聖なる剣を持つ者・第二部 R-15

第4章

第9話 母の胸、父の背

 古くから言い習わされている「子は母の胸、父の背で育つ」という言葉がある。
 母の胸、すなわち乳で育ち、父親の背中を見て成長する、という意味である。特に男子の場合、父親の背中を見て人としての生き方というものを学ぶ、というのは十分に納得出来ることだろう。
 但し貴族の場合は例外なく乳母に育てられる事がほとんどであるから「母の乳」というのは当てはまらないことが多い。
 そういう意味では、レイナートは実母マリアスの乳によって育まれ、逆に実父アレンデルの背中を見て育ったかというと疑問が多く、貴族としてはやはり普通ではないといえるだろう。
 したがって「亡き父王アレンデル陛下に似てきた」などと言われたら、レイナートは「そうかな?」と首を捻るに違いない。
 但し、今回のレイナートの発言は予期せずしてアレンデルの物言いに確かに似ていたとは言えるだろう。

 とは言ってもそれとわかる人物は周りにもいなかったのも事実である。
 豪放にして大胆、細心。深慮遠謀に富む。己の発言がどのような効果をもたらすかをきちんと計算出来る男、それがレイナートの父アレンデルである。言い換えるなら政治的手腕に長けていたと言うことが出来るだろう。

 ところで政治的手腕とは、極論すれば、己の意を相手に飲ませる技術、と言えるかもしれない。
 自らがシェリオールとの国境へ赴くと告げたレイナート。だがそれはディステニアの譲歩を引き出そうと言う駆け引きの故ではない。
 国境付近でシェリオールの侵略を受けている貴族達の苦渋はレイナートにも容易に想像出来た。そうしてそれは己の蒔いた種が原因であるとも認識していた。ならば己が決着をつける、というのまでは無理でも、なんとかせねばならぬ。その思いから自ら立つことに決めたのであって、そこに政治的な計算や駆け引きはなかった。

 だがレイナートは今ではただの一貴族ではない。イステラの国王である。どこへ行くにも、何をするにもそれが付いて回る。それは重い責任というものを伴っている。それを忘れることは出来ない。
 もしも自分の身に何かあれば国が乱れることは必至である。
 今の自分には世継ぎとなる男子もいない。だが幸いなるかな、イステラには五大公家という、王家に準ずる家格の家がある。引退したとはいえドリアン大公という長老もいまだ睨みを効かせている。したがって自分が野に屍を晒すことになっても、その事自体は憂う必要はない。いや、最愛の妻と愛娘を残してとなれば悔やんでも悔やみきれぬ。
 だがそれ以上に自分の双肩に掛かっているものの方が多くしかも重い。

「王というものは、その双肩に全臣民の生命と生活、財産がかかっている。王が王たる所以はそれらを守れるからだ」

 父アレンデルの言葉をレイナートは片時も忘れたことはない。
「己は人々のために何が出来るか?」という この思いがレイナートの行動原理であるとも言える。そうしてそれは破邪の剣を得た時の決意でもある。
 だからレイナートは自ら赴くことに決めたのである。

 だがそれはある意味で非常に無責任な考えであるかもしれない。
 今目の前で苦しんでいる人達を救う。その事自体は何も非難されるべきことではないだろう。だがそれによってより多くの苦しみを人々に与えるのであれば思い留まるべきである。
 だがレイナートにはそれが出来ない。目の前の人を見捨てることも見殺しにすることも出来ない。

 身勝手だとは知りつつ、自分に何かがあれば残った者達でなんとかうまくやっていってほしい。そう思ったのである。

 だがそうは言っても丸投げにすることも出来ない。その道筋だけは付けておかなければならぬ。
 イステラ王がディステニアのために戦って死んだとなれば、イステラ人は絶対に許さぬ。それはたとえ自分であっても変わらないだろう。
 確かに庶子である自分が即位したことへの反感を持っている者は少なくないのかもしれない。その自分が死んで快哉を叫ぶ者はいるかもしれない。だがそれでも自分は王なのだ。王が死んでそれを手放しで喜ぶイステラ貴族はいまい。ましてそれがディステニアのためとなったら絶対にありえない。
 イステラ人のディステニアに対する意識とはそういうものだとレイナートは思っている。

 ディステニアと和平が成立し、どれほど交易が盛んになろうとも、いまだ過去の恩讐を超えたとは言い難い。レイナート自身折に触れて意を用いてきたけれども、いまだ両国の真の友好が成し遂げられたとは言い難いものがある。
 したがって「ディステニアを恨むな、和平を存続させよ」と遺言を残したところで誰も聞かぬだろう。どころか我先を競ってディステニアに攻め込むかもしれない。しかもそれは全く統制の取れない、それこそ熱病に冒されたかのような、ただひたすら殺戮を目的としてディステニアに殺到するのは容易に想像出来る。

 だから初めから言い残しておくのである。

 ディステニアを決して許すな、と。

 そうであれば、ドリアン大公や現宰相のフラコシアス公爵、内務卿シュラーヴィ侯爵、軍務卿シュピトゥルス男爵あたりが逆に歯止めをかけてくれるに違いない。彼らの政治家また軍人としての優れた感覚が貴族や国民の暴走を食い止め、無秩序なディステニア殲滅という事態を避けてくれるに違いない。

 だがそれは多くの血を流し、生命を奪うことになるだろう。この時のレイナートにはそれを避ける算段が直ぐには思い浮かばなかった。妙手が考えつかなかった。したがって次善の策ともいえぬほどの下策ではあるもののそれしか方法がないと思えたのである。

―― 破邪の剣があれば……。

 そう思わぬでもない。だがそれは死児の年を数えるにも等しいこと。それに破邪の剣がなければ己は何も出来ぬのか。そこまで己は情けない人間なのか。レイナートにも矜持というものがある。
 何もかも破邪に頼ってきたツケが回ってきたのだとしても頬かむりは出来ぬ。投げ出すことも出来ぬ。
 ならば逆に自分が捨て石になって両国の新たなる関係の礎が築けるのなら……。

―― 我ながらどう考えても甘すぎるとしか思えん……。

 歴史を学んだレイナートは、人の血が一滴も流れることなく世の中が変わった、という事がかつてなかったということを知っている。それを己が初めて成し遂げようという大それた考えも持ったことはない。
 人は戦いを繰り返す。その度毎に多くの後悔と自戒を繰り返す。多くの血を流すことで自らの愚行に気付く。だがそれでも戦争はなくならない。
 それは歴史の必然なのかもしれない。

 レイナートは戦争を憎む人物である。人が己の主張を振りかざして相争い、殺し合うことを心から嫌悪している。
 だが、だからといって、自らが戦うことを放棄するものでもないし、それはもちろん己のためではない。「我が剣は人々のため」ということであれば迷わず厭わず剣を振るう。
 そうして今、己が剣を振るわなければディステニアに未来はない。だがもし自分に万が一のことが起きればやはりディステニアには未来はないかもしれない。

―― 行くも地獄、留まるも地獄。

 何もかもから耳を塞ぎ裸の王様になれる人物であったならこれほど気楽なことはないだろう。そうして人々の苦しみ、悲しみからも目を背けていられるなら。


 ところで、レイナートは言葉を軽々しく発しないということを知っているのは家臣はもちろんだが、この時この場にもう一人いた。
 その人物はいつもの優雅な身のこなしとは無縁の、まるで何かに急き立てられるかのごとく立ち上がり、喪服のスカート部分の中程を摘み、レイナートの前に駆け寄ると膝をついた。

「レイナート様、何卒、今しばらくの御猶予を!」

 ディステニア王妃コスタンティアである。

「レイナート様、何卒、何卒今一度のご再考を」

 コスタンティアは深々と頭を下げて繰り返す。
 自分は一体何のためにこの国に嫁いできたのか。アレンデル陛下は一体自分に何を求めておられたのか。それは両国の友好の橋渡しのためではないか。

 この時の彼女は我が身の安泰も、我が子レダニアルスの行く末も一切念頭になかった。
 ただ王妃として、今現在のディステニア王国の国権の最高責任者として「我が臣民を守らねばならぬ」という思いでの行動であった。

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