聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第1章

第14話 我が名はレイナート

 秋も深まり澄み渡る青空の下、二の郭の広場において国王レイナートの即位演説が行われた。
 即位して早半年以上が過ぎ今更の感がないでもなかったが、やはりきちんと行うべきであろうということで実施されることとなったのである。


「来場の諸君、私が新たにイステラの国王となったレイナートである。以後見知りおき願いたい」

 その場を埋める人々の前に姿を表した壇上のレイナートは演説をそう切り出した。レイナートのよく通る声は周囲の建物の反響し、会場に集ったおよそ三千人に及ぶ人々の耳にもきちんと届いた。
 そうしてその言葉に居並ぶ貴族や各省の役人、さらに街の世話役といった者達全員が唖然とした。
 それは確かに上からの口調ではあるものの、とても一国の王の言葉とは思えなかったからである。

「今、国は未曾有の国難を迎えている。だが少しずつではあるが着実に復興に向かっている」

 それは確かに疑いの余地のないことであった。
 レイナートの即位当時はまだ王都内には瓦礫が散乱し焼失した家屋が放置されていた。住む所を失った人々は通りに天幕を張り窮屈で不便な生活を余儀なくされていた。王都内の井戸は断水気味で水も満足に飲めず、食料は不足して高騰し飢えることもあった。
 それが今では水も普通に手に入るようになってきた。食料も未だ価格は元に戻りきっていないが手に入らない訳ではない。次々と新しい家も建てられており、通りの天幕の数は目に見えて減り始めている。レイナートが国軍兵士、衛士を効率よく動かした結果である。

 しかしレイナートの言葉は淡々としている。気負うでなく、衒うでなく、かと言って驕ることもない。それはまるで傍観者が静かに解説しているかのごとくである。

「だが楽観は出来ぬ。気を抜けば必ずや取り返しのつかぬ事となろう。油断は大敵である。
 また以前の生活を早く取り戻そうと焦るのも不可である。焦りは無理を生じ、無理は失敗に通ずる。であるから着実に一歩ずつ前進しなければならない。
 であるから私はまずそのことを諸君らにお願いしたい」

 レイナートはそこで言葉を切ると集まった人々を見渡した。

「私はこの春先に即位して以来様々なことを行ってきた。だが肝心なことにまだ着手していない。
 それは先の国王陛下と先の王太后陛下の廟の建設である。それには先ず、このお二方の国葬を行わなければならない。よってこのひと月の後に国葬を執り行うことを宣言する」

 静まり返る会場。亡き陛下を偲びすすり泣く声も聞こえる。

 しばしの後、レイナートは徐ろに口を開いた。

「次に諸君らにお願いしたことは、国が己に何をしてくれるかではなく、己が国に、人々に何が出来るかを考えてほしいということである」

 会場はしんと静まり返っていた。レイナートは続ける。

「何故ならば『人は皆、独りでは生きてゆけないものだから』である。それは王族であろうと貴族であろうと、平民であれ、さらに言えば男であれ女であれ同じである。
 我が言葉が嘘だと思うなら考えてみてほしい。衣・食・住の全てを己一人で賄えるのかどうかを……」

 静かなざわめきが起きる。だがレイナートが次の言葉を口にすると再びすぐに静まり返った。

「己一人で麦を蒔き、育て、刈り取り、粉にしてパンにすることは出来ぬ。
 己一人で家畜を育て、肉にすることは出来ぬ。
 己一人で石炭を掘り、鉄鉱石を掘り、精錬し、槌をふるい鍛冶を行って道具とすることは出来ぬ。
 人が生きていく上で必要なこと全てを、己一人でこなすことは出来ないのだ」

 ここまでのレイナートは当たり前のことを述べているに過ぎない。よって誰にも反駁は出来なかった。

「だから、人は手を携え、協力し合わなければならぬ。それは身分の貴賤上下に関わりなく、である。
 否、そもそも人の生まれに貴賤上下などない」

 再びざわめきが起こる。
 これはレイナートの、国王の言葉であるからともかく、もしこれを平民が口にしたら社会の転覆を狙った煽動者として極刑に処されるに違いない。それほどの言葉である。
 レイナートの言葉に度肝を抜かれた聴衆は唖然として耳を傾けるのみである。

「人はなぜ尊いか? それは己の境遇に関わらず努力するからである。
 与えられた時と所と地位に甘んずることなく最善を尽くす。または不平不満を漏らすことなく努力を惜しまない。それが……、そのことが貴いのである。
 されば、私は諸君らに問う。
 国のために、人のために、己に何が出来るか。そのことに思いを至らせているか?」

 そこでレイナートは言葉を切り再び聴衆を見回した。
 深く澄んだ青空の下、その場には物音一つ立っていなかった。


 本来であればこの演説は、王宮謁見の間に全貴族を集めての即位の儀の直後に行われるのが伝統であった。すなわち全貴族の信任を得て王となった後、集まった市民に向かっての所信表明、というのが普通の姿である。
 だが、レイナートの即位直後はまだ王都内も未だ復旧の緒についたばかり。人心も落ち着いていなかった。街には瓦礫が散乱し火事のきな臭さに死人の腐臭が立ち込めていた。そんな状況で市民を集めて暴動でも起きたらどうする?
 一方でレイナートの伝統破りというか、多分に過去の仕来りを重く見ない考え方。
 これらが当初演説を中止した理由であった。
 しかしながら紙幣発行に伴う王都内での出来事からクレリオルが実施を進言、レイナートもその必要性を認めて開催されることとなったのである。

 そうして会場となったのは王都二の郭、西地区にある大広場である。ここは国王による閲兵の際に用いられる場所で、先年の武術大会が行われた所でもある。

 水を打ったように静まり返った会場。居合わせる人々はレイナートの言葉をしばし反芻していた。


 この演説が行われるということは当然イステラ全土に通達された。その勅書を受け取った貴族家では当初困惑した。
 勅書には場所と日程は記載されていた。ところが普通であれば当然書き記されている「総登城」の文字がどこにも見当たらなかったのである。

―― これはどういうことだ? 列席せずとも良いということか?

 各家の王都屋敷は対応に困った。当主が王都にいる場合は良いが、当主が領地にいる場合にはすぐに連絡しなければならない。だが総登城をすべきか否かがわからない。そこで各家王都屋敷では急ぎ人を遣わし勅書を当主のところまで届けさせたのである。あとはご当主様と側近が判断してくれ、ということである。

 この時レイナートが総登城を命じなかったのは、貴族達の負担を考えてである。少なからず被害を受けていた貴族家である。そのような時に何度も当主に領地と王都を行き来させるのは酷であろうという配慮からと、市民に対する顔見せが主目的であるという思いからである。
 それは重臣達からすればなんとも甘いと思えるレイナートの決定である。だがレイナートにすれば、無理強いすれば必ずそこに反発が生まれる。それはやがて反感となり「魔」を呼び込む隙を生むことになるかもしれない。その虞れからであった。

 ビューデトニア城地下での戦い。あれで「魔」が滅んだ訳ではない。この世に人のある限り「魔」は決してなくならぬという。そうして今の自分には「破邪」の力はない。であれば人に魔を呼び込ませてはならない。そう考えたのである。


 ところで結局全貴族の当主がこの演説の場に列席した。それは国を敵に回したくないという思惑からである。それに通常であれば冬は王都屋敷で過ごすことにしている各貴族である。ただし王都屋敷は被害を受けているものが多かったから、この冬は領地で過ごそうかと考えていた貴族が多かった。そこへこの通達である。それで結局貴族達は王都に集結したのであった。


 さてレイナートの言葉に深く考えていた人々は、新たな言葉で我に返った。

「だが、己に何が出来るかと問われ思い悩む者もいるのではないか?
 自分は一職人にすぎない、農夫にすぎない。だから何も出来ないと思わないだろうか?
 だが己を卑下するなかれ。己に出来ることをすればよいのである。鍛冶師なら鍛冶師として、パン屋ならパン屋として、己の職業に精励すればよいのである」

 その言葉に人々の顔に安堵の色が広がった。

「そうやって日々まじめに働き、まじめに暮らすこと。それによって経済は立ち直り、生活はより良くなるものである」

 本当にそれだけで? という疑問が起きぬ訳ではない。だがまず人々が通常の生活に戻ること。それこそが肝要であり、そう出来るようにレイナートは日々頭を悩ましているのである。

「そうして私は、国は、より高みを目指そうという者には教育を施そうと考えている」

―― 教育……?

 何だろうと皆は考えた。

「私は、年が明けたら教育省を設置する所存である」

 再びざわめきが起こる。

「国民全員に文字と言葉を、算数と歴史を教え、音楽を学ばせる。そのようにして知識と情操を高めるための施設、『学校』の設置を考えている。その準備を進めようと考えているのだ」

 ざわめきが更に大きくなっていった。


 この度の大震災によって多くの人材が失われその補充にどの省でも苦労した。結局広く国民から人を得たが、その大半はリンデンマルス公爵家の領民であった。リンデンマルス公爵家も人に余裕があった訳ではない。だが国が立ちゆかなければ公爵家にも先はない。その思いから多くの領民を出したのである。
 だがそれでも必要数の確保には至らなかった。

 そこでレイナートは重臣を集めての会議で教育省と学校の設置を諮ったのである。当初は平民に教育をという考えに貴族である重臣達は難色を示した。だがレイナートは力強く説いた。

―― 子供の頃から教育を施し優秀な人材を確保する。その分費用はかかるかもしれないが、後から必要に迫られ、なのに人材が確保出来ないと難儀するよりもよほどマシではないか。

 それにレイナートには教育先進国エベンスの国立高等大学院出身のシュルムンド、グレリオナス兄弟がいる。したがって全くの手探りで始めるということではない。

 こうしたことから重臣達の間にも国民に対する教育ということへの理解が芽生え始めていたのである。

「学校での教育は全国民に等しく施される。そこに男女の差別はない。そうして優秀な成績を収めた者は各省での登用もある」

 聴衆のざわめきが更に大きくなった。

 現在でも各省の官吏に平民は存在する。だが工務省などは多くは人足で、いわゆる現場での肉体労働要員である。したがって言葉さえ理解出来れば文字など読めなくてもいいとさえされている。
 逆に財務省などでは算数や集計能力が重視され、平民でも商会の子弟など、自前である程度教育を受けた者でなければ採用されることはない。
 これは結局、各省に人材のばらつきがあるということを意味する。レイナートはこれをなくそうと考えたのである。

「差し当たって一年ないし二年程度の準備期間をおいて学校教育制度を開始したいと考えている」

 レイナートの演説は続く。

「また私は我が国における庶子の取り扱いについても改善を検討している。
 これは私自身が庶子であるということも無関係でないのは理解出来ると思う」

 再び会場が静まり返る。

―― そうだった、陛下は先のアレンデル様の……。

 王の子とはいえ本来であれば貴族にもなれないはずであったレイナート。それが今は国王である。人々の心のなかに複雑な思いが去来した。だがそれも束の間、レイナートの次の言葉に耳を傾ける。

「身分の故に、もしくは他の事情で正式に夫婦となれなかった者達から生まれた子供。その子に何の罪があろう。何故日陰の子よと虐げられなければならぬ?」

 レイナートは一旦言葉を切った。自らの過去に思いを至らせたのである。だが表情も口調も変えずに続けた。

「しかしながら私は婚外出産を奨励するのではないし、側室を持つことを認めると言っているのではない。
 一人の男と一人の女が生涯を添い遂げる。これは何もおかしいことではない。どころか人として正しいことだと考えている。
 ただ何らかの理由で生まれた婚外子を闇雲に差別することだけは無くしたいのだ」

 イステラにおける庶子の扱いはただ一言「酷い」に尽きる。貴族の庶子であれば将来は「爵位を持った奴隷」と言われる爵士である。
 レイナートはこれをいわれのない差別であると感じていた。それを何とかしたいと考えていたのである。

「この件に関しては現在内務省と法務省において検討に入らせている。いずれはっきりと決まれば追って沙汰を出す所存である」

 そこでレイナートは言葉を切った。


 レイナートは差別ということに関連して、実は奴隷制度の廃止についても推めようと考えていた。
 だがこれは事前に諮問されたクレリオルに真正面から、エレノアからも消極的にだが反対された。
 時期尚早だというのである。

 クレリオルも庶子。さらにレイナートに仕えるため形の上だけでも一度は奴隷になっている。だからレイナートの考えに賛同出来ぬでもない。
 だが今のイステラは奴隷の存在によって支えられているという現実がある。それを無視すれば必ず混乱を生じる。どころか国の屋台骨が崩れてしまいかねない。したがってクレリオルは時期を待つべしとレイナートに訴え、エレノアもそれを支持したのである。

―― 今直ぐに奴隷がいなくても成り立つ社会にするというのは無理です。貴族にも平民にも奴隷廃止ということを納得させることは出来ません。

―― ではどうすればいいのだ!

 レイナートは言葉を荒らげた。なんとしても奴隷達を悲惨な状況から救い出したい。その思いからである。

―― いつになったら実現できるというのだ!

 それに対しクレリオルは静かに答える。

―― まずは国民全てに教育を施し、奴隷制度の誤りを教えるのです。ですが陛下、これは諸刃の剣です。それは単に奴隷制度というだけでなく、身分制度そのものにも関わってきます。

―― わかっている。

―― それでもあえて推めると仰られるのですか?

―― そうだ!

―― ならば尚の事、時期を見計らわなければなりません。急いては必ずや事を仕損じます。陛下自身のお言葉です「焦りは無理を生じ、無理は失敗に通ずる」

 このような遣り取りの末、レイナートは即位演説ではこの問題に触れないことを約束したのである。


 元々奴隷制度に疑問と反感を持っていたレイナートである。それが一層強くなったのはつい先日の、紙幣の使用状況確認に街へ出た日のことである。

 レイナートは商人との遣り取りの後、四の郭に足を伸ばした。王都の奴隷達の状況を検分するためである。

 王都には王宮、貴族屋敷さらに町内に溜まった汚物の処理のために奴隷がいる。その他にも罪人の死体処理などをさせられている。
 彼らは四の郭のかなり奥まった所に建てられた、小屋とも呼べぬ粗末な所に押し込められている。服とも呼べぬボロをまとい粗末な食事すら満足に与えられているかも怪しい。
 王としてこれらのことについても直接目で見ておきたかったのである。

 その日レイナートがその場に近づくと監督官が少年を鞭で打ち据えていた。少年はまさに薄汚いボロをまとい、明らかにひと目で奴隷とわかる。

―― このクソガキが、口答えしやがって!

―― だって!

 少年が反抗する。

―― 思い知らせてくれる!

 監督官が再び鞭を振り上げた。
 そこでレイナートは素早く少年に駆け寄り、監督官を背にして腰を下ろしたのである。

「何者だ、きさ……」

 監督官は怒りもあらわにレイナートに怒鳴ろうとする。だがマントの裾から剣の鞘が覗いているのを見て押し黙った。
 レイナートは少年に声をかけた。

―― 大丈夫か?

―― は、はい……。

―― ここの奴隷か?

―― はい……、いいえ、僕は奴隷なんかじゃありません。

―― 何、どういうことだ?

 レイナートが目を見開いた。
 少年が説明する。

―― あの地震で父ちゃんも母ちゃんも死んじゃって、僕は一人ぼっちになっちゃったんです。そうしたら僕みたいな子供を集める所へ連れて行かれたんだけど、いつの間にかここへ連れて来られて、奴隷として働かされるようになったんです。

―― 何だと!

 レイナートは立ち上がって振り返った。そうして監督官に詰め寄る。

―― どういうことだ、説明せよ!

 監督官はレイナートが長剣を提げているので一応は説明した。

―― どうもこうもありません。みなし子はどうせほっときゃ死んでしまう。だから食わせる代わりに働かせてるんです。

―― 何だと!

―― 何方かは知りませんが、なんでそんなに怒ってるんで? いいじゃないですか、みなし子の一人や二人奴隷にしたって……。働いておまんまが食えるだけましですよ?

―― 誰がそれを許可した!

―― 誰って、そんな……。

 監督官は言葉を濁した。レイナートはこの者では埒が明かぬと思い、陰供をしているクレリオルを呼んだ。

―― クレリオル!

―― ははっ!

 クレリオルがレイナートに急ぎ駆け寄り、その前で膝をつく。

―― 直ちに摂政、内務大臣、法務大臣を呼び寄せよ! 私が直々に詰問する!

―― えっ?

 監督官がたじろいだ。摂政や大臣を呼び寄せる? では一体この人は……?
 だがクレリオルはそれを無視して口笛を吹いた。それを聞きつけてゴロッソが姿を現す。

―― ゴロッソ、聞いての通りだ。直ぐ行け!

―― はい! 皆の者!

 ゴロッソの一声に、いつの間にか周囲にいた者が一斉に走りだした。

 しばらく経って馬の蹄を鳴らし呼ばれた三人が姿を見せる。ドリアン大公は片足故馬から降りるのが容易ではない。それでも地に立つとレイナートの前へ進んだ。
 レイナートは仁王立ちしていて何も言葉を発しない。王宮内部はともかくこのような所では全ての者は形式張った臣下の礼を取らねばならない。それは周囲に王に対する忠誠心と畏怖心を見せるためである。
 そこで摂政、内務卿、法務卿の三人は膝をつき頭を垂れた。

―― お召により参上つかまつりました、陛下。

 監督官も少年も唖然とした。目の前にいるのは陛下? 陛下とはもしかして国王陛下のことか、と……。
 レイナートがそこでようやく言葉を発した。

―― この少年は地震によって家族を失ったという。それがいつの間にかここで奴隷とされているという。それを誰が許可した? 私は被災者に対し温情をもって対応せよと告げたはずだが?

 レイナートの声は怒りで震えている。その言葉に三人の重臣は言葉を失う。

―― いえ、そのようなことはないはず……。

―― では、この少年は何だ? 私の見間違いか? それとも騙りか?

 レイナートの形相がさらに険しくなった。

―― 直ちに事実関係を調査し……。

 宰相兼内務卿シュラーヴィ侯爵がそう言おうとするのを遮ってレイナートが怒鳴った。

―― 当たり前だ!

 この時レイナートは監督官を見下ろしながら次のように言い残して立ち去った。

―― この者がもし奴隷を苛み死なせるようなことがあったら、奴隷一人につきこの者の家族、親族を三人奴隷とせよ。そうして死んだ奴隷にしたのと同じように責め立てさせよ。これは勅命である。己が身内を己が手で苛んでみよ!

 監督官は縮み上がり、それからがっくりと項垂れた。

 その後王都内の被災者について改めて調査が行われ、家と家族を失って孤児となったものは一箇所に集められることとなった。そこで衣食住を与えられることになったのである。場所は事件以降欠所となっていた旧アレモネル商会の建物である。
 またそれに付随して奴隷に対しても無闇に傷つけたりすることを禁じた。要するに奴隷であっても人として扱えということである。


 レイナートが演説を続ける。

「それから今現在何らかの罪に問われ処分を受けている者は新国王の名のもとに恩赦を与える。全ての刑罰は免除される。しかしながら犯した罪があるならばそれについては深く反省することを求める」

 王の代替わりにおける恩赦は特別なことはないのでここでは聴衆に驚きは見られない。

「それと新規発行の紙幣に関しては、正しく運用することを命ずる。これは現状、貨幣鋳造に代わる措置である。
 紙幣は国が製造し発行したものである。これを信用しないということであれば国を信用しないと同じこと。この点よくよく考え理性的に行動せんことを望む。
 これは王都外側の橋の建設のために発行された国債も同様であある。これらがただの紙切れにならぬよう、私は心血を注ぐ所存である。故に諸君らにも協力を願いたい」

 再び聴衆がざわついた。やはり紙幣という聞いたことも見たこともないものに対する不安からである。
 そこでレイナートはマントを大きく翻した。

「私は、古イシュテリアの聖剣『破邪』の主として、またイステラの国王の証、金の剣を持つ者としてここに誓おう。我が言葉に一切の嘘も偽りもないことを!
 そうして必ずやこのイステラをかつてのように、否、それ以上に栄え、誰もが豊かで健やかに平和に暮らせる国にすることを!」

 そう言ってレイナートは腰の剣を外して眼前に掲げた。
 艶やかな漆黒に輝く鞘の周りには白金による蔦草が絡まるような凝った装飾が施されている。真っ赤な宝玉が陽の光を受けて輝いた。

「我が名はレイナート。
 このイステラの新たなる王である!」

 レイナートの声が会場に響いた。
 やがて聞こえる「国王陛下バンザイ」の声。
 レイナートは握りしめた破邪の剣とともに腕を天に向かって突き上げ、その歓声に答えたのであった。

 その後王妃エレノアと王女アニスが併せて紹介され、ここに新国王の即位演説は終了したのである。


 ところでレイナートの即位演説は過去のどの国王のものよりも長いものであった。
 例えばレイナートの伯父、先々代イステラ国王ガラヴァリの演説は当時の情勢を反映して随分と周辺国に配慮した内容であった。
 妹であるメリネス王女の輿入れを期に、アレルトメイアとの関係改善を模索していた時代である。だがそのことによって古くから食料補完国の間柄にあった同盟国ル・エメスタとの関係を冷え込んだものにしてはならない。
 一方で長く先の見えない戦争が続いていたディステニアとの関係も何とかしたい。国内情勢はそれほど逼迫していた。
 当時のイステラを取り巻くこのような状況を鑑みつつ、ガラヴァリは一致団結した強いイステラを目標に人々の奮起を促す演説を行った。

 他方レイナートの父、先王アレンデルは兄ガラヴァリの功績を讃えつつ、より一層の周辺国との協調体制を謳った。
 砂漠化の進むイステラ東部。これをなんとしても食い止めないと国土が砂に飲み込まれ国が滅びかねない。となると周辺国と戦をしている暇などない。そんなもののために金も人も浪費などしてはいられない。
 その一方で他国に舐められ侮りを受けるようなことがあってはならない。それ故やはり強いイステラたるべしと説いたのであった。

 それからするとレイナートの演説は過去二人のものに比べると随分と内向きの演説であった感は否めない。
 だがそれは表面上のこと。レイナートの演説の骨子は「人としてどうあるべきか」を問う、人間の根源に根ざしたもの、と呼べるものなのであった。

inserted by FC2 system