聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第2章

第14話 行幸

 夏の盛りを過ぎ、朝晩の風も少し涼しいものを感じられるようになった頃にレイナートの行幸が決行された。

 王都の大通りを進む隊列は沿道の熱狂的な市民の見送りを受けている。即位の巡幸の時も市民らは跪くことを強要されなかったが、今回も同様で、立ったまま馬上の国王レイナートやそれを取り巻く騎士、さらには馬車の王妃エレノアや王女アニスを満面の笑みで見送っている。
 殊にエレノアとアニスに人気が集まっているようだ。二人の乗る馬車が通過する時一際高い歓声が上がっている。
 女でありながら武術大会で優勝しイステラ初の女性貴族となったエレノア。だが本人はそれによって宮廷で幅を利かせようということもなく一途にレイナートに仕えてきた。そうして晴れてレイナートの妻となった。それはまさしく庶民が夢見る成功物語を地で行くものである。それ故外国人でありながら市民達 ― 特に若い女性 ― の支持を得ていると言っても過言ではない。
 そのエレノアはその市民の熱狂ぶりに少々戸惑いながら、アニスを抱いて、それでも馬車の窓から笑顔とともに手を振ってみせている。

 他方、その馬車の脇にはレイナートが姿勢を正し馬上にある。「イステラの男子たるもの馬に乗れ」をここでも真面目に実行しているのである。周囲を固めるギャヌース、アロン、エネシエルらとともにやはり市民に笑顔で応えている。


 とにかく長い一団である。
 国王夫妻と王女の行幸ともなれば、かつてのリンデンマルス公爵として領地と王都を行き来した時のようにはいかない。レイナートがそうしたいと思っても重臣らが認めない。

「行幸ともなれば国民に国と王の威信を見せるためのもの。まさか僅かな供揃えで、などということはあり得ませんぞ! 」

 至極ごもっともなことを言われ、そうせざるを得なかったのである。

 護衛の近衛兵が付き従うのは当然のこと。レイナートとエレノア、アニスの身の回りの世話をする侍従・女官だけでなく、同行する貴族身分を有する者全員が執事に侍女、下男下女を伴っている。それ故一行は総勢五百になんなんとするのである。
 それでも一部には「まだ少な過ぎる!」ということを言う者もあったが、さすがにこれ以上となるとあらゆる面で無理が生ずる。それ故の決定であった。

 それが王都の大通りをゆっくりと進んでいく。全員が馬や馬車に乗ってはいるがこの手の行列は威容を見せつけるのも目的の一つ。それ故せかせかと進むなどあり得ない。どころか逆にゆっくりと進んでいるのである。
 したがって通常、リンデンマルス公爵領まで王都から片道五日程度。だが途中の貴族領を視察しながらということもあるからその三倍の日程を取っている。したがって旅をするにはいまだ暑い季節ではあるが、帰りのことを考えるとこれ以上遅くとは出来なかった。雪が降ってくるような陽気となっては王都へ帰ってくるのが大変だからである。


 一行は四の郭を進んでいく。かつてのがらんとした空き地とは打って変わって現在は様々な建造物が建設途上で活気づいている。各国駐在館、教務省、学校、さらに各省官吏の官舎に奴隷用の宿舎まで建築中なのだから当然であろう。
 作業に従事する者達も手を止めて行列を見送っている。特にその中でも、駆り出され建設作業に従事している国軍兵士達は羨ましそうに、隊列に加わっている近衛兵やその背後の国軍部隊を見つめている。もっともこの国軍部隊は純粋な戦闘員ではなく兵站部門の兵である。

 近衛の主目的は王宮と王族の警護。したがって野営をするということが前提にない。ところが今回およそ五百にも及ぶ一行であるから途中での宿泊・給食が難事となる。各街の宿屋では分泊しても一度にそれだけの人員を収容出来るだけの規模はない。そこで各街の外れの宿泊小屋も利用することとなり、国軍兵站部門が動員されることとなったのである。

 国軍の主目的は国土防衛、場合によっては他国への侵攻も視野に収めている。したがって補給ということを常に計算しておかなければならない。これが全くの侵略軍ならば初めから現地での略奪一本で済ませるという考えも起こりうる。だが国境警備の際はまさか自国で略奪などあり得ない。もっともこちらは補給はさして難しい話ではない。
 だが他国へ侵攻の場合、必ずしも略奪だけで思うような補給が出来るとは限らない。町や村の規模ということもあるし、もし敵軍が村や町を放棄した際に水や食料に毒を混ぜておいたら? それを考えれば何もかも略奪で済ませるということは出来ない。と言って本国からの長大な補給線を維持するというのも不可能な話である。それ故国軍は兵站が重視され第一から第三までの各軍はそれぞれ独立した兵站部門を持っていたのである。だがそれによってイステラ国軍は必然的に規模が大きくならざるを得ず、それが国家財政に与える影響は決して小さくなかった。したがってガラヴァリが隣国との和平に力を注ぎ、アレンデルが国軍の規模を縮小したいと考えた理由はそこにある。
 もっとも今回の兵站武門の主目的は食料と水、それと天幕、簡易家具などの輸送である。これが戦争であれば他の消耗品、例えば矢、弓の張替え用の(つる)、馬具の革や金属部品、場合によっては剣や槍の穂先まで用意するのが兵站である。
 それからすると今回同行する兵站部門は戦闘目的ではないので非常に小規模とも言える。


 一行は大手門を抜け外堀を越えた。眼前には湖とも呼べるような満々と湛えられた水が広がっている。水門が決壊し窪地にレギーネ川から水が流れ込んで出来た湖である。
 この窪地は王都防衛の目的に自然の地形が利用されかなりの深さがある。しかも元々排水が考慮さなかったので流れ込んだ水は外へ出て行かない。結果、城を取り囲む細長い湖のようになっているのである。

 大手門からまっすぐ伸びる街道は、埋め立てられた上に作られた橋で向こう岸とつながっている。そういう意味では橋と呼ぶのはいささか違うかもしれない。だがこれは一般に「レイナート橋」と呼び習わされるようになっていた。

 水深のある水の中に橋脚を建てる工事というのはかなりの難事業である。そこでレイナートの鶴の一声で埋め立てられた訳だが、その埋め立てに利用されたのは王都や主要直轄都市から出た瓦礫、正確には崩れた石やレンガである。

 冬期、大雪が降るイステラにおいて、建造物は積雪の重さに耐えるためかなり強固な作りとする必要がある。それでも古い時代の建造物は石を積んだだけという簡素な作りも多いが、現在の主流は切り出した厚みのある大石を地面に敷き詰め、その上に太い木の柱を立て、その内と外にレンガまたは石を積み上げるというものである。この工法は壁自体が頑丈な作りとなるので、屋根や天井を支える(はり)を太く出来るから、より積雪に耐え得る構造となるのである。またこの内壁と外壁の間に空気の断熱層を設けることで、夏の暑さ、冬の寒さに対処するという二重の効果もあるのである。

 イステラは石灰を産出しない。また固い頑丈な石も産出量が少なく、加工に時間も掛かるため高級品である。したがって最近では簡単に量産出来るレンガが多く用いられているのである。
 そうしてレンガや石の接着剤としては水で柔らかくした粘土を用いている。レンガや石をただ積み上げただけではどうしても隙間が出来るのは避けられない。これも夏ならば問題はないが冬は掛け値なく生命に関わるのである。そうして粘土も乾燥すればある程度は強度が上がるが石灰ほどではない。それでも大きな地震に見舞われることが少ないから、今まではこれでどうにかなって来ていたのである。
 だがさすがに先の地震は揺れも大きく多くの家屋で壁が崩れたのであった。一度崩れてしまうと石は割れレンガは砕けてしまう事が多いから再利用しにくい。そこでそれらは瓦礫として処理されたが、その多くがこの橋の建設のために再利用されたのである。
 橋の幅はかなりの広さがある。馬車二台が余裕ですれ違い、しかもその脇を歩行者が通行出来る程のものである。したがって埋め立てに利用された瓦礫も相当量に上る。
 もしこの再利用がなければ、廃棄物としてどこかにいくつも山積みにしておかなければならなかったに違いない。


 橋へ近づいていく本体の中、レイナートが呟くように言った。

「いまだに多くの者がここで商いをしているのか?」

 確かに橋の周囲には掘っ立て小屋と呼ぶには立派で、家と呼ぶにはお粗末な小振りの建物が多く建てられている。それは皆、いわゆる茶店と呼ばれるものである。
 忙しい合間を縫ってレイナートもこの橋の建設の視察に来たことがあった。その時見かけた茶店がいまだに残っていることに疑問を覚えたのである。

「まあね。せっかくの商売の種をみすみす捨てることはないさ」

 レイナートの脇、アロンがそう応じた。

「しかし何を商っているのだ? 単なる茶店だったのではないか?」

 レイナートが訝しむ。
 それぞれの建物の周囲には馬車を留めて何やら食べている商人らの姿も認められるからである。

「多分あれは魚か鳥の煮込み粥だね」

 アロンが言う。

 水が流れ込んだこの大きな濠は川のようには水が流れていない。排水がなされないからである。
 だが水は淀んでいるというほどは濁っていない。生活排水が流れ込まないからである。そうしていつしか水中には藻が繁茂し、魚が獲れるようになっていたのである。

「前に比べりゃ、大分食えるようになったからな。それなりに固定客もついたんだろうさ」

「魚か鳥の煮込み粥……」

 レイナートが物珍しそうに茶店に視線を送った。

「まあ、そうは言っても、全く食えないほど酷くはないが、好んで食おうとは思わんね。一度で十分さ。
 多分陛下もそうだと思いますよ。」

 アロンは前にレイナートの使いで外へ出た時に試し、そのあまりの泥臭い風味に閉口した経験を持つ。その時のことを思い出して苦笑しつつ言ったのである。


 王都防衛上、窪地のままであったところに水が入り込み王都への通行がままならなくなった地震直後、これを渡るために(はしけ)が用意された。だが当然ながら一度に馬車が何台も乗れるはずもなく、順番待ちを余儀なくされたのである。この時、その順番待ちをしている者に水を売る者が現れたのであった。

 震災後、王都への上水道が寸断され王都内の飲料水の供給が滞った。当然井戸に人は群がり、手桶や樽に水を組んで己の飲み水とした。
 そうして家が残った者はいい。居場所があるし僅かな貯蓄も取り戻せた。だが家を失った人々は天幕暮らしを余儀なくされたし、食べる物にも事欠き金もない。
 配給は一応行われたが、王都内に食料が入ってこないのではそれも長くは続かない。食品は直ぐに値上がりし飢えるのを待つのみとなってしまったのである。
 だが人間という生き物はしたたかである。座して死を待つ理由が何処にある?
 そこでこの濠のところに集まり、なけなしの水を売って金を稼ぎ、それで何とか闇で食料を買い糊口を凌いだ、というのが震災直後の王都市民の実態であった。

 やがてレイナートが即位し上水道が完全に復旧すると水に困らなくなった。だが食料の供給はいまだ滞っている。そこで水を売ることを続け日銭を稼いだのである。
 と同時に水中に魚がいるのに気づき、今度はこれを獲って売り始めたのである。と言っても獲れるのはコイ、ナマズ、ウナギ、フナといったもの。渓流魚ではないからそのまま塩焼きにしたのでは泥臭くて食えたものではない。
 だが食糧難の時である。口に出来るものがあれば何でもいい、といった状況であった。そこで魚を食べつけないイステラ人達も顔をしかめつつ、この魚料理を食べるようになっていったのである。

 そうして始まった橋のための埋め立て。
 国軍兵士や王都で徴用された市民が多く集まってきた。兵站部門が出動し食料も水も用意したが、暑い季節の屋外作業は消耗が激しい。だが与えられる水と食料には限りがある。十分腹を満たし喉の渇きを潤おすには程遠い。となれば水や臭い魚料理も売れる量が増える。
 そうして水中の魚が虫を食べようと水面近くに上がってくると、今度はそれを狙って鳥が寄ってくる。その鳥を弓矢で仕留め、これまた料理する。羽をむしり内臓を取って鍋で丸ごと煮るのである。そこへかろうじて手に入った野菜や麦をぶち込んで粥にするのである。
 そういう「ざっかけない」食い物であっても腹を満たしてくれれば御の字である。

 やがて橋が完成し、王都の食糧事情が改善されるとこういう茶店を利用する人間は当然減ってくる。
 では廃業するか? まさか!
 味付けに工夫をして、より「食える」料理へと洗練していく。と言っても元々が素人料理で食材も高級とは言えないものばかり。
 だが人間という生き物は逞しい。まして金が絡めば努力を怠らない。
 そうやってこの橋の周囲では茶店が料理を出し、営業を続けていたのである。


 アロンの説明を聞いてレイナートが周囲に尋ねる。

「なんとも感心するばかりだが、揉め事などは起きていないか? 治安はどうなっている?」

「しばしお待ちを……」

 問われたクレリオルが、小者を使いに走らせた。

 この一行には各省からの事務官も同行している。途中でのレイナートの質問に答えるためである。
 好奇心旺盛のレイナートである。しかもこの二年余りほとんど王宮から外へ出ていない。それが王都どころか街道を行くのである。さらに震災後の被害状況の確認というのが大義名分である。したがってレイナートが様々な質問を発することは容易に想像が出来た。
 とは言うものの大臣や局長級が同行したら政府の執務が滞る。と言ってあまり下っ端ではレイナートの疑問に答えられるかどうか怪しい。ということで各省の課長級が同行しているのあった。

 小者に呼ばれ内務省の事務官がレイナートの前に姿を表した。跪こうというの押し留めてレイナートの脇を歩かせる。隊列を止めないためである。

「何も代官所を置き、厳しく規制しろとは言わんが、衛士隊に定期的に巡回はさせるように。
 揉め事を望む訳ではないが、金と食い物の恨みは恐ろしいからな」

 真面目なんだか冗談なんだかよくわからない顔でレイナートは事務官にそう言ったのである。そうして言われた事務官は直ちに本省へと使いを走らせた。「国王陛下の思し召し」を伝えるためである。

 これは結局、この地域における商売を国王が認めたと人々には受け取られ、その後店を出す者が一気に増えた。これによってこの地域は急速に発展し、工務省は新たな街区の整備という、あれこれと手一杯の現状では決して嬉しくない、新規の仕事が増えたのであった。

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