VOL隊の正式発足から早3ヶ月。その間に空母や巡航艦も配備され、いよいよ艦隊としての体裁が整い始めていた。部隊に志願した者たちも続々と集まってきているし、半ば強制的に異動となった艦載機の搭乗員や陸戦兵も渋々ながらも異動してきている。 そうして艦長に採用された佐官たちもである。彼女ら6人 ― 中佐3名、少佐3名 ― は厳しい競争を勝ち抜き、並々ならぬ意気込みを以って着任してきたのだった。 他の4名、シェテンティ中佐、メイダ中佐、ノニエ少佐、コッテシア少佐はそれぞれの持場となる艦に乗り込み、新任艦長として早速職務を開始したのである。 新任艦長の6人はいずれも士官学校を出て宇宙勤務を経験している。まあ、それが条件であったから当然といえば当然だが、異動して来る前は地上勤務だった。全員が方面司令部の参謀本部もしくは作戦部にいて、部隊運用の地上士官として任務を遂行していた。 そうして意気揚々と職務を開始したが、直ぐに艦内の微妙な空気に気づいた。 前の職場を離れる時には皆が激励して送り出してくれた。ところがこちらはどうだ。艦隊司令を始め参謀たちも歓迎してくれた。なのに艦の乗組員たちは違ったのである。 ―― 何故なの? 私の何が問題だというの? 艦長らは困惑した。 その理由がはっきりしたのは、部下らが陰で話していたことを耳にしたからである。 「やっぱり艦長は経験豊富で実績のある人がいいわよね」 「そうよね。新兵を山ほど抱えて、艦長まで新人じゃあ、艦の運用なんて上手くいくはずないじゃない」 女性だけで構成される部隊なのだからそれは言っても詮無きことである。だがそれでもそう言う言葉が出てしまうほど、中堅どころの兵士らはストレスに悩まされていたのである。 VOL隊に集まった兵士も、新兵以外はいずれも宇宙勤務の経験がある。しかもつい最近まで別の艦隊に勤務していたとか、地上勤務に移ってまだ日が浅いなどである。 しかも地上においても3交代勤務が実施されている。確かに娯楽施設のある厚生棟は24時間利用が可能だが、宇宙港から中央総司令部基地まで異動しなければならない。ところが基地と宇宙港を結ぶリニア地下鉄は無人で走らせるのは意味がないとして本数が限られている。3交代勤務の切り替え時の30分間だけ10分おきに走るが、それ以外は1時間半から2時間に1本しかないのである。息抜きのために遊びに行っても地下鉄の時間が気になって仕方がない。 「まだ前のがあるから要らないわ」 というのは何だか自分が魅力のない女だと言っているみたいで癪に障る。 「冗談じゃないわ!」 宇宙勤務者の妊娠が大問題になるのはわかっている。だからといって一律で配布する必要はないとしか思えない。だが「必要な者は申告せよ」とされたら言い出しにくいのも確かである。 そういった、公私共にストレスの溜まる状況下である。そこへ「使えない」上司にやってこられたのだから堪ったものではない。 これは意気込んで着任してきた新任艦長らを大いに傷つけたのである。 そうして着任して早3週間、もう既に部隊内には軋轢のようなものが生まれ始めてしまっていた。 本来ならばもっと早くに開きたかったのだがあいにくと食堂の個室が取れなかった。それ故のことだった。レイナートは会場を本部棟将官用食堂の個室に選んだのである。 そうしてここでの食事に際しレイナートは参加者に準第一種正装を命じた。何せ、本来将官用の食堂、しかも人数が人数だけに個室の中でも大きい部類に入る特別室を選ばざるを得なかった。そこで一応、敬意を払わせるということでそうしたのであるが、当初は第一種正装にしようとした。だがこれは皆の反対にあって撤回したのだった。 ところで第一種正装といってもイステラ軍の軍服には取り立てて「儀典用の礼服」というものはない。なので通常の軍服を着用するのだが、男性の場合はショートブーツではなく革の短靴を、女性はスラックスではなくスカートにパンプスを着用することとされる。 大雑把に言うとイステラ軍の飾緒は艦長なら白、参謀なら赤というように、各職種を示すスカーフと同様の色をしている。ただし将官だけはその職にかかわらず金糸のものである。 それから勲章。これも第一種正装の時には必ず着ける。 「まあ、私の場合は大佐まではろくな功績がなかったからね」 レイナートはそう言って苦笑いする。 なのでセーリアを始めとする参謀や艦長たちは第一種正装をやんわりと断った。司令よりも華々しく勲章を下げる気にはならなかったからである。 そうして食堂にやって来た面々、受付で名を名乗りセキュリティチェックを受けてから奥に通される。ちなみに将官のレイナートにはセキュリティチェックはない。受けるのは佐官と尉官だけである。 将官用食堂の個室ということで内心ワクワクしていた女性たち。中に入った瞬間に言葉を失った。それは高級レストランの特別室にも匹敵する設えだったからである。 ぼうっと立ち尽くす女性らをレイナートが促した。 「諸君、着席しましょう」 部屋の奥、一番の上座となる席にレイナートが進むと給仕を務める下士官がすっと椅子を引く。そうしてレイナートが腰掛ける動きに合わせ椅子を動かす。給仕は5人。それが次々と同じような洗練された動きを見せる。 「お飲み物は何になさいますか?」 給仕役の兵長がレイナートに尋ねた。レイナートは事前に了解を取っていたから即座に答える。 「シャンパンを全員に」 「かしこまりました」 給仕は頭を下げて下がっていく。 やがてワゴンの上に大型のシャンパンクーラーを載せて給仕が戻ってくる。「ポンッ」「ポンッ」と心地よい音とともに栓が開けられ、卵型のシャンパングラスに注がれる。最早クープグラスやフルートグラスをシャンパンに使う時代ではないから当然のこと。 「それでは乾杯しよう」 レイナートが座ったままなので誰も起立せずにグラスを取った。 「改めて着任してきた艦長たちを歓迎するとともに、部隊の今後の成功と発展を願う。 レイナートが静かにグラスを少し持ち上げると、皆がそれに倣う。 「乾杯」 生まれながらのお嬢様であるコスタンティアや、それこそ元皇族で高位貴族のご令嬢だったエメネリアなどグラスの持ち方さえもが優雅で美しい。一般庶民の代表のようなアリュスラやエレノアは横目でそれを見ながら真似をしている。 乾杯が済むとまずは前菜、アペタイザーとして1プレートにエスカルゴ、フォアグラのキャビア載せ、生ハムとメロンが載った皿がそれぞれの前に並ぶ。 今回の食事代はもちろん公費からは出ない。レイナートのポケットマネーであるが、それは誰にも告げていない。 料理は前菜から美味でスープもサラダも申し分ない。その点はいいのだがどうも話題に乏しく場の雰囲気が暗かった。新任艦長6人の表情が明らかに冴えなかったのである。 参謀たちはその理由についてはおおよそ掴んでいた。 『ここの操作なんですが……』 殊に船務部門の計器や機器は専門知識を要するものばかりである。それがわからないとなるとクローデラに聞きに来るのが多いのである。 確かに部隊に配属された艦は旗艦を除くと現行艦、ただし旧世代艦である。 戦闘艦の調達には莫大な費用と時間を要する。 ところが部隊が本格稼働する前から既に問題化しかけている。 「司令は辺境基地勤務から輸送艦の艦長になられた訳ですが、就任直後はいかがでした?」 微妙な空気を打ち破ったのはモーナだった。 「困ったりとか、悩んだりとかありましたか?」 突然の質問にレイナートが面食らう。 「……それはまあ、当然あったよ。私は士官学校を出ているとはいえ一般科だったから……」 モーナの問にレイナートは静かに話し出した。 「一般科はとにかく広く浅くだから、艦長を務めるには足りない物、知らないことが多すぎた。 特に私はその年に新規任官したばかりだったし」 「新任の年に大尉になられたんですよね?」 シェテンティ中佐が確認してきた。実は彼女、レイナートやコスタンティアと同期である。 「そうですね。そういうことになります」 「事情を伺ってもよろしいでしょうか?」 自分よりも成績が下だった一般科の候補生が、今では自分の上司。しかも階級が4つも上。ということになれば、かつてのコスタンティアのように当然納得できないものがあってもおかしくない。 「話すと長くなりますけど、要するに手違いと秘密主義との産物です」 レイナートは苦笑しつつ言う。 「……、あの、どういうことでしょうか……?」 さらなる問にレイナートは言った。 「某国の皇女である中尉を載せた民間船を、たまたまその時私が艇長をしていた警備艇が捕捉しました……」 レイナートはエメネリアをちらりと見た後、かいつまんで経緯を説明したのである。 「……とまあ、そういう訳で私は大尉になり、RX-175基地司令は中尉が相当職なので私はそのままでは勤務させられないということで、またまた、たまたま空きのあった輸送艦の艦長職に押し込まれた訳です」 レイナートは淡々と語っていく。 「まあ、定期航路の輸送艦の艦長なんて、こう言っては何ですが、することなんてありません。でも形式上、指揮官が命令を出さない限り何事も始まりませんが、それだって必要最小限度で済んでしまうんです。 レイナートは自嘲的に笑う。 「輸送艦の艦長なんて、実際には何か問題が起きた時に詰め腹を切らせるための要員ですからね」 「そんな……」 一様に不満の声が出る。その輸送艦の艦長だって女性にはほとんどなれる機会がないと言うのに……。 「皆さんは聞いたことはありませんか? 士官学校出の新任の少尉は現場の下士官や兵にいじめられることが多いって」 誰もが無言で頷いた。この場の全員が多かれ少なかれそれは経験していた。しかも女性であるから尚の事、とも言えることもあった。 「軍隊という組織は階級が全てです。絶対に階級が上の者には逆らえない。 レイナートは水の入ったグラスに手を伸ばした。アルコールがほとんど駄目なレイナートは、最初のシャンパンを一口だけでもう赤い顔をしていたのである。 「だから私は、歳上で経験豊富な部下に頭を下げて色々と教えてもらいました」 「頭を下げて……」 「そうです。 レイナートは再び水を飲んだ。 「誰もが私を初めはバカにしました。『士官学校を出てるくせにそんなことも知らないのか』ってね。 そこでレイナートはふと話題を変えた。 「大昔の女優だった人の言葉にこういうのがあると本で読んだことがありました。 誰もが首を横に振った。 「でしょうね。400年位前の人の言葉らしいから。 「何ソレ? 変な言葉ね」 アニエッタが素直な感想を述べた。 「まあ、今とは時代が違う、と言ってしまえばそれまでですが……」 しかし女性らは微妙な顔をしていた。 「それで、私もこれを実践することにしたんです。 レイナートの言葉にシェテンティ中佐が更に疑問を口にする。 「でも、その……、いやじゃなかったですか? 部下に頭を下げるなんて?」 だがレイナートは穏やかな表情を見せるに留まり何も言わなかった。 「もしも中佐が士官学校出身者の『プライド』のことを仰ってるのなら、一般科出身者には大したことじゃないですよ? 候補生時代、ほとんど無視されてましたし、一般科候補生のプライドなんて専修科候補生からしたらお笑い草でしたから」 いささか毒を含んだアリュスラの言葉に女性たちが一瞬息を呑んだ。 「任官してからだって専修科出身者は確かにエリート扱いでしょうけど、一般科なんて叩き上げに毛の生えた扱いですよ? いえ、叩き上げてない分、扱いはもっと低いかもしれない」 この場で士官学校での軋轢を持ち出されたことに全員が戸惑いを隠せなかった。 「別に専修科だの一般科だのといったことは関係ないと思いますよ。 「断固たる決意?」 「そうです。己の職務を全うし、職責を果たす。 確かにそうかもしれないが、やはり部下に頭を下げるということには、プライドが邪魔をしそうだと誰もが思えた。 「確かにクラムステン大尉の言う通り、一般科候補生はプライドを持たない、というか持てないようにされてるからかもしれませんけど」 エキスパートになれない何でも屋を育てる所。それが士官学校本科一般科である。「その道のプロ」からは見下されることに候補生時代から慣らされているのが実情である。 「でもそれからすると、司令はスゴイですね。一般科出身なのに艦長として経験豊富で今度は部隊司令ですもの」 コッテシア少佐が純粋に賞賛の目で言った。 「どおりで第七の470期は他とまるっきり違うということが、司令にお会いしてよくわかりました」 コッテシア少佐は納得、というように言う。 「そうか、貴官も第七士官学校でしたね?」 レイナートに尋ねられるとコッテシア少佐はニッコリと頷いた。 「そうです。司令の1期下、第471期戦術作戦科です。 「申し訳ないですね。生憎とまったく……」 申し訳なさそうに頭をポリポリとかく。 「他でも大抵はそうなんでしょうけど、専修科候補生と一般科候補生の間には完全に溝があってまったく交流がなかったですからね、特にあの当時の第七は……」 そこでコスタンティアは、今回の艦長公募に際して、第七士官学校第470期組からの応募が一切なかったことを思い出した。 ―― つまりそういうことだったのね……。 自分より下と思っていた一般科が自分の上司となる。それがイヤで申し込まなかったのだろうと推察できた。 「任官後も第七の、特に470期組は一般科出身者を無視する傾向が強いと、前の部署においても問題になってましたし……」 コッテシア少佐が言う。 「何故だろうと思っていたのですが、それは司令が理由だった訳ですね?」 レイナートが苦笑した。 「それはどうでしょう……」 だがそこで今度はコスタンティアが口を挟んだ。 「きっと少佐の言う通りだと思いますよ。司令は存在するだけで波風を立たせる人ですから……」 突然の言われ様にレイナートが唖然とする。 「大佐?」 「私も同じ470期組の1人として、司令に初めてお会いした時は信じられなかったから……」 史上初の連邦宇宙大学2年スキップ卒業、他を突き放しての士官学校主席卒業。いわば生きた伝説とも言えるコスタンティアが言う言葉には説得力があった。 「どうして私よりも3階級も上なの!? ってね。一時は転属を願い出たくらいです」 「そうなんですか?」 「ええ。 「どうしてですか?」 コッテシア少佐の問にコスタンティアは熱のこもった目をレイナートに向けて言った。 「だって転属を願い出た時は浅はかでまったく何もわかってなかったけれど、日々の采配を見て、ずっと司令の下で働き続けたいと考えを改めたからです。できることなら一生、公私共に……」 じっとレイナートを見つめながらそう言ったのだからたちまちその場が騒然となった。 ―― ちょっと、今ここで宣言しちゃうわけ? モーナが呆れた。 コスタンティアがそういうことを言い出せば、当然、クローデラやエメネリア、アニエッタだって黙ってはいられない。 「さすがに作戦参謀、油断できない 「ホント。油断も隙もないわ」 「よくもまあ、いけしゃあしゃあと……」 新任の艦長たちの歓迎会のはずが、彼女らをほったらかしにしてレイナートへの熱い思いを口に出す参謀ら。セーリアと艦長たちはもちろん、給仕としてその場に控えている下士官までもが唖然としている。 ―― まったくもう、サカリがついた猫じゃないんだから! モーナは吊り目をさらに釣り上げてその場を睥睨していた。 ―― まあ、でも、シャスターニス先生がいない分だけマシね。 本来はシャスターニスもこの場に呼ばれるはずだったが先約があって来ることができなかった。それは連邦宇宙大学医学部病院からの執刀要請だったのである。 連邦宇宙大学医学部の名誉教授の来訪を受けたシャスターニスは驚きを隠せなかった。名誉教授ともあろうお方がわざわざ自ら足を運んできたからである。 「久しぶりだね。どうかな、軍の方は?」 「ご無沙汰してます。ええ、まあ、ボチボチと……」 「君のように優秀な人に抜けられて脳神経外科の医局はてんてこ舞いしとるよ」 「恐れ入ります」 随分と殊勝な態度を見せているシャスターニスだったが、内心では舌を出していた。 ―― あんな魑魅魍魎が跋扈する所から抜け出せて言うことなしなんだけど……。 学内の派閥や権力争いに嫌気が差して大学病院を辞めて軍に入ったシャスターニスである。 「ところで、今日やってきたのは君に診てもらいたい患者がいるのだ」 そう言って名誉教授が資料をシャスターニスに渡した。 「連邦広しと言えども、これが切れるのは私だけですね」 聞き様によっては傲慢とも、驕っているとも取られかねない言葉である。だが名誉教授は非難することもなく、どころか大きく頷いた。 「そうだ。医局内全員の意見がそうだった。 そうして連邦宇宙大学医学部長と附属病院長の連名で軍大学校医学部に正式要請が出され、シャスターニスが執刀医として手術を担当することが決まったのである。 これは連邦宇宙大学医学部や軍大学校医学部のみならず、士官学校の医科候補生、さらに国公私立の大学医学部や大学病院、更に脳神経外科のある国公私立病院の全てに、超高速度亜空間通信によって手術が公開されることになったのである。 といって歓迎会の方もようやく個室の予約が取れたのであって変更ができなかった。 「もう、残念……」 シャスターニスがむくれた。 「でもスゴイじゃないですか、先生!」 やはり「神の手」の異名は伊達ではない、ということだった。 「ねえ、艦長。なんなら特等席を用意しますけど?」 「いや、それは……」 手術を見学しないかと誘われたレイナートだが、それは丁重に辞退した。 それはさておき、個室内は最初とはうって変わって騒がしくなってしまっていた。 ―― だって「伝説の女性」が想いを寄せてるんですもの。 この場のほぼ全員が優秀な成績を修めて士官学校の戦術作戦か、もしくは航法科を出ている。 士官学校では女性であることを理由に優遇されたり、大目に見てもらえるようなことは皆無である。 「敵は性別を考慮はしてくれない」 その理由の故にである。 図上演習、航路計算、情報分析といった、完全に頭脳項目であれば他を寄せ付けなかった女性たちだが、体力勝負の野戦行軍や白兵格闘戦、さらに実機飛行演習ではライバルの後塵を拝したこともある。それが最終成績に現れた。クローデラであっても最終成績は全候補生の内3位、モーナの場合は13位だった。 そんな女性が思いを寄せる男性ともなれば興味を持たない方がおかしいだろう。 ―― まあ、見た目は悪くないし……。 端正な顔立ちだが美男子というほどではない。穏やかな物腰。だが一般科卒でこの歳で既に中将。尋常では無いことだけは確かである。 ―― 単に「恋は盲目」って訳ではないでしょうし……。 皆が興味をレイナートに向けていたのだが、レイナートはそこでフォークでワイングラスを叩くと咳払いをして皆の注意を促した。 「……とにかく、私からのアドバイス、と言えるほどのことでもないですけど、艦長の皆さんは、できるだけ部下と交流を持つようにした方がいいと思います」 一転して静まり返った室内にレイナートの声が響く。 「それは日常の任務を遂行する上で欠かせないことだと思います」 すると、レイナートの穏やかな表情がいくらか険しくなった。 「私がリンデンマルス号の艦長として参加した最後の作戦において、 その言葉に全員が居住まいを正しレイナートを凝視した。 「
レイナートは沈痛な面持ちで言葉を紡ぐ。 「私は艦長として、戦死者の遺族にお悔やみの手紙を、行方不明者の家族や退役者にはお見舞いの手紙を書きました」 しんと静まり返った個室内。給仕たちも身動ぎ一つしないで聞いていた。 「当然手紙は紙にペンで書く直筆です。電子メールでもコピーしたものでも許されません」 レイナートはゆっくりと、しかししっかりとした口調で話している。 「私は艦長として可能な限り艦内各部署に足を運び、部下たちとコミュニケーションを取るように務めていたつもりです」 確かにレイナートは勤務時間外にはよく艦内を歩き回っていたのを、旧リンデンマルス号乗組員だったコスタンティアらは思い出した。 「手紙を書きながら死んだ部下たちのことを極力思い出そうとしました。彼の、彼女の顔、声音、雰囲気。記憶を辿って細大漏らさず思い出そうとしました。 レイナートの声がかすかに震え始めた。 「彼の遺族にお悔やみの手紙を書く時、私は彼のことを、記録上の経歴以外ほとんど何も知りませんでした。 そこでレイナートは押し黙った。 「結局、私は例文集を利用しました。 再びレイナートが口をつぐんだ。 「ですが、そうやって書いた手紙を受け取った遺族は何を思うのでしょう? レイナートの声がさらに沈み込んだ。 「艦長という職にあった時、あれが最も嫌な、辛い思い出です」 再びレイナートが沈黙する。 その場の女性たちも言葉が出せなかった。 参謀として作戦を立案し、艦長として命令を下す。 確かにイステラ軍において女性が前線指揮官として採用されたことは過去に例がない。 「諸君。階級、職務に関わらず、己の任を全うする。その決意が必要です。 レイナートはそう結んだ。 聞いていた女性らはその言葉を噛み締めていた。 誰もがそれを考えている時、突然、モーナの情報端末に着信音があった。 「申し訳ありません……」 慌ててモーナがモードを切り替えようとした。だが画面を見て手を止めた。 「司令、第七方面司令部所属、第1958通常艦隊司令から緊急度Aの通信です。 「緊急度A? なんだろう? 繋いでくれ。 レイナートが給仕に命じた。 「急な事にもかかわらずありがとうございます、閣下」 画面の中の女性大佐がそう言いながら敬礼をした。 女性大佐が続けて言う。 「いよいよ出撃となりましたので、一言ご挨拶申し上げたく、無理を承知でご連絡差し上げました」 敬礼を返したレイナートが言う。 「そうでしたか、ご武運を」 「ありがとうございます、閣下。 それを聞いてレイナートが首を振る。 「いえいえ、私は何もしてませんよ」 「いいえ。閣下のおかげです。 大佐はきっぱりと言ったのである。 レイナートの上申によるVOL隊の艦長公募。これは軍全体に激震を走らせた。 このことはVOL隊発足以上の衝撃を女性士官に与えたのである。 そうして女性にはチャンスがないからと高を括っていた男たちは大いに焦った。己のチャンスを女性に奪われるかもしれないのだから。 そうしてその決定を受けた時、その大佐と中佐は直ぐにレイナートに連絡をしてきた。やはりそれは礼を述べるためにだった。 「大佐、そして中佐。私から一言アドバイスするならとにかく『焦るな』ということです。 レイナートがそう言うと大佐はニッコリと微笑んだ。 「ありがとうございます。貴重なお言葉に感謝します。 大佐はそう言って敬礼した。 全員が着席し直したところで誰かが呟いた。 「先を越されちゃったな……」 確かに部隊が発足し、艦長となるべく辞令は交付された。だが実際に艦に乗り込んでの出航にまでは至っていないのだから、そういう言葉が出ても不思議ではなかった。 「だからって負けないわよ! もちろんあっちだって負けてほしくないけどね」 女性たちは先程とは打って変わって己の本来の任務に思いを至らせ、内なる静かな闘志を燃やし始めているのだった。 |