聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第3章

第20話 里帰り

 イステラの王城トニエスティエ城。その一の郭と二の郭を隔てる城壁の正門は「一の門」と呼ばれる。この門には昼夜を分かたず警備の兵が配されている。
 そうしてこの城壁はかなり厚みがあって一部空洞であり、警備兵の詰め所となる部屋が門の両側の空間に設けられている。二の郭側から一の郭側を見て右側の壁には近衛兵、左側には衛士隊のものである。そうして門の一の郭側は近衛が、二の郭側は衛士隊が警備を分担している。

 日頃から厳重な警戒がなされている門であるが、王宮内部で毒殺未遂事件が発生したこともあって常にも増して物々しい警備体制が敷かれている。

「良いか。もうすぐ夜が明ける。だからといって油断するな」

 事件発生の翌早朝、当直に当たった衛士隊の長は部下に向かってそう言った。決して大声を張り上げた訳ではない。だがその静かな口調には兵士達の気合を入れ直すには十分な厳しさがあった。

 イステラ王都は背後に峻険な山々を背負う小高い丘に築かれた城と一体化している。その城、トニエスティエ城は大小様々な建物が建てられている上に高い城壁で囲まれているから、城内において塔以外からは地平線に登る朝日を直接拝むことは出来ない。
 そうして、中でも一際高い塔に(とき)の鐘が据えられており、日の出と共に打ち鳴らされるこの鐘によってイステラの一日が始まるのである。


 その日の出の鐘まで間もなくという頃、一の門の脇の潜戸(くぐりど)が静かに開いた。
 門の外側の衛士隊長以下が何事かとさっと振り返った。

 日の出前の朝未き、薄暗い中、腰を屈め潜戸から姿を表したのは衛士総長であった。

「総長閣下、何事でございますか?」

 目を丸くした隊長が総長に姿勢を正して問いかけた。
 だが衛士総長はその問には答えず、

「皆、ご苦労である」

 そう言うに留まった。

「……」

「この場にいる者は壁の前に整列せよ」

 隊長は不得要領のまま重ねて尋ねようとして口を開く。だが総長の言葉の方が早かった。

「閣下、それは一体……」

「命令である。今この場にいる者は全員壁の前に整列せよ。いや、詰め所内部の者は良い。呼び出すには及ばぬ」

「……」

 さっぱり訳の分からない隊長はそれでも部下に命令した。

「閣下のご命令通りにせよ」

 その場にいた六名の衛士が門の前から壁の前へ移動して整列した。隊長もその脇に並ぶ。

「よし、そのまま回れ右をせよ」

 総長は今度は当直の衛士達にそう命令した。

「閣下、あの……?」

「そうして目を瞑れ」

 隊長の疑問を全て無視して総長はそのように言った。

「良しというまで壁に向かったまま目を閉じていよ。間違っても目を開けたり振り返ったりするな。もしそんな真似をしたら……」

「したら……?」

 隊長が恐る恐る尋ねた。今度は総長はその問を無視しなかった。

「親子兄弟、妻のあるものはその実家まで根絶やしになる。そう心得よ」

 その場の衛士全員が大急ぎで壁を向いて目を閉じた。何かとんでもない秘密が行われる。そうしてたとえ興味半分でもそれを見てはならない。それだけはわかったからである。

 衛士達は背後に総長の言葉を聞いた。

「さあ、どうぞ」

 その声に促されて潜戸を通ったのは未だ夢の中にいるアニスを抱いたエレノアである。
マントに身を包みフードを深々と被って顔を隠している。マントの下は男装である。
 王宮に移り住んで以来、王妃として相応しい装いということでドレスに身を包んでいたエレノアであったが、急遽リンデンマルス公爵家の王都屋敷フォスタニア館へ向かうので動き易い格好に変えたのである。
 ちなみに腰には剣が提げられている。この剣はレイナートの家臣となって直ぐにレイナートに寄って買い与えられた物で、古イシュテリアの聖剣を下げ渡されるまで佩用していたものである。

「皆、ご苦労」

 エレノアは短くそう言うと静かに歩を進め大通りを下っていく。周囲にはイェーシャと侍女の出で立ちの王国情報室の職員 ― 元の暗部の者達 ― 数名が護衛を兼ねて付き従っている。
 薄明かりの中、その小さくなっていく後姿を見送りながら衛士総長は小さく呟いた。

「本当に何もかも、あり得んことばかりだ……」


 とりあえず事件解決までの王妃と王女の食事をどうするか、についてエレノアから「リンデンマルス公爵家で」という指示が出てそのための算段が行われた。リンデンマルス公爵家で、というのはそこまで食べに行くというのは本来の意味ではない。では届けさせるか?
 だがそれでは多数護衛を擁した大掛かりな一団となり耳目を惹くことは必定。犯人捜査が進行中の現在、それは得策ではないと判断された。
 そこでエレノアとアニスにリンデンマルス公爵家の王都屋敷フォスタニア館にお移り願うこととなった訳だが、この事自体が前代未聞であるから、これも大っぴらには出来ないことだった。イステラにおいて王妃が実家に「里帰り」するなどということはついぞなかったからである。したがって最も人目の少ない時間帯を選ばざるを得ないのは自明のことであった。
 イステラでは日の出の鐘の音とともに一切が動き出す。したがってそれ以前でなければならないとされ、それで日の出前の早朝という、とんでもない時間が選ばれたのである。

 だがこの辺の事情をエレノアが知っていたかというとこれはどうにも怪しい。元々貴族でもなんでもない外国人だから当然であろう。それは自分達の食事をリンデンマルス公爵家で用意させるという発言からも明らかである。

 だが本人は堅苦しい気の張る王宮からフォスタニア館へ行けるということで至極嬉しそうだった。これも当然のことだろう。愛するレイナートのために王妃となることを受け入れたエレノアではあるが、本音から言えば御免被りたいことであったのは言うまでもない。
 したがって久々の「里帰り」に我知らず心が弾んでも致し方無いだろう。


 だがこの決定が下されるまではまさに喧々諤々、激しい議論が重臣達の間で戦わされたのであった。

「いくら妃陛下の思し召しとはいえど……」

「だがご下命とあらば致し方あるまい……」

「じゃが、前代未聞だぞ?」

「まあそうだが……、今に始まったことでもあるまい? 陛下の治世となってからは……」

「それはそうだが、第一、毒見役はどうする? 確かリンデンマルス公爵家は毒見役を置いてないと聞いておるぞ?」

 重臣らの口々の言葉に、それまで黙っていたクレリオルが反応した。具体的なことが話題になったからである。

「確かに毒見役はおりませんな」

「あり得んことじゃな……」

「ですが必要ないものですので……」

「それがあり得んと申しておるのだ」

 各貴族家には必ずと言っていいほど毒見役が存在する。これは大陸諸国においてほぼ共通であり、そういう意味からしてもリンデンマルス公爵家は相当常識破りというか異常とも思える貴族家であるが、それはひとえに古イシュテリアの聖剣の故である。

「しかしながら我が主、レイナート陛下は古イシュテリアの聖剣の持ち主。料理に毒が入っていれば剣がそれと教えてくれます。
 それはかつてシェリオールでも実際にあったこと。剣の警告にて我が主は事無きを得ております」

 実際にはその力は現在既に失われているが、それは余人の知らぬことであるし、また敢えて教えることでもない。
 いずれにせよ、クレリオルの一言は重臣らを絶句させうるに十分な威力を持っていた。

「……」

「幸か不幸か妃陛下は常日頃帯剣しておられません。ですがもし妃陛下も剣を提げておられれば、そもそもこのような事態は起きなかったことでしょう。違いますでしょうか?」

 エレノアが女装というか、本来の女性の装いをしているのは、レイナートの妻らしくありたいという本人の意志もあるが、重臣らの強い要望もあってのことである。王妃が王宮内において男装で帯剣しているというのはどうにも格好が悪い、というかみっともないということで……。

 つまりクレリオルは暗に、旧弊に囚われ何かにつけて苦言を呈し、また一旦は必ずレイナートに反対する重臣らを牽制したのであった。

「したがって毒見役に関しては心配ご無用。元々必要のなかった毒見役留めておられるのは、ご貴殿らの陳情を受けての陛下のご配慮。
 それをよもお忘れめさるな」

 実際には破邪の剣の力は失われ、エレノアの古イシュテリアの聖剣はレイナートが今回の旅に持って行ってしまっている。
 だがそんなことをおくびにも出さずクレリオルはそう言い放ち重臣らを黙らせ、王妃の「里帰り」を決定させたのである。

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