聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第2章

第3話 常識

「諸君、採用試験合格おめでとう。私が国王のレイナートである」

 新規採用の者達を前にレイナートはそう切り出した。

 ここは王宮謁見の間。直臣貴族でなければ足を踏み入れることの出来ない王宮の中心である。したがって大半が陪臣貴族の子女、残りのわずかが平民である彼らは一様に緊張し、レイナートが自らを「余」と呼ばないことにも気づいていなかった。

「諸君らにはこれから祖国イステラのために頑張ってもらいたい。まずは仕事に慣れ、しかる後、思う存分その実力を発揮して欲しい」

 レイナートのよく通る声が謁見の間に響く。居並ぶ大臣達が頷いている。

「我がイステラは『剣の国』『武の国』と呼ばれている。それは強いイステラを象徴する言葉であり、名誉なことである」

 そこでレイナートは一旦言葉を切った。そうして眼前に跪いている者達を見回した。
 そうして徐ろに口を開く。

「だがそこには、逆に言えばイステラは武張った、無骨一辺倒という揶揄も含まれている」

 ここへ来て静かだった謁見の間に少しざわめきが聞こえた。だがそれも直ぐに収まる。未だ国王陛下のお言葉の途中だからである。

「確かにそれは一面事実である。だが私はそれを快くは思わない。
 イステラは多分に文芸を軽んじているところがあるのは私も認める。だがそれではならぬ。
『武』に偏った国ではなく、文・武ともに秀でた国にならなければならないと考えている。そのためには国民に対する教育を施し、またそれを実施出来る環境を整える必要があると考えている」

 そこでレイナートは玉座から立ち上がった。

「と同時に各省も古い因習に囚われた考えに固執していてはならないと考える」

 それは居並ぶ重臣、大臣達への言葉でもある。

「それ故、諸君らに期待する。
 若い諸君らが、その柔軟な考えでイステラをより良く変えていくことを望む」

 まるで年寄りのような物言いだが、レイナートは未だ二十四歳。目の前にいる者達と同世代である。
 だが国王という立場は年齢を超越する。

「未だ祖国は完全に復旧したとは言い難い。それ故復興は最優先事項である。
 だがそれに終始していてはならない。復興と同時に新たなイステラの構築もなさねばならない」

 再びレイナートは言葉を切り、一同を見回した。
 そうして力強く言う。

「より良いイステラを我らが手で作ろうではないか!」

 レイナートの言葉に居並ぶ者全てが我知らず武者震いに体を震わせた。新規採用者達の顔からも緊張が消え、沸々と精気がみなぎってきている。
 大半は単なる就職先として官吏の道を選んだだけの者である。したがって忠君報国という意識は、皆無ではないにしても、さして強いものではなかった。だが国王に拝謁し直接激励されたのである。感激しても不思議ではないだろう。

 その後一人の女性が名を呼ばれた。

「レーネラ・シャルレアナ、前へ」

 合格者一同を代表して辞令を受け取るためである。名を呼ばれた女性はこれ以上はないという緊張の面持ちで前へ進み、玉座の前で腰を屈めた。

「コルストラン伯爵が支配、シャルレアナ男爵家レーネラ・ホイルス。教務省管理局任務を命ずる。

 イステラ暦四六八年
 偉大なるイステラの王にして金の剣を持つ者 レイナート」

 レイナートの正式な肩書は国王故に確かに「金の剣を持つ者」だが、実際に腰に提げているのは漆黒の鞘の「破邪」である。国王としての正式な儀礼の際はイステラ国王たる証の「金の剣」を提げるべきなのだが、レイナートはいつも「破邪」である。
 そうしてそれを誰も不思議には思わない。どころかレイナートが「破邪」以外を提げている方が奇異に思うことだろう。

 読み上げた辞令をレイナートは侍従に手渡した。それを今度は侍従がレーネラに渡した。震える手で受け取ったレーネラはそれを恭しく戴き、後退りした。

 彼女が列に戻るとレイナートが厳かに言う。

「以上である。皆の者、大儀であった」

 一同が深々と頭を下げ、レイナートが退座した。ようやく緊張から開放された新官吏達は溜息を漏らしている。

 特に代表で辞令を受け取ったレーネラという女性は尚更である。辞令の交付とは所詮紙切れ一枚受け取るだけである。だが受け取る相手は国王陛下から、しかも場所は謁見の間。陪臣貴族の娘ではその場に入ることも、直接拝謁を賜われる相手でもない。緊張するなという方が無理だろう。
 だが同時に彼女は大いに名誉を感じていた。百三十余名いる新規採用者の中で女性なのに自分が選ばれたからである。

 ところで彼女が選ばれた理由だが、それは試験の成績が最優秀であったからである。
 このような時、本来ならイステラではまず女性が選ばれることはない。だがレイナートは性別に拘ることをよしとせず、単純に成績の順で選ぶことを命じた。
 したがってこの一事でもイステラが変わりつつあるということを周囲に実感させるものであった。

 昨年の大量採用の際にも過去の慣例に則り辞令を発行しようとした。だがその時はまだ羊皮紙の手配が追いつかなかった。だが今年は紙幣用に製造した残りが大量にある。これを利用することで可能となったのである。
 それとこの辞令は本人の名前のみ手書きであとは印刷である。グレリオナス考案の活版印刷が実用化され、その使用第一号となったのであった。


 新規採用となった者達は九つの省、すなわち内務、財務、法務、式務、外務、工務、軍務、商務、教務 ― 他の省と名称を統一させるため「教育省」ではなく「教務省」とされた ― の各省に配属され、早速新人研修を受けることとなったのである。
 ただし教務省はまだ独自の庁舎がないので王宮内の大広間の一つが臨時庁舎とされている。

 そうして彼らは配属された省での最初の訓示で言われたのである。

「省内、業務中にあっては身分よりも職務上の階級が優先される。したがってたとえ己が貴族で上司が平民であってもその命には従うこと。
 また上司・先輩が男性であろうと女性であろうと関係はない。その指示に従うこと。
 これは国王陛下よりの厳命である」

 レイナートは今回の新規採用に合わせて各省における人事運用を改めるよう通達した。
 イステラは基本的には何事においても実力主義を標榜している。だが身分による差別や性別による差別は厳として存在する。
 ただでさえ未だ人材不足は解消されていないのである。昨年から各省の職員に女性を採用したのもそれが理由である。したがって従来からの身分による差別に、今度は性差別が加わったら円滑な業務の遂行、まして災害からの復興など覚束ないだろう。
 そこでこういった差別を戒めるように厳命を下したのである。

 だがその通達を疑問視している者達もいた。それは昨年採用された者達のみならず各省の職員達である。彼らは皆戦々恐々としていた。というのは彼らの多くは平民だったからである。
 今回の採用は貴族が多かったが、実はこの事自体が稀有のことであった。
 大貴族が大臣を拝命するというのを除くと、下級貴族が入省するということも皆無だった訳ではない。だがそれは親の貴族も職員だったとか、その才能を買われてということで、一度に何人もが採用され同時配属されるなどということはなかったのである。

 貴族というものは気位が高く身分を鼻にかけ、とにかく扱いづらいものである。そこには男女の差はない。
 一方の自分達は職場の上司・先輩ではあるが平民である。「これはやりにくくなる」というのが実感である。

 配属された先での研修もしたがって一筋縄でいかなかった。もっとも研修とは言うもののその実態は、先輩から業務のやり方を教わるだけである。
 だがなまじ学があり才に長けていると、それまでのやり方に疑問を感じることがある。そこでそれを口にするのだが、教える側からすると「これが今までのやり方だからその通りに覚えてやれ」ということになる。当然軋轢が生まれる。まして教える側が平民で教わる側が貴族だと途端に話が難しくなる。結局新人担当の者では埒が明かなくなりその上司が呼ばれ、ついには局長級のお出ましになる。

 イステラの各省は大臣の下に各部門の「局」があり、その長である局長が実務の最高責任者である。これらの者は貴族身分を有していることが多い。したがってこれに逆らったらもうお終いであるから、結局新人らは渋々言われた通りにやることになるのである。
 だが駆り出された局長たちにとってはいい迷惑である。

―― いくら人手不足だからといって、貴族を雇う必要などあるまいに……。

―― もっとも応募してくる貴族も貴族だが……。


 だがこれが事務方だとまだいいが、工務省の新人研修と言ったら文字通りの肉体労働である。実務を知るためとはいえ円匙やら鶴嘴やら持たされて一の郭西宮に連れて行かれ、そこで倒壊している建物の瓦礫の撤去をやらされるのである。

「ほらほら、お坊ちゃん、お嬢ちゃん方、そんなことじゃあ日が暮れちまいますぜ?」

 国軍の鬼教官よろしく、体格のいい現場監督はつい手が止まりがちの新人達にそう言う。
 大体貴族の子女に向かって「お坊ちゃん、お嬢ちゃん」とは何事か! そう憤慨するが、上司の命令には服従せよと初端に言われている。面白くなかろうが気に入らなかろうが言われた通りにやらなければならない。

「なんで私がこんなことを……」

 だが愚痴をこぼすとどやされる。

「いいですかい? あっしらの仕事は常に危険がつきまとうんですぜ? 上に立つ者はいつもそれを意識して人足を作業に当たらせる必要があるんです。
 あんた方は幹部候補でしょう? だったら尚の事現場の苦労を知らなきゃなりやせん。そうでないと頭でっかちになって無理な作業を下に押し付けるからね」

 今現在最も多忙で多くの人員を必要としている工務省。それは単に人足の数だけではなく、現場で采配を振るえる人物もである。そういう人物がやがては設計や作業工程の立案・管理などの、さらに上の仕事を任されるようになるのである。

「とにかく『現場の仕事を覚えろ。まずはそこからだ』それが工務省の合言葉ですから、決して忘れないように」


 他方、式務省に配属なった者達はいきなり即戦力と期待された。貴族であれば元々儀礼・典礼などにはそこそこ詳しいからである。
 式務省では失われた有職故実の復活が急務であった。ところがこれは平民には全く馴染みのないことなので読み書きが出来るくらいでは話にならない。それに貴族の長老から話を聞くとなると平民が出向いてもまず相手にすらされない。
 なので昨年の大量採用の際一度は新人が配属された式務省であったが、それらは全員平民でありしかも工務省や財務省などが優先されたこともあって、人員を減らされていたのである。

 そういう意味では式務省は身分社会の象徴のような役所である。したがって逆に身分・階級には矢鱈と煩い。有職故実には直臣と陪臣、爵位の上下などによって細かく変わるものが多いのだから当然のことだろう。
 なので己が陪臣であるとか爵位が上とか下とかを思い知らされることになる。

―― こんなの差別じゃないか!

 人間誰しも差別をする方は気にならなくともされるのには敏感である。式務省配属を誇りに思った者達はいきなり冷水を浴びせられた気分を味わったのである。

 レイナート自身は身分制度や身分社会というものに重きを置かない考えが根底にあるため、式務省自体を無駄な組織と考えているきらいがある。なので出来ることなら人材は他に回したいとさえ思っていた。だがそんなことをすると本当に有職故実が失われてしまい取り返せなくなる。それは身分制度そのものを表立ってないがしろにするにも等しいことである。それはあってはならないことである。
 そこで式務省にも人員を配置し本来の業務を正しく遂行させることにしたのであった。
 それは結果として、後世にイステラの貴重な文化史の記録が伝えることにつながったのであったが、当のレイナートもそこまでは気づいていなかったのであった。


 ところでこの二省は各省の中でもかなり特別なところがあるが他省はそうでもない。官吏達の業務は文字通りの事務処理でそれはたとえ軍務省でも同じである。
 必要な書類を作成しそれを関係各部門に回し決済を受ける。
 それが小は細かい法令、通達から大は省全体の予算まで、大小様々ではあるものの要するに各省の仕事とはそういうことである。したがって本来は身分だとか性別だとかには左右されないところである。
 だが人がすることであるからどうしても様々なことが起きる。平民が優れた文書を作成すれば「平民のくせに生意気」と言われ、貴族なのにまともな書類が作れなければ「貴族なのにこの程度か」と思われる。
 それは女性の場合も同様である。女というだけで正しく評価しないという輩はどうしてもいる。

 レイナートにすればそれはバカバカしいことだとしか思えないことである。だが当事者達には大問題となることも多い。


 つまるところ、「差別」とは他者よりも己の方が優れているという優越感に端を発するものである。
 悲しいかな人という生き物は己より優れているものを認めたくないという感情を否定出来ない。相手が自分よりも上だと認識したら、素直にその良い所を学ぶ事が出来るなら何も問題はない。だがそうはいかないのである。
 そうしてそれが長い歴史の中で制度化されたものの一つが身分制度である。
 同じ人間として生まれたにも関わらず「身分」という尺度でそれを分け隔てる。レイナートはそれを何よりも下らないことだと考えているが、今の時代にはそれは全く異質な考え方である。
 身分制度はあって当たり前。ない方がおかしい。それが「普通」の考え方なのである。

 更に質が悪いのは性差別である。これは身分制度以上に一言で説明するのが難しい問題である。

 イステラにおいては女性に家督相続権が与えられていない。これは本来は差別ではなく「男系継承」の徹底のためである。
 血統の維持という点においては大陸諸国において男系継承が多く採用されている。これは要するに王族以外の男子の血を血統に入れない、ということが前提にある。したがってこの場合直系であろうと傍系であろうと遡れば同じ先祖 ― しかも必ず男 ― に辿り着く事が出来る。これが重要とされているのである。

 だが同時にイステラでは側室を認めていない。そういう意味では非常に不徹底であると言わざるをえない。
だがこれは古イシュテリア大王の課した呪縛の故であって、それがいつの間にかイステラの「常識」として人々の思考に刷り込まれていたのである。
 その呪縛を違えることなく、しかも血統を維持するため、王家は五大公家以外からの養子も姫も迎えないのである。そういう意味で五大公家は準王族の扱いを受けているのである。
 これは貴族家であっても同じで、本家で養子を取る必要がある場合は必ず支族の中から迎える。嫁取り、すなわち婚姻は他の直臣貴族から姫を迎えることはあっても、養子だけは一族の内部からという姿勢を崩さないのである。

 そうしてこれは本来であれば単に血統の維持のためであったはずなのであるが、いつの間にかこれが女性を男よりも低いものと見る風潮につながっているのである。

 そもそも血統の維持ということはそれほど重要視されるべきことなのか? そのことに対する冷静な思考や判断がなされることなく今日に至っている。逆にこれを否とすれば身分制度そのものが瓦解することになるから決してそのことに対して疑問を起こさない。
 王家の血、貴族の血、平民の血。ここに貴賎をつけるからこそ身分制度が成り立つのであり、その血統の維持を男系に拘るからそれを温床として女性蔑視の風潮が出来上がる。

 ただでさえこの時代はいまだ「力こそが正義」という考え方が普通である。他者に己の言い条を通そうとするのなら話し合いよりも力に訴えたほうが早い。その考え方はいまだに残っているのである。それが各国とも軍隊に金をかけ軍事力の維持に腐心しているということにつながっている。
 北部五カ国連合はようやくそのくびきから解放されつつあるが、それでもそれ以外の国々に対する警戒という点からはその限りではない。
 そうして大陸においてはレリエルのような特殊な例を除けば軍隊は男のものである。それはどうしても身体能力の点でどうしても男の方が優位であるからである。それもあって「男の方を優れたものとする考え」がなくならないのである。


 イステラにおける新たな人材登用は身分と性別に重きを置かずに行われた。それは言い換えるならばそれまでの常識を無視したと言うことも出来る。もっともそうでなければ必要な人材が集まらないのであったが……。
 だがそれが果たしてうまくいくのかどうか。

 レイナートは多分に一般の常識とは違う考えを持っている。そのことは自らも承知しており、決してそれを大上段に振りかざして他との軋轢を生むことがないようにも心掛けている。
 だがそうでもしなければこの難局は乗り切れないと考えたが故の人材登用であり、それはレイナートに「常識」との戦いを強いるものであった。そうしてそれに打ち勝ったからこそ、イステラの発展は達成されたのである。

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