聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第1章

第2話 いきなり……

 即位の儀が済んだレイナートは、一旦北宮に赴きそこで礼服から普段着に着替え、今度は合議の間へと向かった。

 帰国してから早一ヶ月。だが実はまだ北宮へ移り住んだ訳でなく、着替えを数着持ち込んだだけで、いわば仮住まいのような状況であった。
 というのは全イステラ貴族からレイナートの即位に対する合意を得られたのがわずかに十日前。直ぐに即位へと本格的に動き出したために、何も彼もが後回しだったのである。
 その十日間の間に行われたことといえば、即位の儀の日程を全貴族に連絡することと、王都及び直轄地に高札をたててレイナートの即位を国民に周知させることであった。とは言えたったこれだけのことしか出来なかった訳ではない。レイナートは余計なことに金も時間も手間も掛けることを望まなかったのである。



 また外務省側からは他国へレイナートの即位を告げる使者をどうするか、一応摂政ドリアン大公に問い合わせがあった。
 各国の駐在館もあの大地震で建設途上で放棄され、駐在官自身が全員帰国してしまっている。このような状況ではとてもではないがのんきに外国に赴任などしていられない、ということであり、アルタシアもディステニアに帰国していたのである。
 したがって正使を送らなければならないだろうと外務省は言うのであった。
 だがそれに対してレイナートは言い切った。

「今は非常時、とにかく先に即位式を済ませてしまいましょう。外国の使者を待つために即位を遅らせるのは本末転倒です。だから使者はもう少し落ち着いてからでいいでしょう」

 さすがにこれにはドリアン大公もシュラーヴィ侯爵も唖然とした。だが外務省自体混乱しているし使者に立てる貴族もいない。それが理由であった。
 したがって即位の儀自体にイステラ貴族しか列席しておらず、かつてないほどそれは閑散として、しかも飾りっけのない儀式だったのであった。


 レイナートが合議の間に姿を現すと、先に入室していた大臣らが一斉に立ち上がった。

「諸大臣の皆さん、ご苦労様です」

 そう言ってレイナートは王の席に着く。

 大臣達も着席した。

「改めて今後とも宜しく頼みます。
 さて早速ですが、人事登用の件に関して報告をお願いします」

 レイナートが促す。即位して王となったばかりで、言葉遣いがまだリンデンマルス公爵のままである。
 だがそれを指摘する者はなく、全員が今一度黙礼し、そうしてシュラーヴィ侯爵が口を開いた。

「現在のところおよそ三百五十名ほどの申し込みがありました。現在、リンデンマルス公爵家教師シュルムンド、グレリオナス両グラモニオ子爵殿が面接中にございます」

「そうですか」

 レイナートが頷く。
 だがこれはレイナートは既に承知していることで、いわば大臣達に進捗状況を知らせるためのものであった。


 家臣らを伴って改めて各省を回って確認したレイナートは人材の不足の解決がまずは一番の問題との思いを強くした。とにかく人がいなければどうにもならないということである。
 そこでレイナートは摂政、宰相、各省大臣達と協議して平民からの人材登用を提案した。

「平民から事務官吏を雇う、のでございますか?」

 レイナートの提案に誰もが目を丸くした。

「そうです。今は非常時、身分にこだわっている場合ではないと思います」

「しかし、読み書きも満足に出来ない平民などでは事務など出来ないと思われますが?」

「ご懸念はごもっとも。そこで採用試験を行います」

「採用試験?」

「そうです。シュルムンド、説明を頼む」

「畏まりました。
 王都や直轄地に高札を立てます」

 王都へ呼び出されたシュルムンドが説明をする。

「高札を?」

「はい、そうです。そこにイステラ語で試験問題を書いておきます」

「試験問題?」

「ええ。一つは高札そのものが読めるか否か。もう一つは計算問題です。
 これがわかるものは名乗り出よ。正解の場合は各省の官吏として採用する、その旨を書いておくのです」

「それで集まりますかな? それに字の読める者はほとんどいないのでは?」

 貴族らは懸念を口にする

「確かに仰る通りかもしれない」

 レイナートも頷く。

「この国では公の教育制度がありませんでしたら……。ですが今はとにかく人手が必要です。それもきちんと読み書きが出来る者、または計算が出来る者、もしくは両方出来る者……。
 これらはおそらく商人の中にはいるでしょう。そうして今は商売が出来ていない者もいるかもしれない。また商人にかぎらず読み書き計算の出来る者もいるかもしれない。そういった者を集めるのです」

「しかし上手く集まるでしょうか?」

「集まるかどうか、ではなく、集めるのです」

 懸念を口にした貴族にレイナートはきっぱりと言った。

「さもないとこのまま国が立ちゆかなくなります」



 領地から人を集める時にレイナートはシュルムンド、グレリオナス兄弟も呼び寄せ様々に相談した。

「ご領地の子供達に関しては全て把握しているからいいとして、やはり他から採用する者達が問題です。この者達の力量を見極めてからでないと採用しても無駄になりかねません」

「それはそうだろうな」

 シュルムンドの言葉にレイナートが頷く。

「だがどうやってそれを確かめるかだが……」

「それには採用試験を行ったらよろしいでしょう」

「採用試験?」

「そうです。読み書きと計算のです」

「でもどうやって? 一同に集めて行うのか?」

「それに腹案があります」

 シュルムンドは自信たっぷりに言ったのである。



 結局この案は採用され、早速王都の何箇所にも高札が立てられたのであった。

 曰く、

『告
この高札を声に出して読むことを禁ず。
現在未曾有の国難を迎え国は新たなる人材を広く求める。
よって以下の問題が解けし者は衛士詰め所、もしくは直接内務省まで名乗り出るべし。新規採用し各省各所に配置する予定である。採用されし者は俸禄として月、小金貨十一枚を支給するもの也。

問題一 3+2×5の値
問題二 15-6÷2の値

以上解答出来ずとも、この高札が読めた者であれば採用の途あり。
なお年齢性別は問わぬものとする。
また以下の文章が読める者には尚一層の優遇措置がある。

「人が剣を選ぶのではない。剣が人を選ぶのである(※筆者注 この部分は古イシュテリア語)」

以上、申し伝う 摂政ドリアン大公マルレオイス』



 高札の周囲にはたちまち人だかりが出来た。だが読める者は押し黙り、読めぬ者だけが騒いでいる。

「おい、何て書いてあるんだ?」

「わかんねえよ!」

「誰か読める奴はいねえのか!?」

 だがその喧騒の中、高札の意味が理解出来る者は目を瞠っていた。
 ひとつはその支払われる俸禄の高さである。通常であれば大金貨一枚すなわち小金貨十枚あれば、親子三人が贅沢しなければ十分ひと月食べていける。もし独り者であればそれなりに贅沢も出来る。それが一割増の十一枚ということだからこれはかなり破格である。
 それと今一つは年齢性別を問わないということである。それはすなわち女性であっても構わない、ということに他ならない。

 このようなことは今までになかったことである。それは裏を返せばそこまで人手に逼迫しているということであり、切羽詰まっているということであった。

「上手く人が集まるといいですな」

 大臣達は口々に言う。

「まあ、上水道のこともあることだし、うまくいくのではありますまいか?」

 だがこれは上手くいってもらわねばならないことであった。さもないと今後の復興が覚束なくなるからである。



 各省全体では五百人は新規採用が必要と見積られていた。だが集まるのは精々百人か、と見做されていた。読み書き計算の出来る平民などそれほど多くはないだろうと思われていたのである。事実それは穿った見方ではなかった。王都の平民からの希望者は五十名にも満たなかったのである。
 だがリンデンマルス公爵家からの二百人近くを始め、各貴族家からもわずかずつながら協力が申し出られたのである。というのは貴族家によっては人減らしがしたいというところもあった。震災による影響で領内農産物の収穫減少などの理由からである。

 確かに読み書き、計算の出来る人材は貴重である。だからと言って食わせられないのではつなぎとめておくことも出来ない。それに国に恩を売ることも出来る。
 特に本来認められない家督相続を認めてもらった家は国に対して強く物を言えない。その挽回のいい機会である。そのように捉えられたのである。

 しかも女性を可としたことも大きかった。どうしてもこの時代、女性よりも男性を優遇する風潮が強かった。それで寡婦となった者で読み書きや計算の出来る者が優先的にそうさせられたのである。
 だが彼女らにしてみればそれは願ったり叶ったりということもあった。夫を失い求められる力仕事も出来ず、ご領主様のお情けでかろうじて食べていける、というのでは将来に不安が大きすぎる。だが自分で働いて稼げるとなれば、その心配はかなり軽減されるだろうというのである。

 こうして蓋を開けてみれば百人に及ぶ申し込みがあったのである。そうして総計およそ三百五十余に達したのである。

「陛下のご慧眼には感服でございます」

 大臣の一人が言う。
 今では各省でその配置を手ぐすね引いて待っているところであった。

「だがまだこれは始まりにしか過ぎません。彼らをきちんと指導し、使える人間にしてもらわなければならないのは当然です」

 レイナートは大臣たちを見回してそう言ったのである。



 レイナートの即位に好意的であった大臣達。やはりレイナートが王家の血筋であるということと、リンデンマルス公爵家の再建に一定の成果を挙げたということが大きい。
 したがってレイナートがこの人材登用問題の前に最初に提案した事案、上水道の修復工事も直ぐに受け入れられたのだった。

 王都の西、ビューデトニアとの国境となる山脈の麓、レギーネ川の水源地から王都に向かって上水道が引かれている。ところがこれが大地震の影響で何箇所にも破損があり、王都に十分な水が供給されておらず深刻な水不足に陥っていたのである。

 イステラの王都は小高い丘の上にあるため、地下水を汲み上げるのが難しかった。レイナートによってもたらさられるまで、深井戸を掘る技術がイステラにはなかったからである。
 そこで過去に水源地から地下に上水道を敷設し王都内まで引き入れ、それを汲み上げて使っていたのである。

 ところが王都自身が丘の上だから、この上水道には勾配がごくわずかしかなかった。したがって多少のゴミ詰まりや水道を形作る石や木板に破損があるとたちまち王都まで水が届かなくなったのである。
 そこで破損があるたびに工務省の者達が出かけて行ってせっせと直していた。ところがこれが完全に泥縄で根本的な解決とはなっていなかったのである。

 元々国の公共の施設の維持管理は工務省が担当。それはいい。
 だが抜本的な修理が必要な上水道にも関わらず、工務省が担当だからと他は知らん顔であった。確かにどこも人手不足であるから協力出来ないのは仕方ないかもしれない。だが飲水がなくなったらどうするのか?
 官僚化の進んだイステラの縦割り行政の弊害がここに現れていた。

 レイナートが王都内を見て回った時、とにかく水不足に悩む市民達で溢れかえっていた。
 これは何とかしなくてはならない、と工務省へ乗り込んだが混乱するばかりで話にならなかったのである。

 そこでレイナートはシュラーヴィ内務大臣に意見具申した。王都内及び水源地に赴任している衛士を工事に当てたらどうか、と。
 元々上水道補修用の石材や木材の予備は確保されている。あと足りないのは人手である。そこでレイナートは衛士隊を上水道工事へ回せと言ったのである。

「とは言うがリンデンマルス公、衛士達は素人。とても工事が出来るとは……」

「何も彼らに一から十まで全てやらせろというのではありません。でも工務省の担当官の指示に従って地面を掘るくらいなら出来るはずです」

「それはそうだろうが……」

 シュラーヴィ侯爵は困惑した。だが言うほど簡単なことだろうか?
 だがレイナートは強く訴えた。

「幸か不幸かアレモネル商会事件の後、国も貴族家も塩の備蓄が進んでいると聞いています。ですが水だけはどうにもならない。上水道が詰まるたびに、馬車に樽を積んで水を汲みに行っていたのでは本当に干上がってしまう。
 ここは人員を大量に投入して一気に修理するべきでしょう」

「じゃが、リンデンマルス公。それでは王都の警備が……」

 ドリアン大公も懸念を口にした。

「それは現在、王都の瓦礫の片付けをしている国軍に兼任させればいいでしょう。毎日アチラコチラに国軍兵士が出張っているのです。
 であれば、衛士がいなくとも治安が極端に悪化するとは思えない」

 レイナートが言う。

「しかし夜間はどうされる?」

「申し訳ないが、それも国軍に交代でやってもらうしかないでしょう。とにかく今は非常時です。今までと同じやり方では何も解決しない」

 シュピトゥルス軍務大臣の質問にもレイナートはそう言い切ったのである。

「とにかく上水道の掘り出しだけでも衛士にやらせるだけで、工務省の担当官は相当ラクになるはずです。だったらやらない手はない」

 結局レイナートの意見は採用され、王都と水源地の衛士合わせて二千名が工事に従事することとなった。
 衛士らにしてみれば「なんで自分達が」と思わないではない。だが王都内には自分の家族も住んでいる。それが水不足で悩んでいるのは皆と一緒である。したがって不服ながらも工事に従事したのであった。
 この二千人によって上水道が掘り出され、工務省の人間が状態を調べ、見つかった破損箇所の木材や石材が交換された。
 水源地から王都までの距離がさして遠くなかったことも幸いした。瞬く間に修理が終わってしまったのである。

「なんということだ!」

 ドリアン大公もシュラーヴィ侯爵も唖然とした。
 王都内各所に設けられた井戸から、再び十分な水が汲み上げられ水不足は一気に解消されたのである。

「あとの埋め戻しは工務省にやらせればいいでしょう。衛士を戻しましょう」

 レイナートは満足気にそう言ったのである。



 かつて領地においても水路工事をしたことがある。その時に感じたのは道具と人数。このことである。用水路工事には父王から賜った奴隷百人を従事させたが、道具はないし水路は深く掘らなければならないし人は少ないしで苦労した。
 だが上水道は地下埋設とはいえ一度は掘ったことのある場所である。それに深いところにある訳でもない。なので大人数を投入することで一気に解決出来たのであった。



 そうして迎えたレイナートの即位である。
 とにかく、どこからそういう発想が? というようなことを言い出すレイナートである。
だがさしあたって水問題は上手くいった。これで人材登用問題が上手くいけば、レイナートの力量はまずまず十分であると判断出来るだろう。
 貴族らはレイナートに好意的ではある。だが無能であったら直ぐに切り捨てるし、レイナートを推したドリアン大公やシュラーヴィ侯爵、シュピトゥルス男爵に対する求心力も一気に低下しかねない。
 それはイステラが内戦状態に陥る、もしくは群雄割拠となる可能性にあるということである。



 始まったばかりで正念場を迎えているレイナートであった。

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