聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第1章

第3話 経済問題

「なんですと! 王宮の復旧作業を後回しにすると仰られますか?」

「ええ。王宮に住む王族の数などたかが知れてます。それよりは国民生活を最優先させましょう」

「し、しかし、殿……、いえ、陛下……」

 レイナートが即位した翌日、朝一番で会った摂政ドリアン大公と宰相兼内務卿のシュラーヴィ侯爵に向かって言ったレイナートの言葉に侯爵は絶句した。

「お陰様で王太后陛下と皇太子殿下……、そうか今は皇太子ではないな……。
 とにかくお二人の住まわれる東宮の目処が付いたということですから、王宮の方はもういいです」

「ですが陛下、それでは下への示しが付き申さぬと思われますが……」

 ドリアン大公が言う。
 だがレイナートは首を捻った。

「示し、とは何ですか?
 今、国民にとって一番気に掛かることは自分達の明日のことでしょう。王様がどんな暮らしをしているかなんてどうでもいいと思っていると思いませんか? いや、自分達を放っておいていい暮らしをしてるんじゃないか、そう思ってはいないでしょうか。
 違いませんか?」

「そんな! そのような不敬……」

「別に不敬だとは思いません。それを言葉や態度に出せば、確かに咎められるでしょうが、人は心の奥底で何を考えているかはわかりません」

 レイナートは言う。
 それは何も他人を蔑んで言っているのではなかった。ただ、古イシュテリア大王が大王国を滅ぼしてしまった理由、それは穏やかな仮面の下の人々の本音、それを知ってしまったからではなかったか。
 誰も人の心を縛ることなど出来ない。ならば人々に不平や不満、妬みや恨みを起こさせないように努めるのが為政者の務めではないのか。そう思っているのである。

「とにかく上水道が一段落したことだし、王都の外側のあの湖のような堀、あそこに橋を架けましょう。それだけで物流が大きく改善され、人々の暮らしが良くなるはずです」

 レイナートが言う。
 あの大きな窪地に流れ込んだ大量の水。これは如何ともなし難かった。壊れた水門を修理するのは無理。よしんば再建出来たとしても、今度は水を汲み出すことなど不可能である。
 今は艀《はしけ》を使って渡っているが効率が悪すぎて、王都内への物資の搬入に多大な時間と労力が費やされていたのである。



「しかし、それは王都防衛上……」

「それは不必要な懸念ではないでしょうか? 今国内の貴族や、他国が軍勢を整えて攻め込んでこれる状況でしょうか?」

「ですが……」

「この冬は異常なほど暖かい。お陰で凍死者などを出さずに済んでいます。ですがこれから夏に向かって食料品の腐敗が懸念されます。物流を改善しないと夏に向けて十分な食料確保が出来なくなる虞《おそれ》がある」

 レイナートは重ねて言った。王都内の市民の暮らしは今はまだかろうじて落ち着いている。だが物価が跳ね上がり十分に食べられない者が出始めている。それは何よりも王都内への食料搬入が滞っているからである。これを改善しないと復興は覚束ないとレイナートは言うのである。

「橋を架けるとは言っても、これも直ぐに出来ることではありません。ならば余計に出来るだけ早く着手すべきだ」

「……」

「食料が市民に行き渡らなくなり始めたら、それこそ暴動が起きるでしょう。その時我々はどうすべきか? そんなことを考えるくらいならさっさと橋を作るべきです」

 レイナートの言葉についにドリアン大公も頷いた。

「わかり申した。じゃが工務省も十分な人手がある訳ではありませんぞ?」

「ええ、わかってます。それは市民から集めましょう」

「市民から、と仰られるか?」

「ええ、家はもちろん職を失ったものも多いようです。彼らへの救済ということも含め、橋の建設に人を集めましょう」

「畏まりました。直ちにその旨、工務大臣に申し付けましょう」

「お願いします」

「ただ費用の捻出が難しいですな」

 シュラーヴィ侯爵が懸念を口にした。
 多くの書類、人員を失っているため、国家財政の状態が性格に把握出来ていないにも関わらず、復興のために人が動いている。このままでは国庫が空になり、財政破綻を起こしかねない。

「それに関しては、シュルムンドとグレリオナスの二人に対策を考えさせています」

「対策を?」

「ええ。シュルムンドは歴史家ですから、過去の各国の歴史から参考になりそうなものを。グレリオナスは数学者ですから、とにかく国家財政の把握に努めさせます。その上でこれはという妙案があれば、それを採用したい」

「うまくいくでしょうか?」

「いくかどうかではなく、なんとしても成し遂げねばなりません。そうでないと国が滅びます」

 レイナートの表情はとにかく厳しかった。



 数日後、全大臣を集めての会議の場で、シュルムンドとグレリオナスは国債の発行を提案した。

「国債? 何ですかそれは?」

「平たく言えば国の借金ですね」

「借金……」

「そうです。額面いくらと決めた債券を貴族や国民に買ってもらう。それに利息をつけて何年後かに返すのです」

「なんだか、わかったようなわからないような……」

 工務大臣が首を捻る。

「例えば陛下のお考えの王都外側の橋の建設費用。これをまず計算します。そうしてその費用が国庫から直ぐに全額払えるのならば問題はありません。直ぐにではなくても一年以内なら支払い可能、というのなら債権を発行する必要はありません。
 ですが多額の建設費を賄うだけの予算がない場合、この国債を発行します。それを例えば、10年で償還する場合には年二分の利息をつけるとしましょう。ですが十年以内に払い戻しを希望した場合には利息を年一分とする。
 このようにして皆から金を集めるのです」

「だが利息をつけて十年後に支払いきれますかな?」

 財務大臣が懸念を口にする。

「それは支払えるように国家財政を健全化し、成長させなければなりませんね」

 グレリオナスが言う。

「ところで具体的に年二分の利息で最終的にいくらになるのですかな?」

 財務大臣が再び問う。

「最終的に利息分は元金の二割一分九厘になります。つまり千イラが十年後には千二百十九イラになりますね」

「そんなに……」

 大臣達が絶句する。

「年利二分というのはあくまで例えですから、必ずしもそうでなければならないということではありません。もっと利率を低くすることも可能です」

 グレリオナスが言う。

「だがその場合、必要な資金が満額調達出来るかどうか、という問題も発生します。利率が高ければそれだけ魅力であり、人々の興味をそそるでしょう。そうでなければ中途半端にしか集まらず、かえってやらない方がいいかもしれません。
 それと逆に後先考えずに大量に債券を発行し、それが償還出来なくなった場合はそれこそ財政破綻で国が滅びかねません。
 そう言う意味ではこれは諸刃の剣です」

 グレリオナスの説明に集まった大臣たちが顔を見合わせる。

「この点について皆さんの意見を伺いたい」

 レイナートが言った。

「意見と言われても……、今までに聞いたことがないものですからな……」

 軍務大臣シュピトゥルス男爵が呟くように言う。
 軍務省の事務官僚はやはり減っているし記録も多く失われているが、今最も組織として動ける人員を確保しているのは国軍である。しかしながらレイナートが帰国するまでは、行き当たりばったりで王宮や王都の復興に動員されている。きちんとすべきものをしておかないと後で困るのは目に見えているが、かと言って海のものとも山のものともわからぬものには直ぐに首を縦に振りかねた。

「過去においてどこかで実施したことがあるのですかな?」

 シュピトゥルス男爵の問にシュルムンドが答えた。

「記録によれば過去、イシュテリア大王国において行われています」

「古イシュテリアで? それはまた随分と古い話ですな……」

 シュピトゥルス男爵の言葉に大臣達も半ば呆れ気味に頷いている。イステラは古イシュテリアの正当後継国家を自認しているが、実際には古イシュテリアなど半ば伝説化していて実在すら怪しいとされているくらいである。

「ええ。それ以外ではさすがに私も寡聞にして知りません。
 ですがかつて、レイナート陛下の『破邪の剣』を調べている際、先王アレンデル陛下より下賜された書物の中に、そのような記述がありました」

「何、アレンデル陛下の?」

「はい。『イシュテリア興亡史』、『イシュテリア法令集』の二冊の中に記述がありました。
 なんでも歴代大王の崩御に伴う、廟の建設に必要な資金調達に行っていたようです」

「廟の建設……」

「ええ。各大王の崩御の際に必要と思われる経費は別枠で毎年積み立てられていたようですが、その時の物価、また廟の設計によって掛かる費用が異なります。それで積み立てた予算で足りない部分を両替商などに債券として引き受けさせたようです。
 両替商としても亡き陛下を弔うための費用ですから嫌だとは言えません。こうして貴族の懐を圧迫せずに資金調達を実現したようです」

「何と言うか、頭がいいと言うか、狡猾と言うか……」

 式務大臣が嘆声を漏らす。
 儀礼・典礼は想像以上に金が掛かるものである。現実、今のイステラはアレンデルやセーリアの国葬は行えていない。国としてとてもそこまで手が回っていないのである。もちろん他を一切後回しにすれば出来なくはないが、それこそ暴動が起きるのは必至だろう。衛士隊も国軍も数が減っている昨今、暴動が起きたら鎮圧出来るかどうか。それ故のことである。

 シュルムンドが説明を続ける。

「この方式は確かに貴族に対して直接なされなかったので貴族の財政を圧迫するということはなかったようです。ですがそれ以上に、貴族に債券を引き受けさせるとどうしても利率を低く出来ません。そうなると最終的には貴族を潤わせることになる。それを避けたかったようです」

「なるほど……」

「平民からすれば、国に金を預け、それが将来増えて帰ってくる。ちょっとした蓄財になりますし、その分の収入増には税を課さなかったようです。それもあって利率を抑えながらも思いの外、資金が集まったと記録には書いてあります」

「なるほど、よく考えているということか。
 しかしながら債券とはいえ金には違いないのだろう? 現在原料の金銀銅の掘り出しが追いつかず、新しい通貨の発行が滞っておる。そこでそのような債権なるものを発行して問題はないのだろうか?」

 シュルムンドの説明にそれでも財務大臣は懸念を表明する。

「それに平民達の懐にそれ程の金が眠っているとも思えん。発行したはいいが引き受け手がいないのでは、それこそ無駄にはならんのだろうか?」

「問題はそこです」

 今度はグレリオナスである。

「債券を発行してもそれを買う人間がいなければ意味が無い。買いたいと思っていても現実問題として手元に金がなければ買いようがない。金貨なり銀貨なりがあって初めて債券は買えるし、その金が国庫に入るからこそ国は必要な支出が出来て政策を実行出来る。
 例えばレイナート陛下のリンデンマルス公爵家は国の要請で木材、鉄鉱石、食料、羊毛、綿花等様々なものを供出しています。それに対して後日代価の支払いの約束はあるようですが、現実に支払いはまだ行われていない。このままではリンデンマルス公爵家はいずれ潰れてしまいます」

 グレリオナスの言葉にドリアン大公始め大臣らが一斉に俯いた。
 どの貴族も何かしら被害を受けていて国の要請には全てが全て応えきれていない。その中でリンデンマルス公爵家は最も被害が少なく、また最も広い領地を有することもあって国の要請に一番貢献しているのである。
 だがリンデンマルス公爵家も一貴族であることには違いない。いつまでも言われるままには出し続けられない。大臣達もそれはわかっているが、現実にはおんぶに抱っこでレイナートに甘える形になってしまっている。

「それともう一つ。
 今は多くの記録が消失したこともあって、国と貴族家の貸借の精算がうまく出来ない可能性があります。しかも通貨の供給量が減っている。こうなると皆が余計に金を貯めこんで通貨の流通が一段と減りかねない。こうなると余計に金が動かず、経済が回らなくなる。
 結果、弱いところからダメになって倒れるでしょう。
 つまり買う者が減るから値段を下げたいが、原価が上がっているから価格が下げられない。それで買えない。買わないから作らない。作らないと売るものがないのだから収入がなくて食えない。
 と言って高い金を出して材料を買って作っても誰も買わなければ借金しか残らない。そうなると夜逃げするか、首を括るしかなくなってしまう。結果作らないし作れない。だから余計に価格が上がり買う者が減る。結局悪循環しか起きません」

 グレリオナスは言う。

「特にイステラ王都内の一番の問題は、品物が入って来にくいことです。それは取りも直さずあの大きな池? 湖? 呼び方はなんでもいいですが、あれが原因でしょう。
 であればとにかく橋を作るというのは最優先ではありませんか? そのための債券発行であれば、行ってしかるべきだと思いますが」

「その理屈はわかる。だが現実に通貨の鋳造が追いつかず、現実に金がなく支払いが滞ってもおる。これをどうにかしないことにはどうにもならんだろう」

 財務大臣も引かない。というか引けなかった。無為無策で債券なるものを発行し、それが後々国家財政の首を絞めることになっては本末転倒だからである。

「ええ、そうでしょう。そこで金貨や銀貨に変わる金を作る」

「金貨や銀貨に変わる金? 何だそれは?」

「紙幣です」

「紙幣? 紙を金にするというのか! ふざけるのも大概にしてくれんか!」

 財務大臣が気色ばむ。それは他の大臣も同様だった。

「いいえ、ふざけてなどおりません。我が領地では既に流通させてます」

 レイナートが静かに言った。

「何ですと! そんなバカな!」

「こういう言い方はしたくはありませんが、国からの支払いがなく我が領地も通貨の供給が減って領民達への支払いが出来ていません」

「うう……、それは、申し訳ないことだと思っております……」

 財務大臣が口をつぐむ。

「ですが無い袖は振れぬのはどこも一緒。ならば何とか方法を考えなくてはならない。そこで考え出したのが紙幣です」

 レイナートは大臣達を気遣ってそのように言う。

「詳しく説明していただけないでしょうか、陛下?」

 シュラーヴィ侯爵がレイナートに尋ねてきた。

「はい。我が領地は領内の者へ文字と計算を教えています」

「それは存じております。此度も多くの人材を各省へ回していただき、大変ありがたく思っております」

「そこでリンデンマルス公爵家として、領民の一人ひとりにどれほどの借りがあるのかを細かく記録してあります。そう言う事務が出来る人間には事欠かなくなりましたので。
 それで各村に申し付けた供出品の数量、単価、その総額。それを村人一人ひとりまで細かく記録させ、それを村ごと、郡ごとにまとめて支城に報告させ、それを最終的に主城でまとめています。これは領内で商いをしている者も同様です。
 こうして我がリンデンマルス公爵家は領内全員に対し、一イラまで細かく借金を把握しています」

 そこでレイナートは一旦言葉を切り、水差しの水で口を潤した。

「ですがこのままでは、公爵家と領民各個人間はいいのですが、領民同士はどうにも出来ません。そこで羊皮紙に我家の紋章と額面を刻印したものを領民に配りました。それぞれに借り上げている額の五分の一を限度に。それを金の代わりとして売買を許可したのです。そうしてその紙幣は申し出れば実際の金に変えることはもちろんです。
 こうやって金貨や銀貨がなくても売買を可能としたのです」

「それはまた、何と言うか、途方も無いことですな……」

「ええ。最初は領民も面食らっていたようですが、家宰を始め、シュルムンド、グレリオナス両名が根気よく領民を、実際には支城留守居役、郡長、村長をですが説得、説明してですが」

「それがうまくいっているのですか?」

「今のところは問題ないようですね」

 レイナートが言う。もっとも初めてまだ半月程度。しかも自分は領地に足を運ばず家臣らに命じてやらせているだけである。これがどこまで定着するかはまだ予断を許さない状況ではある。

「例えばですが……」

 グレリオナスが再び口を開いた。

「ここに公爵家に対し五千イラの貸しがある者がいるとします。この者に対しその五分の一、千イラをこの紙幣で支払ました。したがってこの者の公爵家に対する貸しは四千です。そうしてその者は千イラ分のこの紙幣で買い物をする。紙幣を受け取った方は、この紙幣で別の支払いをする。それがまた次へと、ぐるぐる回って領内では物が普通に動くようになっています。もちろん国へ供出している分若干品薄にはなってますが。
 いずれにせよ、そうやって領内の流通はわずかずつですが改善されています。もしこれで問題がなければ紙幣の発行を増やすことも視野に入れていました。もっとも国が紙幣を発行するようになれば、もちろんこのリンデンマルス公爵家内だけで通用する紙幣は廃止しますが……」

「だがそれは、狭い領内、と言っては申し訳ないが、限られた範囲内だからうまくいっているのではないか? それを国に押し広げても可能とは思えんが」

「それはもちろんあるでしょう。そうしてそれは同時にご当主がレイナート様である、ということも無関係ではないと思います。それは即位されて王となられたとかということではなく、ひとえにレイナート様に対する領民の信頼の賜物でしょう。何せレイナート様は今までずっと、一イラに至るまで決して誤魔化さずに領民に払うべきものは払ってこられましたから」

「それはそうかもしれん」

 財務大臣が言う。

「だが、全国民が同じとは思えんが……」

「ええ、そうでしょう。ですが納得させ、紙幣を通貨として流通させるようにしなければ何事も出来ません。もちろんこれはある意味で一時しのぎです。各鉱山での金鉱石、銀鉱石、銅鉱石の採掘が元に戻り、通貨の鋳造が可能になるまでの一時的な措置です」

「だが、どうやって納得させる?」

 ここで今度はシュルムンドが口を開いた。

「それは、陛下の剣に働いていただきましょう」

「剣?」

「ええ。古イシュテリアの聖剣『破邪の剣』にです」

「お、おい、シュルムンド?」

「かつてのアレモネル商会事件の折、アレンデル先王陛下よりの御言葉によってレイナート陛下が古イシュテリアの聖剣をお持ちであることは知れています。これを利用させていただく」

「しかし剣は……」

 レイナートは当惑を禁じ得ない。あの剣は既にボロボロ、死に絶えた姿である。
 だがシュルムンドはそのまま言葉を続けた。

「『剣の国』イステラ。古イシュテリアまで遡る名門王家。その新たな主、新王陛下は古イシュテリアの聖剣を持たれておられる。その剣に誓って、となれば国民も納得するのではありませんか?」

 シュルムンドの言葉はどこか皮肉っぽいところがある。それはエベンス人として、何でも剣に結びつけるイステラ人に対し、多少の侮蔑のような感情があってのことである。

 だが居並ぶ大臣達はその言葉に大真面目に頷いた。

「確かに陛下の剣は『古イシュテリアの聖剣』であったな……」

「いかにも左様であった」

 大臣達が妙に納得した顔をし始めたのである。どうにもイステラ人気質が悪い方に働いているとしかレイナートには思えなかった。

 だが虚名も使い方次第であるのは確かである。その場の雰囲気が橋を建設するための国債の発行と、紙幣を、一時的とはいえ、発行・流通させることに合意する雰囲気が出来てしまっていたのである。



 そうしてそれは細かい調整を経て実行に移されることとなった。
 そのためにはまず生産量の落ち込んでいる羊皮紙の大量生産が必要である。
 ついでそれを国の発行したものと証明する刻印。だが偽造されるということがあってはならないから、式務省内部で密かに、イステラ王国の国璽に似せて作られることとなった。完成後は財務省で厳重に管理されるのはもちろんである。

 こうして、橋の建設のための必要予算の目処がついたとして、広く市民や、各貴族領民に向けて建設要員の募集が行われたのである。
 これは家や道具を失ったり、または家業の製造業に必要な原料調達が出来ず、事実上開店休業せざるを得なかった者達には福音となった。とにかく働いて稼ぐことが出来るからである。
 とは言うものの深い水深の幅広い水上に橋を架けるというのは、決して容易いことではない。工事は難航するのは目に見えていた。
 だが現場となる地域には人が多く集まる。元々各貴族領からの物品も集まっている。そこで新たな商売も生まれ、少しずつイステラ経済が動き始めたのである。



 一方レイナートは、この国債と紙幣の発行に関して各貴族への使者は、クレリオルら七人の家臣らを当てた。逓信士を管理する内務省も人手不足だったからである。
 ところで家臣らはリンデンマルス公爵家の者である。当然主君はレイナート。ということは今では国王の直臣ということになりはすまいか。
 ということで、ここにイステラ初の領地を持たない直臣貴族が誕生したのである。もちろん功を認められて勲爵士に取り立てられたものも王の直臣ではある。だが勲爵士は一代限りで平民から取り立てられた者。それに比べればレイナートの家臣らは、ヴェーアを除けば全員が元からの貴族である。否、クレリオルは爵士だった。
 だがその父親はリンデンマルス公爵家に並ぶ名門のエテンセル公爵である。レイナートが元は庶子であるのに国王となった今、クレリオルのことを元は爵士だった、と蔑む者などいない。

 ただ彼らを国王からの使者として受け入れた貴族達にすれば複雑ではあった。何せクレリオル以外は全員が外国人なのだから。ここでもレイナートの型破りな「常の人でない」一面を間近に見ることとなったのである。
 だがレイナートとすればとにかく国の復興を急ぎたかった。遅れれば遅れただけ誰かが苦しむ。その思いからである。



 さて、そういう意味で経済が少しずつ動き出したはいいが、レイナートとしては「破邪の剣」を何とかしなければならなくなった。
 レイナートもイステラの男、「剣にかけて」と誓ったなら引込みはつかない。と同時にその「古イシュテリアの聖剣」を見せてくれと言われたら、見せない訳にはいかなくなるかも知れない。

 かつて答礼使として各国を回って帰った後、やはり貴族らに取り囲まれたことがあった。その時は、当時のアトニエッリ侯爵が間に立って便宜を図ってくれた。だがそのアトニエッリ公爵家も代が変わり、今では嫡男のレスティノが当主である。
 レイナートの剣に異様に興味を示したレスティノである。再び見せてくれと言われることは容易に想像が出来た。

―― まあ、常の剣ではないから、簡単には見せられぬ、抜けぬ、と突っぱねることも出来なくはないが……。

 レイナートの破邪の剣がどういう状態かを知るのは家中の者、しかも極一部である。したがって対外的にはどうとでも誤魔化しようはある。
 それに今では自分は国王である。「不敬である!」と退けることも不可能ではないだろう。

―― だが虚名を実とするなら、仕方もないか……。



 そこでレイナートは王都内の鍛冶師で、直ぐに剣が打てる者を、リンデンマルス公爵家のフォスタニア館に呼び寄せ、破邪の剣の複製を作らせることにした。

「スマンがこれと同じものを作ってもらいたい」

「同じ物、でございますか?」

 呼ばれた鍛冶師と鞘師は目を剥いた。

「あ、いや、このボロボロの状態とまったく同じではなく、これが元々あった姿を再現して欲しいのだ」

 レイナートが言う。

「これは私にとって思い出深く、何物にも代えがたいものなのだ。だがこの状態では腰に提げる訳にもいかぬ。それで次善の策として複製を作ろうと思ったのだ」

「さようでございますか」

 鍛冶師も鞘師もそれで納得した。
 レイナートが古イシュテリアの聖剣の持ち主であるのは有名である。だからレイナートがこれがそれだと言わなくとも薄々はわかっていた。だが余計な口は開かない。何せ相手は公爵様どころか国王陛下である。下手をすれば簡単に首が飛ぶ。

「出来ることであれば寸分違わず、そうして元の通りに再現して欲しい。金はいくら掛かっても構わない」

 そう言ったレイナートである。



 これはレイナートが即位して、自分に関することで唯一わがままを通した、最初で最後のことであった。

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