聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第1章

第11話 記録は語る

 後の世の歴史家が過去の人物の実像に迫ろうという時、最も重要な事は現在まで残っている資料の信憑性であろう。
 時には同一の事柄に対し全く「相反する事実」を記述した記録さえある。それは記録というものには、それを記した者の意図もしくは意見が入っているからであって、単純に数値のみのような場合ならともかく、何らかの「色」が付いているものだからである。したがって資料に記された「事実」の取捨選択が肝要だというのは何人にも理解出来ることであろう。

 殊にその資料が「日記」の場合は注意を要する。
 日記は本人の自筆であれば、本人のことを理解する上で最も適していると見做されがちだが、当人が他人の読むことを意識している場合、己の心情を素直に吐露しているとは限らないことがある。したがって書かれていることを鵜呑みにしてしまうと、かえってその人物像を正しく捉えることが出来ないということが起きるのである。

 事程左様に「資料」もしくは「記録」というものの取り扱いは難しいのである。


 これはレイナートの人物像を掴もうとする時も同様である。
 ところでレイナート・フォージュなる人物は日記を後世に残していない。またその周囲の人々もレイナートが日記を書いていたということを書き残していない。それが直ちにレイナートが日記をつけていなかったという裏付けにはならないものの、やはり日記をつけてはいなかったろうと推測されている。

 ところがレイナートは一方でかなりの記録魔である。元服までは日記もつけていないどころか、日常何があったか、ということさえ一切の記録を残していない。ところがリンデンマルス公爵家当主となってからは領内を検分した時の様子などを詳細書き残しているし、日常の細々したことでさえ克明に記している。それは初めて領地を巡った時以来一貫しており、これはある意味では日記と言えるものかもしれない。

 日付、おおよその時刻、誰に何処で会い、何を話したか。これらについては細大漏らさず書いていると言っていいだろう。故に当時の様子を知るのに大変貴重な手がかりとなっている。それはレイナートが当主となって以来の領内の変遷も知ることが出来るからである。
 だが一方で、そこには己の感想や意見は一切書かれていない。それは全くの事実の覚え書き、まさに記録でしかない。したがってレイナートのその目に映った事象に対し、どのような考えを持っていたのか、ということは後世の人間には、レイナートと関わりのあった人物が書き残したものから類推もしくは想像するしか出来ないのである。

 とはいうものの同時にこのレイナートの記録は同時代人、特にリンデンマルス公爵家の人間にとってはこれほど貴重でありがたいものはなかった。
 レイナートに対しては領内のあらゆることが全て報告された。もちろんそれは報告者の取捨選択、もしくは意見が加味されているということは否めない。それでも数字上のもの、何時、何処に、何をどれくらい播いた、などというのは報告者の意見の挟みようがない。そうしてレイナートの指示を仰ぐ時に「昨年と同じにせよ」「三年前と同様にせよ」と言われた場合、過去の記録を調べその通りに出来るのである。
 したがってレイナート即位後、リンデンマルス公爵家の事実上の運営が家臣ら、家宰のゴストンや王都屋敷留守居役コリトモス、商務担当責任者のオイリエに託された時も、これらの記録を元に年間計画が立てられ、それを忙しいレイナートの裁可を仰ぎ実行されていたのである。

 そうしてその記録によると、リンデンマルス公爵家の領地再生に関する取り組みはほとんど白紙に戻ってしまっているに等しかったのである。


 領地再生の切り札であったぶどう酒販売は購入先が激減していた。
 それはそうだろう。王都において各貴族屋敷は少なからぬ被害を蒙り、当主が家屋の崩落に巻き込まれて死亡した家も多々あったのである。なので今は悠長に酒など飲んでる時ではなかろう、ということである。また、高価であるということも大きく影響したのであった。
 だが販売量は激減したが、だからといって生産者としてはせっかく実ったぶどうを無駄にすることは出来ない。そこでレイナートの了解を得てぶどう酒の仕込みだけは続けられたのである。それに管理を怠れば木が弱ったり、最悪枯死しかねない。木をダメにするのは簡単だが育て上げるのには長年月を要する。そこでぶどう栽培の地域は、将来再び売れる日が来ると信じながら黙々と仕込みを続けていたのである。

 これは高級家具にも言えることだがこちらは少し事情が異なる。
 ディステニア王妃となったコスタンティアの紹介によるディステニア貴族の娘の輿入れ用調度。これはディステニアにおいて大層な評判となり少しずつ引き合いが増えていた。
 そこで職人が腕によりをかけた高級家具が厳重に梱包されディステニアに運ばれていたのである。これは当然ながら人々の耳目を惹き、イステラにおいても話題になりつつあったのである。
 ところがあの大地震によって家屋の損壊が起き、調度品も少なからぬ被害を受けた貴族家が多かった。当然ながらそれらを補う必要があるが、貴族家となるとあまり粗末なものという訳にはいかない。当然ながら注文が増えたのだが、当のゲステロム郡の家具作り職人らは燃料用の薪を用意することに駆り出されてしまっていたのである。

 何せ地震が起きたのは冬直前のそろそろ雪が降ろうかという頃。当然ながらイステラ全土で冬ごもりの準備に大わらわという時であった。結果的にその冬は異常とも思える暖冬だったがその時はそうなることなどわからない。なので家具作りをしている余裕はなかったのである。
 そうして暖房用の薪が例年に比べて少なくて済むとなったら、今度は食糧増産、すなわち穀類の栽培と家畜の世話の応援をすることになったのである。したがって家具の需要は出てきたが供給体制が全く整わなくなったのである。
「せっかく注文が入ったのに!」と職人らは臍を噛んだが、まずは家具よりも食い物。これはリンデンマルス公爵家のみならず国の方針だから致し方がない。
 したがってこちらは食料の安定供給が復活すれば、大々的に製造・販売が出来る可能性を残しているとも言えた。

 そうして食料生産に関して言えば、これは現在のリンデンマルス公爵家の総力を上げて取り組んでいると言っていい状態である。
 主要農産物である穀類とイモ類の栽培が最優先され、他の野菜などの栽培は控えられた。とにかく主食を作れ、ということである。
 これらは大量に栽培されるので人手を要した。したがって余剰労働力どころか、優先度の低いものは全て後回しで増産に力を入れているというのが実情である。そのためには道具も必要で鋤《すき》・鍬《くわ》といった農機具製造も優先順位の高いものとされていたのである。

 その他食肉に関しては豚と鶏の飼育に力を注いだ。牛や羊は最も好まれている肉であるし、乳はチーズやバターの原料にもなる。だが牛も羊も数が増やしにくいので豚と鶏が優先されたのである。
 元々急に領民が増えるということが多かったリンデンマルス公爵家では、領民に割り当てる肉を増やすために多産で数の増やし易い豚と鶏の飼育に早くから着手していたということもあった。それ故、技術と経験の蓄積があり、空き地と見れば柵で囲って豚や鶏を育てるという状態である。

 それはとにかく国内において餓死者を出さないという、国王たるレイナートの厳命からである。したがってリンデンマルス公爵家のみならず余力のある全貴族家に対しても通達が出されており、収穫の秋を目の前にして各貴族家は活気を帯び始めていたのであった。


 そうしてこれらの物品は貴族と商会との取引という従来の形ではなく ― 実際にはその集計、移送といった実務には各商会が駆りだされているが ― 国が基本的に一括して買い上げるという方策が取られていた。
だがこの国が買い上げた品物の代金の精算は実際にはまだ行われていなかった。すなわち国による「ツケ買い」となっているのである。
 それでもその一部は王都外側の窪地に溜まった水の上に架ける橋の建設国債で支払われたが、残りの部分に関しては新規に発行する紙幣によってこれを充当しようとレイナートは考えていた。ところがこれが中々思うようには進まなかった。というのは、当初、紙幣の素材となる紙の調達がままならなかったのである。
 それでレイナートはかなりやきもきしていた。
 貴族に対する支払いを紙幣の発行・流通まで行わないとすると貴族家が干上がってしまう。これはリンデンマルス公爵家も同様である。したがって国庫の蓄えから現金での支払いも行われているが、その在庫もそろそろ底をつきかけている。全くもって頭の痛いことであった。


 紙幣なるものは今までイステラにおいて流通したことのない金である。したがってそれを一から用意しなくてはならないということが、紙幣運用が遅れた最大の理由であった。
 これが手形なら極端な話、総額を記載した紙切れ一枚で済むが、紙幣となるとそうはいかない。しかも使用の便を図るために、数種類の額面の紙幣を多数用意しなければならない。なので紙幣発行の発令後、財務省造幣局は貨幣鋳造から紙幣の作成にその主要業務を切り替え鋭意努力しているものの、その実際の運用には今しばらく時間がかかりそうな状態であった。

 この当時、貨幣の偽造ということは全くなかった訳ではない。だがそれは重罪であるし、例えば金貨を偽造するとして、中身は鉛などで作るとしても表面は金メッキなどをしなければならない。これを行えるほどの組織だった偽造団というのが存在し得なかったので非常に少なかったのである。
 例えば中身の鉛の鋳型を作るにしても、また実際の金貨を鋳潰しそれを表面のメッキに利用するにしても、それなりの設備と技術が必要である。この当時の平民にそのようなものがある訳もなく、また貴族でそんな真似をする者もいない。いくら領主がそれを目論んでも家臣が絶対にやめさせる。もし万が一にもことが露見すれば一族郎党全員が罪に問われ皆殺しになってしまうからである。
 したがって他国の経済に壊滅的な打撃を与えようと国家規模で行うのであればともかく、貨幣の偽造を企む不逞の輩というのは存在しなかった。犯罪と承知で金を稼ぐ最も良い方法ということであれば、それは貨幣の偽造ではなく、詐欺の方が一般的であったのである。
 その故もあって紙幣も偽造を恐れて凝りに凝った意匠にするということはなかった。なので直ぐに大量に紙幣を作れると踏んでいたのだが、紙がないのでは話にならない。

 レイナートは中々紙幣の発行・流通が実現しないことに痺れを切らしていた。
 このままでは通貨の流通量が完全に不足してしまいかねない。しかも人手不足・物不足の現在である。物価が下がる気配がない。そこで通貨が欠乏したらどうなるか?
 国家経済は著しく停滞し、かつ、富む者はより以上に富み、貧しい者は野垂れ死にするだけの社会となりかねないおそれがあったからである。


 イステラにおける紙は羊皮紙が一般的でパピルスはあまりなかった。これは国土全体が丘陵地で耕作地に乏しいため、開墾出来るところは全て畑にしてしまっており、パピルスの原料となる草の生息地が少なかったことと、家畜を多く飼育しているため動物の皮革が手に入り易いということがあった。
 そうして最も羊皮紙に適し、イステラで多く使われていた仔牛の皮で紙幣を作ることに財務省の役人はこだわった。
 だが仔牛の皮は数が揃えにくく高価であった。それに現在では各省でも記録に用いるためのものにも事欠いていた程であるから、紙幣用に大量に新規に用意するというのは不可能だったのである。
 それで豚皮が利用されることとなった。現在では食肉用に多数飼育されているので調達し易いからである。

「とにかく手に入る同一素材が豚皮だというのならそれでいい! それで紙幣を作れ!」

 記録によれば、レイナートは怒鳴るように財務省の役人にそう言ったという。

 だが紙幣とするにはある程度品質を揃えなければならない。それ故、毎日大量に豚が屠殺され、皮は全て財務省に持ち込まれたのである。お陰で財務省は王都において屠殺場に次いで血生臭い建物となってしまったほどであった。

 一方、当然屠殺された豚は皮のみを利用した訳ではない。当然その肉や内臓、骨も利用したのである。
 特に肉はもちろんそのままでは長期保存が出来ないから腸詰めに加工された。夏場ということもあって腐敗し易いから昼夜を分かたず作業は迅速に進められた。
 そうして燻した腸詰めは常温でも長期保存が可能であるから大量に生産され、結果、豚の腸詰めの価格が大幅に下がったのである。

 それまでは平民が肉を口にする機会などそうそうあるものではなかったが、とにかく豚の腸詰めが大量に出回るようになったのである。しかも長期保存出来るということは、遠方地への輸送が可能であるということでもある。その結果王都のみならず直轄地や貴族領へももたらされ、平民達の食卓にも並ぶようになっていったのである。もちろんそれだけが理由ではないけれども、イステラにおける食糧事情はこのような点からも改善されていったのである。


 元はといえば、人手不足から鉱山での採掘量が減り、貨幣鋳造に難が出たことに端を発した紙幣発行の考え。
 それが国民の食糧事情にまで影響を及ぼし、イステラ復興の原動力の一つとなったということは、当のレイナートにとっても嬉しい誤算、というか予期せぬ効果であったのであるが、後世の歴史家はこれを、レイナートが意図して行ったととらえた。

 それはやはりこのことを記した記録には、レイナートの見解が全く記載されていなかったため、その真相は想像するしかなかったからである。

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