聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第15話 自信

 日の入りの鐘が鳴る頃、ゴロッソが執務室に姿を表した。動き易さを優先してか普段のような女装ではなく、貴族の家士のような服装である。

「どうであった、ゴロッソ?」

 間髪を入れずのクレリオルの問にゴロッソは慌てずに答える。

「やはり、外部から曲者が侵入した形跡はございません」

 その言葉にクレリオルの表情が一層曇った。そうして重ねて問う。

「内部の者の犯行ということか……。だがそれは確実なことなのか?」

 この短時間でどうして? その思いからちょっと信じがたかったクレリオルである。

「御意。ご承知の通り王宮内には元の暗部の者がいまだ多く立ち働いております。その者達の証言です。
 ただし実行した者の単独の犯行なのか、それとも黒幕がいるのか。いるとすればそれは国内の誰かなのか、もしくは外国勢力なのか。これらについてはまだ不明です」

 ゴロッソの言葉に淀みはない。

「そうか……」

 クレリオルの表情は変わらずに暗いままである。


 レイナートの命により暗部は解体され王国情報室に姿を変えた。そうして王国情報室の定員は五十名とされた。だがその当時、かなりの暗部の者が行方不明もしくは死亡していたが、まだ三百名ほどが残っていた。
 彼らは結局、リンデンマルス公爵家の領民の立場を得、様々なところで働き始めた。その多くは各省の職員・官吏となったが、王宮内で職を得た者もいる。

 元々イステラの北宮は男子禁制であるため、近衛兵が北宮内部で王族の警護の任に着くということがなかった。そこで歴代王の時代、暗部の者が姿を変え、もしくは偽り、あるいは姿を隠して王族の警護に当っていたのである。
 そうしてレイナートによって暗部が解体された際、そういった者達はそのまま王宮内の侍女の姿を借りて警護の任に着いたのである。
 ゴロッソが言う「王宮内で立ち働く者」とはこういった人々のことである。


 彼ら暗部は影の存在であったために、構成員が必要以上に連絡を取り合うということがなかった。それが暗部解体で一気に白日の下に曝される結果となった。
 その時、レイナートとの関係性からとりまとめ役とされたゴロッソは大いに危惧した。

―― これでは緊急時に用をなさない……。

 新たな王室情報室の定員は五十名。たったこれだけで全イステラ国内における他国の間者に対する警戒業務を行い、外国での諜報活動を実行するには無理がある。
 暗部の者は常人に比べ、はるかに勝る身体能力を有する。だが、そうは言っても超人ではない。休息も食事も必要である。
 したがって、この人数だけで与えられた業務を遂行してもイステラの国としての安全保障に重大な欠損を生じかねない。
 そこでゴロッソは王国情報室以外に配属された者の内、各部門の責任者もしくはそれに準ずる者達と協議したのだった。

 暗部は元々、命令系統がそれぞれ独立し横のつながりがほとんどなかった。だがこれでは万が一の時に有機的に動けない。そこで各省などに配属される元暗部の組み合わせに意を用いたのである。

 その一方で、レイナートの思し召し、すなわち「日影から日の当たる真っ当な存在に」ということも無視出来なかった。
 したがってごく一部の者だけを除いて、緊急時における諜報活動の可能性があることを知らせてはいなかったのである。
 確かに日陰の存在の暗部が日の当たる世界で生きていけるのならそれは喜ばしいことである。だが同時に、万が一の時には汚れ役や隠密裏に働くことの出来る人間も必要である。その塩梅をゴロッソは密かに行っていたのであった。

 そうして起きた王妃・王女暗殺未遂事件。一報を耳にしたゴロッソは直ちに元の暗部全員に密かに指令を出した。己の持ち場となっているところで不審な出来事はなかったか。他国の隠密と思しき者が潜入してはいないか。これを直ちに報告させたのである。
 現在の王国情報室員はその大半が国内各所にあって他国の間者の潜入に警戒を行っている。これを呼び戻すのは安全保障上よろしくないし時間がかかる。
 かと言って残っている室員だけではどうにも手に負えないと判断したからである。

 暗号による指令を受けた元暗部の者達は驚愕した。だが直ぐに落ち着きを取り戻し命令を遂行したのである。そうして比較的動きやすいところに配属されている者達がゴロッソの下に集結した。クレリオルはこれを臨時の王国情報室員とし王宮内の捜索に当たらせたのだった。
 そうしてゴロッソはそれらの集めた情報を携えてクレリオルの前に現れたのである。


「ところでゴロッソ、真犯人はいかなる人物だと思うか?」

 クレリオルが問う。いまだに真犯人の目星がつかない。最悪の場合ネイリが拷問され、耐え切れなくなったネイリが自白を強要され、それをもって真犯人とされてしまう可能性もないではない。それは絶対に避けねばならない事態である。それを恐れたからクレリオルは事件後間髪を入れずネイリを己の執務室に隔離したのである。

「なんとも申し上げにくいのですが、やはり陛下や殿下に悪意を抱く者の仕業でしょう。ただ……」

「ただ?」

「単独犯というのは考えにくいことだと存じます」

「それは何故か?」

「誰が毒を盛ったにしろ、それは北宮内部の者の犯行でしょう。その者が妃陛下や王女殿下に毒殺を企てるほどの恨みか何かを抱いているというのは考えにくいと思います。もっとも妬みという線も否定はできませんが……」

「確かにそれはあるな」

「ところでクレリオル様」

「何だ?」

「貴人の暗殺には確かに毒殺は有効な手段ですが、これはそう簡単なことではありません」

「それはそうだろうな。
 毒を何時盛るか。毒見の前では毒見役を味方に引き入れねばならん。毒見の後は警戒が厳重で簡単に料理には近づけんだろう」

「簡単に言ってしまえばそうですが、例えばこれを我らのような者が任務として行う場合……」

「暗部のような隠密が、か?」

「はい。その場合、己が直接手を下すか、それとも誰かにさせるか。これは大きな決め手になります。
 直接行うなら、まずは料理に自由に近づける立場を得なければなりませぬ。これは国内の王家や貴族家であれ外国のであれ、相当準備に時間を要します」

「……」

「貴人のための料理を調える厨房は、その家のまさに聖域。食材、調味料から道具にいたるまでその管理は徹底され、部外者は近づくことが許されません。
 また、クレリオル様が仰る通り、毒見の済んだ料理は更に警戒が厳重ですから、毒見役を懐柔、もしくは味方に引き入れなければ事の成就は難しくなります」

 ゴロッソはそこで一旦言葉を切りクレリオルの言葉を待った。だがクレリオルは無言のまま先を促した。

「従いまして己が直接毒を盛るとなると厨房の料理人か、毒見役、もしくは配膳を司る侍女のどれかに化ける必要があります。
 だがこれは想像以上に難しいことで、その場だけ化けても立ち居振る舞いや言葉などから直ぐにボロが出てしまいます。ですから実行以前から、余程長い期間、潜入していなければ無理でしょう。
 そういう意味からも今回の事件、外国の間者による犯行とは考えにくいと存じます」

 北宮人事の厳格さ、厳重さは王宮一。それはすなわちイステラにおいて一番だということである。そこに外国暗部の隠密が潜入しているというのは確かに可能性としては相当低いと思われた。

「では北宮内部の者を抱き込んでやらせる場合はどうかといえば、これは相手を相当信じ込ませなければなりません。すなわち己の行為が正義であると……」

「正義……。そこまでか?」

 ようやくクレリオルが口を挟んだ。
 ゴロッソはそれに大きく頷く。

「例えば色仕掛けとか、弱みを握ってやらせる、というのは誰でも直ぐに思いつきますが、これは動機とするにはいささか弱いものです。
 貴人を毒を以って暗殺するというのは並大抵のことではありませぬ。それを確実に実行させようと思うなら、その行為が正義だと思わせなければなりません。そうでなければ直前になって気後れしたり翻意したりという可能性があります。
 従いましてこの方法も準備期間を要します。一朝一夕で出来ることではありませんから……」

「なるほど、ということは……」

「これらのことから鑑みても、この事件は外国暗部の関与の可能性は低いと思われます」

「となると国内の者の犯行……」

「ということになりますね。後は陰で糸を引く者がいるのか否か。これをはっきりさせるのが先決です」

「そうだろうな。だが実行犯がわからなければそれも難しかろう」

「お任せ下さい。必ずや突き止めてご覧に入れます」

 ゴロッソは自信たっぷりにそう言ったのである。それは長年暗部で活動してきたことから来る揺るぎない自信からであった。

 これによって執務室はようやくに明るさを取り戻したのだった。

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