがて週の時間外勤務時間が50時間を超えてもまだ仕事が終わらなくなった。
 申し込んできた者を控えるだけでなく、どの艦のどの部署へ割り振るか。面接をしながらそれを同時にするのだから事務量の多さは半端でない。
 家に帰ることもできなくなり、オフィスである消防機庫に泊まり込む者まで現れるに至ったのである。


 そんなある日の夜更け、端末の画面を身動ぎ一つせずに凝視していたクローデラ。
 たまたま通りかかったアニエッタがそのクローデラに声を掛けた。

「どうしたの? 何か問題?」

 だが返事はない。目を見開いているから「まるで屍のよう」ではなかったが。

「ねえ、どうしたのよ?」

 そう言ってアニエッタが肩を揺すると、そこで初めてクローデラが反応した。

「あっ、マズイ、寝てた……」

 目をゴシゴシこすりながら呟いた。

「寝てたって、アンタ、目、開いてたわよ?」

 歳上の上官にひどい言い草だが、アニエッタは、相手にもよるが、元々そういうところはあまり気にしない質である。

「私、本当に疲れると目を開けて眠るみたいなの……」

 そう言ってクローデラが立ち上がった。

「シャワー、浴びてくる」

 そう言いながら首のスカーフを外して歩きだす。

 引っ越した当初、シャワー室を使うことはないだろうと誰もが考えていた。だがこのような状況になると、オフィスにシャワーがあるというのはありがたいことだと誰もが感じるようになっていた。
 ただしシャワー室のある場所が問題だった。

 当直室は今は全員がオフィスとして使っている消防分隊員控室の奥側となっていて扉一枚でつながっている。そうしてシャワー室は当直室から入るように位置されていて分隊員控室からは直接入れない。ただそれだけなら何も問題はなかったろう。
 だがその当直室は今はベッドなどを全て運び出しレイナートのオフィスとなっている。しかも部屋が狭いので副官のモーナの席は当直室の外、扉のすぐ脇にデスクを置いていた。

 そうしてクローデラは当直室、もとい、レイナートのいる司令室の扉をノックもせずに開けて中に入った。モーナはあいにくコーヒーを飲もうと思って席を離れていた。それが災いした。

 クローデラは当直室内で上着を脱ごうとする。
 そこで闖入者に唖然としているレイナートと目が合った。

「えっ!?」

 上着の下にはシャツの類を着てはおらず、薄鈍色のノースリーブのタンクトップだけ。その下は下着である。
 我に返ったクローデラの口から悲鳴が上がった。

「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 そうして肩を抱くようにしてその場に座り込んだのだった。

 だがその耳をつんざくような悲鳴に、全員が当直室に殺到した。

「どうした! 何があった!?」

 エレノアやイェーシャは手に銃まで握っていた。

 室内に入り込んだ女性らはうずくまるクローデラと唖然としているレイナートを交互に見比べた。

「閣下、まさか……」

 モーナが呆れた、というには厳しすぎる表情でレイナートを問い質す。

「私は何もしてないぞ!」

 不機嫌に言うレイナート。

「違うの、私が司令のいるのを忘れてて……」

 クローデラが恥ずかしそうに言う。
 裸や下着姿を見られた訳ではない。だが男性のいるのを忘れて服を脱ぐなどクローデラにすれば恥ずかしいことこの上ないことだった。

「なあ~んだ」

 そんな声が聞こえた。

「てっきり、司令に襲われたのかと……」

 とんでもないことを言うヤツがいた。
 ヤレヤレ、何事もなくてよかった、と皆が持ち場へ戻ろうとした時、レイナートの怒声が響き渡った。

「全員、帰宅しろ! 直ちに帰れ!」

 普段は穏やかな表情のレイナートの顔が途轍もなく険しかった。

「ですが、まだ仕事が……」

 コスタンティアはそう異論を挟もうとした。
 そこでレイナートは更に厳しい口調で言った。

「直ちに帰宅せよ。これは命令である」

「ですが閣下……」

 それでも反論しようとしたが、レイナートは一切耳を傾けなかった。

「直ちに帰るように。これは部隊司令命令である」

 そこまで言われたらもう何も言い返せない。上官が正式な命令と言った以上それに逆らえば抗命罪に問われる可能性まで出てくる。
 全員トボトボとオフィスを後にし始めたのである。

 皆がオフィスから去った後、どっかりと椅子に腰掛け腕を組んで身動ぎ一つしないレイナート。まだ難しい顔をしていた。
そこにモーナが声を掛けた。

「司令……」

 その声にレイナートが顔を上げて、再び険しい表情を見せた。

「まだいたのか? 帰れと言ったはずだ。
 オフィスの施錠は私がしておく」

 モーナは小さく溜息を吐くと敬礼して立ち去った。

 レイナートはその後姿を見送った後、いつまでも何事か考えていた。


 翌朝、再び定時前に早出してきたVOL隊員たち、朝の挨拶も気まずげだった。

「お早う。昨日はごめんなさい、私のせいで……」

 レイナートを怒らせた張本人、と自覚していたクローデラは意気消沈していた。

「気にすることないわよ。単なるミスだったし実害もなかったでしょ?」

 下着姿を見られたとか、まして襲われたということもなく、ちょっとした騒ぎになっただけなのだから心配する必要はない、そう誰もが言ったのである。

 だが、これはいささか楽観に過ぎた、と言わざるをえないかもしれない。

 事態を重く見たレイナートは早速シュピトゥルス大将の元へ向かったのである。


 早朝からレイナートの訪問を受けた上に、レイナートから予想もし得ない要望を聞かされたシュピトゥルス大将は憮然たる表情で言った。

「貴官は本気で言っているのか?」

 それに対してレイナートも真顔で答えた。

「もちろんです。嘘や冗談でこのようなことをお願いはしません」

 シュピトゥルス大将はレイナートをまじまじと見つめた。
 女性だけからなるValkyries of Lindenmars隊を立ち上げるにあたって、シュピトゥルス大将もその先輩であり盟友であるシュラーヴィ大将も文字通り奔走した。難色を示す軍上層部の了解を取り付けようやく漕ぎ着けたのである。それを「さらに難題を吹っ掛けやがって」と思うようなことを要望されたのだから面白くないのは当然である。
 だがレイナートはそれを知ってか知らずか、さらに爆弾を投下する。

「ところで上層部の中にVOL隊の失敗を願う方がいるというのは本当でしょうか?」

 それは自分の憶測と勘からの発言である。だがレイナートはまるで証拠を掴んでいるかのように尋ねた。
 その問いに対してシュピトゥルス大将は顔色一つ変えずに別の話題に切り替えた。

「フォージュ中将、私は貴官を高く買っている。近年稀に見る逸材とすら考えている」

「恐れ入ります」

 突然褒められたレイナートは驚きつつも頭を下げた。

「リンデンマルス号の艦長人事が難航していた際、人事から貴官はどうかと話が来た時には随分と驚かされた。その経歴は最高ランクの機密指定。で、蓋を開けてみたら内容は驚くようなことばかり。よくもまあ()されずに済んでいるな、というものだった」

「……」

 確かにレイナートも「我ながら良く無事に来たな」と思わないでもない。

「だがその反面、貴官という人物がよくわからなかった。それで第七士官学校に問い合わせたよ。レイナート・フォージュなる人物とは何者なのか、とな」

「それで士官学校側では何と?」

 自分がどう評価されていたのかは気になる所である。

「指導教官たちが言うには『どんな分野においてもエキスパートになれるその気のない男』というものだった」

「それは、なんだか酷くないですか? 小官はいかなる任務も手を抜いたりしていないつもりですが」

 レイナートがムッとする。

「それはわかっている。だが指導教官たちの言葉ももっともだろう」

 シュラーヴィ大将がようやく笑顔を見せた。

「本来、士官学校一般科というのは『エキスパートになれない何でも屋』を育てるところだ。
 ところが、だ。貴官はどの分野にも優れた適正を示したということだ。参謀だろうが艦隊司令だろうが、パイロットでも重装機動歩兵でも、それこそ軍医や法務士官にすらなることも可能だろうという評価だった」

「それは……、なんというか……、恐れ入ります」

 何とも面映いレイナートだった。

「だが知能検査値や身体能力値に関してはごく普通ということだった。要するに決して突出した才能を持つ天才などではないということだろう」

「……」

 何とも反応しづらい言葉だった。

「指導教官らの一致した見解によると、要するに貴官は『事物の最重要問題点を捉えることに長けている』ということだった。
 すなわち問題の急所を誰よりもいち早く掴み、それに対する対応が頭脳的にも体力的にも遅滞なく、しかも過不足なくできる、というのが指導教官たちが指摘した一番の点だ」

 自分がそんな風に見られていたとは知らなかったレイナートは内心驚いている。

「しかし、だ。
 貴官の場合、一般科から転籍しようとしなかった。専修科のどの科に移っても必ず好成績を収めそれなりに栄達が望めるはずなのに、とにかく理由はわからないが、とにかくどれほど勧めても決して一般科から動こうとはしなかった。それが『その気のない男』という評価につながっていた」

 それに関して言えば、レイナートは何も好き好んで軍人になった訳ではない。とにかく勉強ができればよかっただけで、それがたまたま士官学校というだけだった。このように我が身が変転しなければ、それこそ場末の辺境基地で学資返済免除期間が来るのをおとなしく待ちながら黙々と任務に徹していたことだろう。

 そこでシュピトゥルス大将は真顔で言った。

「貴官をリンデンマルス号の艦長に押すのは自分にとっては一種のギャンブルだった。その経歴はともかく、一般科卒業の士官を戦艦の艦長にする、ということに関しては反対意見を持つ者が多いのは事実だ。
 だから自分の職を賭す覚悟が必要だった」

 自分はそこまでシュピトゥルス大将に評価されていたのかと驚きを隠せないレイナートである。

「そうしてその決断は決して間違っていなかったと今では確信している」

「恐れ入ります」

 一般科を出た自分が今では中将で特務部隊の司令まで仰せつかっている。確かにこれは普通ではありえないことだろう。そこにはシュピトゥルス大将の強力な後押しがあったということに違いない。
 レイナートはまさに恐縮していた。

 そこでシュピトゥルス大将は突如話題を変えた。

「ところで作戦部長のシュラーヴィ大将は私の士官学校時代の二期先輩でね、寮監でもあった閣下は初級生で鼻っ柱の強い生意気な自分を随分とかわいがってくれたよ」

 どこか懐かしそうな目をしているシュピトゥルス大将である。

「その当時、第一士官学校の校長はフェドレーゼ元帥閣下だった」

「現・最高司令長官の?」

「そうだ。元帥閣下はその当時から我々に対して仰っていた。
 常識に囚われるな。自由に、柔軟に発想せよ、とな」

 レイナートは黙って聞いている。
 派閥という観点で言えば、シュラーヴィ大将もシュピトゥルス大将も、現在の軍最高司令長官のフェドレーゼ元帥派ということなのだろう。

「ところで当時も第一のライバルだったのが第四士官学校だ。
 そうして当時その第四の戦術作戦科の主任指導教官が今の最高幕僚部長だ」

「ジャスディナ大将閣下……」

「そうだ。
 当時の第一はフェドレーゼ閣下の影響もあって、士官学校とは思えないほど自由な校風が特徴だった。
 一方の第四は良く言えば堅実で伝統重視、裏を返せば、非常に保守的で冒険を好まない校風だった」

 なんとなく話が見えてきたレイナートである。

「ジャスディナ大将の父君も軍人で対ディステニア戦役で戦死された。潰走する部隊の殿(しんがり)を務め、多くの艦の戦線離脱を支援したが奮戦虚しく戦死されたそうだ」

 そう言って一旦瞑目したシュピトゥルス大将は目を開けると続けた。

「ジャスディナ大将のご母堂は夫に先立たれ苦労されたそうだ。まあ多額の死亡見舞金や遺族恩給などが出ても、金で全てが解決される訳ではないからな」

「そうですね」

「その母親の姿を見てジャスディナ閣下は『男子たるもの、女性を守るべし』という思いを強くされたらしいな」

「なるほど……」

「そこへもってきて『頭の堅い』第四出身だ。女性の前線配備には否定的であることを隠そうともされていない」

 それは要するにこのVOL隊を快く思っていないのはジャスディナ大将であると認めたようなものではないか。ただしそれはある程度予想していたので驚くには当たらないのだが。

「したがってVOL隊発足に対しても最後までも難色を示されたのは閣下だ。だが一旦受け入れた以上、失敗を願うということはないと私は信じている」

「全く信じてないぞ」という顔をしてそう言うものだから少しも説得力がない。

「そうですか、それならばいいのですが」

 レイナートも一応は納得してみせる。

「閣下とて、ものがわからない訳ではないのだ。イステラの置かれている状況からして女性の前線配備は時間の問題であると認識されている」

 内心「それなら良いんですけどね」と思いつつレイナートは頷いた。必ずしも人は理性的に行動できる生き物ではない、と思いつつ。

「とにかく、貴官の要望は直ちに上に諮ってみる。が、直ぐには結論は出んぞ? 最低でも2週間……」

「そんなには待てません。1週間以内でお願いします」

 レイナートはシュピトゥルス大将を遮ってそう言った。

「おい!」

「そうでないと彼女たちが先に潰れてしまいます。もしも部隊の成功を望むのであれば、可及的速やかなる裁可をお願いします」

 親子ほども年の違う上官にそこまで言うレイナートである。さすがにシュピトゥルス大将も絶句した。

「……その押しの強さは、確かに一般科出身のものじゃないな……。
 とにかく善処はする。だが要求通りに決定が下るかどうかは確約はできん」

「それでも構いません……、と言いたいところですが、何卒許可していただかないとかわいい部下たちが本当に潰れてしまいますので……」

 そこにはあなたの可愛い娘も含まれてますよ? と言外に匂わせるから質が悪い。

「とにかく連絡を待て」

 呆れつつ、シュピトゥルス大将はそう言った。

「了解しました」

 レイナートは言いたいことを言いたいだけ言って、シュピトゥルス大将のオフィスを後にしたのだった。


 それを見送ったシュピトゥルス大将はふと考えた。

―― もしも、アイツが戦術作戦科を出ていたらどうなっていたかな?

 そうであれば新任でも辺境基地にではなく方面司令部、もしかしたら中央総司令部に配属されていたかもしれない。そうなっていればおそらく軍大学校にも行き、今頃はもっと上のポジションにいたかもしれない。だが中将より上なら大将か元帥しかない。

―― そうなっていたら、もしかしたら俺はアイツの部下になっていたかもな……。

 それは何と不愉快で、だがとても面白そうなことに違いない。そう考えつつ端末に手を伸ばし副官を呼んだシュピトゥルス大将であった。

「すぐに作戦部長のシュラーヴィ大将にアポイントを取れ。それと総司令長官閣下にもだ! 大至急だ」


 VOL隊のオフィスに到着したレイナートを出迎えたのは、いつものきつい顔立ちに不安げな様子を漂わせたモーナであった。

 モーナはレイナートのアパートの近くに部屋を借りていた。そうして毎朝レイナートのアパートまでは徒歩で向かう。徒歩とは言ってもスニーカーを履いてウォーキングよろしくスタスタと歩く。
 そうしてレイナートの住むアパートに軍が用意する送迎車の到着を待ち、レイナートを出迎える。部屋まで上がるには入り口のセキュリティを通過せねばならず、「その必要なし」とレイナートが言うので、車の到着をインターホンで告げるのである。
 そうしてレイナートが正面玄関に姿を現すと車の扉を開け、一緒に乗り込んで出勤する。もちろんその時はスニーカーからパンプスに履き替えている。
 これがモーナの日常の出勤の仕方である。

 ところがこの日の朝、アパートの下で待てど暮らせど車が来ない。もしかしたら時間を間違えたか、と焦って確認すると「本日は送迎の必要なしと閣下からの連絡を受けています」と聞かされて肝を潰した。
「何で何も聞かされてないのよ!?」と内心悪態をつきながら、そこから大通りまで2ブロック全力疾走し、無人タクシーを拾って基地までやってきたのである。

 そうして汗を拭き拭きオフィスに出てみれば、先に来ていたコスタンティアもクローデラもレイナートにはまだ会っていないと言う。当然オフィスにその姿はなし。

―― まさか怒って拗ねて引きこもったとか……。

 などと失礼なことを考えながらオフィスでレイナートの現れるのを待っていたという次第である。

「おはようございます、閣下」

 半ばムッとして半ば不安げにモーナが言う。

「ああ、お早う」

 レイナートが応ずる。だがモーナの表情を見て言い訳がましく言った。

「すまない、貴官に連絡をしていなかったな。朝一番でシュピトゥルス大将閣下に面会を申し出ていたんだ」

「了解しました。ですが、可能であれば副官である小官には一言ご連絡をいただきたく……」

「以後、気をつける」

 レイナートはそう言って会話を切り上げさせた。
 朝からその表情は厳しさが漂っていて、いつもの穏やかな雰囲気は欠片もなかった。

 レイナートがオフィスの入り口に達すると全員が勢揃いで敬礼した。

「おはようございます」

 いつも全員が揃ったところで朝礼をしてから業務を開始する。この点は民間あたりとも何ら変わるところはない。
 ただしこの日は皆緊張を隠せないでいた。
 何せ副官ですらレイナートの所在を確認できずオロオロしていたのである。しかもそのきっかけというのが自分たち、ということになれば生きた心地がしなくても当然である。

「諸君、お早う。
 さっそくだが、当座の間、我が隊への異動を申請した者の把握にのみ、専念するように。各艦、各部署への配属の振り分けは後にまとめて行う」

「当座の間ということですが、具体的にはいつごろまででしょうか?」

 セーリアが尋ねてきた。
 この中では一番日が浅く、しかしながら主席幕僚という部隊のナンバー2である以上、不明点を明らかにするのはセーリアの役目と言える。

「追って別命あるまで。長くても2週間はかからないと思う」

 レイナートは言う。

「今のやり方では事務量が多すぎて諸君らの残業がとんでもないことになってきている。
管理職としては限られた予算の中で残業手当の心配もしなければならないのでね」

 それが本題ではないが、決して軽視できない問題でもある。
 微かな笑いが起きた。

「とにかく仕事中に居眠りが起きるようでは管理者としては看過できない」

 そう言われてクローデラが顔を真っ赤にする。

「今はまだ端緒についたばかり。これからが本番という時に倒れられては困る」

 レイナートはそう締め括ってオフィスに引っ込んだ。そうしてすぐにモーナを呼びつける。

「人事異動案を作成する。手を貸して欲しい」

「人事異動案ですか? それはどのような?」

 つい簡単にそう尋ねたモーナだった。

 だが、レイナートの考えるそれが、やがてイステラ軍全軍に激震を走らせることになるとは、この時は少しも思い至っていなかったモーナだった。

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