聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第4章

第1話 五里霧中

 レイナートの一行はようやくディステニアの王都へ近づいてきた。

 ディステニアに入国以来レイナートが感じていることは、やはり街も人も暗く沈み込んでいる、ということであった。人々の顔色は冴えず全体に活気がなかったのである。だがそれでいて騒然とまでは言わぬまでも、なんだか落ち着きのない様子も感じられ、奇妙な雰囲気が見て取れたのだった。

 だがそれも国王が崩御したばかりであれば当然なのかもしれない。

 スピルレアモスが国王となってからのディステニアには多くの変化がもたらされた。何よりもイステラとの関係改善が両国の交易の道を開いた事が大きい。新たな商取引の発生とその活発化は、今まで手にすることが難しかった多くの商品が安価で大量に流通することを意味し、国民生活を豊かにするのと同時にそれに伴う税収の増加は国庫を潤した。したがって、それは国にも国民にとっても歓迎すべきことではなかったかとレイナートは思っていた。
 少なくともイステラにとっては、アレルトメイア産に頼りきっていた塩が、ディステニア経由でシェリオール産のものも入ってくるという、とてつもなく大きな変化があり、常に塩の確保に神経を尖らせていなければなかったイステラには、大いなる福音であったことは間違いない。
 いずれにせよ両国の関係はレイナートとスピルレアモスの交誼によるところが大きいのは誰もが知るところであった。


 ディステニアという国はエメスタ高原の西の麓、なだらかな平坦地に広大な面積を持つ。当然ながらその王都も平坦地にあり、それ故、街区の拡張が可能なため、イステラの王都とは比べ物に何らないほどの広さがある。
 王の居城を中心に貴族屋敷が取り囲むが、それはどれも広大な敷地を有する。深い森と湖と呼んでも差し支えないような大きな池は当たり前。家臣の住む館に使用人たちの住まい、果ては私兵団の宿舎までも敷地内に存在する。
 これほどのものが街の中心部を形成し、さらにその外側にいわゆる市民の生活する街があるのだが、これを取り囲む壁のようなものはない。そういう意味では防衛力はそれほどでもないのだが、それが逆に外側への拡張を容易ならしめているのである。
 したがって外敵はまず狭い路地が幾重にも折れ曲がる市民街を抜け、森に囲まれた貴族屋敷を越えなければ王城へは辿り着けないのである。街そのものが城の防衛線を形成していると言え、これは程度の差こそあれ、大陸諸国においてはさして珍しいことではない。

 その市民街を抜けてグリュタス公爵家の屋敷の敷地へと隊列は入っていく。レイナートはイステラ王家の紋章の入った箱型馬車に乗っている。
「イステラの男子たるもの馬に乗れ」というのはイステラ人の気概を示す言葉だが、そうは言っても春先で寒いことこの上ない。しかもロッセルテでの事件、さらにアレアナからもたらされたエレノアとアニスの毒殺未遂事件があったため、静かに考える時間が欲しくて馬車にしたのであった。

 ディステニアという国は面白い国で、王が変わると王族たる各公爵家でも当主が変わる。例えばグリュタス公爵家というのは元々王の従弟が継ぐとされる家である。したがって王が変わってその子が新王となると、それまでのグリュタス公爵家当主は立場が王の従弟から従叔父(いとこおじ)というものに変化する。そうなると本来のグリュタス公爵のあるべき姿と異なるということで当主は別家に移るのである。
 元々これはディステニアにおいては長らく王権が非常に強く、専制君主としての国王の力が強大であったため、いくら血を分けた兄弟であるとはいえ、否、血が繋がっているからこそ代々の国王はその反逆を恐れたということに由来する。そうして、国王の代替わりごとに王族達も家を変わるということには、王位継承権をいつまでも持たせておかないということの他に、家を変わるたびごとに無駄な支出を促しその地力を削ぐという目的もあったのである。
 そういう意味では、貴族達の力を削ぎつつ一方で強い兵を持たせディステニアのために戦わせるという、相反する難しい舵取りを代々のディステニア王はしてきたのであるから、決して無能ではなかったと言えるだろう。

 もっともそういうことは今のレイナートにとってはどうでもいいことである。否、どうでもいいということはない、大いに関係のある事柄である。
 スピルレアモスが死去した現在、その後継者については公式の発表がイステラには届いていない。したがって現状ではレイナートの立場も変化していない。だが今後誰が即位するにしろ、その時はレイナートがグリュタス公爵に留まるということはないだろう。そうでなければそれまでのディステニアの貴族のあり方が大きく異なることになる。

 元々レイナートがイステラ人であるにもかかわらずディステニアの爵位を得たのは、ひとえにスピルレアモスとの厚誼の故である。レイナートに大恩を感じていたスピルレアモスの正妻はコスタンティア。そのコスタンティアはレイナートの父王アレンデルの養女として輿入れしている。すなわちその故を以ってレイナートとスピルレアモスは義兄弟でもある。したがってスピルレアモスがレイナートを襲爵させる時、王の実弟が継ぐとされるホミルローテ公爵家とする可能性もあったのである。だがさすがにそれではディステニア貴族の反発が大いに予想され、そのために従弟が継ぐグリュタス公爵家となったのである。
 そういう経緯があったから現在のディステニア貴族としてのレイナートの姿があるのだが、これは今後大きく変わる可能性があることは容易に想像出来る。だが一点だけ絶対に避けなければならないのは、自分がディステニアの玉座に座るということである。これだけは頑として拒否しなければならない。
 もしそういうことになったならイステラの王位も返上することが難しくなる。ディステニア王となってイステラの王位を返上すれば、これは要するに国を乗っ取っただけと看做されるだろう。
 そんなことになれば自分やその家族を暗殺しようという者が出てくるかもしれないし、イステラ・ディステニア両国の関係も最悪になりかねない。戦端をすら開く可能性も大である。
 震災後ようやく復興し、今後さらなる安定と発展を目指さなければならない今、戦争などしている暇はない。いや、そもそも戦争などしていいことではないのだ。
 そう考えるレイナートであるからこそ、初春の忙しい時期に家臣の反対を押し切ってまでディステニアくんだりまでやってきたのである。手ぶらで帰る訳にはいかない。否、この場合なら、手ぶらどころか余計なものを一切置いて帰るという方が正しい表現か。
 いずれにせよディステニアを刺激しないように、自分の思う通りに話を進めたいと願うレイナートである。

 そのためにはやはり情報が欲しい。
 それは、自分をディステニア王に、というコスタンティアの密書が一体誰の発案なのか、ということである。
 スピルレアモスが存命中にそういう話になっていたのか。それともコスタンティア一人の考えなのか。周囲の者達はどこまでそれを知っているのか。賛同者はどれほどいるのか。それともいないのか。
 これがわからないと話の持って行き方が難しい、というより無い。

「こういう時こそ暗部が使えれば」などと、己自身の考えを否定するかのようなことまで考えてしまうほど、五里霧中のような状況に頭を抱えているレイナートであった。

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