聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第11話 食堂にて……

 ロッセルテへと向かう侍医と毒見役を送り出したクレリオルはようやく遅い昼食にありつけた。否、朝からあれこれあって、これが今日最初の食事である。

 この当時、王宮で働く者の食事は二通りあった。一は自らの屋敷に戻って食べるか、もしくは屋敷から運ばせる。したがってこれは貴族身分の者達であり、いま一つは一の郭に建つ食堂で供されるものを食べるというものである。ただしこれは王宮内で働く執事、侍女、下男、下女らのためのものである。

 クレリオルはリンデンマルス公爵家の王都屋敷フォスタニア館に戻る時間が惜しいので弁当を用意してもらっている。弁当であれば時間を選ばないし、いつ何時レイナートに急な用事を命じられて外出することになっても食いっぱぐれがないからである。
 春先のこの時期には新鮮な野菜が豊富にある訳ではない。したがって使用されている食材は乾燥肉、乾燥野菜、豆、じゃがいもなど冬の貯蔵の残り物である。
 それでもこれが王宮料理人の手にかかれば凝った料理に化けるが、リンデンマルス公爵家の場合、レイナートが贅沢を禁止しているので大抵はごった煮のようなスープになる。
 ただし弁当にスープを運ばせるのは色々と難儀なので大抵はパンに豆といものサラダばかりである。


 王国情報室の執務室で食事を終え茶を喫し、ようやく人心地ついたクレリオルだったが、血相を変えて部屋に飛び込んできた女官に直ぐに呼び出しを食らった。

「王室参謀長様、妃陛下がお召にございます。直ちに北宮までお越しください!」

「何事です?」

 女官の様子から緊急事態が発生したと感じ取ったクレリオル。それでも慌てず騒がずそう尋ねた。だが女官は「早く、早く」と急き立てるばかりであった。

 クレリオルはやおら立ち上がると剣を提げた。

 北宮は国王とその家族の私生活の場で他国における後宮に相当する。したがって国王と元服前の王子以外の男性は、たとえ国王の呼び出しであっても基本的に足を踏み入れることが出来ない所である。しかしながら緊急時はもちろん話が別である。それらを踏まえ、妃陛下すなわちエレノアが呼んでいるということは何か重大な問題が発生した可能性がある。
 ロッセルテで不可解な事件が起きたばかりである。それと呼応した何かなのか。それとも全く別種のことなのか。クレリオルは足早に北宮へと向かったのである。


 正殿(南殿)と北宮は大きな扉で隔てられ、そこには常時近衛兵が立ち警戒の任に付いている。本来であればクレリオルは通行を許されないはずだが既に話が通っているのだろう、近衛兵に遮られることなく中へと進めた。

 女官の先導で向かった先は食堂であった。
 食堂内に入るとかすかな異臭と、険しい表情のエレノア、当惑気味のイェーシャとその腕に抱かれ泣きじゃくるアニス、青ざめたネイリとノニエに他数名の女官が、何故か全員壁際に立って身動ぎもせずにいた。

「何事ですか、陛下?」

 食堂に入るなりエレノアに尋ねたクレリオルにエレノアが強張った口調で言った。

「王室参謀長殿、そこの……」

 エレノアが指差したのは丸い食卓。その上はスープ皿がひっくり返り中身がこぼれていた。だがそんなことよりも目についたのは食卓の中央に据えれた花の鉢植えである。

 冬の積雪・寒さが半端ではないイステラにおいて、冬期の無聊を慰めるため様々な花が鉢植えにされている。この食卓にもそうした鉢植えが置かれていたが、何故か花も葉もドス黒く変色して枯れていた。

「どうしたのです? 何がありましたか?」

 まさか王妃と王女の食卓に枯れた花を飾ることはあるまい。だとすればこれは突然枯れたということなのだろうか?

「実は……」

 そこでエレノアはたった今目の前で起きたことを説明しだしたのである。


 ロッセルテでの事件は王都において、内務省系統管理局が一時、出生届と死亡届の受付を停止した程度で特別大きな問題となった訳ではない。ただ毒見役が出立するということになったからその交代に多少手間取った。
 現在王宮内厨房は北宮と正殿のが稼働しており、したがって毒見役も二名しかその職になかった。そのうち一人はレイナートと共に既に出掛けており、残る一人も出立することとなった。となると残された王妃と王女の毒見役が不在になる。それはありえないことだから新たな毒見役が選出された。イステラにおける毒見役を輩出する家は三家。大きな晩餐会などでは多数の毒見役が必要となるから、各家とも常時数人の控えの毒味役を育て上げていた。
 ところが当初選ばれた新たな毒見役は、いざその家に問い合わせてみるとこの冬に風邪を引きその任に堪えないという。そこで各家から候補者を募りその選考を行ったのであった。
 こういったことも内務卿やクレリオルの仕事なので、クレリオルがなかなか食事にありつけないことにも繋がったのだが……。

 それはさておき、毒味の済まぬうちに料理が供されることはない。したがってエレノアとアニスの昼食が遅くなってしまったのである。
 イステラでは一日三食食べるという習慣はいまだ確立されていないが、レイナートは早朝から深夜までと活動時間が長いため一日二食では体が保たない。なので三食食べるのを何年も続けている。その影響でエレノアもアニスも一日三食なのである。
 だが昼を過ぎても昼食とならず、空腹のアニスはかなり機嫌が悪くなっていたのである。

 ただでさえ「大好きなおとうしゃま」レイナートが不在である。毎日わずかでもかまってもらえていたアニスはそれだけでお冠である。そこに空腹が輪をかけ、イェーシャに抱かれ席に着いてもスプーンを持った手で食卓を叩いたり、なだめるイェーシャを暴れて困らせたりで大層落ち着かなかった。

 そこにようやく昼食の配膳が始まった。ノニエがパンを、もう一人の女官がサラダを、そうしてネイリがスープを給仕した。
 ところがアニスはネイリが注いだスープ皿にスプーンを引っ掛けひっくり返してしまったのである。

「アニス!」

 エレノアが厳しい口調で咎めた。

「食べ物は神様からの恵みであり、それを育てる人々の誠の結晶です。それを粗末にしてはならない」

 エレノアは祖国レリエルを遠く離れた今も神への信仰を失わず、また母親として食事を粗末にすることの非を諭したのである。

 だが叱られたアニスは当然のように泣き出した。
 イェーシャも必死になってあやすがちっとも泣き止まない。
 食べる物にも事欠く生まれのイェーシャも食物を粗末にすることは絶対に許せない。とは言え相手は年端もいかぬ子供である。しかもエレノアにはエレノアの、母親としての教育方針と言うか躾の考え方もあるだろうから滅多なことは言えぬ。そこで困り果てながら必死にアニスをあやしたのであった。

 泣き止まないアニスを尻目に、その場の女官や侍女らが汚れた食卓を片付けようとしたその時、異変に気づいたのであった。

「ああっ、花が!」

 そう叫んだのは女官だったかノニエだったか。
 その場の誰もが食卓に目をやると、たった今まで愛らしい花をつけて活き活きとしていた鉢植えの植物が見るも無残に黒く変色し、すっかり枯れていたのである。

 王や王妃などに供される食事は食堂から遠く離れた厨房で用意され、しかも毒見役の毒見を経てから出されるからどんなものでも大抵は冷めている。今回出されたスープもそうである。
 だがたとえ出来立ての、たった今まで沸騰していたものであっても、それが被っただけでこのように変色し枯れるということは通常ありえない。当然そこに異物 ― はっきりと言えば毒の類 ― が混入されていなければないことだろう。

 そこでエレノアはその場の者に一切何にも触れることを禁じクレリオルを呼びに行かせた、というのが顛末であった。


 事の仔細を聞いたクレリオルは開口一番に言った。

「イェーシャ殿、直ちにネイリを我が執務室に連行していただきたい」

 クレリオルの口調は誰にも一切の異論を認めぬほどの厳しいものであった。

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