『余、イステラ王国はリンデンマルス公爵たるレイナート、イステラ王家に血を連ねる者として全イステラの総意に基づき、ここにイステラ王国第四十一代国王たることを宣言する。
ここにおいて関係諸国の王には今後とも交誼を賜れんことを欲する。
リンデンマルス公爵にして偉大なるイステラの王
破邪の剣と金の剣を持つ者 レイナート』
レイナートから各国の王へと認められた書状にはそのように記載されていた。これを使者としてレイナートの家臣らが携えて各国へと向かうことになったのである。
ところで外交の基本で当然のことであるが、勅使が訪れる前には必ずその前触れが当該国にもたらされる。それは今回も同様である。そうして当初イステラから勅使が派遣されて来るとの連絡が各国に届いた時、各国王を始めその重臣らは困惑した。
未曾有の大災害に見舞われ国内は混乱を極めている。今はそれを落ち着かせるのに手一杯の状況である。それはイステラも同様であるに違いない。にも関わらずそのような状況下で「強国」イステラから勅使が来る。となると用件は何か。
前触れの使者も相当に難儀な旅を経て訪れているのである。となるとイステラはもしかしたら自国の復興のために無理難題を吹っ掛けてくるのではないか? という危惧を抱いたのであった。そうでもなければわざわざ勅使を送ってこないだろう、と。
勅使を受け入れるとなると大至急街道を整備し直さなければならない。それはいずれは必要なことではあるが、今直ぐに出来るかどうかというとなかなか難しいことであった。
だからと言ってそれを理由に勅使の受け入れを拒否することなど出来ない。それは自国の統治力不足を露呈することになり弱みを見せることになる。また万が一勅使を拒否などしたらこれはまさしく国交の断絶、ひいては開戦ということにもつながりかねない。
今はどの国も他国と戦争をするほどの余裕などない。それはイステラも同様であるに違いないが、何せあの国には古イシュテリアの聖剣を持つ「バケモノ」がいる。したがって受け入れない訳にはいかないと思わざるをえない。
勅使派遣の狙いが不明である以上、安穏と待ち構えるという訳にはいかない各国であった。このような状況下では暗部を動かすことも出来ず、したがって事前に要件に探りを入れるということも不可能で、各国では様々な憶測が飛び交い、皆、不安を覚えつつ首をひねったのである。
だが結局、勅使受け入れはイステラに伝えられ、レイナートの命を受けた家臣らは勅使として粛々と各国の王城を目指したのであった。
そうして各国は街道の整備を推進しつつ、戦々恐々として勅使の到着を待つことになったのである。
もちろんイステラ側からすれば王の交代を告げるための使いであって、事を構えようなどということなど初めからありはしないのだが、疑心暗鬼にかかっていた各国は、勅使の入国までかなりの緊張を強いられる日々を過ごすことになったのである。
ところでル・エメスタにしろアレルトメイアにしろ、街道の荒れ具合は想像以上にひどいもので復旧工事は中々追い付かなかった。したがって使者にとっては難儀な旅で到着には予想外の時間がかかることになったのである。それは勅使に立った者達全員が同様であった。
ディステニアとイステラの国境はレギーネ川に架かる木造の橋は流されたままで、一方の石造の橋は建設途上で放置されている。したがってエベンスやロズトリンへ向かうにはやはりル・エメスタを経由しなければならない。リューメールに至るにはアレルトメイアを通らなければならない。したがって勅使は多大な時間を費やすことを余儀なくされたのであり、この勅使の任務完遂には実に三ヶ月近くという通常の何倍もの時間が掛かってしまったのである。
というのはただの騎乗であるならばともかく勅使は家族を伴い馬車も一行に加わっていた。それ故完全とまでは言わなくとも街道の復旧は不可欠でありこれに時間がかかったからである。
各国からしてみれば何ともはた迷惑にも思えるイステラからの勅使であったが、逆にこのことが各国に街道の整備に力を入れさせることになり、国内交通網の復活という効果があったのは事実である。またそれが経済復興にも好影響をもたらしたのは疑う余地がない。
そういう意味ではレイナートの即位を伝える使者は各国の災害からの復興を促す契機となったと言えよう。
それを当のレイナートが意図していたかどうかは周囲には不明であった。何故ならレイナートは勅使派遣に関して特別な指示を出していなかったからである。したがって勅使の派遣は以前からの伝統にほぼ則った形で行われた。「ほぼ」というのはその規模が通常よりも随分と小さいものであったということだが、それは諸般の事情を鑑みてということであった。
だがそれでも後世の歴史家はレイナートにその意図があったと考えている。
国を代表する使者が家族を伴って出向くというのは特別なことではない。特にそれが友好的な使者であれば常識でさえある。そういう意味では勅使が妻子を伴っているという情報がもたらされた時、各国の王も重臣も安堵したのは確かである。何故なら妻子は最悪の場合人質とされかねないからである。
ところでレイナートはいわゆる貴族社会や身分社会の習慣というものをどこか白眼視しているところがある。勅使ももっと簡素化した形で送っても不思議ではない、というよりもその方がレイナートらしいと言えるだろう。
仰々しい供揃え、それは警護の兵だけではなく、執事や侍女など多数の随員を伴うのである。正使本体でもかなりの人数になるのに、その前触れとなる使者が別途設けられる。多数の人員を動かすのであるから時間も金もかかるのである。
こういったことを無駄だと考えているフシがないではないレイナートである。それこそ家臣に勅書を託し単騎で、というのはもちろん無理なのでそれなりに供揃えを用意しなければならないが、わざわざこのような状況下で敢えて妻子まで同行させる意図は何処にあったのか、ということである。
後世の人間であれば俯瞰してみることが出来るからいくらでも考察できるが、当時の人間には無理な話である。
そこでどうしても疑問が頭をもたげてくる。
「イステラからの勅使は何をしに来るのか?」
これがわからないからやはり不安を解消しきれないということは当然ながらあったのである。
さて、家臣らを送り出したレイナートは相変わらず国内の復旧に心血を注いでいた。
まずはトニエスティエ城外の大濠に橋を架ける作業。このための費用捻出のための国債発行。レイナートが即位して最初の大きな事業はこれであった。
橋のための建設国債の発行は、国が各貴族に負っている借財、すなわち供出品に対する支払いを国債で充てるということによって、新規の引受けを確保するとともに借金の帳消しを図るという一石二鳥を狙った方策が取られたのである。これによって通貨流通量を増やさずに経済を動かすことを可能にした、というよりも他に手がなかったと言えよう。
だがこれは国債を引き受けた貴族らにすれば困った話でもあった。手に入れたのは謂わば紙切れだけ。これでは領民に支払ってやることが出来ない。領民も国債という訳のわからぬ紙切れをもらったところで嬉しくもないし、これが将来金になると言われても当惑せざるを得ない。
国が将来にわたって安泰であるならそれは蓄財となるだろう。わずかながらでも利息がつくということは嬉しい事である。だが、あの大地震の直後から様々なものが値上がりしている。今後これが以前の価格水準まで戻ればいいが、利息があっても物価上昇に追いつかなければ旨味は全くなくなる。どころか直ぐに動かせない金など死に金でしかない。しかも国債ではモノの売買が出来る訳ではないのだ。貴族、平民を問わず不安が隠せないでいたのは当然のことであろう。
だが国民を更に驚かせたのは「紙幣」の発行をレイナートが打ち出した時である。
「紙切れを金の代わりにする?」
とてもではないが信じられないことであった。
過去イステラにおいても為替が利用されていたことがある。
レイナートの伯父、ガラヴァリが即位したばかりの頃のイステラは、ディステニアとの終わりのない戦争に明け暮れ国内の治安がかなり悪化していた。それ故大金の移送の際には多くの護衛を付けねばならなかったが、男は徴用されて戦地に送られていたから十分な警護は望むべくもなかった。それ故為替を用いていたのである。
だがそれもガラヴァリの即位、ディステニアとの休戦後は廃れていき、現在のイステラでは為替はほとんど利用されていなかった。
だが今度は為替どころか紙幣の運用というのだから皆、目を白黒させたのである。
とにかく鉱山は落盤が起き、また奴隷を始め多くの人足が失われて金や銀の鉱石の掘り出しがままならない状態であった。したがって新しい貨幣の鋳造がほどんど出来ないのである。
だが毎年一定の割合で新規の貨幣発行を行わなければならない。それはわずかづつではあるが国家の経済規模が成長しているからである。したがってこれが行われないと通貨収縮が発生するおそれがある。
もちろん闇雲に貨幣を発行することは強力な通貨膨張を引き起こす可能性がある。今までは国内の商品生産能力と貨幣の発行能力は釣り合いが取れていた。したがってイステラの経済はゆるやかな成長を維持したまま安定していたのである。
だが現在は物価上昇が深刻になりつつあるところである。これはひとえに生産能力の低下の故であるが、これを改善するとして、通貨供給もそれに見合った調整ができないとなると深刻な問題を引き起こす。
富める者はひたすら溜め込むということが起きており、通貨の流通がかなり落ち込んでいるのである。だが買わなければならないものは買わなければならない。そうでないと生きていけない。
したがってこのままでは、一部の人間だけが生き延びることが出来るという最悪の事態になりかねない。
だがそれも長くは続かないだろう。なぜなら生き残った人間、それはすなわち貴族や裕福な商人であろうが、彼らだけでは必要な物を生産出来ない。したがってやがては力づくでも他から奪うか野垂れ死にするか、という選択を迫られることになるだろうことは目に見えているのである。
それと同時に、多くの死傷者を出した大災害によって国も各貴族領内も深刻な人手不足を起こしている。人が減った分人件費がかからなくなるはずが、新たな人材確保のために賃金を引き上げなければならなくなっており、人件費の抑制は出来なくなっている。
その高い賃金が価格に上乗せされ、ただでさえ供給不足で値上がりしている商品の価格を押し上げている。その為買えない、食えない人間が増えている。国としてはこれを見殺しには出来ない。基本的にに治外法権に近い貴族領においては貴族に任せるとは言っても限度がある。放っておいたら国は崩壊し、群雄割拠の状態になってしまうだろう。そうなれば戦乱に明け暮れるようにもなるだろう。それはなんとしても避けねばならない。
それまでは頭上に君臨していた貴族達が、身分を傘に言いたいことを言い、やりたいようにやってきたとまではいかなくとも、平民の機嫌を取らなければならなくなっているのであった。貴族として家を存続させるために今までは強権を振るい意のままに支配してきた。それが成り立たなくなり始めているのであった。
国も貴族家もとにかく復興が必要なのである。だがその方法は具体的には見えないできていた。想像を絶する被害。それは物的、人的双方である。したがってどこから手を付けていいのか皆目見当もつかないできた。それ故極端な話、他所を気にしている暇などなく、まずは己の家、そうして己の領民達を何とかしなければならない。領民に見捨てられたら貴族の家として成り立たなくなる。力で押さえつけ有無をいわさずにやらせるということも出来ない。押さえつける力が、具体的に言うならば、私兵団も壊滅しまともに機能していないのである。
領民に命令して納めさせていた多くの物品。それには対価が支払われてきていたがそれは決して高いものではなかった。低く抑えられていたのである。だが今では領民の言い値に近い額を支払わなければならない。他所に売って収入があればそれでも何とかなるが、今は領内の分を確保するのが精一杯。
まして五大公家のように身分だけはやたら高いが、狭い領地で役料で生活していた貴族家などは困窮すること甚だしい。
レイナートはそのすべてを納得させ、満足させる政策を打ち出し実現し、人々の暮らしを安定させなければならなかったのである。
だからこそレイナートは従来の価値観や方法に囚われることなく、最善と思える方法を模索した。またそれに応える事の出来る配下が揃っていたということも幸いした。
レイナートは庶子の出である。イステラではそれはどうしても人の心に引っかかる。その人物がどうかということよりもまずその出自を気にする国民性なのである。それは古イシュテリア大王の呪縛の故であったが、そんなことは誰も知らない。知らないがそれがイステラ人にとっては常識であり、さらに言うならば正義である。
その反面イステラは実力主義を標榜する。そういう意味からするとイステラ人は随分と矛盾を孕んだ国民性であるとも言える。それでありながら階級社会を維持してきたのである。そこには当然多くの無理や矛盾を含み、それを表面上はうまく取り繕ってきたということがある。
レイナートはそれを未曾有の国難に面していることをいい事に、というと言葉は悪いが、ぶち壊し始めていたのである。
この当時のイステラ人がそれにどれだけ気付いていたか。否レイナートの腹心の家臣らでも全てには気付いてはいなかったかもしれない。
それほど次から次へと新機軸の政策を打ち出していたのである。
だがそれは完全にレイナートの独創であったかというとこれまた判断が難しい。家臣らに意見を求め、その何気ない一言から発想を得ているということは少なからずある。
そういう意味ではこの時代の変革はレイナートと家臣団によるものということが出来るかもしれない。
ところでレイナートが新たな経済政策に頭を悩まし実行しつつあったある日、レイナートを訪ねてきた者があった。レイナートに破邪の剣とその鞘の複製を作ることを命じられた鍛冶師と鞘師である。
王宮の国王執務室に招き入れられて恐縮する二人に対しレイナートは真剣な面持ちで尋ねた。
「上手く出来たのだろうか?」
その問いに対し先に返事したのは鞘師の方である。
「はい、ご覧の通りでございます」
そう言って細長い桐箱から布に巻かれた剣を取り出した。布を外すと豪華な装飾の鞘とそこに収まった剣が現れた。
「おお!」
レイナートが思わず感嘆の声をあげた。それはまさしく見覚えのある在りし日の剣の姿であったからである。
鞘師から剣を受け取ったレイナートは食い入るように見つめた。
「よくぞここまで……」
レイナートのつぶやきに鞘師が口を開いた。
「実は、それは複製ではございません。元のを修理したのでございます」
「何だと? それが出来たのか?」
「はい。タガとなっている白金の装飾を慎重に外しまして、丹念に漆を剥がし塗り直しました。装飾の壊れているところは事前に鞘に残った痕から同じものを作り接いであります」
鞘師の言葉にレイナートが再び鞘を見つめる。確かに目を凝らしてよく見てみるとところどころ装飾に継ぎ目があった。
「宝玉は赤い宝石とのことでしたので、そのくぼみに収まる紅玉を用意いたしました。
これでしたら模造品を作る必要はないかと存じます」
そう言った鞘師の言葉には自信すら溢れていた。
「確かにこれであればそうだな……」
レイナートも頷く。
そうしてレイナートが鞘から剣を引き抜いたところで表情が固まった。それは中から現れた剣がヒビの入った元の破邪の剣であったからである。
「これはどういうことだ?」
レイナートの口調が強くなった。だが鍛冶師は落ち着いて答えた。
「畏れながら陛下御自らご確認下さい」
そう言って鍛冶師は手に持っていた、やはり細長い桐箱から剣を取りだした。
それは完全に元の姿を模された破邪の剣に瓜二つのものであった。
「どういうことだ?」
レイナートの口調は厳しいままである。
「何卒この、私めの打った剣を鞘にお収め願います」
そう言うと鍛冶師は剣を両手で捧げ持ってレイナートに差し出した。
レイナートは引き抜いた破邪の剣を執務机の上に置き、鍛冶師の差し出した剣を受け取ると鞘に入れようとする。
ところが剣が鞘の中に入らない。たかだか切っ先程度しか鞘に入っていかないのである。
「これは何としたことだ?」
レイナートは窓際の明るい所へ場所を移し、鞘の中に陽光を取り入れるようにして中を覗く。一番奥まで見えた訳ではないが、途中に何かがあるようには見えなかった。第一何かあれば破邪の剣も引っかかって入らないはずである。
訝しんでいるレイナートに鍛冶師が声を掛けた。
「寸分違わず作りましたはずなのに、私めが打った剣は鞘に収まりませぬ」
「何だと? どうしてだ?」
「わかりませぬ。ですがどうしても剣は鞘に入らぬのです」
鍛冶師の言葉にレイナートは、今度は鞘を机の上に置き、両手にそれぞれ剣を持って見比べる。
手に持った重さはほとんど違いがないと思われたし、見た目も鍛冶師の言う通り寸分違わぬ、と言っていいほどそっくりである。違いは剣身が破邪の剣はヒビが入っていて、新しい剣にはヒビがないということである。
「とにかくどういたしましても剣は鞘に収まりませぬ。まるで鞘が剣を拒んでおるかのようです」
鍛冶師の言葉にレイナートは再び剣を見比べ、それから新しい剣を机に置いて、破邪の剣を再び鞘に入れる。すると何事も無く剣は鞘に収まった。
「何度試してもそうなのでございます」
鍛冶師は途方に暮れたように言ったのだった。
レイナートは目を閉じ深く念じてみた。
―― 破邪、鞘の精、聞こえるか?
だが返事はなかった。まさにそれは無機物の剣としか思えないのであった。
―― やはり死んでいるのか……。
そうとしか思えなかった。
もっとも、もし破邪も鞘も生きているのならレイナート以外が触れることは出来ないはずである。だが鞘師は鞘を直し、鍛冶師は手にとって採寸し寸分違わぬものを仕上げたのである。それは剣も鞘も死んでいなければ出来ないことであった。
しばし沈思していたレイナートだが鍛冶師と鞘師に礼を言い、褒美を取らせて下がらせた。
―― どういうことなのだろうか……?
さっぱり訳のわからないレイナートであった。
だがこれによって、レイナートの腰に以前のように漆黒に輝く鞘の剣が提がったのであった。
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