「怖いもの知らず」という言葉があるが、こういうのは往々にして経験や知識に乏しい新人、もしくは己の力量を正しく認識できていない者に多いだろう。 輸送機は中央総司令部の宇宙港の滑走路に着陸、資材はすぐに移送用の軍用トラックに載せ替える作業が行われた。そうしてこの野営演習を行う重装機動歩兵部隊もトラックに分乗した。 1人1人窓口で姓名と認識番号を告げ係官から部隊章を手渡された。 「こんなもの、まとめて配ればいいじゃん……」 さして大きくもない声だったが、係官が地獄耳だったのか、かなり騒々しいフロアであったにも関わらずそれを聞き咎めた。 「おい、貴様!」 両腕に伍長の階級章を着けた中年男性は、自分の娘のような若い新兵に向かって野太い声で言ったのである。 「今、何と言った?」 その声に驚いて呟いた新兵が振り返った。 「あの、いえ……」 「部隊章が『こんなもの』か。 伍長の言葉に背中を冷たい汗が流れた。だけでなく、窓口となるカウンターの奥、装備局のオフィスの誰もが立ち上がり自分を睨んでいたのを見て体が震え出した。 伍長は端末のモニタに視線を落とした。その名前を確認したのである。そうして顔を上げて言った。 「貴様のことは上司に報告しておく」 その言葉に新兵の顔が蒼白になった。 「そんなところで立ち止まるな、失せろ」 怒鳴るのでもなければ大声でもない。ただ非常に冷たい声だった。 新兵は泣きそうな顔で敬礼をすると足早にその場を去った。 それを一瞥した伍長は引率の教導隊軍曹に視線を送った。すると軍曹は満足そうに小さく頷いた。「よくぞ言ってくれた」と。 教導隊の軍曹は泣いている新兵の元へ進むと、訓練中の怒鳴り声からは想像もつかない静かな声で新兵に向かって言った。 「オマエのようなひよっ子にはわからんだろうが、イステラ軍で部隊章を持つ部隊に所属するのは、全将兵を併せた1%の中の、さらにその数%に満たない。そんなところに新兵の分際で配属となったのだ。周りからどう思われているか考えろ。 それを聞いて新兵の顔が余計に歪む。 「イヤだったら今直ぐ除隊しろ。悪いことは言わん、それがオマエにとって最善だろう」 軍曹はそう言うと、またカウンターの方へ戻り他の新兵の部隊章受け取りを注視した。 泣いている新兵の周りにはやはり部隊章を受け取り終えた新兵が集まっていた。 「ばか! 本当に口が軽いっていうか、お調子もんなんだから!」 「そうよ! すぐに謝ってきな!」 「そうそう。あんだけ苦しい訓練を生き残ってきたんだよ? 今辞めてどうするのよ!」 口々に言われ軍服の袖で涙を拭うと軍曹の元へと駆け出した。 「順序が違う」 そこでハッとした新兵は先程の伍長の元へと駆けていき、受け取りに並ぶ列の脇で直立し敬礼した。 「申し訳ありませんでした!」 伍長は底意地の悪い人物ではなかったようで、作業の手を止めると新兵に向かって諭すように言ったのである。 「部隊章を軍服に着けられることを誇りに思え。だが、驕るな。わかったか?」 「 そこで伍長は少し頬を緩めた。 「よろしい。行ってよし!」 そう言って敬礼を返したのである。 そんな一幕を演じた後だったので新兵たちは至極神妙にしていた。 管理棟から基地内巡回バスに乗っている間も、VOL隊本部となる消防機庫に到着してからも、 新兵らが機密パックを引きずりながら消防機庫に入っていくのを離れたところで見ていたレイナートが呟いた。 「いよいよだな……」 「いよいよですね」 ナーキアスと声が重なった。 「貴官にも部隊に来てほしかったんだが、あいにくと……」 ナーキアスは笑顔で答えた。 「ええ、できればそうしたかったのですが残念です」 それを聞いていた背後に控えるモーナが内心呆れている。 ―― まあ、いけしゃあしゃあと……。もっとも司令は本気でしょうけど……。 とりあえずモーナは何も言わず、大人の対応に徹したのだった。 消防機庫の1階、元々の消防車の駐車スペースに簡易デスクと端末が置かれ新兵らの着任申告が行われている。新兵が姓名と認識番号を告げ、名簿と相違ないかをVOL隊の先任がチェックしている。 そうして新兵の異動手続きがちょうど終わったところで端末から顔を上げたビーチェスが突如大声を出した。 「総員、整列!」 訳がわからぬまま急いで整列する新兵ら。 一斉に緊張が走る。 「総員、気を着け! 司令閣下に敬礼!」 ざっという音とともに姿勢を正す新兵たち。 敬礼を返しながらレイナートが穏やかな表情を見せると軍曹は少し頬を赤らめた。新兵らに背を向けているから気づかれなかったが、見られていたら何と言われたことだろう。 「第一方面司令部第一兵士訓練所、特別訓練課程修了者33名、着任いたしました!」 軍曹が報告する。 「総員、直れ」 軍曹がそう号令を掛けると背後で衣擦れの音がする。 「ご苦労、軍曹。 レイナートが穏やかに言う。 「Valikyries of Lindenmars隊にようこそ。諸君らは厳しい訓練を終えて我が隊に配属となった。今後、様々な局面に接することもあろうかと思うが、訓練を思い出し最善を尽くしてくれることを望む。 そう言ってレイナートはモーナに引き継ぐ。 代わってモーナが前に立つ。 「私は司令の副官、モーナ・キャリエルです。 全員が無言で答えた。「質問はありません」と。 「よろしい。では解散。 モーナの言葉にホッとした安堵の溜息が漏れた。 「私は後方参謀のアリュスラ・クラムステン。後方部門に関する総責任者です。 そこで新兵らが息を呑んだ。 「最低24時間は営倉で過ごすことになるから覚悟して」 それを聞いて、ではアイロンを、と申し出る者はいなかった。全員がソーイングセットを我先に受け取ったのである。このソーイングセットは簡単な繕い用にPXで受け取れるものでそれほど本格的なものではない。 そうして軍服の上着を脱ぎ消防機庫の床の上に座り込んで、部隊章を両袖の上腕部分に縫い付け始めようとして新兵らが気づく。 「アタシ、裁縫できないじゃん!」 「アタシもよ! 裁縫ってどうやればいいの?」 裁縫や刺繍も今では完全に趣味の領域に含まれるもので、まずは未経験というのが大半である。 「とにかく何箇所か縫って留めて、後はアイロンを掛けるの! そうすればアイロンだけよりマシだから!」 そうして針で指を刺し刺し縫い付ける。 「きゃ!」 「痛っ」 消防機庫の1階隅っこで、若い女性がチクチクと縫い物に勤しむ姿は微笑ましかった。 するとそこへ消防機庫の前に軍用トラックが停車した。 イェーシャは手に小さな四角い包みを持ってツカツカと新兵らに近づくといきなり言った。 「アタシはイェーシャ・フィグレブ、陸戦参謀の副官。 いきなりそう言われて「?」と反応が遅れた。 グズグズしない! と怒鳴られて全員がパッと立ち上がる。 「載ってるもん全部降ろして、あっちのスミに置いといて」 そう言ってまた顎をしゃくって場所を示す。 「邪魔にならないように積んどいて。 言いたいだけ言って兵長を促して階段へ向かうイェーシャである。 イェーシャに命じられた新兵らは裁縫を中断してトラックの荷台後ろに集まった。 「何これ、重い!」 「気をつけて! 2人じゃ無理よ」 結局、1箱を4人がかりで降ろして運んだ。 指示された1階ガレージの奥の方にまとめて置いたところで裁縫に戻ろうとした。 「待って下さい!」 新兵の1人が大佐に声を掛けた。 「誰にも触らせるなと……」 中年女性が手を止めてそう言った新兵に聞き返した。 「誰の指示かしら?」 「あの……、陸戦参謀の副官と仰る准尉殿でした」 「名は?」 「申し訳ありません……、早口で、あの、よく聞こえなくて……」 予期せぬところに咄嗟に名乗られて聞き損じたのだった。 「そう。ところで私が誰か知ってるのかしら?」 「いいえ、存じません」 新兵はおどおどしながら首を振った。 「私はVOL隊主席参謀のセーリア・リディアン。階級は見ての通り大佐よ。 いささか意地の悪い聞き方だった。 「それは、その……」 新兵はどうしていいかわからず悩んだ。だがより上位の士官を怒らせたらどうなるかわからない。そこでスッと身を引いたのである。 「ダメよ。それでは落第」 「えっ!?」 「たとえ大佐に言われても、先に下された准尉の命令を優先しなさい」 元査閲官のセーリアは教え諭すように言った。 「え、でも……」 新兵は困惑した。だって大佐の方が上なのに、と口の中でブツブツ言った。 「貴女、私を知らないと言ったわね?」 「はい」 蚊の鳴くような声である。 「もしもそこに置かれている物に重要機密が入っていたら? いささか大げさな言い方だが、最悪の場合それに近いことにならないとは言い切れない。 「そんな……」 新兵が泣き出しそうになった。 「こういう場合、貴女が取るべき行動はただひとつ。
『確認を取りますのでお待ち下さい』と言うの。 「でもそれじゃあ、大佐殿を待たせることになりませんか?」 気の強そうな顔つきの別の新兵が横から口を挟んだ。 「それでも構わないわ。 「そんな……」 「でも、処罰はされずに済むわ」 「……!」 「いいこと? 軍規違反は重大な罪なのよ。そうして敵前逃亡も、抗命も、脱走も、命令放棄も全部そこに含まれるの」 「はい……」 「今の場合、貴女は私からフィフレブ准尉の下した命令を停止する旨を告げられなかった。ということは最初の命令をそのまま最優先しなければならないの。もしそうしなければ命令放棄と取られても仕方ないのよ。 「はい」 新兵が頷いた。 「今後、貴女たちには交代で24時間の歩哨任務が与えられるわ。 「はい」 新兵がやっと得心がいったという顔で頷いた。 「じゃあ、その荷物見せてもらってもいいかしら?」 新兵が胸を張って答えた。 「あいにくですが『誰にも触らせるな』との命令を受けております。確認させていただいてもよろしいでしょうか?」 セーリアは満面の笑みを見せた。 「合格。それでいいのよ」 「ありがとうございます」 新兵はそう言って背筋を伸ばし敬礼した。 「頑張ってね」 敬礼を返したセーリアはそう言って階段へ向かったのである。 階段の上からその光景を見ていたコスタンティアとクローデラが上がってきたセーリアに声を掛けた。 「お疲れ様です」 セーリアが笑顔で応える。 「新兵に教えることは本当に多いのだけれど今うちは忙しから……。 「そうですね」 2人が頷いた。 「さて、面接に戻りましょうか?」 セーリアの言葉にコスタンティアとクローデラはいささかゲンナリした顔つきで頷いたのだった。 セーリアとコスタンティア、クローデラの3人は部隊に配備される艦の艦長希望者の面接に忙殺されていた。今の一幕はその息抜きの間のことだったのである。 部隊を構成する6隻の艦の艦長を公募することにしたVOL隊だが、今度はいきなり申し込みが殺到した。やはり艦長という職は女性にとってそれだけ魅力だということである。 そこで応募者多数により、3人が一次面接を行い、その結果によりセーリアと同じように課題を与えて回答させ、さらにその結果によってレイナートが最終面接を行って決定するという運びだった。 セーリアは年齢的にも経験・実績からも大佐という階級はおかしいものではない。ところがコスタンティアとクローデラは、レイナート率いる旧リンデンマルス号において他の部隊では中々できない経験をさせられ、それによって大佐になっていたがこれは年齢的にも任官年度から言っても軍の歴史上最速に近いものである。 『よろしくお願いします、大佐殿』 面接開始直後の挨拶でまずそう言われるが画面の中は顔見知った中佐。それもそのはず同一士官学校同一科出身、完全な同期である。 「こちらこそ……」 としか言葉が出ない。 「では、まず本隊を志願した理由から聞かせてください」 『はい。小官は……』 相手は余程入念に準備したのだろう。立て板に水のごとく己の存念を述べていく。 同期で特に同じ士官学校だから相手のことをよく知っている。それ故評価が厳しくなりすぎるか、逆に甘くなるかで公平を保つのが難しかった。 同じく部隊編成の雑務から開放されたエメネリアは、早々と対アレルトメイア戦を想定した演習計画の立案に専念できていた。それを羨ましく思いつつ面接からは中々開放されなかったのである。 だがアニエッタはさらに深刻だった。 イステラ軍の艦載機は、それが戦闘機であれ攻撃機であれ、はたまた哨戒機なども複座式で2人1組のコンビで搭乗する。 「どうすんのよ! 空母に正規の1個大隊192機が配備されるのに、搭乗員が47組だけなんてどうにもならないわ!」 半ば強制的に配属される旧リンデンマルス号空戦科所属のパイロットやナビゲータを含んでこの数字である。なのでまったく話にならなかった。 何故このような事態になったかと言えば、VOL隊に男性が配属されることはない。ということは会ったこともない相手と新規にコンビを組まされるのは目に見えている。これは当事者からすれば完全に願い下げのことだったからである。 ―― 知らない相手と一から始めるなんてゴメンだわ! パイロットとナビゲータのコンビは、同性であろうが異性であろうが、つまり性別は瑣末事で要は思考や判断、時に性格。そういった相性の善し悪しが重要なのである。 アニエッタは燃えるように真っ赤な髪をガシガシとかきむしりながら端末に怒鳴っている。 「もうこうなったら強制的に配置転換してもらうしかないわね!」 ということでレイナートに相談、ではなく強談判したのだった。 「とにかく人事を通して異動命令を出して下さい。この際、士官学校出たてでも構いませんから!」 「そうは言っても……」 艦載機乗りは基本的に士官学校の戦闘技術科空戦課程修了者である。これは年間3百名ほどしか生まれず、しかも全て女性という訳ではない。 「いいですか!? パイロットとナビゲータのコンビなんて、そう簡単にうまくいくもんじゃないんですよ! とにかく『できるだけ長く一緒』に飛んで、互いの相性を確認しなければならないんです! アニエッタはものすごい剣幕でレイナートにそう詰め寄ったのである。 だがこれはエレノアも一緒だった。 「まさか司令は新兵全員を陸戦部隊に押し込むつもりじゃないでしょうね?」 「いや、それはありえない」 エレノアに問い質されたレイナートは首を横に振る。 「でしょうね。陸上でまともに訓練されてないのに強化外装甲を着用したって、宇宙で迷子になるだけです」 強化外装甲はパワード・スーツを発展させ、文字通り強化した装備である。訓練されてない兵士がこれを身にまとっても振り回されるだけで、まともに動くことすらできずにコントロールを失い、予期せぬ方向へ進んでしまうのがオチである。 今現在駐車場で野営テントの設営をやらされているのは第一方面司令部重装機動歩兵教導隊にしごかれている訓練兵である。だが訓練兵とは言っても少なくとも3年以上は軍役にあり、生身での格闘訓練や射撃訓練は十分に行っているから新兵とはもちろん違う。 「とにかく通常艦隊に配属している陸戦兵でいいですから必要数を集めて下さい」 「大尉、そうは言うけど、5百名でしょう?」 「そうです。どこかの部隊を丸ごと引き抜けとか、ブルー・フラッグスを持ってきてくれとは言いません。とにかく集めて下さい」 結局レイナートはシュピトゥルス大将のもとを訪れて要望を出さざるを得なくなったのだった。 ところで駐車場では、その重装機動歩兵訓練兵が次々とテントを立てていく。 「いいか! こういう地面に杭打ちできる機会は滅多にないんだぞ! チャンスを無駄にするな!」 ナーキアスが訓練兵たちに大声で言う。 ペグ・ガンはガス式なのでガス圧を調整することで地面の硬度に合わせた杭打ちが可能である。ガス圧を上げ過ぎるとペグが地面の中に潜ってしまい打ち直しになる。逆に低過ぎると後からハンマーで叩く必要がある。 そうして張り終わったテント、それが宿泊用途なら空気式ベッドを、給食用なら厨房機器 ― と言っても大鍋を加熱できる調理器具 ― と長椅子・長テーブルを、厚生用は中に簡易シャワーと簡易トイレを設置していく。これらは基本仕様の状態である。 レイナートが戦術研究室の室長となった時、軍医のシャスターニス・シェルリーナ軍医大佐とともに医療アドバイサーを仰せつかったが、今回は正規にVOL隊に配属となり、看護士長を拝命したのである。 「また閣下の下で働けることを誇りに思います」 そう言うアニスの表情はこれでもかというほど嬉しそうで、誰もがひと目でその真意が手に取るようにわかるものだった。 ―― アニス、オマエもか! と、モーナは心の中で溜息を吐く。 ―― でもシャスターニス先生よりはマシか……。 シャスターニスは部隊に配備される後方支援艦の病院部門の責任者として配属となった。 「当たり前でしょ。 と、嘘か本当かはわからないが、そういうことを言ってレイナートの頭を抱えさせたのである。 「でも、いいんですか? 軍大学校医学部の方は?」 「あっちは後輩に押し付けてきたわ」 いけしゃあしゃあとそういうことを言うシャスターニスである。 イステラ軍の通常艦隊は6隻の戦闘艦で構成されるが、その各艦に軍医と看護士が乗艦している。これは部隊に病院船が随行しない場合の負傷や急病に備えてのことである。 ところがVOL隊には本格的な病院機能を有する後方支援艦が配備される。そこで各艦の医務室には看護士だけを置き、軍医は後方支援艦の方に3名乗せるという新たな試みが取られることになっているのだった。 「ただ、残念なことに、いつも と言うシャスターニスに対しコスタンティア以下全員が首を横に振ったのである。 「絶対、ダメです!」 そうしてその光景を眺めつつ、やはり心の中で溜息を吐くモーナなのであった。 |